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1971年滋賀県大津市生まれ。大阪外国語大学ロシア語科除籍。IT業界で働きつつ、2006年よりチェルノブイリ被災地で「ナロジチ再生・菜の花プロジェクト」、被災者互助団体「ゼムリャキ」を取材。

Ordinary people’s extraordinary lives (映画『普通の人々』を見た感想)

 英語でブログエントリー書いてみた。英語ライティングスキルは全然なので、英語っぽくない文章になってるだろうけど、このまま出しておきます。ライティングもまた習得すべきスキルなので、徐々に勉強していかないといかんなぁ。。。

 以下、簡単に要訳しておくと、映画『普通の人々』を見た感想で、家族の崩壊(と再生)を描いている。母親像がかなり特殊でメイトリアーカル・マザーというらしい。知人の死きっかけで見た映画だったが、何かを始めるのに遅すぎることはない、ということで英語エントリーを書いた。

Yesterday I saw the film “Ordinary People”. It was the third time for me. Since the second time was about 20 years ago or more, I’ve forgotten the detail, but I remembered some impressive scenes.

When I saw this film for the first time, I was a student. I’m not sure I knew what the life was, but I was very moved by this film. At that time I’d heard of this movie the word “Ordinary people’s extraordinary lives” or something like that.

Since then this word became important for me. Why I’d once stayed in the radioactively contaminated area? It’s because there lived the ordinary people who had suffered from the extraordinary experience.

“Ordinary people” describes the process of the collapse of a family. This reminds me of the same theme film “Tokyo story” of Ozu. The collapse itself means negative, but it contains renaissance. In the last of “Ordinary people”, the mother got out of their home, but the father and the son started a new relationship.

The character of the mother is interesting. A Japanese Professor Ochi indicates in his book “What is WASP?”(written in Japanese) that the mother was the typical “matriarchal mother” of WASP(White Anglo-Saxon Protestant). She is a dominating, self-controlled mother, and her attitude to her son is very severe, even maniacally.

When I was a student, my mother was similar to her, so I felt sympathy for Conrad the son of the “Ordinary people”. Then, she got old and had changed. Years sometimes resolve problems.

To tell the truth, the reason why I saw this movie now is that a friend of mine committed suicide. When I heard his death, I couldn’t control myself like Conrad. What if I could do something or should have done.

I decided to start something which I’d like to do without hesitation. This entry in English is my first attempt.

A few days ago I came across this quotation by Mark Twain.

Twenty years from now you will be more disappointed by the things you didn’t do than by the ones you did do. So throw off the bowlines. Sail away from the safe harbor. Catch the trade winds in your sails. Explore. Dream. Discover.

I’m a middle-aged man, and may be getting more stubborn, but that kind of words encourage me. It’s never too late to start something new.

2018年3月21日の身辺雑記

 3月も半ばが過ぎた。仕事して育児家事やっての日々で余裕がなくブログ更新などしてられんのであるが、思いつくままに身辺雑記などを書いてみる。

 先月末に上の子が4歳になった。「もう4歳なんだから」ということでいろいろと仕向けているのだが、今のところ、本人もその気になっていて、もう4歳だから○○する、ということをたまに言ったりするようになってきた。犬を怖がっていたのだが、もう怖くない、と言い出したので、理由を聞くと「もう4歳だから」とのこと。

 3歳と4歳というのもかなり大きく違いがあるようで、4歳にもなると話が通じない、ということがほぼないので、変にぐずることもまだまだあるが、概ね原因・理由が話の中から推測できることが多いので、そういう面ではとても楽になった。

 「3歳までは母親が家庭で育てるべき」という「3歳児神話」というのがあるが、多分、母親に限定してるところ以外は今も有効なんではないかなと思ったり。うちは1歳代のうちから保育園にやったが、出来る範囲で一緒にいる時間を増やすように努めてきたつもりで、今のところ、親バカではあるが、いい感じに育っているように思う。4歳になり、それなりに社会性を身に着け始めているようで、今行っているところでも友達と楽しく過ごしてるようだ。

