子供が迷子になる夢を見た

 今、子供と別居中なのだが、今朝は子供が迷子になってしまって必死で探しまわる、という悪夢で目が覚めた。大変な人混みの中で見失い、探しまわるうちに見失った場所もまたわからなくなり、その場所の管理者に頼ろうとするも、管轄主体が不明瞭で要を得ず、せめて迷子札を持たせておくべきだった、という後悔の念が募るばかりで途方に暮れているところで目覚めたのだった。時々、こういうしんどい夢を見ることがあるが、大抵はヒッチコック映画のように自分の身に危険が降りかかってくる場合で、自分以外の存在にこんな感じになるのはあまりなかったように思う。夢でよかった、とものすごくホッとしたのだった。

 一度、ほんの一瞬だが、人混みで子供を見失ったことがあって、気をつけないといかんな、と思っていたところで、それからさらに早く歩けるようになっているので、迷子札は検討してもいいのかもしれない。ググると、一定間隔以上離れると警告音が鳴る「迷子防止ブザー」とかスマホと連動するようなのもあるようだが、名前と携帯電話を書いたネームタグを身につけさせる程度でまずは十分ではないかと思う。

 スーパーで買い物中に音の出る靴をはいた子供に出くわすことがあるが、少々はた迷惑感はあるものの、活発な子供に対しては立派な迷子対策になっているようで。

 幼児の迷子対策はとにかく「目を離さない」という基本を守ることが重要、というのも、例えば、体験者の方の 自分の子供が「迷子」になる怖さ などを読んでよく分かった。

 私は夢に意味付けしたりしないのだが、こういうのを警告夢というらしい。夢を見ること自体、人類の進化の過程で得た能力だろうから、まったく意味が無いとは思わないし、フロイト流の夢判断はちょっと勘弁だが、ユングの集合的無意識などはあるかもなあ、ぐらいには思っている。

 ところで、ウクライナ語で夢のことを「ムリヤ(мрія)」という。普段全然使わないし、聞く機会もないので、ウクライナ語をどんどん忘れつつあるのだが、この言葉は「叶わない夢=無理や」と覚えると忘れられなくなる言葉。ただし、この言葉は願望などを表す夢の方で、睡眠中に見る方の夢は別途「ソン(сон)」という言葉がある。日本語の夢は英語のdream同様、両方の意味があるが、願望の方の夢は「明治時代に「Dream」の訳語として出てきた」説があったり、いやそうじゃない、という話もあったり、ようわからん。文脈上ごっちゃになることは少ないが、別になってたほうが外国語学習者には便利だとは思う。


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