今季契約終了&ソフトウェア・テストについて

 本日、今やってる仕事の契約終了日。特に家族のことやこれからの拠点など、いろいろ考えたが、引き続き、今のところでもう少し継続することにした。期間は半年の契約で、その後はまだ決めていない。

 多分、今の今、IT関連会社では消費税対応、というか、軽減税率対応をどうするかで、政治の行方を見守っているところが少なくないだろう。しかし、消費税率アップの方はともかく軽減税率導入だけはホンマやめて欲しい。今の日本にはこんなくだらない政策に振り回されいる余裕はない。これをゴリ押ししてるらしい公明党さんに有利な別のなんかの政策導入許すからこっちは諦めてくれんやろかいなーW ・・・まあ、冗談ですが。

 最近、仕事が忙しく、普段はほとんどしない残業をしたりしていて、今日も残業。元々契約としてしなくてはいけないところは早々に終わっているので、契約的には問題ないのだが、その後、引き受けた案件がそんなに手がかからないと思っていたのが、意外にも着手してみるとなかなかに様々な配慮が必要なものであることがテスト段階で判明し、作り直したりしていて、時間がかかってしまった。こういうのは最初から怪しいところを見つけておかないといかんのだが、ちょっと甘く見てしまったのだった。

 先日発生した全日空のシステム障害は、こちらの「ANAシステム障害の原因判明、シスコ製スイッチの「世界初のバグ」でDBサーバーがダウン」という記事によるとシスコのスイッチの不具合とのことで、原因はいつものようにITゼネコンがらみのソフトウェアに違いないと勝手に推測していたが、そうではなく、ハードウェア由来だったようだ。スイッチはこちらのCatalyst 4948Eという機種だったそうだが、100万円はするような機器で私ら風情のプログラマの端くれが目にする機会のないようなやつ。シスコっつうとお高いけど信頼性抜群というイメージがあるが、今はそうでもなくなってきてるのかしら。

 記事内には「トラブル発生2日後の3月24日にシステム改修を終えた」とあり、へー、たった2日で対応出来てしまうんか、と感心したが、システム内部ではなく、ハードウェア障害への対応なので、そんなに手間ではなかったってことなのか。さすがにこのレベルのスイッチの不具合まで見越してシステム設計はしてなかったと思うが、「本番環境と同等の作りにしてあるテスト環境にスイッチを持ち込んでテストした」とあり、やはりこういう基本的なところを疎かにせず、きっちり準備してるあたり、ちゃんとしてるな、などと思った次第。

 こうしたテストやテスト環境の構築は、あまり生産的じゃないし、面倒だし、つい端折りたくなるところだが、こういう時に役に立つし、さらに不具合発見にも役に立つので、システム構築時にテストはやはり必須。それも闇雲なテストではなく、効率よく、かつ、網羅的である必要があり、誰でもできそうだが、テストはなかなか奥が深く、改めてその重要性を認識している。

(今回は久々に親指シフトで書いてみた。文体に特に違いは出てないと思うが、どうかな)

シングルファーザー体験中だが、こんなんやるもんじゃない

 さて、子供が早めの昼寝に入ったので、つらつらと最近の育児日記をひとつ。

 ここのところずっと父子家庭状態になっていて、職場と保育園と家の3点往復運動を繰り返す毎日。数日おきにスーパーなどに行ったりするが、ほぼ単調といってもいい日々が続いている。とはいえ、子供が日々昨日とは違う何かをするので、単調ではないのだが、毎日気づいたら寝る時間で朝起きて、あまり考える暇もなく、日々が過ぎていく状態が続いている。

 子供を一時保育にあずけているので、帰宅時間は早めなのだが、帰宅して、食事の準備をしつつ、食器片付け、朝の食器洗い、洗濯、散らかったおもちゃの整理などをし、食事を一緒に取って、食休みに映像なり絵本などを読みつつ、そのうちうんちをしたりするので、慌てて風呂の準備をして、うんちの後始末などをし、風呂に入り、上がったら、肌のケアをし、牛乳を飲ませ、部屋を暗くして少し遊ばせた後、歯磨きをして、就床の時間、という感じ。

 就床後、すぐに寝る日もあれば、1時間以上グズグズとする日もあって、なかなか対応する側も大変。こちらもいろいろとすることがあって、就床後にしようと思っていることが出来ない場合もあり、相手がある場合は待ってもらったりすることもあって、何かに追われるような日々が続いている。

 そして、朝が来て、すでにその時点で遅刻なので、急いで嫌がる子供に着替えをさせ、食事をさせる。寝起きで最初は進まない食事だが、食べ始めると割りと食べる場合も多いので、なかなかに時間が読めない。まだオムツは取れないのだが、さあ出発という時にウンチをしてることがわかったりして、さらに時間がかかる、というのはザラ。ゴミ出しの日にはゴミをまとめて出すとかしているとあっという間に時間がさらに経過する。

