プーチンのウクライナ侵攻について思うこと

 ウクライナ侵攻が始まった。大方の予想同様、私もさすがにキエフ侵攻はないだろうと思っていたが、5年近く通っていた街が攻撃を受けているのを見るに心臓のバクバクが収まらず、しばらく情報遮断せざるを得なかった。

 ちょうど東日本大震災のときも一時的にそういう状態になって、しばらく寝込んでいたときもあるが、今も最前線で命がけで対応している人々がいることを思い、寝てられんなと思ったことを思い出したりした。

 私は諸事情あって、今、ほぼ身動きが取れない状態でいるので、何か具体的なアクションを起こすことは非常に難しいのであるが、思うところあってあえてブログ更新をしてなかったのを再開してみるかと思い、記事を書いている。

 時間をかけて情報収集などできない身であるため、断片的な情報からしか書けないが、一体プーチンはなぜここまでの規模のウクライナ侵攻をするのかについて、腑に落ちる記事が見当たらなかったので、自分の考えをまとめるためにもつらつらと思うところを書いてみる(あまり読み手を意識せずに書いてますんで、正確性とか気にしてないので、参考程度でよろしくです)。

 戦争はつまるところ、ある特定個人の「あいつむかつく」が根底にある、といってた人がいて、どの戦争にも当てはまるわけではないだろうが、国のトップの孤独な政策決定者はいろいろ思ってはいても戦争を決断しない方に傾くのが常だが、稀にその感情が異常に強くなってしまい、合理的判断を超えた決定をしてしまって、戦争が始まることがある、というのは確かにありそうな話である。

 今回のプーチンのウクライナへの侵攻という決断について、NATOの東方拡大や支持率低下への対応などいろいろと説明は可能でそれは実際そうなのだろうけれど、つまるところ、ウクライナ(とその背後にいるアメリカ)憎し、という感情で動いていると説明する以外、私はちょっと理解できない。ユーロマイダンがたまたまソチ五輪の最中で発生したことでプーチンがロシアの晴れの舞台を穢したウクライナ人に対し、「お前ら絶対許さん、落とし前つけさせる」の結果が今というのはありそうな気がしている。もちろん、それだけではないだろうけれど。

 おそらく、ユーロマイダンでソチ五輪をあえて汚そうとした可能性はそういう志向の人がいなかったと思わないが多数ではなかっただろうし、ロシアというより、ヤヌコーヴィチ政権がひどすぎて、多くの人々が参加していたはずで、さらにその後のクリミア併合で流れが反ロシアへと決定的に舵が切られてしまったという印象。

 なので、侵攻翌日ぐらいにウクライナ軍兵士に投降を呼びかける声明を出していたが、正直滑稽さを感じたほどで映像にむかって声に出して「おいおい」と言ってしまったほどだ。国内向けのパフォーマンスというわけでもなさそうであるし、割と本気で圧倒的な兵力の差を目の当たりにしたウクライナ兵士が続々と投降してくる、という自分のシナリオを信じきっていたプーチンの「おもてたんとちがう」が露見してしまっていたように感じた。

 ウクライナ人は1991年のソ連崩壊から2004年のオレンジ革命を経て、2014年のユーロマイダンでヤヌコーヴィチ親露政権を自力で追い出した人たちである。プーチンはどうしても背後にちらつくアメリカに踊らされている哀れな弟ウクライナ、という思考の癖から抜け出せないようであるが、もともとスターリン時代のホロモドールの記憶が根強く残る中、さらにクリミア併合があり、ウクライナ人がロシア寄りになることはクリミア併合以降のロシアの所業を目撃した人たちが生きているうちはない、というのが私の基本的な認識で、そんな彼らがロシアに無条件降伏をすることはまずありえない。

 プーチンはネットには疎いようなので、どこかの国の宰相のようにトンデモ記事にイイネしたりはしないが、側近によると歴史書を読みふけっていたという話で、自分の「むかつく」をなんとか理論武装しようとして、荒唐無稽な論文を書いたりして、法律に通じた実務者らしくもっともらしい理由をつけて侵攻したが、さすがに今回の事態はロシア側でも支持する人は多くないだろう。

 ロシアの中には多くのウクライナ系の人たちがいて、ウクライナにも多数のロシア系の人たちがいる。ベラルーシも含め、これら三カ国が現状として民族的に分かち難い状態になっている中で、何の恨みもない自分の親類を殺戮するような行為はとても支持できるものではないはずだ。

