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1971年滋賀県大津市生まれ。大阪外国語大学ロシア語科除籍。IT業界で働きつつ、2006年よりチェルノブイリ被災地で「ナロジチ再生・菜の花プロジェクト」、被災者互助団体「ゼムリャキ」を取材。

TEFというフランス語テストを受験した結果が届き、現在B1レベル(仏検でいうと2級)にあることがわかった

外大に行っていたものの、自分の語学の才能については早めに見切っていたため、語学で飯を食うつもりは元々なく、語学系の試験を受けたことはほとんどない。TOEICも一度しか受けたことがなく、ロシア語の試験は一度も受けたことがない。

ただ、フランス語のテストを受ける必要が出てくる可能性があるため、物は試し、というのと、テストそのものに慣れておく、という意味もあって、先日、TEFというフランス語関連のテストではマイナー(?)なテストを受けてきた。

昔はなかったらしいが、今は大阪でも受験できることがわかり、大阪で受験した。会場が日仏文化協会という大阪駅前すぐのところにあり、ハービスなんちゃらの3階ということだけ確認して現地に到着したのだが、時間が近くになっても会場が開く気配がなく、なんかおかしい。受付時間が過ぎても開かなかったので、もう一度場所を確認するとハービスなんちゃらは2つあって、一つがハービスENT、もう一つがハービスプラザで協会はプラザの方にあると受付開始時間を過ぎていた10時5分ごろに初めて気づいたのだった。今、会場マップみると赤字で目立つように “ご注意 「ハービスENT」ではなくその先の「ハービスPLAZA」3Fです。”と書いてあり、間違える人が少なくはないようで。つか、ビルの命名者が悪いんじゃないのか、これ。

試験の説明は15分に開始されるとのことで、その時間には間に合ったのだが、私のようにどんくさい人は他にはおらず、他の方々は所定の位置に着席していた。私はギリギリで受付最終日に申し込んだため、一番うしろの席となった。というか、参加者はたったの5人で左の長机の列に一人ずつ3人、右列に2人、という配置で、多分仏検とかはもっと多いのだろうなぁ、と思ったりした。

リスニングのテストは小さなラジカセみたいなやつでの再生であったが、そんなに広い会場でもないので、音量的にも十分に聞き取れるものだった。肝心の内容はあまり聞き取れなかったのだが(おい)。

長いこと試験なるものを受けてなかったので、独特の空気感を懐かしく感じたりした。デキる人の一枚目をめくるスピードの早いことといったら! 私がまだ一枚目の半分も解かないうちに2ページ目に行ったことが聞こえてきても、なぜか焦ったりは全然しなかった。やはり、学生時代の受験とは違って人生かかってないからだろうか。(いや、本当はかかっているとはいえるのだが)

あるいは、実力以上の結果が出てしまうよりは実力通りの結果が出るのがトータルで見てよい、と思ってるためであろうか。思うのは、テスト対策をしすぎて自分のレベルとかけ離れた結果を得てしまうと、自分の実力を見誤るし、仮に仕事で使うとなっても、余計な苦労をすることになるはずだし、もっというとあるテストの結果で何かの仕事につながる場合、テスト対策をして高得点を取った人にその仕事をしてもらうのって仕事をしてもらう側にとってどうなん、ってのもあったり。

世の中にはペーパーテストが何故か得意、っていう人が一定割合でいて、そういう人に得な世の中になっているといえそうだが、あるテストができたからといって、その仕事につくことがその人にとって、またその人に仕事をしてもらう人にとってよいことなのかと言われると微妙な場合が結構あるんじゃないか。適職を見つけるというのは大変に難しいことではあるが、あまりに効率重視になりすぎてAIとかにテスト結果から判断させたりする世の中がもうすぐそこに来ているのだろうけど、そうなるといろいろと問題が出てくる予感がする。あなたはこれが得意だと言われると人は無意識的に方向性を決定づけられることがあり、その性質を利用して人を操作出来てしまう可能性がある。よく自分の好きなことではなく、自分がなぜか人よりはできることを仕事にするほうがいい、みたいな意見があって、それは正論だとは思うのだが、仕事というのはそう簡単に割り切れるものではなくトータルで見ないとわからないところがあるので、ベストではないけど現時点ではこれがベターかなみたいなのをそれぞれが試行錯誤して見つけるしかない類の事柄なんじゃないか。

