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1971年滋賀県大津市生まれ。大阪外国語大学ロシア語科除籍。IT業界で働きつつ、2006年よりチェルノブイリ被災地で「ナロジチ再生・菜の花プロジェクト」、被災者互助団体「ゼムリャキ」を取材。

スベトラーナ・アレクシェービッチがノーベル文学賞を受賞

 2015年のノーベル文学賞に『チェルノブイリの祈り』などで知られるベラルーシの作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチが選ばれた。著作の多くは日本語に翻訳されており、今、新品は入手しにくくなっているようだが、直に増刷されることだろう。

 国内での報道では、毎年恒例の「村上春樹は受賞を逃した」の記事が多いが、氏の発言を報道しているところもいくつかあったので、ピックアップしておこう。

「母国とその文化への賞」=アレクシエービッチさんが喜び-ノーベル文学賞

「私ではなく、私たちの文化、歴史を通して苦しんできた私たちの小さな国への授賞だ」
「全体主義体制は妥協を強いるが、それに屈する必要はない」
「バレエや文学など人間的なロシアの世界は好きだが、スターリンやプーチン(大統領)は好きではない。彼らはロシアをおとしめてしまった」

 実際の記者会見では好きではない人の名前として「ベリヤ、スターリン、プーチン、ショイグ」を挙げている。ベリヤの残虐非道ぶりについては、Wikipediaのベリヤの項などを参照。ショイグはロシアで1994年から2012年まで非常事態相を務めた人物で、現在は国防相の地位にある人物。

 2011年4月に東京外大の沼野恭子教授の依頼で「チェルノブイリから福島へ」と題するメッセージを寄せた、という記事が中日新聞で出ている。

原子力時代 脱却すべきだ ノーベル文学賞作家 震災直後にメッセージ

 広島、長崎の後、チェルノブイリ事故後、人間の文明は別の発展の道、非核の道を選択すべきだったのではないだろうか?

 原子力時代を脱却すべきだ。私がチェルノブイリで目にしたような姿に世界がなってしまわないために、他の道を探すべきだ。誰もいなくなった土地、立ち並ぶ空き家、畑は野生の森に戻り、人が住むべき家々には野生の動物たちが住んでいた。電気の通っていない電線が何百と放置され、何百キロもの道はどこにも行き着かない。

 テレビをつけると日本からのリポート。福島ではまた新たな問題が起きている。私は過去についての本を書いていたのに、それは未来のことだったとは! 

(全文はこちらの下の方で読めます。)

 ノーベル平和賞候補にも名前が上がっているノーヴァヤ・ガゼータ紙のこちらの記事によると、政府からの祝福のメッセージについて、最初の記者会見の時点でモスクワの文化大臣からあったものの、ベラルーシからは来ていない、とのことで、ベラルーシに自分はいないがことく振る舞われている、としている。

 ただし、確認すると、一応、ベラルーシ大統領の公式サイト上では、こちらで祝福のメッセージが出されており、受賞がベラルーシとその人民に寄与することを望み、作家の健康と幸福、祖国ベラルーシのための新しい創作の達成を祈る、としている。さすがに無視はできないということなのだろうが、素っ気ないメッセージであり、通り一遍感は否めない。

 こちらで受賞後の最初の第一声の映像が見られる。ここでウクライナについて触れていて、祖母も母もウクライナ人で、ウクライナが大好きであり、ウクライナのマイダンに行って、天国の百人の写真の前では涙が出た、と当時を思い出したのか、やや声を上ずらせつつ語っている。

 ウクライナのポロシェンコ大統領もFacebook上で祝福メッセージを寄せ、「どこにいても、どんな言語で話し、書こうとも、ずっとウクライナ人のままだ!」と述べている。

Нобелівську премію з літератури отримала Світлана Алєксієвич, родом з Івано-Франківська.Де б ми не були, якою б мовою не говорили і не писали – ми завжди залишаємось українцями!Вітаю!