 下の子は8ヶ月になり、ハイハイのようなものを始めてるなぁ、と思ったら、もうつかまり立ちをし始めた。動ける範囲が増えて、チラシだのレジ袋だの、何でも手近なものに関心を示して、とにかく触って確かめたい欲求が増している。上の子のおもちゃも手にとって、ガンガンと床に打ち付けたりするので、上の子は嫌がっているのだが、しょうがないやっちゃなぁ、という感じで付き合っている感じがおもろい。マジギレ気味になることがないわけではないが、やはり年が3歳以上離れているのが大きいのか、あやしたりしてくれることもあるので、結構助かっている。

 一時期フランス語の勉強をしていたが、全然伸びないので、ちょっと停止して、英語の勉強を再開したところ。英語の勉強は大学受験期以外では、30歳を過ぎたあたりでかなり本格的に時間をかけてやったことがあるが、それ以来、人生で三回目になるだろうか。昔使った教材の復習からやっているが、かなり忘れていてなかなかに衝撃的。何となく覚えているのも結構あり、まずは以前のレベルまで戻すところからかな、というところ。当時使っていたDUO 3.0という教材があるのだが、今でもバージョン3.0のまま英語教材の定番であり続けているのが興味深い(今アマゾンランクを確認すると138位となってて化物級の教材だ)。確かにこの教材は例文が上手に作ってあって、全般的にセンスがよく、今、やり直してても十分使い物になる教材だなぁと感心している。

 以前だとアウトプットはどうしても英会話教室に行かなくてはいけなかったのだが、今では格安オンライン英会話が一般化していてそろそろそういうのもやり始めようかな、と思い始めているところ。語学習得は話すだけでなく、書くことも重要なので、添削もしてくれるサイトも使ってみようかな、などといろいろ調べてる。

 今後、こうしたブログも勉強がてら英語でまず書いて、日本語に機械翻訳して、それを適当に訂正するとかできないかなと思っているのだが、日本語だけでも書けていないのに、英語というとさらに大変だし、日本語を直すところまでなんて、ちょっと継続してできるかは心許ない。

 国外脱出を企んでいるが、やはり語学力がそれなりのレベルでないと始まらないので、今の空き時間の半分は語学学習に費やしているかも。元々語学が得意ではないという自己認識があるのに、外国語大学に行ってしまって、今もこうしてムダに(?)語学学習に時間とお金をつぎ込んでいて、我ながらアホちゃうかと思わないでもないが、この全然思うように上達しない感じは嫌いではない。

 そんなわけで国内政治が揺れている今日この頃、なんだかんだで強い関心を示さざるを得ないところだが、ちょっと覚めた目で見ている部分が私にはある。もちろん、私は今回の騒動の大元は安倍首相のこれまでの方向付け、こうした忖度をさせる土壌を育んできたその性向にあると思っているし、「私と私の妻が関わっていることがわかったら首相も議員も辞める」という無駄に強い言葉を使ったことが改竄の背景にあるとも思うので、安倍首相は支持率とかはともかく自ら落とし前をつけるべきだと考えるが、安倍首相の進退いかんにかかわらず、今後も日本は停滞したまま、世界の趨勢から離れていって、衰退の道を確固としたものにしていくのだろうと考えたりしている。

 私は今の日本社会の有り様にほとほと嫌気がさしている。何度もこのブログで書いてきたが、戦後日本の社会が上向きだった時代を生きてきた世代が実権を握っているうちはもう何をしようとしてもダメで、私よりちょい下のロスジェネ世代が実権を握る時代までこんな感じでどんどん衰退していくことになるだろうという諦観がある。

 ただ、あるタイミングで一気にどっと振り子が大きく動くのが日本社会の特質でもあり、そういう意味では楽観的でもある。ただ、それがいつ来るかについて私は少々心もとなく、まだまだゆっくりと衰退していく可能性が高いため、子どもの将来を考えると、やはり脱出準備だけはしておこうと思う。私は日本に嫌気がさしているとはいえ、外国で外国人が生きていくのが大変であることを多少は見聞しているので、必ずや日本に戻りたくなることはわかりきっているのだけれども、動けるうちは留まるよりも動く方を選びたい。出戻り上等。別に日本を捨てるわけでもなく、死ぬまで日本とは関わっていくことになるだろうし、あまり悲壮にならないように注意しよう。