 現実として、ロシア軍をウクライナ軍が武力で即座に撃退することは困難であるが、仮にキエフを陥落させたとして、すでに反ロシアである住民が多数を占める場所ですんなり統治ができるとはとても思えないし、キエフの規模の街の住人をごっそり入れ替えるというのも現実的に不可能、となると、このまま膠着状態が続いて、ウクライナ側はもちろんロシア側にも無駄に血が流れるだけで落とし所が見えない。

 東ウクライナの一部をモルドバの沿ドニエストルのような未承認国家状態にして、緩衝地帯を作るあたりが落とし所なんだろうとなんとなく思っていたところに今回のような事態となった。プーチンとしては、それ以上、行けるという目算があったのかもしれないが、ウクライナだけでなく、世界を敵に回してしまった。

 ついにプーチン時代の終わりの始まりが来たかのように見えるが、ロシアのような国を治めるだけの胆力のある政治家がそうそういるわけでもないだろうし、ロシア国内で政権転覆がなされるほどの動きは現実的には難しいはずで、プーチン時代がなんだかんだで続くと思っておいたいいように思う。

 膠着状態が続き、ウクライナ側の市民生活も疲弊してくるが、ロシア側兵士も士気が上がらないだろうから、ロシア国内で厭戦気分が出てくるだろうが、それをまとめあげる政治家が出てくるのかどうか。それを思うと、現在の最大の政敵のナワリヌィが収監されているうちに、というのもあったのかもしれない。

 ただ、ウクライナ側もEU・NATOに加盟するのは現状非常に難しい。現在のゼレンスキー大統領は政治の素人であるが、そのような政治の素人を求めざるを得ないほど腐敗がはびこるウクライナに対し、仲間として認めることはできないと平然と公言する国もある。

 ただし、今回の事態を受けて流れが変わる可能性はあるかもしれない。続々と主にヨーロッパ諸国から支援の声があがっており、なんだか世界が反ロシアで結束を深めつつあるようにも見える。

 ウクライナ人には怒られるかもしれないが、クリミア併合については、歴史的経緯等を踏まえると、ロシア人が支持する理由はわからなくはない。しかし、今回のようにウクライナ第二の都市であるハルキウや首都キエフまでも統治下に収めようというのは正気の沙汰でなく、ロシア人も支持しないはず。

 ん? 反ロシア包囲網の中、核ボタンを持つ人物が正気でないとすると次に何が起こるのか。人類はヒロシマ・ナガサキのあと、あるんだかないんだかよくわからん核の傘理論の元で大国間の全面戦争は回避してきたが、ついにその歴史が終わる可能性もあるということか?

 ともかく、今はウクライナに心を寄せつつ、しかし、普通のまともなロシア人が置かれた立場にも思いを馳せつつ、今私がなすべきことをしながら、事態の推移を見守りたいと思う。

初老のおっさんによる2週間のワンオペ育児体験記

 先日、2週間ばかり、5歳と2歳の子のワンオペ育児をした。経緯としては、ちょうどずっとやっていた仕事が終わって、次の仕事に入る前の期間に嫁さんが泊まりの仕事を入れたためで、次の仕事の開始時期を少し遅らせてもらってなんとか対応した。

 上の子はもう5歳半ばで、生活上の諸々はちゃんと出来ない場合もあるけれども、ほぼほぼ自分でできる状態になっていて、そういう面では手がかからないが、つい下の子の世話に注意が向きがちな親の目を引くためなのか、まだまだ甘えたい様子が伺える。未だに抱っこ要求があり、邪険に扱うときもあるが、少しの間だけでもやってやると落ち着くらしいので、可能な範囲で対応している。ただ、過去にした約束をちゃんと覚えていて、指摘されたりもするので、もうごまかしは効かず、小さな大人に接するぐらいの気持ちでいるようにしている。

 将棋を覚えて、やりたがるようになったので、駒落ちでやっている。普通に駒落ちしてもこっちが勝ってしまうことが多くてつまらないので、こちらも本気でやっても負けてしまう場合がある方法を考えていたのだが、あらかじめ、落とした飛車角などを子供に持ち駒として与えてしまう、という方法があることを知り、やってみると、実際、こちらも負けてしまうことがあって、なかなか効果的。ただ、序盤から打ててしまうとあまり練習にならないので、中盤以降で使える、という形にするなどで試行錯誤しているところ。

