「日本は地形が厳しいから欧米のような林業はできない」についての考察

 「田植え」はこれから不要になるかもしれないという刺激的なタイトルの記事が出ていた。

 農業分野ではITの導入が各所でなされており、自動選別とかレタス工場とか、最近ではコマツのような取り組みもなされており、農業とITとの意外な相性のよさが注目されている。

 林業分野でもGISを使った森林管理などが注目され始めているが、まだまだ時間と手間とコストがかかるらしく、一応、すでにオンデマンドでの受注に対応し始めているところが出ていると聞いたことがあるが、現場にITが導入されている例は多くはないようだ。

 先の記事で以下のような発言がある。

日本の林業の実情はもっとひどくて、世界と比べて本当に遅れています。たとえば、スウェーデンの林業は20年以上前からIT化されています。伐採する機械に「こういう木材の値段が上がっているから、それをこの長さ、太さで切ってくれ」という指令が来たら、自動で木をつかんで太さを計測し、枝払いして、切ってパイル化(束にする)します。(中略)残念なことに現在の日本の林業はまったくそういう次元からかけ離れています。「日本は地形が厳しいから欧米のような林業はできない」なんて言う人がたくさんいるのですが、やろうと思えばできないはずはないのです。

 コマツ幹部の方の心意気は心強いし、是非製品などを通じて林業に貢献していただきたいと考えるが、林業について勉強したての私でもなかなか欧米と同様の仕組みで林業に従事するのは困難だと思わざるをえない。

 地形についていえば、ドイツや北欧などの林業先進地の地形はU字谷が多く、道をつけるのがたやすく、幅員の大きい道路をひくことができ、結果として、様々な重機を導入するのが容易になり、効率化しやすくなる。

 一方、日本の地形は急峻で道をつけるが簡単ではない。山の地形を読み、どこにどう道を通すかを決める技術は、現場を知り尽くした方の話を聞いていると、本当に職人芸の世界だと思わざるをえない。

 また、日本の場合、多雨という条件も林道敷設をより困難にしている。多雨ということは水の流れを制御しなくてはならないことを意味するが、これがうまく出来ないと大規模崩落・地すべりが発生してしまう。達人の皆さんはだいたい一度ならずこの崩落を経験されていて、様々な工夫を凝らさないとこれを防ぐことはできないという。

 さらに、積雪地帯の場合は急峻であるがゆえに、根雪が徐々に落ちてきて木の根本を圧迫するため根曲がりが発生し、材木としての価値が下がったりするし、苗を育てる場合も最初のうちは雪で倒れてしまうため、起こしてやらないといけないなど大変な労力が必要となる。苗については、高温多雨であるため、下草の繁茂がすさまじく、下草刈りの手間も地味に大変だったりする。

 もう一つ、あまり指摘されないように思うが、私が大きな要因だと思うのは、日本はドイツ・北欧などと比較すると高緯度地域ではないため、冬の期間が短く、材木を燃料として利用する文化が発達しにくい、という問題があるのではないか。ドイツや北欧は極端にいうと年の半分が日本でいう冬に相当すると思うが、日本の多くの地域ではせいぜい12月下旬から3月上旬までの3ヶ月程度が冬であり、せいぜい年の四分の一でしかない。この差は大変大きいと思う。なぜなら、年の半分のためなら設備投資しようという気になるが、四分の一程度なら我慢して灯油でやりくりしようか、という風になってしまうだろうから。

 とはいえ、私見では、衰退日本の中にあって、林業は有望な産業になりうると思っている。外材が高くなり、国産材への回帰が起きるのではないかと思っているのだがどうだろうか。また、最近では林業従事者の高齢化が行き着くところまで行ってしまい、全体として低年齢化し始めているデータがある。また、都会で無駄に疲弊する生活に飽き飽きした若い人たちが山の仕事に入り始めている実態もある。冒頭で指摘されているように効率化の余地が山ほどあるため、うまく回していければ、面白いことが出来る可能性がある。

 私は諸事情で林業に携わることが困難になってしまったが……、これからIT導入で林業復興が起きればおもろいなと思う。

チャイルドシートやジュニアシートを助手席に置くことの是非

 チャイルドシートは後部座席に装着することが推奨されている。

 自動車総合安全情報という国交省のサイトで「チャイルドシートは、安全のためにできるだけ後部座席に取り付けましょう。」と書かれているし、こちらの滋賀発祥の某メーカーのサイトにも「エアバッグの付いている座席」では取り付けないでください、と書かれている。