 誰でもいいからせめて家の中で子供の相手をしてくれる人がいてくれたら、と思うが、核家族化が完了した今、なかなかそうはいかない。そういう意味で子供に兄弟がいる、というのはそういう役割をお互い担ってくれるので楽になる部分はあるのだろうか。経済的にはただでさえ大変な上にさらに負担がのしかかるので、プラマイでいうとどうなるんかわからんが。

 書いてて思ったが、もしかしたら、もはや地縁血縁は頼れないと見切って、ちょっとした支援の必要を感じているファミリー同士でつながれるような、昔の「長屋」的な生活を望む人が増えているのだとしたら、そうした場が提供されれば、参加したいと思う家族が一定数いるんじゃないか。

 あと、離婚経験者に聞くと、あまり子供のためだからといって我慢するのもよくない、とのことで、子供に我慢してる姿を見せたり、親の笑い声の一つも起きないような家で過ごすのはどうか、というのだが、こんな状態では笑う時間もなかなか取れやしない。せっかく作った食事をいとも簡単にベー、と吐き出されると普段温厚な人でもかなりイラつくはずだし、こちらが家事をしている最中に大声でぐずられると、あーもーなんやねん、ってなって、つい怒り気味になってしまう。

 今はちょっと鼻づまりと咳がひどいので、かかりつけ医の診察を受け、薬をもらってきたのだが、最初の対応をまずったのか、どうしても飲んでくれない薬があって困っている。砂糖混ぜたり、コンデンスミルクにまぶしたり、それ用のゼリーを買ってきて試したりしたが、もうスプーンに赤いゼリー状の液体が乗っている、というだけで、逃げ出す始末。ただ、私も自分で舐めてみたが、かなり薬特有の味が濃く、後味も口に長く残るので、こうなってしまうのも仕方ないかなとも思う。幸い、症状は快方に向かっているので、今回は大目に見てもいいと思うが、無理にでも飲ませないといけない場合もあるだろうから、今後、そういう場合のためにスポイトか何かを用意しておこうかと思っている。

 というわけで、父子家庭の大変さを身を持って体験し、やはり離婚とかはせんほうがいいなぁ、と実感しているところ。そもそもがせんほうがいいわけだが、やっぱりせんほうがいいんじゃないかいなと。

安田純平さんが無事に解放されることを祈る

 安田純平さんと思われる動画がFacebook上に投稿され、ニュースになっている。映像はこちら。(追記:この映像は現在見られなくなっている模様)

 ツイッターでどのように話題になっているかYahooリアルタイム検索で見てみると、こんな感じ。

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 どちらかと言うと、揶揄する声がやや上回っている感じだが、こうした「自己責任」を声高に叫んで何かを言った気になる類のリアクションはもうずっと日本ではよくある光景なので特に驚きはしない。ただ、こうした世相にあっても、ぬくぬくとして居心地のよい日本を出て、世界で何が起きているのかを自分の目で見て確かめ、伝えようとするフリージャーナリストがいることをありがたいことだと思う。

 私は職業ジャーナリストではないけれど、震災後、フリージャーナリスト界隈の人たちと知り合う機会が何度か有り、安田純平さんとも東北某所でお会いした。というか、もうゆうてもええと思うが、遠目からではあるが、福島第一原発を見に行った時に同行されたのが安田さんだった。

 その後、何度かお会いする機会があり、いつも身なりが整っていてイケメンな安田さんだったのが、今回の映像の中ではボサボサ頭になっていて、疲労のにじむ変わり果てた姿はとても痛々しい。でも、ともかく無事に生きていることが分かり、うれしく思う。

 こちらに「安田純平さんの安否は今どうなっているのか」という雑誌「創」の記事が出ていて、ジン・ネットの高世仁さんが安田さん拘束後から今年1月までの経緯を語っておられるので、今回の映像公開にどういう背景があるのか知りたい方は一読をおすすめします。また、5ページ目以降には安田さんがイラク人質事件後の2003年8月号に同誌に寄稿された記事「新聞社を辞めて 戦場に行った理由」が掲載されていて、組織ジャーナリスムの枠内で記者生活を続けることの困難が語られている。

「多くのメディアが「公明正大」「客観」と言う言葉を未だに使いたがるのはこっけいだ。組織ジャーナリズムの中にいるかぎり、記者は取捨選択に組み込まれる。」

 という事態は今も継続していて、公平中立なんてありはしないし、出来もしない、という諦めから出発すべきなのに、その言葉に自縄自縛状態になっていて、今はさらに無駄に洗練されつつあるんじゃないか、とまで思ってしまうほど。

 個人的な話をすると、安田さんは、我々の結婚にちょっとした影響を与えたらしい。私は詳細はよく知らないのだが、私には何か安田さんがこのまま帰ってこない、ということはちょっと困るなぁ、という気持ちがある。

 そうした私のどうでもいい個人的事情はともかく、安田さんには是非無事に帰ってきてほしいし、「自己責任」論が目立つ中にあっても、心ある人には解放を求める声を上げ続けてほしいと願う。

(※2016.3.20文章一部変更しました)