 自転車も補助輪なしで乗れるようになり、中古自転車ではあるが、近所を散歩がてら一緒にブラブラしたりしている。割と怖がりなので、やいやいうるさく注意しなくてもいいのだが、初めていく道路ではあまり先に行かせないようにするなどこちらも気が抜けない。

 下の子は保育園に定期的に通うのが今回初めてでどうなるか多少心配していたが、すでに慣らし保育で大きな問題はなさそうだという感触はあったので、大丈夫だろうと思っていた。実際、終わってみると特に問題なく保育園デビューすることが出来た。他の子に触発されたのか、いろいろと自分でやりたがるようになり、それはよい傾向なので、当面は自分でやらせてみるように仕向けているところ。靴や靴下はたいていうまくはけないがズボンはたまにうまく履けるときがあったりして、少しずつできることを増やせるようにしている。

 食事も基本的にはずっと親がやるようにしていたが自分で食べるようになって、とても楽になった。ただし、あちこち汚しまくるので、後処理が大変ではある。こぼした食事をキャッチするための前掛けをずっとやってくれなかったが、保育園では問題なくかけていると聞いて、根気強く説得してみると諦めたのか納得したのか、かけさせてくれるようになった。まだほとんど言葉は話せないが、こちらの言葉はかなり理解していることが伺え、言葉でのコミュニケーションはちゃんとやろうと思っている。

 新しい環境で子供なりにストレスもあったのか、夜泣きがひどいときがあって、真夜中に一時間単位でなだめすかしても、寝てくれないときもあったが、園では概ね楽しく過ごしていたようで、夜泣きも徐々に減っていった。

 というわけで、ワンオペ育児も無事終了したわけだが、ワンオペでしんどかったのは、こちらが急病を患ったり倒れたりできない、という緊張感が常にあることで、今回は特に嫁さんがすぐに戻ってこれる距離にはいなかったため、もし倒れたりしたらどうなるか、というのは常に頭の片隅にあった。うちの場合、上の子が5歳であり、蛇口をひねって水分摂取したり冷蔵庫を漁ったりして数日生き延びることはできるだろうが、下の子だけだとちょっと無理じゃないかと思う。少し前に巻きずし一本だけ置いて家に放置された2歳の子が死亡した、という痛ましいニュースがあったが、発見時には裸だったらしい。その子は暑さで服を脱いだが、服を着ることがまだ出来ず、夜の寒さに耐えられなかった可能性があるようだが、うちの2歳の子を見ても、まだ服をちゃんと着るのは難しく、やはり幼子を一人家に残すというのはやるべきではないのだろうと思う。

 こういうシチュエーションを想像するとき、太古の昔から人類は共同保育をしてきたことを想起し、ある親が突然倒れたとしても、別の大人がすぐに気付けるような仕組みがあるとよいのに、と思うことが時々あるが、現代の時代に実現可能な具体案はちょっと思いつかない。血縁に基づかないファミリー単位のシェアハウス的なゆるいつながりがある集団、ということになるだろうが、周囲からいろいろと誤解を受けるだろうし、実現にはハードルありまくりで、戦乱などの社会的混乱状態からの回避とか貧困状態にある者同士の助け合いなど大きなモチベーションがないと相当に難しそうではある。

  親が倒れた場合の危機回避で現実的にできることとして、いろんな方法はあるだろうが、複数の緊急連絡先の電話番号を子供に覚えさせて、室内でも出先でも電話でヘルプ要請ができるようにしておくのが有効だろうと思っているが、これはまだ出来ていない。

 今回、下の子を保育園に預けたあと、多少自分の時間が作れたが、それでも家事に多くの時間が割かれ、優雅そうにみえる専業主婦(主夫)生活も決して楽ではないことを身をもって知ったことが個人的な収穫。髪だけでなく髭にも白いものが混じり始めていて、もう立派な初老のおっさんとなり、ますます疲れやすくなってきているが、長丁場の子育て期間、あまり気負わずに適度に手を抜いて、テキトーに生きていきたいと思う今日このごろ……。

TEFというフランス語テストを受験した結果が届き、現在B1レベル(仏検でいうと2級)にあることがわかった

外大に行っていたものの、自分の語学の才能については早めに見切っていたため、語学で飯を食うつもりは元々なく、語学系の試験を受けたことはほとんどない。TOEICも一度しか受けたことがなく、ロシア語の試験は一度も受けたことがない。

ただ、フランス語のテストを受ける必要が出てくる可能性があるため、物は試し、というのと、テストそのものに慣れておく、という意味もあって、先日、TEFというフランス語関連のテストではマイナー(?)なテストを受けてきた。