親子でインフルエンザB型に感染した

 上の子の行っている保育園でインフルエンザが流行中だったが、ついにうちの子もインフルエンザに感染した。発熱するまで感染に気づかなかったのだが、ちょうと先週末、子供が珍しく嘔吐・下痢をし始めて、特に理由が思い当たらず、とりあえず様子見していたところ、発熱し、病院でインフルエンザB型と診断され、やっと合点がいった。インフルエンザA型は高熱を発症するが、B型では熱はそう高くならないことが多いものの、嘔吐や下痢を併発するとのことで、すでに先週末には前兆があった、ということになる。

 インフルエンザ感染が分かってからは鼻水など子供の世話をした後は出来るだけ手洗いするなど対策をしていたつもりだが、火曜の夜ぐらいから私自身の体調が悪化し始め、翌日診察を受けると(あの、鼻から細い綿棒を入れてグリグリするやつ)、果たして子供と同じB型に感染していたのだった。

 B型にもいろいろあるらしいが、私が今回ので一番きつかったのは吐き気があることで、水も最初は飲めず、診察時には脱水症状が激しく点滴を受けたぐらいだ。なんでも、尿検査でケトン体だったかが、マックスに脱水していることを現す+4という数値になっていたため、点滴が必要と判断されたらしい。ただ、点滴後に再度採尿して検査しても+4のままだったので、よほどカラカラに脱水していたらしい。

 その後、出来るだけ水を飲むようにし、しばらく固形物は食べる気になれなかったが、発症から2日後ぐらいに少しずつ食べるようにすると、いくらか回復してきた。

 熱は38度台後半まで上がったが、その後、37度台に落ち着いた。ただ、頭が重く、さらに寝る姿勢がまずかったのか後頭神経痛のような、後頭部にピリっと電気が走るような痛みをしょっちゅう感じるようになり、ずっと寝込んでいた。

 昨日ぐらいからいくらか快方に向かい始め、今日は後頭部の痛みもなく、かなり回復してきたようだ。不思議なもので、7ヶ月の乳児には感染せず、いわゆる赤ちゃんの「免疫力」を実地に確認しているところ。一般に半年程度と言われているようだが、これだけ家庭内で猛威を奮っていても、今のところケロリとしている。ただ、嫁さんもずっと感染せずに来たが、ついに今日から発熱してしまった。症状も似ているので、多分、子供のが感染したのであろう。子どものくしゃみをまともに顔に浴びたらしい。

 一応、解熱後2日は外出を控えるべし(ウイルスを撒き散らすのを防ぐため)、ということになっているので、今日も終日家にいることになりそうだが、ひとまず明日は仕事に行けそうではある。個人事業主としての契約で働いているので、休んでいる期間中のお金は当たり前のように入ってこないし、診察にも3割負担で4300円ものお金がかかったのも地味に痛い。

 ちょうど4歳になったばかりの子どもには例の「タミフル」が処方されたが、特に異常行動はなかったと思う。子どもと私は別の開業医に診察してもらったが、私には処方されなかった(尋ねたところ、特に他意はなく、医院によっての方針の違いとのこと)。

 ところで、インフルエンザは幼児や高齢者はともかく特にハイリスク因子を持たない成人であれば、検査も受けず、薬も飲まない、という選択肢があるらしい。冬のウクライナ滞在時に二度ほど40度の熱を出して1週間ほど寝込んだことがあるが、結局、ある一定期間は熱は下がらないし、また一定期間後は解熱し、快方に向かうことを経験的に知っているので、しんどい思いをしてまで病院に足を運ばない、という選択肢もありではある。私は今、客先常駐での勤務なので、一応診察したけど、時間に融通の利く在宅勤務だったらしなかったかもしれない。

 点滴を受けたのは中国滞在時にひどい下痢をして外国人向けの病院にかかった時以来、人生二度目かも。明確に「インフルエンザ」と診断されたのは、もしかしたら人生初のような気がするが、こういうのはかからないのが一番なので、養生しつつ用心したい。

ラトビアの下町ボブスレー・BTC社とは?

