「身辺雑記」カテゴリーアーカイブ

10月29日の身辺雑記

 気づいたら10月一度も書いてなかったんで、ちょっと書いておきます。

 諸事情あって、しばらく定時出社&定時退社なカタギ仕事に就いていなかったのだけれども、9月からそんなスタイルで再び働き始めている。去年までは週4日の7時間勤務ベースで働いていたのだが、今はおそらく現在の日本で最も一般的な(?)週5日1日8時間ベースで働いている。チェルノ通いしてた頃はだいたい3ヶ月近く働いて2ヶ月ちょいウクライナ滞在という感じのスタイルを続けてたが、これも諸事情あって、というか、主にリーマンショックで仕事が急減したため続かなくなり、途中で破綻(?)したのだった。

 そんなわけで時々は満員電車に乗らざるを得ないことがあり、これにはなかなかに閉口させられる。一本遅らせればいいのだが、JR西日本は遅延が当たり前状態になってて、始業時間に間に合わなくなる可能性もあるため、嫌だなー、と思いつつも乗ることになる。奥の方にやや余裕があることもあり、「出入り口付近に立ち止まらず奥へ詰めてください」という車内アナウンスも流れるが、乗客の意志を動かすには至らず、ぎゅうぎゅう詰めの状態はたいていは解消されない。幸い、ちょっと時間をずらして乗る電車を選べば、比較的空いている電車を選ぶこともできるので、毎日満員電車に揺られることはないのだが、朝からムダに疲れてしまうので、満員電車には乗りたくない。

 ここ数年、ほとんど電車に乗ってなかったので知らなかったが、最近はリュックを背負うのではなく前に抱えて乗ってる人がかなり増えていた。私はリュックで電車に乗る時は片方だけを腕に通して前に抱える感じのスタイルに落ち着いていて、これはウクライナとかで普通に後ろに背負っててスリにあった、という話をよく聞いてたので、これに慣れてしまったのだが、今の人たちは両腕を通して、がっつり前に抱えて立ってるので、最初はかなりな違和感があったが、これももう見慣れた車内風景となった。

 昔は学校や銀行、公的機関は半ドン(土曜日は午前中だけ授業・業務あり)が当たり前で、週休二日が当たり前の今、そんなのにはもう戻れないが、今や週休三日を導入し始めてる会社も出てきている。私も週休三日でずっとやってたので、週休二日でも精神的にはかなりきつい。週休三日と言っても、三日遊んでるわけでもなく、諸々のToDoをこなしているとあっという間に月曜日になるのだが、休みが2日ではToDoがこなしきれなくて、滞っている諸々がいくつもある。

 なかなか自由時間が取れないが、通勤時間は貴重なフリータイムになってて、行きは主にIT関連の本を読み、帰りは語学の勉強などしている。最近はどこも時短気味であるため、帰宅前にちょっとどこかに立ち寄って自分の時間を満喫してから家に帰る人も増えているらしいが、その気持ちはわからないでもない。ただ、うちの場合はまだ子どもが小さいので、あまり油を売らずに直帰することが多いのだが、やはり都会は都会でおもろいので、もう少し精神的に余裕が出てきたら、そういう日を作ってもいいかな、と思ったり。

 正直、まだ仕事に慣れずに苦慮しているので、まだその余裕はないのだが、そういう日が来るといいなぁ。はぁ。

いただきもののピスタチオに虫が入っていたのだが、そもそもなぜナッツ類の中でピスタチオだけ殻付きで売ってるのか、など

 日本に来た海外の方からナッツ&ドライフルーツのセットをいただいて、しばらく置いておいたのだが、よく見ると細かいツブツブがついてるのがあって、これは虫の卵か糞だと思い、中身を確認すると、果たして、元気に動く虫が出てきたのだった。

 殻付きアーモンドやレーズンなどいろんな種類が入っていたのだが、虫が付いていたのはピスタチオだけのようだった。量り売りとかならともかく、店頭で売っている日本の製品で虫が入っている、というのは今日日なかなか見かけなくなったが、ナッツの入れ物も手作り感満載で、潔癖日本にどっぷり浸かってすっかり感覚が麻痺しているが、食べものに虫が付くのは当たり前という事実を改めて確認したのだった。

 さて、そのピスタチオだが、以前からなぜピスタチオだけはいつも殻付きで売っているのか疑問だったので、この際、調べてみることにした。予想では、品質保持上、殻付きでないと問題が出てくるのではないか、ということで、今回、虫が付いたのがピスタチオだけだった、というのも、ピスタチオは品質の保持が難しそう、という事前の予想を補強した。