 乳児の場合、後ろ向きの装着になるので、チャイルドシートを助手席に設置するのはやめるべきだが、前向きの場合、どうなのか。もちろん、一般論として、後部座席の方が事故率は低くなるし、助手席というのは最も死亡率の高い場所であり、避けるべきというのは正論であるだろう。

 私もずっとチャイルドシートは後部座席につけていた。後部座席の左右どちらがよいか問題については、やや運転手席側の方が死亡率はいくらか低くなるものの、先程のメーカーでは歩道から乗り降りさせることが出来るから、という理由で助手席側を推奨している。私も信号待ちのときなどに運転席から世話がしやすい、ルームミラーをやや斜めにすることで常時監視することができる、などの理由で助手席側に置いていた。

 ただ、何度か助手席に仕方なくチャイルドシートを設置した経験から、前向き装着なら助手席に乗せるのもアリではないかと思うようになった。子供としては前に乗った方が小さいうちからいろんなものをより多く見ることが出来、これはこれで立派な理由になるんじゃないかと。

 もちろん、これは親の自己責任である。多くの人は後部座席に乗せているのも知っているし、安全性も一般的には高くなるだろう。昨年、3歳の子がエアバッグで圧死する、という痛ましい事故が起きたが、こちらの「エアバッグで圧死」3歳児死亡事故、運転の母親に有罪判決という記事によると、後部座席にチャイルドシートがあったが、近所だったのでチャイルドシートのない助手席に乗せたとのことで、運転していた母親は有罪判決を受けている。

 上記のようなエアバッグでの圧死を避けるためにどうすればよいか。出来るだけ座席を後ろに引いておくぐらいしかないのだが、これで100%安全が保証されるわけではない。また、車両に助手席エアバッグ・カットオフ・スイッチというのがある場合、エアバッグ機能をオフに出来るが、多くの機種は未対応らしい(私の車種も未対応)。

 ここから先はもうリスクとベネフィットをそれぞれが判断する、という話になると思う。後部座席にいたら絶対安全でもないわけだし。

 うちの場合、4人家族になるにあたって、乳児を含む子供二人を後ろに乗せて、親二人が前、というのは、ちょっと考えられない、ということで、上の子を助手席に乗せるのを検討するきっかけとなった。そして、実際に乗せてみて助手席に乗せることのメリットがそれなりにあることがわかった。まず、子供にとって、景色がよく見えること、親としては子供の状態が後部よりもよくつかめること、子供の急な「お茶ちょうだい」などに対応出来ること、子供との会話を楽しめること、などなど。デメリットは死亡や怪我をする危険性が高くなる、ということだが、危険性をいうのであれば、車に乗ること自体なし、っていうのもありうる。そういう人も実際いるだろうし。

 私は他の人には推奨しないし、子供が一人だったら、そのまま後部座席に乗せてたかもしれないなとも思いつつ、助手席絶対危険で思考停止するのもよくないな、とも思った次第。JAFの海外のシートベルト着用・チャイルドシート使用義務というページによると、諸外国では前部座席に子供を乗せることを禁止しているところもあるようなのだが、細かい点がこのページだけではわからなかった。早いところ、自動運転車が主流になって、事故激減って世の中になってほしい、なんて思ったりもするが、まだまだ先の話ではあろうし、ともかく常日頃から安全運転を心がけるしかない。

新生児訪問と乳児家庭全戸訪問事業(こんにちは赤ちゃん事業)は義務として受ける必要があるのか

 早いものでもう次男が生まれて一週間が経過した。すでに家の中に赤ちゃんがいることが普通になっていて、第一子もいろいろと協力的に動いてくれている。

 出生届を出してきたのだが、いろいろとトラップがあって、訂正印を幾つか押すことになった。本籍の筆頭者については提出後に間違えて提出したことに気づいたのだが、後日、訂正に行くと、すでに役所の方で訂正済みとのこと。なんのこっちゃ。訂正できるということは特に書く必要がないということではないのか。本人確認の意味があるのかもしれないが、私のように忘れてしまっている人が結構いるようだし。一体、どういう意図でこの項目があるのか。

 母子手帳には新生児訪問依頼書というハガキがついている。第一子のときは義務的なものだと思い、受け入れたが、第二子であること、産科の指導で必要十分であること、今のところ、母子ともに健康であることなどから、訪問は受けないでもいいのではないかと考え、役所で聞いてみた。結論としては、自治体としては受けてほしいが、受けなかった場合は数ヶ月後にまたハガキが来て、別の訪問事業を受けてもらうことになる、とのことだった。