 ネット上で下町ボブスレーが話題になっている。例えばこちらなど。その中でラトビアの下町ボブスレーとして言及されているのがBTC社であるが、英語記事がほとんどないとのことで、ロシア語記事で何かないか探してみたが、やっぱりほぼない。ただ、こちらに少し情報があったので、以下に雑に訳しておきます。

 ボブスレー技術センター(BTC)は2000年にラトビアの首都リガで設立され、ボブスレーの製造をしている。ラトビアのソリ製造の歴史はソ連時代の1980年代初頭に遡り、リガの自動車工場でソ連代表チームのために技術を提供していた。これまでにボブ(車台)はロシア、アメリカ、日本、ポーランド、スロベニア、イギリス、オーストラリアのチームに、スレー(ソリ)はドイツ、スイス、カナダ、オランダに供給されている。

 こちらによると「ボブスレーbobsleighの名前の由来は、スピードが増すにつれて選手の上体が前後左右に振れる(ボブbob)そり(スレーsleigh)ということから名づけられたとされる」とのことだが、原文ではボブとスレー(?)の供給先が別々に列挙されているのが謎。そういうもんなんか。

 記事は2013年のものだが、BTC社から日本にも提供されているとあり、別に昨日今日ではなく、実績あるメーカーだったのではないか。

 こちらは2013年のラトビア語の記事で、ラトビア語は全くわからないが、Google翻訳をかましてナナメ読みしたところ、同じく2000年にリガのElvira通りで設立されたとあり、この時点で従業員は5人(日本語記事だと6人とあるので、この間に一人増えた?)でソチ五輪では6チームに供給したとあり、年間製造数はせいぜい4台なのだとか(間違っている可能性あるので注意!)。

 ちなみに前の記事は各国でどのメーカーのボブスレーが使われているかが列挙されており、2013/2014シーズンではBTCがベルギー、イギリス、ラトビア、そして日本で使用されていることが記されている。BTCが席巻しているという情報があったが、見ているとオーストリアのStampfer、ドイツ・バイエルンのSingerなどからも提供されており、各国しのぎを削っている様子がわかる。また、一つのメーカーだけの国もあれば、複数のメーカーのを使っている国もあることがわかる。

 Shitamachiも記されているが、提供先は日本のみとなっている(2013/14シーズンの話です。為念)。一番下にShitamachiの説明もあったのでざっと訳しておきます。

 Shitamachi これは日本のダウンタウンを訳した言葉で、Junichi Hosogai氏が率いる純粋に日本のプロジェクトである。日本ではボブスレー人気はまったくないが、このことは東京のエンスーたちがボブスレー2を作るのを妨げなかった。2013/14シーズンの初めまでにすでに第二世代のボブスレーを制作している。プロジェクトの主目標は2018年のオリンピックでよい結果を残すことである。

 すでに以前からこのプロジェクトは2018年の成功が主目的のプロジェクトであることが世界的にも周知されていた模様。なので、それが叶わなくなる、というのは、プロジェクトが大失敗であることを内外に示すことになり、なりふり構わず訴訟沙汰にしてジャマイカチームにせめて使ってもらうだけでも、という動きを見せたが、結果として、こうして日本中にここに至る背景、特にボブスレーへの愛もないままに突っ走っていたことが露見してしまい、大炎上してしまった。

 うかうかしてると日本がまるごと下町ボブスレー化するぞ、などとうまいことを言っている人がいたが、本当にそう思う。いろいろと今の日本を象徴している出来事だったと思う。

雪国の雪かき道具事情 基本はスノーダンプ、時々プラスコップ、ガチガチに凍った雪には鉄スコップ

 「アルミ製スコップが万能」「放水は絶対NG」 雪国民による雪かき道具の選び方がTwitterで話題という記事が出ていた。私も豪雪地帯に20年ほど住んでいた経験から書いてみる。

アルミスコップ

 記事にあるように、アルミスコップは軽くて大きくてそこそこ丈夫であり、私も住み始めた当初はこれをメインで使っていたが、徐々に使い勝手の微妙な悪さがあって、まったく使わなくなった。

 特に雪質によっては、スコップに雪がひっついて離れなくなることがあり、これが使わなくなった最大の原因。スキーやスノボにワックスを塗るように、スコップにもロウを塗るなどメンテナンスをするとしばらくはひっつかなくなるのだが、それも毎回はやってられず、より軽くて手軽なプラスチックスコップを使うようになった。