TEFテストの方に話を戻すと、対策をあまりしてなかった割には思ってたよりは出来たかな、という印象。仏検の対策本はたくさん出ているが、TEFの対策本というのは日本ではゼロで世界でも2つしか見たことがない。そのうちの一つが2006年発行のTEF – 250 activités. Livre de l’élève: Test d’évaluation du françaisで内容がいろいろと古いところがある。特に会場でえーっとなったのは、間違えたときの直し方が変わっていたことと点数計算の方法が変わっていたこと。(以下は2019年2月時点の情報)

回答はマークシート式で四角い枠を黒く塗りつぶす式なのだが、日本で一般的な「鉛筆と消しゴム」式ではなく、ボールペンとかの消せないインクで塗りつぶすことになっているため、取消方法に特有のやり方があるのだが、以前は上下二列ある上の方をまず塗りつぶし、その後、見直して間違えていたと思ったら、上の列はそのままにして、下の列のを塗りつぶす、という仕組みだったのが、コンピュータの文字認識精度が上がったためであろうか、列は一つになっていて、もし間違えたら、ABCD4つある選択肢のいずれかをアルファベットで手書きする、という仕組みに変わっていた。

また、点数計算について、正解がわからないとき、当てずっぽうでの正解を防ぐためであろう、間違えた答えをした場合の減点-1点というルールがあったのだが、それがなくなっていた。以前だともし自信がなければ、答えないほうが無難、という仕組みだったのだが、当てずっぽうでも答えておく必要が出てきた、ということ。以前のルールだと一度回答したものの、やっぱ自信がないから減点を防ぎたいので取り消したい、という場合、2列の枠(合計8枠)をすべて黒塗りする必要があったが、今のルールになって、多分これだと思うけど、ちょっと自信がない、とかいう場合に無駄に悩む必要がなくなった、ということで、こういう面倒なルールがなくなったのはよいことだと思う。

結果について書いておくと、リーディングはすでにB2レベル(準1級相当)にあるようだが、リスニングがA2レベル(準2級相当)でしかない、というまずい結果に。文法はB1でトータルでB1(2級相当)という結果だったが、リスニングレベルがこの程度なのはやる前から分かっていた。

結局、語学力の行き着くところはほぼ語彙力であり、語学力は最終的には知っている単語の量で決まる。ただ、その量をどのように摂取するか、というところに各個人で特性ややり方があって、ある人は多読重視、ある人は会話でどんどん伸ばすのが得意、とかがある。私の場合、細部は一部わからないままにざっくりと概略理解する、というのが不得意で、こういう能力を上げるために、自習もしつつ、人からも継続的に教わり続けるのがトータルとしてよいのだろうとは分かっているのだが、学習をはじめてからずっと時間とお金の兼ね合いもあって、独学オンリーでやってきた。もうちょい語彙力を上げてからでもよいと思っていたのだが、やはり最終的に目指すところはネイティブ同士の会話を100%理解できるところまではいかなくてもいいが、そこそこのレベルの内容を聞き取り、かつ、話せるレベルに達しないと使い物にならないので、そろそろ人相手のをしないと思い始めているところで、実はもう会話の授業に参加し始めている。自分の覚えの悪さを痛感するばかりだが、継続するつもりでなんとかリスニング力をB1にあげ、最終的には最低でもB2にならないとスタート地点にも立てない。

2018年末の身辺雑記

 久々のエントリー。家事育児の課題が山積みで今も一仕事したところだが、年末ということで書いてみる。

 ここのところ、平日は仕事場と家の往復で家でも家事育児でだいたい終わり、休日も家事育児メインで過ごすことになり、隙間タイムを見計らって、勉強などしているものの、進展ははかばかしくない。