 よく理解してなかったのだが、新生児訪問以外に乳児家庭全戸訪問というのもあって、私の自治体では新生児訪問を受けなかった人が対象となっているようだ。新生児訪問は母子健康法、乳児家庭全戸訪問は児童福祉法が根拠となっていて、それぞれ以下のような文言がある。

母子保健法の第11条

当該乳児が新生児であつて、育児上必要があると認めるときは、医師、保健師、助産師又はその他の職員をして当該新生児の保護者を訪問させ、必要な指導を行わせるものとする。

児童福祉法の第六条の三の4項

乳児家庭全戸訪問事業とは、一の市町村の区域内における原則として全ての乳児のいる家庭を訪問することにより、厚生労働省令で定めるところにより、子育てに関する情報の提供並びに乳児及びその保護者の心身の状況及び養育環境の把握を行うほか、養育についての相談に応じ、助言その他の援助を行う事業をいう。

 前の自治体では新生児訪問は家の居間に保健師さんに来てもらっていろいろ指導を受けるという形で、もう一つの方は地域の民生委員の人が玄関先で様子を尋ねる、という感じだったので、今回、新生児訪問はパスして、全戸訪問の方を受けることにすることにした(対応が楽だからというのが主な理由だったりw)。

 ちなみに厚生労働省サイトにやや古いが平成22年度実績の乳児家庭全戸訪問事業の実施状況(PDF)というのがあり、見てみるとこの事業は92.3%の市町村で実施されたとのこと。残りの7.7%の市町村で実施しなかった理由としては「母子保健法に基づく訪問事業で対応可能である」や「乳児家庭全戸訪問事業以外の同様の事業を既に実施している」などが挙げられており、この事業を必要としていない自治体も少なからずある模様。

 国としては早期に「問題家庭」の把握をすることで未然に虐待やネグレクトを防ぐなどの目的があるのだろうと思う。個人的にはこうした事業は「孤育て」が当たり前の時代にないよりはあった方がいいとは思うが、多様な有り様を一律に「全戸訪問」することで把握しようとするのは少々無理があるようにも思える。こういう事業では得てして現場が様々な工夫をして訪問率をあげようとしているものと想像するが、実施できなかった理由に「訪問者が足りない」「訪問の同意が得られない」というのもあり、今の時代にあったやり方があるのではないかと思ったりもした。

 子育ては今や家庭の範疇の事柄となっているが、人類の歴史を鑑みるに集団で育ててきた、というところがあり、集団での子育てのデメリットも多少有るものの、メリットの方が大きいと思われる。その効用をどのように取り入れるか。おそらく今の行政では出来ることが限られており、期待すべきではない。ではどうするか。私が思う一つの答えは子供が属す集団を複数にし、多様な集団での経験ができるように準備することぐらいしかないのではないか。この場合、習い事とかになってしまいがちだが、それだけではなく、いろんな形で工夫の余地があるように思う。

 なんか、思ってた方向と違う方向に論を進めてしまった。私も上記のことは十分に出来ていないが、方向性を今、確認したので、これから考えていきたいと思っている。

 最後に、うちの自治体は「乳児家庭全戸訪問及び新生児訪問の際に配付している人形に縫い針が混入した事案についてお詫び」がなされるような自治体だったりして、これが新生児訪問を躊躇した理由の一つではあったのかも、なんてね。

2児の父親になりました

 もうすぐ3歳半になる子の世話だけで精一杯な今日この頃ですが、その子が寝ているうちに一つエントリーを。

 そういうわけで、二人の男児の父親になった。オムツ替えや授乳も早速やってみたが、最初は戸惑いがあるものの、えらいものでなんとなく身体が覚えていて、特に問題なく出来た。一人目の子の時は産まれるまでにいろいろ調べていたが、今回はなかなか余裕がなく、ぶっつけ本番感がある。私はまだ良くわからないけれども、嫁さんに言わせると一人目と二人目でいろいろと違いを感じるようで、さすがにお腹の中ですでに長い付き合いがあるだけのことはある。

 上の子はお腹の中に赤ちゃんがいることがわかったときから赤ちゃん返りを始めていたので、生まれてから今のところ、そういうのが強くなった感じはない。むしろ、ダッコさせてとか言うほどで、こういうのは3歳半の差があるがゆえではないかと思ったりもしたが、その辺りどうなのか。