昔はなかったらしいが、今は大阪でも受験できることがわかり、大阪で受験した。会場が日仏文化協会という大阪駅前すぐのところにあり、ハービスなんちゃらの3階ということだけ確認して現地に到着したのだが、時間が近くになっても会場が開く気配がなく、なんかおかしい。受付時間が過ぎても開かなかったので、もう一度場所を確認するとハービスなんちゃらは2つあって、一つがハービスENT、もう一つがハービスプラザで協会はプラザの方にあると受付開始時間を過ぎていた10時5分ごろに初めて気づいたのだった。今、会場マップみると赤字で目立つように “ご注意 「ハービスENT」ではなくその先の「ハービスPLAZA」3Fです。”と書いてあり、間違える人が少なくはないようで。つか、ビルの命名者が悪いんじゃないのか、これ。

試験の説明は15分に開始されるとのことで、その時間には間に合ったのだが、私のようにどんくさい人は他にはおらず、他の方々は所定の位置に着席していた。私はギリギリで受付最終日に申し込んだため、一番うしろの席となった。というか、参加者はたったの5人で左の長机の列に一人ずつ3人、右列に2人、という配置で、多分仏検とかはもっと多いのだろうなぁ、と思ったりした。

リスニングのテストは小さなラジカセみたいなやつでの再生であったが、そんなに広い会場でもないので、音量的にも十分に聞き取れるものだった。肝心の内容はあまり聞き取れなかったのだが(おい)。

長いこと試験なるものを受けてなかったので、独特の空気感を懐かしく感じたりした。デキる人の一枚目をめくるスピードの早いことといったら! 私がまだ一枚目の半分も解かないうちに2ページ目に行ったことが聞こえてきても、なぜか焦ったりは全然しなかった。やはり、学生時代の受験とは違って人生かかってないからだろうか。(いや、本当はかかっているとはいえるのだが)

あるいは、実力以上の結果が出てしまうよりは実力通りの結果が出るのがトータルで見てよい、と思ってるためであろうか。思うのは、テスト対策をしすぎて自分のレベルとかけ離れた結果を得てしまうと、自分の実力を見誤るし、仮に仕事で使うとなっても、余計な苦労をすることになるはずだし、もっというとあるテストの結果で何かの仕事につながる場合、テスト対策をして高得点を取った人にその仕事をしてもらうのって仕事をしてもらう側にとってどうなん、ってのもあったり。

世の中にはペーパーテストが何故か得意、っていう人が一定割合でいて、そういう人に得な世の中になっているといえそうだが、あるテストができたからといって、その仕事につくことがその人にとって、またその人に仕事をしてもらう人にとってよいことなのかと言われると微妙な場合が結構あるんじゃないか。適職を見つけるというのは大変に難しいことではあるが、あまりに効率重視になりすぎてAIとかにテスト結果から判断させたりする世の中がもうすぐそこに来ているのだろうけど、そうなるといろいろと問題が出てくる予感がする。あなたはこれが得意だと言われると人は無意識的に方向性を決定づけられることがあり、その性質を利用して人を操作出来てしまう可能性がある。よく自分の好きなことではなく、自分がなぜか人よりはできることを仕事にするほうがいい、みたいな意見があって、それは正論だとは思うのだが、仕事というのはそう簡単に割り切れるものではなくトータルで見ないとわからないところがあるので、ベストではないけど現時点ではこれがベターかなみたいなのをそれぞれが試行錯誤して見つけるしかない類の事柄なんじゃないか。

TEFテストの方に話を戻すと、対策をあまりしてなかった割には思ってたよりは出来たかな、という印象。仏検の対策本はたくさん出ているが、TEFの対策本というのは日本ではゼロで世界でも2つしか見たことがない。そのうちの一つが2006年発行のTEF – 250 activités. Livre de l’élève: Test d’évaluation du françaisで内容がいろいろと古いところがある。特に会場でえーっとなったのは、間違えたときの直し方が変わっていたことと点数計算の方法が変わっていたこと。(以下は2019年2月時点の情報)

回答はマークシート式で四角い枠を黒く塗りつぶす式なのだが、日本で一般的な「鉛筆と消しゴム」式ではなく、ボールペンとかの消せないインクで塗りつぶすことになっているため、取消方法に特有のやり方があるのだが、以前は上下二列ある上の方をまず塗りつぶし、その後、見直して間違えていたと思ったら、上の列はそのままにして、下の列のを塗りつぶす、という仕組みだったのが、コンピュータの文字認識精度が上がったためであろうか、列は一つになっていて、もし間違えたら、ABCD4つある選択肢のいずれかをアルファベットで手書きする、という仕組みに変わっていた。