プラスチックスコップ

 アルミスコップに代わって使うようになったのがプラスチックスコップ。軽くて大きいことから手軽に使えるので、ちょっとした雪かきにはこれで十分。ただし、丈夫さはないため、ガチガチに凍った根雪には歯が立たない。スノーダンプが使えない場所の雪かきは基本これを使う。

鉄スコップ

 アルミスコップが登場するまでは鉄スコップが雪かきで一番使われていた道具。丈夫であり、土も掘れるのだが、その重さでヘトヘトに疲れる。ただでさえ重労働の雪かき仕事にあって、徐々に登場するシーンが減ってきた。

 しかし、今でも鉄スコップは必須といってもいい道具。特にガチガチの雪ではこれが最終手段となる。バール等を使う人もいるようだが、私の地域では温度は高めであるせいか、あまり登場の機会はない。スコップだと割ってすぐに運べるので、私には鉄スコップで十分だった。

 ちなみに先が四角いのもあるが、雪をくだく用途には向かないので、ほとんど使われない。

スノーダンプ

 雪かきというと、基本これ。作業の大半はこのスノーダンプが担う。

 雪かきとは人や車が通る場所の雪をどこか別の場所に運ぶことなのだが、作業効率上、できるだけたくさん運べる方がよい。となると、手作業の場合、このスノーダンプが最も効率がよい。

 スノーダンプにもちょっとした違いがあって、スコップ同様、プラスチック、アルミ、鉄製品がある。

 店頭でよく見かけるのは軽量安価なプラスチック製品。手軽なので当初はこれを使っていたが、すぐに壊れてしまうため、私は使わなくなった。

 通称「ママさんダンプ」は女性でも扱いやすい小型のスノーダンプ。雪というのは降りたては軽いのだが、少し放置しておくととたんに重くなるので、小型の方が使い勝手がよい面がある。

 アルミダンプはスコップ同様、そこそこ軽量でそこそこ丈夫、という中途半端さがメリットであり、デメリットでもある。

 結局、最終的に行き着くのがハードユースに耐える鉄製のスノーダンプ。値ははるが、丈夫で長持ちするので、結局、これを一番よく使っている。サイズもいくつかあるので、自分の体格にあったものを選ぶのがよい。

 スノーダンプの利点はとにかく一度に多くの雪を運べることで、時間対効果を考えると、スコップなんてやってられない。ただし、雪かきは重労働であり、自分の体格に合わない大きすぎるのを使うとそれだけくたびれるのも早くなるため、サイズ選びは重要。

 よくばって多くの雪を運ぶのも考えもので、新雪ならよいが、水分をたっぷり含んだ雪を処理する場合は、少なめにするのが基本。あまり重い雪だと運ぶのに体力を消耗するため、加減が大事。

 安価なスノーダンプはたいてい持ち手とダンプの接合部分が「く」の字になっているのだが、角の部分に大きな負荷がかかるため、大抵はそこがダメになる。その点、鉄製スノーダンプはダンプ部分と持ち手が斜め直線のパイプでつながっていて、その部分がやられることはない。初期導入コストはかかるが、結局長持ちする。

 鉄のデメリットはちゃんと手入れしないとサビること。私のもサビてしまい、先が曲がってしまっているのだが、その状態でも使えなくはないので、まだまだ現役で使えている。

除雪機

 スノーダンプよりも楽で、かつ、作業効率がよいのが除雪車。しかし、ランニングコストや初期導入コストが馬鹿にならんので、一家に一台というわけにはいかず、持っている人は限られてくる。しかし、近所に持っている人がいると共有地の除雪をしてくれたりするので、実際助かる。

まとめ

 市町村合併後、私の家の前も除雪してくれるようになって、以前よりは除雪に時間はかからなくなった。以前はひどいときは数日連続で毎日数時間雪かきにかかりきりになることがあった。雪国はつらいよ、とはよく言ったもので、これからの人口減少社会、ますます人の流出が激しくなるだろうが、私のように街育ちの者でも20年特に大きな不都合なく住み続けることが出来たので、これからは、移住者がどれほど来てくれるかがポイントじゃないかと思う。雪は以前ほどには降らなくなっているし、住めば都で良い面もあるので、滋賀北部の山村移住に関心ある方はよろしければ連絡ください。