 ということで、軽くググってみると、すぐに答えはわかった。こちらなどを読むとわかるが、簡単に言うと、必ずしも殻付きである必要はないが、殻付きでない場合は見た目が悪い、というのが最大の理由のようだった。また、殻付きの場合、風味・味が変化しにくい、というのも利点とのこと。日本では殻付きが好まれるようだが、ピスタチオを原料として使う業務向けなどで殻なしでも売られているらしいし、アメリカなどでは殻なしでも売られているとのこと。

 日本で普通に売っているピスタチオはおそらくイランかアメリカ産のようで、大きなのが多いが、今回いただいたピスタチオはそれらに比べるとやや小ぶりのもので、こういうのもあるんだな、という印象。日本に入ってきているのは高価なのが多いのかもしれない。ピスタチオにかぎらず、ピーナッツ以外のナッツ類はなかなかに高価だが、日本での栽培は難しいらしい。一応、クルミについては私の田舎でも普通にあるが、くるみ割りの手間を考えると・・・。

 以前、ピーナッツの種を買ってきて育ててみたが、収穫前に何かの動物に食べられてしまって、ほとんど私の口には入らなかった。花が咲いたあと、その部分が地面に向かって伸びていき、土に刺さって、土の中で実が成る、という斬新な育ち方をする植物で「落花生」という名前はそういう性質から来ている、というのが実地に確認できただけでもよかった。

 私は毎日のようにナッツを食べるナッツ狂なのだが、ベランダ栽培ができる何かを作ってみるか。なかなか日々の生活に追われて、ベランダ菜園どころではないのだが、検討課題(ToDoリスト)にあげておくとしよう。

 グロ画像注意! ピスタチオの中にいた虫の写真をアップしておきます。別にみなくてもいいんじゃないかと思いますが……。

賃貸住まいだが、中古で食器洗い乾燥機を購入。もう手洗いには戻れないw

 長らく食器洗い機を購入したかったのだが、設置場所がなかったため断念していた。引越し後、さらに狭いキッチンとなり、置き場も厳しかったのだが、たまたま近所のリサイクルショップで少人数用の小型食洗機があるのを目にし、検討を始めた。少人数用でよいのか、自分で取付可能なのか、中古なので製品に問題はないか、新品を買ったほうがいいんじゃないか、などなど、悩みどころは多かったが、新品だと5万円はくだらないのが、たまたま別の日にそのショップを訪れると表示価格からさらに3割値引する札が貼られていて、迷いつつもこのタイミングで思い切って購入。

 事前に取り付ける分岐水栓の型番は調べてあり、これも中古で入手することが出来た。恐る恐る電源を入れ、試験運転してみると、特に問題なく作動。全部合わせて1万円もしなかったので結果としてよい買い物をしたことになる。

 狭いキッチンの作業スペースが犠牲になり、しばらく不便なまま使っていたが、これも設置方向を横向きにすることで解消。ややはみ出しているのだが、特に不便は感じていない。ネットでは食洗機を嵩上げする便利道具も売っているが、我が家のキッチンスペースでは嵩上げすると上の据え付けの棚に引っかかって設置できなくなるので使えなかった。結局、そういう物に頼ることなく、何とか工夫で乗り切ることができた。

 導入後、鍋や大物の食器、その他食洗機では洗えない物以外の洗い物はたいてい食器洗い機で済ませるようになった。食器洗いというのは、ちょっとした気分転換になるといえばなるが、できればやりたくない雑事で、これに時間を費やす必要がなくなった、というのは、メンタル的にかなり楽。

 食洗機はビルトインで使われることが多いようで、据え置き型で新製品を出しているのは現在はパナソニック一社のみ。おそらく、ビルトインじゃない場合、多くの家庭では食洗機導入をためらっているのではないかと思うが、実際普及率は高くないらしい。こちらにその理由として「日本のキッチンは狭いので設置する場所がない」というのが挙げられているが、実際そうなのだろう。しかし、工夫次第でなんとかなる可能性はあるので、小型のやつでもいいので、検討してみる価値はあるのではないかと思う。

 食洗機は意外と音がうるさく、寝る直前に回すのは避けたくなるので、食後は早めに回してしまうのがいい。あと、設置や分岐水栓の取り付けも元栓の開閉の仕方さえ分かれば慣れてない人でもなんとか出来るレベル。自分も導入したいけど、いろいろ調べるのが面倒で後回しにしてたが、もっと早くに導入しておけばよかったと思っている。

 こびりついたご飯粒とか食洗機が不得意な汚れの種類はあるが、油汚れは本当によく落ちる。あと、手持ちの食器のうち、うまくはまらない食器もあるとはいえ、そういうのは小さな不満で、全体として導入したのは正解だったといえる。導入への心理的障壁はあるだろうが、毎日の食器洗いの時間が浮くので、手洗いの方は検討してみてはどうだろう。