また、点数計算について、正解がわからないとき、当てずっぽうでの正解を防ぐためであろう、間違えた答えをした場合の減点-1点というルールがあったのだが、それがなくなっていた。以前だともし自信がなければ、答えないほうが無難、という仕組みだったのだが、当てずっぽうでも答えておく必要が出てきた、ということ。以前のルールだと一度回答したものの、やっぱ自信がないから減点を防ぎたいので取り消したい、という場合、2列の枠(合計8枠)をすべて黒塗りする必要があったが、今のルールになって、多分これだと思うけど、ちょっと自信がない、とかいう場合に無駄に悩む必要がなくなった、ということで、こういう面倒なルールがなくなったのはよいことだと思う。

結果について書いておくと、リーディングはすでにB2レベル(準1級相当)にあるようだが、リスニングがA2レベル(準2級相当)でしかない、というまずい結果に。文法はB1でトータルでB1(2級相当)という結果だったが、リスニングレベルがこの程度なのはやる前から分かっていた。

結局、語学力の行き着くところはほぼ語彙力であり、語学力は最終的には知っている単語の量で決まる。ただ、その量をどのように摂取するか、というところに各個人で特性ややり方があって、ある人は多読重視、ある人は会話でどんどん伸ばすのが得意、とかがある。私の場合、細部は一部わからないままにざっくりと概略理解する、というのが不得意で、こういう能力を上げるために、自習もしつつ、人からも継続的に教わり続けるのがトータルとしてよいのだろうとは分かっているのだが、学習をはじめてからずっと時間とお金の兼ね合いもあって、独学オンリーでやってきた。もうちょい語彙力を上げてからでもよいと思っていたのだが、やはり最終的に目指すところはネイティブ同士の会話を100%理解できるところまではいかなくてもいいが、そこそこのレベルの内容を聞き取り、かつ、話せるレベルに達しないと使い物にならないので、そろそろ人相手のをしないと思い始めているところで、実はもう会話の授業に参加し始めている。自分の覚えの悪さを痛感するばかりだが、継続するつもりでなんとかリスニング力をB1にあげ、最終的には最低でもB2にならないとスタート地点にも立てない。

2018年末の身辺雑記

 久々のエントリー。家事育児の課題が山積みで今も一仕事したところだが、年末ということで書いてみる。

 ここのところ、平日は仕事場と家の往復で家でも家事育児でだいたい終わり、休日も家事育児メインで過ごすことになり、隙間タイムを見計らって、勉強などしているものの、進展ははかばかしくない。

 勉強というのは、今まであまり家ではしてこなかったIT関連の勉強などをしている。ちょっと今の仕事が私の手持ちのスキルからするとややオーバーキャパな仕事でとてもじゃないが手持ちの知識では間に合わず、話についていけないので、少なくとも理解はできるように諸々勉強しているところ。

 あまり具体的なことは書けないが、今まで記事等で見かけてたことが実際に業務で使われている現場で、自分的にはとても勉強になるので、こういうタイミングで同時に関連技術を勉強しておく、というのが、知識を血肉化する常套手段ではあるので、重い本を持ち歩いて(IT関連本はなぜか重い本が多いのだ)、通勤電車の中とかで少しずつ読んでいる。

 以前ストレングス・ファインダーとかいうやつで自分に「学習欲」というものがあることに気付かされて以来、「勉強」に対する「後ろめたさ」のようなものがなくなったような気がする。勉強好きであるという資質はちょっと恥ずかしいものと思っていたフシがあるのだけれども、というのも、そんなに勉強しているのにその程度のレベルなの?、というのがバレるのが恥ずかしい、ということなのかもしれないが、その辺も自分の限界についてはとうに開き直れる年齢に達しているので、どうでもよくなった。単にオッサン化しただけ、と言われればそれまでなんだが。

 語学学習もアホみたいに継続していて、遅々としてではあるが、多少上達してきたような気がする。語学学習中は必ず停滞期というものがあるのだが、それを乗り越えると一歩進めるので、ともかくも愚鈍に継続するの一手と割り切って、あまり上達度合いとかは気にせずにやっている。