 思うに、魔の二歳児あたりのタイミングで次の子が産まれると、やはり結構いろいろ大変なんじゃないかとは思った。あっちもぐずり、こっちもぐずり、っていうのは一人だけでもしんどいのに、二人となるとちょっともう対応できなくなりそうで。ただ、私にも2歳違いの兄弟がいるのでわかるが、もう少し大きくなると一緒に遊べるので、年の差が小さいことがプラスとなるようにも思う。子供時代に3,4歳も年が離れていると一緒に遊ぶというよりは上の子が遊んでやってる感が出るように思うので。

 とはいえ、いろいろ聞いてると、年が多少離れていてもそれはそれでよろしくやっていくらしいので、もうこうして生まれてきたのだから、なるようになるものとして、やっていくしかない。

 「上の子可愛くない」というのは時々聞くが、これからそういう気持ちになるのかどうか。今のところ、上の子が最近かなり意思疎通が出来るようになってきてて、いろいろと変な日本語文法で変な質問を繰り出してくるので、おもろいもんやなぁ、と飽きる感じはないのだが。

 便利なので、「お兄ちゃんらしくしろ」的なことをすでに何度か言ってしまったが、これはあまりよくない言葉だと思うので、封印した方がいいのかも。それぞれ別人格が二人いることを肝に銘じ、それぞれに対し同程度の気配りと適当さで接していこうと思う。また、差が多少出ても気にしないぐらいでいるのがちょうどいいようにも思う。

日本ではもうロスジェネ以降の世代が各界で決定権を握るまでは身を切るような改革は無理なんじゃないか

 「「期待されてない……」育休明けに落ち込むワーママへ キャリアカウンセリングから脱出策を考える」という記事でこんなことが書かれていた。

会社側の問題としては、各職場の管理職がダイバーシティ思考に変化できていないことが挙げられると思います。かつ、そのような会社の管理職はこれまでの成功体験や価値観が根強く、簡単には変化しないことも考えられます。

 その昔、バブルという時代があって、その時期に、人によって大きく差はあるものの、概ねいい思いをしてるのをなんとなく私は知っている。すぐに分かる例は就職についてのことで、私が大学に入学したあたりぐらいがバブル絶頂期で大学の先輩方は内定取り放題で選ぶのに苦労する、という今からすると信じがたい時代を目撃している。また、1990年前後だったと思うが、たまたま人伝に紹介してもらったイベント設営のバイトで時給2000円(それだけでも私の中では破格)で22時間連チャンで働き(というかそんなことは出来ないので最後はみんな寝ていたが)、一日で44000円稼いだことがある。私は学生時代、バイトばかりしてたものの、こういうバブルっぽいのからほど遠い底辺バイトばかりしてたので、こうした経験はほとんどないのだが、バブル期にがっぽり稼いでうまく売り抜けたような人が「いろいろと狂っていた時代だった」というのを何度か聞いたことがある。

 人は20代、30代に培った経験を元にその後の人生を生きていくものだが、ざっくりバブル頂点の1990年に20歳から40歳だった人というと1950年から1970年生まれの人が当てはまり、そして、今、各界で決定権を握っているのがざっくり50歳から70歳ぐらいと仮定すると、だいたい1947年から1967年ぐらいとなり、バブルで若い時期においしい思いをした世代とかぶることになる。

 数値的裏付けなどないし、世代としてくくってもそこからこぼれ落ちる人が山ほどいるのも承知しているが、概ねバブル期にいい思いをした世代は自分が死ぬまで日本がなんとか今の状態を保ってくれたらいい、というような逃げ切りマインドになっていて、自分の身が切られるような変革を拒む傾向があるように思う。時代の追い風があったという認識はあったとしても、自らの成功体験が何となく価値観のベースにがっちりと敷かれていて、ダイバーシティの必要性を頭では分かっていても、実際の施策として採用されない、というようなことがあちこちで起こっている。

 そんなわけで、最近、タイトルに書いた「日本ではもうロスジェネ以降の世代が各界で決定権を握るまでは身を切るような改革は無理なんじゃないか」と思うことが多くなった。(ちなみにロスジェネ世代は1971年から1981年を指すのだとか。私はロスジェネは自分よりもう少し下だと思ってたが、自分もロスジェネにギリギリ入ってると初めて知った次第。)

 しかし、それまで何年待たなくてはならないのか。そんなわけで移民という話が出てくるわけだが、前回、移民についての記事を書いたところ、私より若い世代の方がリアクションくれて、周囲でも移民の話になるんだという。実際、日本からなかなか出られない、って結論になったりするようではあるものの、日本でも頭脳流出が現実味を帯びて来始めているのかもしれない。