本日の身辺雑記

 久々のエントリー。子供が寝ている間に少し。

 このところ、家庭内でいろいろあって、ブログどころではなくなっているのだが、少し事態に落ち着き(?)が見られるようになったといってよいのかどうか。ともかく、時間というのだけは過ぎていくので、この間に子供は着実に年を重ね、2歳の誕生日を迎えた。

 保育園に行きだした影響からなのか、言葉の爆発、というほどではないが、物を指差してその名前を言ったり、こちらの言葉をオウム返しに繰り返したりできるようになった。「リ」で始まって、「ン」で終わる言葉なんかが飛び交っていたときに、その言葉を真似て話したりして、親を戸惑わせたりもして、そういう戸惑いを見せると余計に喜んで繰り返すので、子供というのはなるほど容赦しないものだと思う今日この頃である。

 誰に習ったのか、私の顔を平手打ちしたりし始めたので、さすがにこれはあかんやつ、というわけで、昔、この家で躾として行われていた「蔵に閉じ込める」というのを現代風にアレンジし、こちらが部屋に閉じ込もって、私の部屋に入ってこれないようにする、というのをやってみたら、部屋の前で数分泣き続けたので、まあこの辺でやめてやろうと、入れてやるとしおらしくなった。その後、平手打ちすることはないので、子供ながらに理解したのだろうと思いたい。

 ちなみに、私の部屋には自由に子供が入ってこれるようにしていて、私が自分の部屋でパソコンに向かっているときに、絵本読んでくれ~、とか、遊んでくれ~、って感じで邪魔しにやってくることが多い。そんなわけでいろんなToDoが全然進まず、確定申告もやっと入力・計算が終わったところで、あともう一息というところ。今年も所得税の2.1%分の「復興支援」名目の税も取られているが、こちらによると、2038年まで継続するようで。先日、今中さんが飯舘の除染は環境破壊となっており、もっと有意義に使うべきだと言われていたが、先の戦争でもそうだが、走り始めるともう誰も止められないこのシステムの暴走は何とかならんもんだろうか。

 子供の話に戻ると、このところ、少しずついろいろな名前を言えるようになっていて、街中で救急車を見て「キュキュシャ」と言ったりするようになったが、消防車やパトカーを見ても「キュキュシャ」というので、あの3つはセットで頭に入っているようだ。魚は「カカナ」と言っていて、まだサ行で始まる言葉はうまく言えないらしい。イルカのぬいぐるみを見ても「カカナ」というが、これはまあしゃあないかなと。

 そろそろトイレトレーニングを始めようとして、おまるに座らせてみたりしたが、まだうまく出来ない。ウンチが出るとだいたい教えてくれるが、オシッコはまだなので、時々オムツの状態を確認して、一定間隔は溜めておけるようになっているか確認してみるといい、と保育士に言われたところで、ボチボチやってみようかというところ。

 最近、食事やおやつのとき、親にもシェアしてくれるようになった。どういう動機付けなんかようわからんが、親の真似をしてる、ということなのだろうか。あるいは、保育園での生活の中でそういうやり取りがあるのかもしれない。

 親の真似でいえば、寝る前に布団に入ろうとすると、部屋を出て行って、とある月刊誌を取りに行くようになってしまった。要するに寝る前に私がその月刊誌を寝転んで読んでいたことが何度かあって、それを真似ているようである。仰向けになって、2歳の子供がやや固めの月刊誌を読んでいる様は微笑ましいが、自分のだらしない姿を見せつけられているようで、子供の前では寝ながらの読書はやめておこうと思っているが、長年しみついた習慣なんで、ついやってしまう。

 今日は近くの駅でSLが走るイベントがあり、行ってきたのだが、待合室にプラレール・コーナーが出来ていて、小さな子供たちが押し合いへし合いしながら、列車を走らせていた。我が家では、際限なく増殖するのが怖いので、まだプラレールは導入していないのだが、うちの子供にも触らせてみたところ、自走する牽引車が理解しきれてないようで、プラレールの遊び方が分かってなくて、他の子が作ってる橋を何度か壊したりしてしまった。幸い、その子は小学校低学年ぐらいの子で、その子とはトラブルに発展することはなく、その親御さんも「小さな子のすることなので我慢しなさい」的なことを言ってくださったのだが、こういう場合、親はどこまで介入するものなのか、まだ距離感がよくわからない。基本的には子供同士の解決に任せつつ、必要に応じて介入する、ぐらいでよいのではないかと思うのだが、最近は親が積極的に介入するのをよしとする風潮があるのかもしれないので、様子見しつつの対応となるだろう。あんまり空気読まない(読めない)方なんで、他の親御さんからはちょっと放任気味に見えるかもしれんなぁ、などと思いつつ。

 この春に引越しを考えていたが、いろいろあって、もう少しいることになりそう。家族の事情を考えると早めに動きたいところだが、仕事の都合その他で、そのように決めた。ただ、今年度中には移動することにはなるだろうと思うので、新しい生活に適応できるように諸々準備を進めたいと思っている。