Posted by Петро Порошенко on 2015年10月8日

 スベトラーナ・アレクシェービッチ公式サイト(?)はおそらくこちらのようだが、連絡先はドイツの住所になっており、古い情報かもしれない。このサイトでは経歴や出版物についての情報が英語とロシア語で読めるようになっている。さらにこちらのbooksのページでは英語版やドイツ語版・フランス語版(ただし、一部だけ?)が読めるし、こちらからは「チェルノブイリの祈り」や「戦争は女の顔をしていない」などのロシア語原文がそのままPDFで読むことが出来る。

 私の場合、ロシア語はいくらか読めるとはいえ、読むのに日本語の何倍も時間がかかってしまうのだが、せっかくなので、翻訳の助けを借りつつ、少しでも原文で味わいたいところで……。

車検を受けたが、13年以上経過してて割増になってた

 昨日、車検を受けに行ってきた。かなり老朽化していることは分かっていたが、車を買う、というのは大変エネルギーのいる行為であり、ちょうどタイヤを新調したこともあって、乗り続けることにしたのだった。

 ただ、計算外だったのは、13年以上経過した車の場合、自動車重量税が割増になることで、同様に13年以上になると割増になる自動車税が今年5月時点ではまだ上がってなかったので、まだ大丈夫だと思っていたのだが、この間に13年になってしまっていた、ということなのだろう。(というか、そもそもこうして二重に課税されてる状況がおかしい、といえるのかもしれんが。)

 あと、私の住む滋賀北部は豪雪地帯であり、冬場は凍結防止用に通称「塩カル」(塩化カルシウムの略称。塩化ナトリウムや塩化マグネシウムも使われているらしい)が道路に盛大に撒かれるため、他のところよりもサビが発生しやすい、という難点があり、これも計算に入れておくべきだった。実際、素人の目視でも明らかにサビがひどい部分が何箇所もあり、あと2年何とかだましだまし乗ろうと思っているが、さらに費用が発生する可能性がありそうで頭を抱えている。こんなことなら、適当な中古車に乗り換えるのも手だった、と後悔先立たずの気分に陥っている。

 次の車は嫁さんの希望でマニュアル車にしようと思っているが、今や絶滅危惧種に近い状態らしく、日本ではMT車の割合が1~2%程度で、AT車がほとんどらしい。私は免許取り立ての頃から最初の2台はマニュアル車だったので、今でもマニュアル車の運転は苦にはならないし、むしろマニュアル車の方が好みだが、中古車を買うにしても、選択肢が少ない、というのはよいことではない。

 しかし、逆に言えば、選択肢が少ないということは無駄に悩まなくてもいい、とも言えるかもしれない。選ぶ、というエネルギーのいる行為を省けるので。私は今乗っている車を買ったとき、大変苦労した。この車の前は知り合いのお下がりで、選択の余地がなかったので、ある意味楽だったが、初めて中古車を買おうとして、その選択肢の膨大さに途方にくれた覚えがある。最初に入った中古車販売店で適当に買ってしまおうとしたところ、営業マンの目が「おー、こんな楽な客が世の中に存在するのか!」的な反応をしたため、もうちょっと悩んだ方がいいのか、と考えなおし、車に詳しい人に聞いたりして、車種を絞り込み、県内の中古車販売店をいろいろと見て回ったが、そうなると今度は希望にあうのがなかなかなく、結局、知人の知人を介して車のオークションで購入したのだった。あまり目が肥えすぎるのも考えもん、ということなのだろう。

 今にして思えば。、一度、ああいう経験をしておくと自分的にどの要素が重要なのかがわかってくるので、無駄な経験ではなかったと思えるが、大きな買い物なので、適当に決めるわけにもいかず、次の車検までにまたこの作業が待っているのか、と思うと、ああ面倒くさいなーと正直思う。車を買い換えるのは多くの人にとって楽しいことのようだが、私には苦痛でしかない。誰か適当なマニュアル車を安価に譲ってくれる人いないかなぁ。日本国内なら、旅行がてら取りに行きますので、ご自分でなくても知り合いで誰かおられたら、ご一報いただけたら幸いです(2015年10月3日現在)。

初めての圧力鍋 見た目は怖いが時短でエコな優れもの

 少し前、真イワシが安かったので買って帰り、さてさてといつものようにネットでレシピ検索すると圧力鍋を使ったのが出てて、そういえば買ったけど使われていない圧力鍋があったな、とキッチンのシンク下のスペースを探ると奥の方にしまいこんであるのが見つかり、物は試しと初めての圧力鍋調理に挑戦することにした。

