「身辺雑記」カテゴリーアーカイブ

ゴールデンウィークに滋賀南部にある希望が丘に行ってきた

 今年のゴールデンウィークはしなくてはいけないことはちょっと脇に置いておいて(おい)、滋賀南部にある希望が丘に子供を連れて行ってきた。希望が丘とは、簡単にいうと、だだっ広い芝生ランドが広がる主に家族連れが集う公園、ってことになるのだろうが、森の中のアスレチックやグラウンドゴルフ他、テニスコートや野球場、サッカー場などの様々なスポーツ施設も充実していて、休日は学生や社会人スポーツを楽しむ人たちで賑わうところだ。

 希望が丘には子供の時から何度も行っていて、それなりに覚えているつもりだったが、大人になってからは一度も行ったことがなく、久々に訪れてみて、例えば屋外トランポリンの位置や感じなどが記憶と全然違っており、自分の忘れっぷりにちょっと驚いたが、それでも滞在するうちにいろいろと記憶が蘇ってきて、多分大人になってから一度も思い出したことのない記憶もズラズラと芋づる式に出てきて、それもまた個人的に興味深かった。チェルノブイリ被災者の話で子供時代の記憶のことを話される方が時々おられるが、やはり子供の時の記憶というのはそうそう忘れるものではないらしい。

 ただ、子供の時にはなかったようなのも結構あり、時代に応じた変化はあるようだ。ここは駐車料金さえ払えば、施設を利用しない限り、ほとんどお金はかからないところなので、これから滋賀南部に住むなら時々は訪れたいところ。以下、写真をいくつか。(複数回訪れたので、快晴の日のとくもりの日の写真が混在しております)

希望が丘の南口の駐車場。西口は一杯だが、アクセスの悪い南口はガラガラだった。ゴールデンウィーク中の平日、ということもあったが。月曜は駐車料金半額なのでちょっとお得。
希望が丘の南口の駐車場。西口は一杯だが、アクセスの悪い南口はガラガラだった。ゴールデンウィーク中の平日、ということもあったが。月曜は駐車料金半額なのでちょっとお得。
希望が丘文化公園・全体案内図。敷地としては相当広く、子連れで端から端まで歩くのはちょっと無理。
希望が丘文化公園・全体案内図。敷地としては相当広く、子連れで端から端まで歩くのはちょっと無理。
木製パネルの動物園
木製パネルの動物園
ドラえもんでお馴染みの土管が転がる広場
ドラえもんでお馴染みの土管が転がる広場
希望が丘への道にかかる橋。背景には三上山
希望が丘への道にかかる橋。背景には三上山
2歳の子供でも歩けるハイキングコース
2歳の子供でも歩ける初級ハイキングコース
ハイキングコース出口
ハイキングコース出口にはなぜか柵があった
花緑公園にあった謎の丸太ベンチの広場
花緑公園にあった謎の丸太ベンチの広場
花緑公園のツツジ。5月ということできれいに咲いていた
花緑公園のツツジ。5月ということできれいに咲いていた
花緑公園の藤棚。藤は6月の花というイメージだが、5月初旬で結構咲くんやな。桜同様例年より早め?
花緑公園の藤棚。藤は6月の花というイメージだが、5月初旬で結構咲くんやな。桜同様例年より早め?
花緑公園の錦鯉。餌は100円で売っているが、行った時は自作の餌を持ってきて与えていた子連れのパパがいた
花緑公園の錦鯉。餌は100円で売っているが、行った時は自作の餌を持ってきて与えていた子連れのパパがいた

2016年5月9日の身辺雑記

 諸事情によりしばらく子供と会えない状態となった。

 最寄りの駅まで妻子を送り、いつもだったら、そこでサヨナラするところ、今日は電車がギリギリになってしまい、子供を抱きかかえてホームまで連れて行き、電車に飛び乗った妻子を見送ることになった。(いや、駆け込み乗車はしてなくて、一応、間に合ったんですけどね)

 こういう時、子供は割りとあっさりしていることが多かったのだが、今日は違った。こちらは普段のようなあっさりした別れを想定していたので、ホームから電車の中の子供に笑いかけながら手を振っていたのだが、子供の表情はといえば、泣くでもなく、笑うでもなく、感情を内に押し込めたような、2歳の子供としてはあまりに複雑な表情をしながら、こちらを凝視しており、電車が動き出しても、こちらから目を離そうとはせずに、ずっとこちらを見つめ続けていた。その目は切実に私を求めている目で、あのような目で誰かに見られたことは、40数年生きてきたが、なかったのではないかと思う。こみ上げるものを抑えきれず、私は思わず泣いてしまった。(書いてて思い出して、また泣いてもうた・・・)