 育児関連では、下の子が歩けるようになり、私が帰宅すると飛んできて、私について回り、あれやこれや触るわ、投げるわ、壊すわで、まったく手に負えない状態になっていて、上の子もなんだかんだでまとわりついてきて、私のしたいことが全然出来なかったりするのだが、時が来ればそんなことはなくなるらしいので、今は苛つきつつも、今しか体験できないものとして、日々しのいでいる感じ。

 先日、久々に検診を受ける機会があり、医師の問診もあったのだが、そこで言われたのは「もうちょっと太ってください」ということ。もうここ10年ぐらい、誰に会っても「痩せたんとちゃうか」と言われるのだが、BMIも恒常的に「痩せすぎ」にカテゴライズされる値となっており、自分的にももう少し太りたいと思っている。慢性的胃痛を抱えていて、さらになんだが微熱が慢性的にあったりして、まだまだ稼がなあかん状況で身体が資本なのに、体質改善せんとあかんなぁ、と思いつつ、日々なんとかしのぐので精一杯というところ。

 思えば、知人の自死きっかけでいろいろと人生について考えたりして、ツイッターの更新はやめたが、ブログの更新は続けるつもりでいたのに、結局、今日までほったらかしになっていた。自分の時間がないとダメなタイプなんで、もっと積極的に自分の時間を確保して、ストレス解消などしていくべきなんだろう。家事育児もテキトーでもなんとかなるし、子供なんてものは親の意向如何にかかわらず勝手に育つもんなんで。

 ブログもストレス解消の一環なんで、来年はもうちょい書こうかしら。外国語で書くことも考えていたが、それはそれでストレスなんで、やっぱ気楽に日本語で書くことにしよう。特に英語はやっぱり私は好きになれない言語で必要なければ正直勉強したくない言語。今の時代、英語ができるということは圧倒的に有利ということはわかっているけれども、やはり、英語帝国主義には異を唱える立場でい続けたいという気持ちが強く、もうこれは私の資質としてどうしようもないので、そういうものとして受容しようと思う。

Ordinary people’s extraordinary lives (映画『普通の人々』を見た感想)

 英語でブログエントリー書いてみた。英語ライティングスキルは全然なので、英語っぽくない文章になってるだろうけど、このまま出しておきます。ライティングもまた習得すべきスキルなので、徐々に勉強していかないといかんなぁ。。。

 以下、簡単に要訳しておくと、映画『普通の人々』を見た感想で、家族の崩壊(と再生)を描いている。母親像がかなり特殊でメイトリアーカル・マザーというらしい。知人の死きっかけで見た映画だったが、何かを始めるのに遅すぎることはない、ということで英語エントリーを書いた。

Yesterday I saw the film “Ordinary People”. It was the third time for me. Since the second time was about 20 years ago or more, I’ve forgotten the detail, but I remembered some impressive scenes.

When I saw this film for the first time, I was a student. I’m not sure I knew what the life was, but I was very moved by this film. At that time I’d heard of this movie the word “Ordinary people’s extraordinary lives” or something like that.

Since then this word became important for me. Why I’d once stayed in the radioactively contaminated area? It’s because there lived the ordinary people who had suffered from the extraordinary experience.

“Ordinary people” describes the process of the collapse of a family. This reminds me of the same theme film “Tokyo story” of Ozu. The collapse itself means negative, but it contains renaissance. In the last of “Ordinary people”, the mother got out of their home, but the father and the son started a new relationship.

The character of the mother is interesting. A Japanese Professor Ochi indicates in his book “What is WASP?”(written in Japanese) that the mother was the typical “matriarchal mother” of WASP(White Anglo-Saxon Protestant). She is a dominating, self-controlled mother, and her attitude to her son is very severe, even maniacally.

When I was a student, my mother was similar to her, so I felt sympathy for Conrad the son of the “Ordinary people”. Then, she got old and had changed. Years sometimes resolve problems.

To tell the truth, the reason why I saw this movie now is that a friend of mine committed suicide. When I heard his death, I couldn’t control myself like Conrad. What if I could do something or should have done.

I decided to start something which I’d like to do without hesitation. This entry in English is my first attempt.

A few days ago I came across this quotation by Mark Twain.

Twenty years from now you will be more disappointed by the things you didn’t do than by the ones you did do. So throw off the bowlines. Sail away from the safe harbor. Catch the trade winds in your sails. Explore. Dream. Discover.

I’m a middle-aged man, and may be getting more stubborn, but that kind of words encourage me. It’s never too late to start something new.

Yoshiro Miyagoshi Website