 勉強というのは、今まであまり家ではしてこなかったIT関連の勉強などをしている。ちょっと今の仕事が私の手持ちのスキルからするとややオーバーキャパな仕事でとてもじゃないが手持ちの知識では間に合わず、話についていけないので、少なくとも理解はできるように諸々勉強しているところ。

 あまり具体的なことは書けないが、今まで記事等で見かけてたことが実際に業務で使われている現場で、自分的にはとても勉強になるので、こういうタイミングで同時に関連技術を勉強しておく、というのが、知識を血肉化する常套手段ではあるので、重い本を持ち歩いて(IT関連本はなぜか重い本が多いのだ)、通勤電車の中とかで少しずつ読んでいる。

 以前ストレングス・ファインダーとかいうやつで自分に「学習欲」というものがあることに気付かされて以来、「勉強」に対する「後ろめたさ」のようなものがなくなったような気がする。勉強好きであるという資質はちょっと恥ずかしいものと思っていたフシがあるのだけれども、というのも、そんなに勉強しているのにその程度のレベルなの?、というのがバレるのが恥ずかしい、ということなのかもしれないが、その辺も自分の限界についてはとうに開き直れる年齢に達しているので、どうでもよくなった。単にオッサン化しただけ、と言われればそれまでなんだが。

 語学学習もアホみたいに継続していて、遅々としてではあるが、多少上達してきたような気がする。語学学習中は必ず停滞期というものがあるのだが、それを乗り越えると一歩進めるので、ともかくも愚鈍に継続するの一手と割り切って、あまり上達度合いとかは気にせずにやっている。

 育児関連では、下の子が歩けるようになり、私が帰宅すると飛んできて、私について回り、あれやこれや触るわ、投げるわ、壊すわで、まったく手に負えない状態になっていて、上の子もなんだかんだでまとわりついてきて、私のしたいことが全然出来なかったりするのだが、時が来ればそんなことはなくなるらしいので、今は苛つきつつも、今しか体験できないものとして、日々しのいでいる感じ。

 先日、久々に検診を受ける機会があり、医師の問診もあったのだが、そこで言われたのは「もうちょっと太ってください」ということ。もうここ10年ぐらい、誰に会っても「痩せたんとちゃうか」と言われるのだが、BMIも恒常的に「痩せすぎ」にカテゴライズされる値となっており、自分的にももう少し太りたいと思っている。慢性的胃痛を抱えていて、さらになんだが微熱が慢性的にあったりして、まだまだ稼がなあかん状況で身体が資本なのに、体質改善せんとあかんなぁ、と思いつつ、日々なんとかしのぐので精一杯というところ。

 思えば、知人の自死きっかけでいろいろと人生について考えたりして、ツイッターの更新はやめたが、ブログの更新は続けるつもりでいたのに、結局、今日までほったらかしになっていた。自分の時間がないとダメなタイプなんで、もっと積極的に自分の時間を確保して、ストレス解消などしていくべきなんだろう。家事育児もテキトーでもなんとかなるし、子供なんてものは親の意向如何にかかわらず勝手に育つもんなんで。

 ブログもストレス解消の一環なんで、来年はもうちょい書こうかしら。外国語で書くことも考えていたが、それはそれでストレスなんで、やっぱ気楽に日本語で書くことにしよう。特に英語はやっぱり私は好きになれない言語で必要なければ正直勉強したくない言語。今の時代、英語ができるということは圧倒的に有利ということはわかっているけれども、やはり、英語帝国主義には異を唱える立場でい続けたいという気持ちが強く、もうこれは私の資質としてどうしようもないので、そういうものとして受容しようと思う。

Ordinary people’s extraordinary lives (映画『普通の人々』を見た感想)

 英語でブログエントリー書いてみた。英語ライティングスキルは全然なので、英語っぽくない文章になってるだろうけど、このまま出しておきます。ライティングもまた習得すべきスキルなので、徐々に勉強していかないといかんなぁ。。。