 今までにも何度か私と長期間離れることがあったが、こんな感じになることはなかった。最近、いろいろと分かり始めてきたようで、何かにつけ、以心伝心ではないが、心が通じあっている感があって、お互い笑い合ったりすることがあったが、こういう風になるとは実際にそうなってみるまでわからなかった。

 子供には適応力があり、最初の数日はともかく、その後は案外ケロっとしているものとも思っているが、こちらがこんなにつらい感じになるんだから、子供が感じている辛さがどの程度なのか、ちょっと想像できない。

 福島から関西に母子避難された方が、福島から会いに来た夫を見送る時が一番つらく、子どもたちはもちろん夫婦どちらもいつも泣いていた、とおっしゃっていたが、こんな感情を毎回味わっておられたのか、と思ったりもした。

 永の別れ、というわけでもないはずなのだが、「別れ」についてふとこんな言葉を思い出した。

僕らが一生通じてさがし求めるものは、たぶんこれなのだ、ただこれだけなのだ。つまり生命の実感を味わうための身を切るような悲しみ。

※セリーヌ著『夜の果ての旅』(生田耕作訳)より引用

 ちょっと変わった親の元に生まれついてしまったため、あまり普通の子が経験しないようなことを今後も経験していくだろうし、年齢に相応しくない悲しみを感じることもあるかもしれないが、強く生きていって欲しいと思う。

本日の身辺雑記

 久々のエントリー。子供が寝ている間に少し。

 このところ、家庭内でいろいろあって、ブログどころではなくなっているのだが、少し事態に落ち着き(?)が見られるようになったといってよいのかどうか。ともかく、時間というのだけは過ぎていくので、この間に子供は着実に年を重ね、2歳の誕生日を迎えた。

 保育園に行きだした影響からなのか、言葉の爆発、というほどではないが、物を指差してその名前を言ったり、こちらの言葉をオウム返しに繰り返したりできるようになった。「リ」で始まって、「ン」で終わる言葉なんかが飛び交っていたときに、その言葉を真似て話したりして、親を戸惑わせたりもして、そういう戸惑いを見せると余計に喜んで繰り返すので、子供というのはなるほど容赦しないものだと思う今日この頃である。

 誰に習ったのか、私の顔を平手打ちしたりし始めたので、さすがにこれはあかんやつ、というわけで、昔、この家で躾として行われていた「蔵に閉じ込める」というのを現代風にアレンジし、こちらが部屋に閉じ込もって、私の部屋に入ってこれないようにする、というのをやってみたら、部屋の前で数分泣き続けたので、まあこの辺でやめてやろうと、入れてやるとしおらしくなった。その後、平手打ちすることはないので、子供ながらに理解したのだろうと思いたい。

 ちなみに、私の部屋には自由に子供が入ってこれるようにしていて、私が自分の部屋でパソコンに向かっているときに、絵本読んでくれ~、とか、遊んでくれ~、って感じで邪魔しにやってくることが多い。そんなわけでいろんなToDoが全然進まず、確定申告もやっと入力・計算が終わったところで、あともう一息というところ。今年も所得税の2.1%分の「復興支援」名目の税も取られているが、こちらによると、2038年まで継続するようで。先日、今中さんが飯舘の除染は環境破壊となっており、もっと有意義に使うべきだと言われていたが、先の戦争でもそうだが、走り始めるともう誰も止められないこのシステムの暴走は何とかならんもんだろうか。

 子供の話に戻ると、このところ、少しずついろいろな名前を言えるようになっていて、街中で救急車を見て「キュキュシャ」と言ったりするようになったが、消防車やパトカーを見ても「キュキュシャ」というので、あの3つはセットで頭に入っているようだ。魚は「カカナ」と言っていて、まだサ行で始まる言葉はうまく言えないらしい。イルカのぬいぐるみを見ても「カカナ」というが、これはまあしゃあないかなと。

 そろそろトイレトレーニングを始めようとして、おまるに座らせてみたりしたが、まだうまく出来ない。ウンチが出るとだいたい教えてくれるが、オシッコはまだなので、時々オムツの状態を確認して、一定間隔は溜めておけるようになっているか確認してみるといい、と保育士に言われたところで、ボチボチやってみようかというところ。

