「チェルノブイリ」カテゴリーアーカイブ

チェルノブイリ博物館・福島展、未だ続行中

 ウクライナから帰ってきて1週間経過した。いつもは行ったら行きっぱなしで映像整理はもちろん写真整理もままならなうちに日々の生活に突入してしまうが、新鮮なうちに可能な範囲で諸々書き残しておこうと思う。

 というわけで、まずはチェルノブイリ博物館のことから。今回の渡航目的の一つに福島展の展示のために福島県の方からお借りした展示物を持ち帰る、というのがあり、特に法螺貝は持ち運びに気を遣ったが無事持ち帰ることができた。快く持ち出しを許可していただいた福島のWさんにお礼申し上げます。

チェルノブイリ博物館福島展
チェルノブイリ博物館の入り口の福島展ポスター

 福島展は去年夏頃から今年の上旬まで展示されていたようだが、今も1階の一部のコーナーで展示が続いている。

鯉のぼりと七夕の短冊
鯉のぼりと、「東京を支えてきた福島原発の本当のことが伝わりますように」という短冊

 福島のあぶどらさん(@datechibu)やバグパイパーのかとけんさん(@katokenjiro)の写真などが今も展示中です。

二本松の提灯と鯉のぼり
天井にはまだ鯉のぼりが泳いでおり、二本松市より提供いただいた提灯もぶら下がっております

 今の1階のメインテーマはチェルノブイリ周辺の野生生物で、剥製や写真、様々な地図や説明などが展示されている。

チェルノブイリ原発周辺の野生生物の放射能汚染地図
1996年10月1日時点のチェルノブイリ原発周辺の野生生物の放射能汚染地図

 上は事故から10年後の動物の汚染マップで、30000Bq/kgを超える生物がいたことがわかる。

チェルノブイリ立入禁止区域
チェルノブイリ立入禁止区域はルクセンブルク一国分の面積に当たるのだとか

 いつものように、ウクライナの子供たちがチェルノブイリ博物館に課外学習に来ていた。

チェルノブイリ博物館での課外学習
チェルノブイリ博物館に課外学習に来る子どもたち。手前は我が息子をあやすアンナさんw

 この柱の写真はアンナ・コロレフスカ副館長が特にこだわった写真で、木に結びつけたリボンを見つめる女性の写真。

リボンを見つめる女性
リボンを見つめる女性

 種明かしをしてしまうと、この女性はとある行政長の奥様でリボンで風向きを調べているのだが、見るものに問いかける何かがあるとのことで、この柱のこの位置に展示されることになった。この写真は博物館入口からは見えない位置にあり、ひと通り一階の展示物を見ても気づかずに二階に行ってしまうことが多いようで、階段から降りてきたときに初めてこの写真を目にすることになるのだという。階段から降りてきた来館者はここで初めてこの写真を見て、「これはなんだろう?」と思いを巡らせることになる、という仕掛け。

 この建物は元々博物館にするために設計されたわけではなく、ずいぶんと「らしくない」空間だったりするが、その中で来館者がどのように行動するか、その動線を知り尽くしている方ならでは配置の妙で、うならされたのだった。というか、鯉のぼりが天井を泳いでいるのを見た時も度肝を抜かれたが。

 チェルノブイリ博物館では音声ガイドも用意され、日本語のもありますので、訪問された際は是非どうぞ。(というか、イタリア語のとか前見たときより増えてるし!)

チェルノブイリ博物館・音声ガイド
チェルノブイリ博物館・音声ガイド(英日ロウ独伊仏語に対応)

チェルノブイリという言葉が使用禁止に!?

 「ベラルーシでチェルノブイリという言葉が使用禁止になった、という話があるけど、本当?」という質問を受け、そういう話は聞いたことがなかったので、ロシア語検索サイトなどで少し調べてみたのだが、そういう情報は見つけられなかった。

 その後、ふと思い立って日本語で検索してみると、IWJのサイトで以下のような記述があるのを見つけた。

質疑応答では、ルカシェンコ大統領(1994年7月就任)の独裁政権下にある、ベラルーシの現状が伝えられた。大統領は「チェルノブイリは終わった。もう、放射能はない」と発言し、「チェルノブイリ」という言葉の使用を禁止。そのため、「チェルノブイリの子どもたち」という団体名を、ベラルーシ国内向けに「子どもたちの喜びのために」と変更したという。

 また、FoE Japanスタッフブログにも以下の様な記述があり、ベラルーシの方の日本国内での講演からそうした話が広がったと推測される。

驚くべきことに、2014年に入って、政府の方針で「チェルノブイリ」という言葉の使用が禁止され、財団の名前も急遽「子どもたちの喜びのために」へと3月に変更したとのこと。ベラルーシでは、チェルノブイリについてこのように講演したりすることはできず、4月26日に少し語られる程度だ、とのこと。

 ただし、「チェルノブイリ」という言葉自体が禁止される、というのは、さすがにないだろうと思って、ベラルーシ政府のサイトを訪れてみると、当然ながら、チェルノブイリという言葉は使われているし、ベラルーシ非常事態省のチェルノブイリ原発事故被害対策局のサイトも閉鎖されてはいない。

 ちなみに、そのサイトの現在の新着トップ記事は日本政府による草の根支援による超音波診断装置提供に関する記事だった。これは、外務省サイトに出てる「モズィリ市病院医療機材改善計画」のことだろう。

モズィリ市の中心広場
(※モズィリ市の中心広場)

 冒頭の話に戻ると、「チェルノブイリという言葉が使えない」というのは、財団名に「チェルノブイリ」という言葉を使うな、という話なのではないか、と思うのだがどうだろう。

 先のサイトにはさらにこのような記述がある。

独裁政権が続くベラルーシでは、ルカシェンコ大統領が『チェルノブイリは終わった』と宣言したことから、海外からの公的な支援が受けられなくなったという。

 実際、ルカシェンコ大統領はチェルノブイリという言葉が醸し出すネガティブなイメージの除去に努めようとしているようで、例えば、2008年のだが「ルカシェンコはチェルノブイリのせいで国のイメージを損なうから、という理由で(保養目的の)ベラルーシの子どもたちのヨーロッパ渡航を禁止した」という表題の記事(ロシア語)があった。

 海外からの公的支援については、ベラルーシ政府サイトの草の根支援についての記事に「チェルノブイリ原発事故の影響を最も受けたゴメリ州にとりわけ注意を払う」とあるように、まだこうした支援が完全に閉ざされているわけではないようだが、ベラルーシで被災者支援をされている方に聞くと、依然として外国からの支援が簡単ではない国であり続けているようだ。「2014年から」という発言があったようなので、最近さらに何かより困難になるようなことがあったのかもしれない。

 さらにいうと、チェルノブイリ被災地域の子供たちの問題の根本原因のひとつにその親世代や地域全体の貧困の問題があり、チェルノブイリ原発事故に起因する問題の解決に特化していたプログラムをそうした貧困問題解決のためにより包括的なものとするために名称を変更する、という場合もあるようである。ただし、今回のは海外の支援団体に関するものなので、また別の話なのかもしれない。

 というわけで、「チェルノブイリという言葉が使用禁止になった」わけではないが、依然として、ベラルーシでのチェルノブイリ被災者支援は困難な状況が続いている、ということが確認できた、ということで。

モズィリ市のホテル「プリピャチ」
(※モズィリ市のホテル「プリピャチ」)