 以下、簡単に要訳しておくと、映画『普通の人々』を見た感想で、家族の崩壊(と再生)を描いている。母親像がかなり特殊でメイトリアーカル・マザーというらしい。知人の死きっかけで見た映画だったが、何かを始めるのに遅すぎることはない、ということで英語エントリーを書いた。

Yesterday I saw the film “Ordinary People”. It was the third time for me. Since the second time was about 20 years ago or more, I’ve forgotten the detail, but I remembered some impressive scenes.

When I saw this film for the first time, I was a student. I’m not sure I knew what the life was, but I was very moved by this film. At that time I’d heard of this movie the word “Ordinary people’s extraordinary lives” or something like that.

Since then this word became important for me. Why I’d once stayed in the radioactively contaminated area? It’s because there lived the ordinary people who had suffered from the extraordinary experience.

“Ordinary people” describes the process of the collapse of a family. This reminds me of the same theme film “Tokyo story” of Ozu. The collapse itself means negative, but it contains renaissance. In the last of “Ordinary people”, the mother got out of their home, but the father and the son started a new relationship.

The character of the mother is interesting. A Japanese Professor Ochi indicates in his book “What is WASP?”(written in Japanese) that the mother was the typical “matriarchal mother” of WASP(White Anglo-Saxon Protestant). She is a dominating, self-controlled mother, and her attitude to her son is very severe, even maniacally.

When I was a student, my mother was similar to her, so I felt sympathy for Conrad the son of the “Ordinary people”. Then, she got old and had changed. Years sometimes resolve problems.

To tell the truth, the reason why I saw this movie now is that a friend of mine committed suicide. When I heard his death, I couldn’t control myself like Conrad. What if I could do something or should have done.

I decided to start something which I’d like to do without hesitation. This entry in English is my first attempt.

A few days ago I came across this quotation by Mark Twain.

Twenty years from now you will be more disappointed by the things you didn’t do than by the ones you did do. So throw off the bowlines. Sail away from the safe harbor. Catch the trade winds in your sails. Explore. Dream. Discover.

I’m a middle-aged man, and may be getting more stubborn, but that kind of words encourage me. It’s never too late to start something new.

2018年3月21日の身辺雑記

 3月も半ばが過ぎた。仕事して育児家事やっての日々で余裕がなくブログ更新などしてられんのであるが、思いつくままに身辺雑記などを書いてみる。

 先月末に上の子が4歳になった。「もう4歳なんだから」ということでいろいろと仕向けているのだが、今のところ、本人もその気になっていて、もう4歳だから○○する、ということをたまに言ったりするようになってきた。犬を怖がっていたのだが、もう怖くない、と言い出したので、理由を聞くと「もう4歳だから」とのこと。

 3歳と4歳というのもかなり大きく違いがあるようで、4歳にもなると話が通じない、ということがほぼないので、変にぐずることもまだまだあるが、概ね原因・理由が話の中から推測できることが多いので、そういう面ではとても楽になった。

 「3歳までは母親が家庭で育てるべき」という「3歳児神話」というのがあるが、多分、母親に限定してるところ以外は今も有効なんではないかなと思ったり。うちは1歳代のうちから保育園にやったが、出来る範囲で一緒にいる時間を増やすように努めてきたつもりで、今のところ、親バカではあるが、いい感じに育っているように思う。4歳になり、それなりに社会性を身に着け始めているようで、今行っているところでも友達と楽しく過ごしてるようだ。

 下の子は8ヶ月になり、ハイハイのようなものを始めてるなぁ、と思ったら、もうつかまり立ちをし始めた。動ける範囲が増えて、チラシだのレジ袋だの、何でも手近なものに関心を示して、とにかく触って確かめたい欲求が増している。上の子のおもちゃも手にとって、ガンガンと床に打ち付けたりするので、上の子は嫌がっているのだが、しょうがないやっちゃなぁ、という感じで付き合っている感じがおもろい。マジギレ気味になることがないわけではないが、やはり年が3歳以上離れているのが大きいのか、あやしたりしてくれることもあるので、結構助かっている。