 最近、食事やおやつのとき、親にもシェアしてくれるようになった。どういう動機付けなんかようわからんが、親の真似をしてる、ということなのだろうか。あるいは、保育園での生活の中でそういうやり取りがあるのかもしれない。

 親の真似でいえば、寝る前に布団に入ろうとすると、部屋を出て行って、とある月刊誌を取りに行くようになってしまった。要するに寝る前に私がその月刊誌を寝転んで読んでいたことが何度かあって、それを真似ているようである。仰向けになって、2歳の子供がやや固めの月刊誌を読んでいる様は微笑ましいが、自分のだらしない姿を見せつけられているようで、子供の前では寝ながらの読書はやめておこうと思っているが、長年しみついた習慣なんで、ついやってしまう。

 今日は近くの駅でSLが走るイベントがあり、行ってきたのだが、待合室にプラレール・コーナーが出来ていて、小さな子供たちが押し合いへし合いしながら、列車を走らせていた。我が家では、際限なく増殖するのが怖いので、まだプラレールは導入していないのだが、うちの子供にも触らせてみたところ、自走する牽引車が理解しきれてないようで、プラレールの遊び方が分かってなくて、他の子が作ってる橋を何度か壊したりしてしまった。幸い、その子は小学校低学年ぐらいの子で、その子とはトラブルに発展することはなく、その親御さんも「小さな子のすることなので我慢しなさい」的なことを言ってくださったのだが、こういう場合、親はどこまで介入するものなのか、まだ距離感がよくわからない。基本的には子供同士の解決に任せつつ、必要に応じて介入する、ぐらいでよいのではないかと思うのだが、最近は親が積極的に介入するのをよしとする風潮があるのかもしれないので、様子見しつつの対応となるだろう。あんまり空気読まない(読めない)方なんで、他の親御さんからはちょっと放任気味に見えるかもしれんなぁ、などと思いつつ。

 この春に引越しを考えていたが、いろいろあって、もう少しいることになりそう。家族の事情を考えると早めに動きたいところだが、仕事の都合その他で、そのように決めた。ただ、今年度中には移動することにはなるだろうと思うので、新しい生活に適応できるように諸々準備を進めたいと思っている。

サクシードのドアミラー(サイドミラー)を交換

 先日、考え事をしていたためか、保育園に行ってから、子ども用の荷物(着替えや紙オムツ、食事セットなどなどを詰めあわせたカバン)を忘れてきたのに気づき、職場にも遅刻決定で、慌てて引き返そうとしたのだろう、安全確認が不十分で保育園の敷地内で雨樋にドアミラー(サイドミラー)をぶつけてしまい、雨樋には傷がつき、ドアミラーは壊れてしまった。

 ドアミラーは電気コード一本でブラブラしている状態になってしまい、とりあえず、ガムテープで固定して応急処置を施したのだが、交換費用がどれほどかかるのか改めてググると取り付け料など含め数万円はかかる、などという話も出てきて、頭を抱えてしまった。車のパーツ取り換えなど自分でやったことはないのだが、ブレーキやエンジンまわりなど、車の基本機能でない部分であり、自分でも出来るのではないか、とさらにググると、もしかしたらできるんかも、と思える情報も出てきて、まずは中古でドアミラーだけを買って、もし自分で出来なければ、業者に取付だけ依頼すればいいや、と思って、注文して、昨日、モノが届いたのだった。

 サクシード用なのにプロボックス用のだったため、密かに適合しているか、色があっているか心配していたが、型番などは全く同じで、問題なさそうだった。車種は違うが、こういう部分は共有しているようだ。

 車両保険には入っていないので、こういうのは保険適用にならないため、自分でなんとかしなくてはならないのだが、このように他人の所有物にぶつけてしまったのは初めてかも知れない。今まで一応、自動車では無事故無検挙を続けてきたのだが、これでその記録が途絶えたということになってしまいそうだ(泣。

 以下、交換時の様子をざっと置いておきます。詳しい人なら、これぐらいなんてことはないのだろうけど、当方、車の素人であり、ナットを外すためにドアの内カバーをこじ開けるのにちょっと時間がかかり、トータルで30分ぐらいはかかってしまった。でも、これぐらいなら何とかなる、ということで。