若手官僚ペーパーにあった「若い世代には、そんな日本を見限って、生活の場を海外に移す動きも出てきている」は本当か。そして、移民は現実的に可能なのか。

 もうすぐ二人目の子供が生まれてくる。そのための準備をしつつ、一人目の子もまだまだ甘えたい年頃で、いろいろ個人的に先を見据えた勉強を始めているのだが、なかなか進まない。

 ここのところずっと考えているのは、子供のためにこのまま日本で暮らし続けるのがいいのかどうか、ということ。私は家族を持つ前から常に自分が80になる2050年ぐらいまでの日本の人口ピラミッドを念頭に置いて生きてきたのだが、私が高齢者となる時代の完全な逆三角形人口ピラミッド下の日本で下の世代に負担をかけて生きながらえるのは忍びないなぁ、となんとなく思っていた。もちろんそのために自殺するようなことはしないし、そもそもそんなに丈夫な方ではないので長生きする心配はしなくてもいいのかもしれんのだが、それでも生きながらえてしまった暁には、せめて出来る範囲で自給自足でもしてあまり社会インフラに頼らない生き方ができるように準備しとかんといかんなぁ、なんて考えていた。

 その後、家族を持ち、子供が生まれ、さらにもう一人子供が生まれてくる。自分一人ならなんとでもなるが、子供の人生を考えた時、日本に居続ける選択をした場合のリスク、というものを考えざるを得なくなってきた。私は外国に少し滞在した経験から、他国ではそう味わえるものではない日本での生活の快適さをそれなりに理解している方だと思っているが、このレベルの快適さの維持が本当に必要なのか、と思うこともある。そのためにどんだけ無駄なコストがかかってるか、なんとなくみんな思ってるけど、まだお尻に火がついてないから、このままぬるま湯で少しずつ劣化していくのを日本全体で受容していくのだろうなぁ、と考えたりしている。

 少し前に話題になった若手官僚のペーパーに「若い世代には、そんな日本を見限って、生活の場を海外に移す動きも出てきている」とあるが、実際のところ、数字としてどれぐらいの割合なのだろうか。近い話として、若者の都市部から田舎への流れ、というのがあるが、これは実際に起きているものの、割合としてはとても少ない、というのと似ていて、海外脱出組というのも実数としてはまだまだ極少数派に留まっているのではないかと思う。一応、外国語大学出身というのもあり、そもそも外国暮らしをしている人に接することが一般よりは多い方だと思うが、少なくとも私の周りで最近脱出したというような話はあまり聞かない。

 日本のぬるま湯というのは本当に心地よく、暖かいコタツからなかなか出られないように、自らしんどい思いをしてまで挑戦しようという人はなかなかいるものではないが、今の日本の閉塞感とそこから派生する様々な軋轢はより若い層に圧をかけるものとなるだろうから、若手官僚が属するような首都圏のエリート層の若い世代にそういう動きが出ている、ということはあるのかもしれない。

 既得権益を享受する側には実感として理解し難いのかもしれないが、既得権益とまるで縁のない私にもそうした感覚は実感として理解できていると思っている。既得権益層とは代々受け継いできた、または相応の努力をして獲得した権益を保持しようとしている特定の集団や資産家がイメージされ、概ね大金持ちだったり小金持ちだったりして、政官財とよろしくやってる連中って感じだが、私が思う現代の既得権益層とは、あまりはっきりゆうと角が立つけど、具体的には、高齢者であったり、正社員であったり、大都市圏(とりわけ首都圏の中心寄り)居住者であったり、あるいはそれらを併せ持つ人たち、というイメージで、必ずしも金持ちではないが、従来からの法律や慣習に守られて、なんとかかんとか将来不安を相対的により少なく生きている人たちのことをイメージしているようだ(書いている今、気づいた)。

 しかし、この人たちは決して将来不安がないわけではないだろう。というか、むしろ、ささやかながらも保持しているアドバンテージを維持したいがゆえに、将来不安を相対的により多く持つ、自分が属さない集団・層への思いやりある眼差しを持つ余裕がなくなってきているように思う。

 ここで、現代の既得権益層と想定した人たちの立場に自分がなったことを想像してみる。自分が子育て世代だったりすると、自分の子供を守るため、という大義名分に自分が逆らえずにいることを自覚する。

 正社員についていうと、働き方改革の一丁目一番地は正社員の牙城を崩すことだと私は思っている。日本経済というパイ自体が小さくなっているのに正社員に割り当たるパイの大きさはそのまま、ということになるとしわ寄せは当然正社員以外に向けられ、その小さくなったパイを急増する正社員以外の人たちで小さく奪い合うという構図。そういう中で正社員という立場を今、持っているのであれば、よほどの大きなミスをしない限りは解雇されることはないので、そういうマインドで日々大過なく過ごすことを余儀なくされるだろう。正社員以外の待遇にいくらか心を痛めないわけではないが、自分の家族を守るため、という大義名分の前には、そんな憐憫の情は吹き飛んでしまう。