 一時期フランス語の勉強をしていたが、全然伸びないので、ちょっと停止して、英語の勉強を再開したところ。英語の勉強は大学受験期以外では、30歳を過ぎたあたりでかなり本格的に時間をかけてやったことがあるが、それ以来、人生で三回目になるだろうか。昔使った教材の復習からやっているが、かなり忘れていてなかなかに衝撃的。何となく覚えているのも結構あり、まずは以前のレベルまで戻すところからかな、というところ。当時使っていたDUO 3.0という教材があるのだが、今でもバージョン3.0のまま英語教材の定番であり続けているのが興味深い(今アマゾンランクを確認すると138位となってて化物級の教材だ)。確かにこの教材は例文が上手に作ってあって、全般的にセンスがよく、今、やり直してても十分使い物になる教材だなぁと感心している。

 以前だとアウトプットはどうしても英会話教室に行かなくてはいけなかったのだが、今では格安オンライン英会話が一般化していてそろそろそういうのもやり始めようかな、と思い始めているところ。語学習得は話すだけでなく、書くことも重要なので、添削もしてくれるサイトも使ってみようかな、などといろいろ調べてる。

 今後、こうしたブログも勉強がてら英語でまず書いて、日本語に機械翻訳して、それを適当に訂正するとかできないかなと思っているのだが、日本語だけでも書けていないのに、英語というとさらに大変だし、日本語を直すところまでなんて、ちょっと継続してできるかは心許ない。

 国外脱出を企んでいるが、やはり語学力がそれなりのレベルでないと始まらないので、今の空き時間の半分は語学学習に費やしているかも。元々語学が得意ではないという自己認識があるのに、外国語大学に行ってしまって、今もこうしてムダに(?)語学学習に時間とお金をつぎ込んでいて、我ながらアホちゃうかと思わないでもないが、この全然思うように上達しない感じは嫌いではない。

 そんなわけで国内政治が揺れている今日この頃、なんだかんだで強い関心を示さざるを得ないところだが、ちょっと覚めた目で見ている部分が私にはある。もちろん、私は今回の騒動の大元は安倍首相のこれまでの方向付け、こうした忖度をさせる土壌を育んできたその性向にあると思っているし、「私と私の妻が関わっていることがわかったら首相も議員も辞める」という無駄に強い言葉を使ったことが改竄の背景にあるとも思うので、安倍首相は支持率とかはともかく自ら落とし前をつけるべきだと考えるが、安倍首相の進退いかんにかかわらず、今後も日本は停滞したまま、世界の趨勢から離れていって、衰退の道を確固としたものにしていくのだろうと考えたりしている。

 私は今の日本社会の有り様にほとほと嫌気がさしている。何度もこのブログで書いてきたが、戦後日本の社会が上向きだった時代を生きてきた世代が実権を握っているうちはもう何をしようとしてもダメで、私よりちょい下のロスジェネ世代が実権を握る時代までこんな感じでどんどん衰退していくことになるだろうという諦観がある。

 ただ、あるタイミングで一気にどっと振り子が大きく動くのが日本社会の特質でもあり、そういう意味では楽観的でもある。ただ、それがいつ来るかについて私は少々心もとなく、まだまだゆっくりと衰退していく可能性が高いため、子どもの将来を考えると、やはり脱出準備だけはしておこうと思う。私は日本に嫌気がさしているとはいえ、外国で外国人が生きていくのが大変であることを多少は見聞しているので、必ずや日本に戻りたくなることはわかりきっているのだけれども、動けるうちは留まるよりも動く方を選びたい。出戻り上等。別に日本を捨てるわけでもなく、死ぬまで日本とは関わっていくことになるだろうし、あまり悲壮にならないように注意しよう。