1)ガムテで応急処置を施した【サクシード・ドアミラー】
1)ガムテで応急処置を施した【サクシード・ドアミラー】
2)内側のカバーを外した【サクシード・ドアミラー】
2)内側のカバーを外した【サクシード・ドアミラー】
3)ナットを外すにはカバーを少しこじ開ける必要あり【サクシード・ドアミラー】
3)ナットを外すにはカバーを少しこじ開ける必要あり【サクシード・ドアミラー】
4)奥のソケットにコードをはめ込む【サクシード・ドアミラー】
4)奥のソケットにコードをはめ込む【サクシード・ドアミラー】
5)同じ型番【サクシード・ドアミラー】
5)同じ型番【サクシード・ドアミラー】
6)カバーを元に戻す【サクシード・ドアミラー】
6)カバーを元に戻す【サクシード・ドアミラー】
7)取り付け完了【サクシード・ドアミラー】
7)取り付け完了【サクシード・ドアミラー】

環状交差点「ラウンドアバウト」について ~日本でラウンドアバウトは普及するか~

 ツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアなど、ヨーロッパの自転車レースを好んで見ていた時期がある。その時にしょっちゅう出てきたのが、ラウンドアバウト交差点。自転車レースでは道路を封鎖して対向車線側も通れるようになるので、集団が左右二手に分かれてラウンドアバウトを流れるように通り過ぎる様子はなかなかな見もので、あれを見る度、ああヨーロッパの道はいいなぁ、と思ったりしていたのだった。

 日本でもラウンドアバウトの普及が始まりだしたところで、少しずつ設置が進められている。私も国内で小さなラウンドアバウトに遭遇したことがあり、最初は戸惑ったが、特に問題なく通過できた。慣れない人が遭遇したとしても、十分に減速し、回る方向さえ間違えなければ、まず事故は起こらないだろうと思う。

 さて、今回、ヨーロッパでレンタカーで動いてみてまず感じたのは、ラウンドアバウトの多さだった。街中でも郊外でも、多くの交差点がラウンドアバウトになっていて、次から次へと遭遇する、という印象で、当初は慣れるかどうか心配していたが、嫌でも慣れることになる。一時停止の必要はないが、減速せざるを得ないので、スピードが出たまま出会い頭に事故になる危険性は低く、車が来るわけでもないのに信号待ちしなくてはならない場合もある通常の交差点と比べるとほとんど待つ必要がなく、なるほど効率のよいシステムだと思えるようになる。

 一般的なラウンドアバウトの説明やメリット・デメリットは、例えば、日本でも開始!環状交差点、ラウンドアバウトの3つのメリットや、新たな道路空間の創造 ~ラウンドアバウト~などを参照してもらうとして、私が感じたことをあげていくと、まずメリットはやはり、無駄な信号待ちがないことで交通の円滑が図られることがあげられる。また、信号機がいらないから一度建設すれば、維持コストもかからず、従って信号利権の温床にもならないし、減速するので事故も減る、などなどいいことずくめに思えるほど。デメリットは先のページでも指摘されているが、交差点に入るタイミングでどの車も必ず減速することになるため、渋滞の源となることや、交差点に通常の十字路以上の敷地が必要となることなどがあげられる。

 今回特に思ったのは、日本で建設する場合、ラウンドアバウト用の敷地の確保が困難なのではないか、ということで、周りが田畑という交差点ならともかく、街中だと交差点に隣接する建物や敷地を削る必要があり、今後大規模に日本の交差点をラウンドアバウトに付け替えていく、というのは、近い将来は実現困難ではないか、と思える。

 私の住む地域のような過疎地域だと、見通しの良い田んぼの真ん中に無駄に信号のある交差点がいくつもあるようなところがあって、そういうところにはどんどん設置していって欲しいところだが、街中の右折レーンすら設けられないような狭い交差点なんかだとちょっと無理だろう。ただ、今後バイパスを建設する際には今すぐは無理だったとしても、将来的にラウンドアバウト化することを考慮に入れて道路設計してほしいと思う。デメリットもあり、日本で導入する場合、そのデメリットは無視し得ないレベルのものとなるが、それでも、全体としてプラスマイナスを考えると、プラスになるように思えるので。

バルセロナ・スペイン広場のラウンドアバウト
バルセロナ・スペイン広場のラウンドアバウト

 写真はバルセロナのスペイン広場の大規模ラウンドアバウト。こういうところでは信号機がついている。この広場を何度か横切ったが、確かに交差点をただ横切りたいだけなのにぐるっと回らなくてはならない、というのは、歩行距離が無駄に増えるので、歩行者的にはデメリットといえるかもしれない。車目線では導入に乗り気になってしまうが、歩行者や自転車目線だとやはり車が主用途のシステムのように見えるってことになるのかも。