 高齢者についても同様、自分が今の時代に高齢者だったとしたら、下の世代に申し訳ない気持ちを持ちつつも、年金はありがたくも満額受領するし、様々な高齢者優遇の恩恵は最大限享受することだろう。たとえ、それが税金が原資であったとしても、そういうシステムになっている以上、享受しないわけにはいかないだろう。

 首都圏の住人だったとしたら、あまり、これについては想像するのが難しいのだが、ただでさえ人多すぎ状態が慢性的に続いているのに、これ以上、地方の連中にゾロゾロと流入してもらうのは願い下げ、と思ってしまうのではないだろうか。口が裂けてもそうした本音は地方出身者には言えないだろうけれども。

 こうした課題を日本が近い将来(遠い将来も?)解決できる見通しはあるのだろうか。解決するには、相対的に恵まれたポジションにある人たちの収入を減らしてでも対応するのだというような国民的な合意が必要だが、自己責任論などで明らかなように、自分たちが相応の努力をしてそのポジションを獲得・維持していると当人たちが考えている以上、ちょっと厳しいんじゃないかと私は思っている。

 そんなわけで、移民という話が出て来るのだが、それなりに調べて検討してみたものの、様々な難題が立ちはだかってきて、やっぱ日本がええなぁ、という結論になったりするもので、海外で使えるような学歴もなく、職を得るのに役立つスキルについて、IT系の一部の知識が使えなくはないものの、言葉の壁もあって、私個人に関しては非常に困難と言わざるをえない。それに加えて、移民というのは、移民先の国に貢献することが求められるわけなので、そういうのがないと現実的には諦めが先に立つ。

 もっとも、それでも日本人というだけで世界全体として考えれば恵まれている位置にいる。今、トランプ支持層の白人低所得者層の世界を描いた「ヒルビリー・エレジー」を読んでるが、母親がペプシコーラで授乳したり、尿検査のために息子の尿をよこせ(ドラッグ中毒を隠すため)と要求してくるような家庭環境から著者はイラクの戦場に赴き、イラクの現状を目の当たりにして「地上で一番偉大な国」アメリカでの愛に囲まれた便利な生活を発見する。どうしても国内だけ見ていると、身近に見えるきらびやかな世界に比べて自分たちがみじめに思えてくるが、それでも世界全体としては先進国に生まれた、というだけで、非常に恵まれているのは確か。私も当時はそうは思わなかったけれども、ウクライナの農村の貧困を目の当たりにしたことも自分の人生観に大きく影響を与えたようで、貧困状態にあっても人は楽しく有意義に生きられることを知っているのと知らないのとでは大きく差がある。

 そういう意味では今の快適な生活を死守しようとする人たちがもっともタチが悪いように私には見えるのだが、そこを掘り進めるとさらに字数が無駄に増えてしまうので、今日はこれぐらいにしておこう。

カタツムリの飼育

 先日、こんなことがあった。

 とりあえずイチゴの透明パックに入れて、すぐに逃がすなりなんなりしようとしたのだが、外来種を環境中に放っていろいろ問題になっているという話があり、同様に茨城のカタツムリを滋賀に放してもいいのか、今更そんなことを気にしてもしゃあないのだけれども、一応、調べてからにしよう、しかし、もしあかんとなったら、どうしたらいいのか、「処分」せなあかんのやな、ほな、どうしようかいな、子供にも見せた手前、カタツムリどうなったの?と聞かれた時に、天国に行ったのだよとかいわなあかんのやろか、とかどうでもいいことを考えている内に日が過ぎていき、その間、水分は切らさないようにして、適当に小松菜をやったり、糞の掃除をしたりしてると、変なもので情が移ってきた、とでもいうのか、昔小学生のときにカメなどを飼育した経験が蘇ってきて、こうした生き物を飼うのもおもろいかも、教育的効果もありそうだし、というわけで、カブトムシ用の飼育箱をホームセンターで購入してきて、飼育し始めたところ。

カタツムリの飼育
カタツムリの飼育

 子供も関心を持ち始め、カタツムリさんどこにいるとか気にしたりしている。保育園で教えてもらったのか、私の子供時代にはなかった「グーチョキパーで何作ろう」という歌を早いタイミングで覚え、右手をグーにし、左手をチョキにして重ねてカタツムリを作ってよく遊んでいて、さらに去年家庭菜園をしてたときも、畑に出没してたので、実物も一応知ってて、カタツムリは子供にとってなじみのある生物であり、初めてのペットとしては悪くない。

 調べると結構長生きできるようだし、雌雄同体でもう一匹入れると卵を産むことがあるようで、もう一匹入れてみようと思うが、種類とかようわからんので、うまくいくかどうか。