親子でインフルエンザB型に感染した

 上の子の行っている保育園でインフルエンザが流行中だったが、ついにうちの子もインフルエンザに感染した。発熱するまで感染に気づかなかったのだが、ちょうと先週末、子供が珍しく嘔吐・下痢をし始めて、特に理由が思い当たらず、とりあえず様子見していたところ、発熱し、病院でインフルエンザB型と診断され、やっと合点がいった。インフルエンザA型は高熱を発症するが、B型では熱はそう高くならないことが多いものの、嘔吐や下痢を併発するとのことで、すでに先週末には前兆があった、ということになる。

 インフルエンザ感染が分かってからは鼻水など子供の世話をした後は出来るだけ手洗いするなど対策をしていたつもりだが、火曜の夜ぐらいから私自身の体調が悪化し始め、翌日診察を受けると(あの、鼻から細い綿棒を入れてグリグリするやつ)、果たして子供と同じB型に感染していたのだった。

 B型にもいろいろあるらしいが、私が今回ので一番きつかったのは吐き気があることで、水も最初は飲めず、診察時には脱水症状が激しく点滴を受けたぐらいだ。なんでも、尿検査でケトン体だったかが、マックスに脱水していることを現す+4という数値になっていたため、点滴が必要と判断されたらしい。ただ、点滴後に再度採尿して検査しても+4のままだったので、よほどカラカラに脱水していたらしい。

 その後、出来るだけ水を飲むようにし、しばらく固形物は食べる気になれなかったが、発症から2日後ぐらいに少しずつ食べるようにすると、いくらか回復してきた。

 熱は38度台後半まで上がったが、その後、37度台に落ち着いた。ただ、頭が重く、さらに寝る姿勢がまずかったのか後頭神経痛のような、後頭部にピリっと電気が走るような痛みをしょっちゅう感じるようになり、ずっと寝込んでいた。

 昨日ぐらいからいくらか快方に向かい始め、今日は後頭部の痛みもなく、かなり回復してきたようだ。不思議なもので、7ヶ月の乳児には感染せず、いわゆる赤ちゃんの「免疫力」を実地に確認しているところ。一般に半年程度と言われているようだが、これだけ家庭内で猛威を奮っていても、今のところケロリとしている。ただ、嫁さんもずっと感染せずに来たが、ついに今日から発熱してしまった。症状も似ているので、多分、子供のが感染したのであろう。子どものくしゃみをまともに顔に浴びたらしい。

 一応、解熱後2日は外出を控えるべし(ウイルスを撒き散らすのを防ぐため)、ということになっているので、今日も終日家にいることになりそうだが、ひとまず明日は仕事に行けそうではある。個人事業主としての契約で働いているので、休んでいる期間中のお金は当たり前のように入ってこないし、診察にも3割負担で4300円ものお金がかかったのも地味に痛い。

 ちょうど4歳になったばかりの子どもには例の「タミフル」が処方されたが、特に異常行動はなかったと思う。子どもと私は別の開業医に診察してもらったが、私には処方されなかった(尋ねたところ、特に他意はなく、医院によっての方針の違いとのこと)。

 ところで、インフルエンザは幼児や高齢者はともかく特にハイリスク因子を持たない成人であれば、検査も受けず、薬も飲まない、という選択肢があるらしい。冬のウクライナ滞在時に二度ほど40度の熱を出して1週間ほど寝込んだことがあるが、結局、ある一定期間は熱は下がらないし、また一定期間後は解熱し、快方に向かうことを経験的に知っているので、しんどい思いをしてまで病院に足を運ばない、という選択肢もありではある。私は今、客先常駐での勤務なので、一応診察したけど、時間に融通の利く在宅勤務だったらしなかったかもしれない。

 点滴を受けたのは中国滞在時にひどい下痢をして外国人向けの病院にかかった時以来、人生二度目かも。明確に「インフルエンザ」と診断されたのは、もしかしたら人生初のような気がするが、こういうのはかからないのが一番なので、養生しつつ用心したい。