 まず、どこかにしまいこんだ説明書を探す仕事から始め、何とか見つけたのはいいが、説明書きが長ったらしく、いろいろと怖いことが書いてあり、ものぐさ太郎の自分としては、ああ面倒臭いと途中で放り出しそうになったが、一通り目を通し、まあなんとかなるやろと組み立て始めると、どうやら部品が足りてないことに気づき、またあちこち探して、パッキンと重りを見つけ出し、やっと調理が出来るところまで来た(ここまで30分はかかったか)。

 ちょっとかなり腹が減っていたこともあり、初めて使うときのテストはスルーして(良い子は真似しないように!)、具材を放り込んで、さてと火にかけてみると、取っ手あたりから蒸気が出てきた。こういうもんなのか、と思い、しばらく様子を見ていたが、取っ手の周辺が濡れ始め、水しぶきが飛び始めたので、あわてて火を止めた。すでに圧力がかかっているのかよくわからず、さてどうしたものかと説明書を見ながらしばし考えた挙句、ちょっと怖かったが、強めに取っ手を握りしめつつ、フタを開けると特に問題なく開いたのだった。(※あとで分かったが、上の重りを菜箸などで傾けると圧は簡単に抜ける)

 取っ手周辺のロックピンを調整し、圧力上昇後にどうなるかの仕組みを理解してから、再度しっかりとフタを閉めて、火をつけ、しばらく様子を見る。すると、取っ手からの蒸気はなくなったが、結構でかい音でフタの上の重りが踊り始め、慌てて火を弱火にする。

 その後は、プシュープシューと派手に音を立てつつ、間欠的に蒸気を四方に振りまき始め、うーん、結構怖い音が鳴っとるなぁ、と思いながら、10分の調理時間の間、止めたくなるのを我慢し、タイマーが鳴るのを待つ。まだかなー、と思いつつ、タイマーを見るとあと1分程度あったが、腹が減っていたので、まあええやろと、火を止めて、さらに10分ちょい自然冷却。その後、フタを恐る恐るゆっくりと開けてみると、やや形が崩れていたが、それっぽく出来ていたのだった。

 皿に取り、食べてみると、確かにイワシの骨が柔らかくなっていて、短時間でこんな感じになるんか、とちょっとした感動ものだった。

 圧力鍋というと、結構な値段を想像するが、買ったのは、近所のスーパーでワゴンセールで売ってたやつで、格安で購入したものだった。その後、数回使っているが、安物でも十分使い物になる、という印象で、時間短縮と燃料節約できるのは魅力的。使い始めは恐る恐るで使うことになるが、慣れると気にならなくなる。やや音がでかいのが難点だが、高級品はもっと静かだったりするのだろうか。購入した圧力鍋のサイズがややデカ目なので、もうちょい小さいのが欲しくなった時にまた検討するとしよう。

久々にバッテリーあがりをやらかしたが室内灯つけっぱなしでも1日以上もつと知った

 この週末のこと、もう30年は使われてるんちゃうか、というほどに使い込まれた熊手がついに壊れたので、近所のホームセンターで店頭にあった適当な竹製のやつを買ってきてたが、車内に置き忘れてたので、取りに行ったところ、キーロック解除しても解除されず、キーのボタン電池がなくなったかなと思いつつ、キーでドアを開けて運転席に座ると、バッテリーが上がっていることに気づいたのだった。昔、ライトをつけっぱなしにしたことが何度かあり、ブースターケーブルをつないでもらってなんとかなったことがあるが、最近の車は点灯しっぱなしでキーを抜くと「ピー」という警告音で知らせてくれるので、それはなくなった。しかし、室内灯をつけっぱなしにすることが時々あり、つい先日も一晩中つけっぱなしにしたばかりで、幸い半日程度だったのでバッテリーは上がらなかったが、今回も原因は室内灯のつけっぱなしで、今回は丸1日半経過しており、去年バッテリーを替えたばかりだったが、さすがにもたなかったようだ。

