昨日の朝は他の人たちがくつろぐ中、黙々と残業してる夢を見ている途中で赤子に起こされたのだが、こういう感覚ってデスマを経験して以来かもしれない。サンデーのモーニングによりによって、なんでそんな夢をみんならんのやと思いつつTVをつけると後藤さんが殺害されたという速報が流れていたのだった。この事件についていろいろと思うことはあるものの、まだ考えがまとまらないので、何か意味のあることが書けるわけではなさそうだが、思うままを書いてみる。
仄聞するところによるとすでに国内のイスラム教徒に対して「日本から出て行け」などとする嫌がらせがなされ始めており、ついに日本もそういうフェーズに入ったということなのだろう。日本とイスラム世界は関係性が比較的希薄だったこともあり、概ね良好な関係にあったが、今回の件が日本のイスラモフォビアの始まりとなる事件となる可能性がある。また、今回の件に関し、安倍首相の言動がトリガーになった可能性は、タイミングが今だった、という点ではそうといえそうだが、遅かれ早かれこうしたフェーズに入ることになったと私は思う。
私は30歳になるまで海外に行ったことがなかったので、「外国かぶれを忌み嫌う」感覚はいくらかわからなくもないのだが、こうして海外に簡単に行ける時代に国内だけの論理で「日本から出て行け」式で話を進めようとしても行き着く先は袋小路でしかないだろうし、自らの理解を超えることであれ、なんとか理解しようとする努力は続けていかないといけないと思うし、さらに自分の知ることをいくらかでもシェアしようとする努力も続けないといけないと思う。
戦争を始めとする国家や国家に準ずる組織との衝突は、意図的なのも含め、相互の誤解に基づいてなされるもので、よく知らないことは怖いし、拒絶反応を示してしまうが、可能な限りの想像力を駆使して、何が問題の本質なのかを見極める不断の努力が必要となる。
というわけで、相互理解に役立つことをそれぞれが出来る範囲でやっていくしかないだろうと改めて思ったことだった。また、後藤さんの今回の行動を責める向きもあるようだが、氏の現状を伝えたいという強い意志がそうさせた面もあったと思う。今回の事件を機に様々な圧力が高まる可能性はあるだろうが、それで無駄に萎縮することがないようにしたいところで。
以前も引用した酒井啓子さんのコラム「人質殺害事件に寄せて」の次のような箇所に共感する。
「イスラーム国」の被害に最も苦しんでいるのは、たまたまそこを訪れた外国人や攻撃を行っている周辺国の兵士よりもなにより、現地のイスラーム教徒自身なのだ。「イスラーム国」が制圧している地域の住民こそが、集団で人質にあっているようなものなのだ。
というわけで、今回の件がイスラモフォビアにつながらないように祈りたい。