なぜブログを書くのか

 諸々あって、ここのところ、ブログを書く気持ちの余裕がなく、全然更新出来てなかった。赤子の世話とウクライナ大統領選周辺事情を追っていた、というのもあるが、別件で少々面倒なことがありまして。投稿の仕方すら忘れかねないので、クセをつける、という意味で雑感をば少々。
(アイキャッチ写真は特に意味なく抹茶です)

 ブログを始めたのはなぜかと改めて考えると、明確な説明付けは出来ないことに気づいた。前から始めたかったが、始めるまでの諸々がもう面倒で、ずっとToDoリストの中に埋もれている状態だったのを、ちょうど一ヶ月前のGWにおもむろにこのToDoをサルベージした、というのが、このタイミングで始めたことのとりあえずの説明にはなるが、では、なぜそもそも始めようと思ったのか。私のネット歴は1995年からで「○○のホームページ」みたいなのはいくつか作ったが、何らかの情報を出すためであって、自分の意見を表明するため、というわけではなかった。

 40年以上生きてると、特に社会に対してガンガン発信してるわけではない市井の方々が卓見を持ってることに遭遇する機会は多く、むしろ発信力の高い方々が「ポジショントーク」なんかで悪目立ちする様を見るにつけ、いろんな生き方があるものだなぁ、という乾いた感慨に浸ったりもするのだが、その人達だって、実際はそういうキャラとして割りきって商売に利用してるだけだったりするのだろうし、やはりそれはそれでこの世知辛い世を泳いでいく一つの方法なんだろうと納得したりもする。

 私は自分が卓見を持っているとまでは言わないけれど、様々な事柄について、ひと通りまとまった意見を表明しておくのも悪くないのではないか、と思うようになった。どうしてもネットでは「香ばしい」意見が話題になることが多く、そうしたものを読む機会が多くなりがちだが、たとえ多くの人の目に触れなくても、そうした意見を出しておく、ということは大切ではないかと思う。

 ツイッターでも連ツイで意見を表明することは可能ではあるが、別に細切れに140文字という制限のあるツイートという形で表明しなくても、ブログなどで一つの塊の文章で表現すればよいわけで。実際、ツイッターアカウントを持つ人の多くは別途ブログなどまとまった情報を出すハコも持っていることが多いように思う。

 あと、私はどうしても「世代論」にとらわれてしまうところがあって、この人口減少社会にあって、こうなることが予想できたのに有効な手を打ってこなかった上の世代に対して大いに文句を言いたい気持ちがあり、また同世代に対してはなかなか考えが聞こえてきにくいが諸々意見交換をしたいし、若い世代には私みたいな大人にならないよう反面教師にでもしてもらえれば御の字かw、などと思ったりしている。

 実名で俗に云う「香ばしいこと」を書くのは、匿名の有象無象が寄ってきて大変、と実名アカの人たちが嘆いているのを時々見かけるが、毒にも薬にもならないような駄文を連ねていても仕方がないという面はあり、炎上リスクを避ける努力はしつつも、それを恐れすぎるのもよくない、というところかなと。

 まとまった時間が朝しかとれないのであるが、夜に書くような文章を書いてしまったw またぼちぼち投稿していきますので、時々見に来てやってください。