 幸い、近所に車のプロがいて、ブースターケーブルではなく、こういう時に使える器具を持ってはって、線をつないでもらって、ドキドキでエンジンをかけるとあっさりとかかってくれたのだった。走ってもいないのに速度計が二度ほど異常な値を示し、100km近くを一時指し示したが、すぐに元に戻った。充電のため、1時間はアイドリングでつけっぱなしにする必要があり、出来れば走って充電した方が確実、とのことで、近場だが、普段まず行かない山道を走ってきたのだった。目的なくドライブすることなど、普段ほとんどないのだが、たまにはよいもので。エコロジー的にはあれなのだが。

 今回、どれぐらいの時間でバッテリーが上がったのか、確かなところは分からないが、時計の時間から、30時間、または42時間程度つけっぱなしだったことになると思う。つまり、室内灯つけっぱなしでも1日以上はもつ、というのようだ。ただ、新品とヘタっているのとではもちに大きな差があるようなので、助けを得られないところで長時間つけっぱなしにするのはやめておいた方が無難ではあるだろう。

 ところで、室内灯について、自動消灯機能をつけてほしいところ。ググると多くの人が同じことをやらかしていて、カツマー氏も「車のバッテリーが上がったとき」というエントリーで報告している。よい車にはついているとなんとなく思っていたが、そうでもないようで。どうやらメーカーによって差があるみたいで、15分程度でルームライト・オートスイッチオフ機能がある車も結構あるらしい。

 注意をすれば防げるこういう余計な機能はなくてもいい派ではあるが、最近忘れることが多くなってきたので、これについては、ついてる方がありがたいな。

子供が迷子になる夢を見た

 今、子供と別居中なのだが、今朝は子供が迷子になってしまって必死で探しまわる、という悪夢で目が覚めた。大変な人混みの中で見失い、探しまわるうちに見失った場所もまたわからなくなり、その場所の管理者に頼ろうとするも、管轄主体が不明瞭で要を得ず、せめて迷子札を持たせておくべきだった、という後悔の念が募るばかりで途方に暮れているところで目覚めたのだった。時々、こういうしんどい夢を見ることがあるが、大抵はヒッチコック映画のように自分の身に危険が降りかかってくる場合で、自分以外の存在にこんな感じになるのはあまりなかったように思う。夢でよかった、とものすごくホッとしたのだった。

 一度、ほんの一瞬だが、人混みで子供を見失ったことがあって、気をつけないといかんな、と思っていたところで、それからさらに早く歩けるようになっているので、迷子札は検討してもいいのかもしれない。ググると、一定間隔以上離れると警告音が鳴る「迷子防止ブザー」とかスマホと連動するようなのもあるようだが、名前と携帯電話を書いたネームタグを身につけさせる程度でまずは十分ではないかと思う。

 スーパーで買い物中に音の出る靴をはいた子供に出くわすことがあるが、少々はた迷惑感はあるものの、活発な子供に対しては立派な迷子対策になっているようで。

 幼児の迷子対策はとにかく「目を離さない」という基本を守ることが重要、というのも、例えば、体験者の方の 自分の子供が「迷子」になる怖さ などを読んでよく分かった。

 私は夢に意味付けしたりしないのだが、こういうのを警告夢というらしい。夢を見ること自体、人類の進化の過程で得た能力だろうから、まったく意味が無いとは思わないし、フロイト流の夢判断はちょっと勘弁だが、ユングの集合的無意識などはあるかもなあ、ぐらいには思っている。

 ところで、ウクライナ語で夢のことを「ムリヤ(мрія)」という。普段全然使わないし、聞く機会もないので、ウクライナ語をどんどん忘れつつあるのだが、この言葉は「叶わない夢=無理や」と覚えると忘れられなくなる言葉。ただし、この言葉は願望などを表す夢の方で、睡眠中に見る方の夢は別途「ソン(сон)」という言葉がある。日本語の夢は英語のdream同様、両方の意味があるが、願望の方の夢は「明治時代に「Dream」の訳語として出てきた」説があったり、いやそうじゃない、という話もあったり、ようわからん。文脈上ごっちゃになることは少ないが、別になってたほうが外国語学習者には便利だとは思う。