過剰人口対策としてブラジルに渡った日系移民と移民について思うこと

 リオ・オリンピックが閉会したが、開会式で七十一年前に広島に原爆が投下された時間帯に、日系移民を題材にした演出があった。私の住む地域にも日系ブラジル人が多く在住しており、休日にショッピングセンターに行くとよく出くわすのだが、改めて、なぜ彼らのルーツである日本人たちが遠いブラジルに移民したのか、満州移民については残留孤児の問題が発生したこともあり、なんとなく歴史的背景なども知ってはいるが、ブラジル移民について、その理由まであまり気にしたことはなかったように思う。

 『日本の少子化 百年の迷走』という本をちまちまと読んでいるのだが、この本に当時の移民事情が記述されている。ブラジル移民全般に関しては国会図書館のブラジル移民の100年というサイトなどを見てもらうとして、本書のブラジル移民に関する部分を簡単に要約すると、明治期に急激に人口が膨張する中、1918年に米騒動が発生、人口過剰と食糧不足を国民に印象づける結果となった。海外に活路を見い出すが、白人優位社会を揺るがす日本を欧米列強は警戒、1924年にはアメリカで排日移民法が施行され、日本人のアメリカへの移民が全面的に禁止された。その動きはオーストラリアやカナダにも広がったが、そんな中、ブラジルが数少ない「希望の大地」となった。しかし、「ブラジルへの移民事業は人口問題解決にとっては焼け石に水でしかなく」(p35)、1930年ブラジル政府は日本人以外の移民を制限、さらに1934年には日本人移民にも制限を課すようになった。その後、満州移民が奨励され始めるのだが、ブラジルへの移民は一時期、国を挙げての一大事業となっていた。

 というわけで、ブラジルへの移民は「過剰人口対策」としての一面が大きかったようなのだが、今や事態は逆で、ブラジルからの「移民」を日本が受け入れている格好となっていて、日系ブラジル人は一時期その多くが帰国したが、最近また増え始めているらしい。

 移民については、日本は頑なに門戸を閉ざしており、インドネシアなどからの看護師受け入れについても日本語の壁などがあってうまくいっていないと聞いているが、実際のところ、技能実習生という形や最近ではフィリピンからの家政婦という形など様々な形で受け入れているのが実情のようだ。

 私は2000年代初頭に中国旅行からの帰りにフェリーに乗ったのだが、多くの「実習生」と乗り合わせることになった。全員女性で若い女性が多かったが、子連れの女性もいて、その子はみんなのアイドルのようになっていた。皆、日本語はほとんど話せなかったが、最初の挨拶を空で暗記していて、私達日本人の前で暗唱してみせたりするなど、和やかな雰囲気がフェリー内にはあった。

 驚いたのは、日本のフェリーから下船してすぐのところに大きなナイロン袋を抱えて待ち構えていた中国人女性がいて、実習生が来るたびにパスポートを没収し、雑にナイロン袋に放り込んでいく姿だった。いかにもな感じの、というか、はっきり言えば、ヤクザ風の日本人男性と日本語が話せる中国人女性の組み合わせの業者の話す内容から、彼女たちがほとんどモノ扱いにされていて、船内で和やかだった雰囲気が一変したのだった。

 船内でよく日中を行き来している事情に通じた方がいて、その方の話を聞くに、事実上、安い労働者を求めてこの制度を利用していることは明らかだった。

 このようにいびつな形で受け入れるのはよくないし、20世紀初頭の日本人移民制限は屈辱と受け取られ、反米感情が育っていったように、日本嫌いを増やすばかりなのではないか。少し前から実習生問題がクローズアップされ始めていて、彼らの失踪問題なども報道されているが、今も基本的な部分に変わりはなく、安い労働力として企業側から期待されているようだ。

 閉塞感が漂う日本社会を活性化させる移民受け入れについて、私は基本的には賛成の立場だが、その負の側面についての懸念があるため、移民歓迎ムードは日本社会にはまったくといっていいほど見られない。しかし、少子化対策に失敗した日本が今後の超高齢化社会を生き抜くためには、もう移民受け入れ以外に道はないのではないかと私は思ったりする。

 このまま衰退していく、というのもアリとは思うが、歪はいつも弱いところに来るわけで、今後、ますます社会がギスギスしたものになっていく懸念がある。大都市でのコンビニで外国人に対応してもらうのにみんな慣れたわけで、徐々に日本社会も移民への心理的抵抗は少なくなっているんじゃないかと思ったりするのだが、どうだろう。日本の場合、中国人移民の大量受け入れ、という問題に直面する可能性があるだろうから、なかなか簡単ではないが、移民の多くが良くも悪くもジャパナイズされるんじゃないだろうか。

 問題は数としては少数でも日本社会に憎しみをもってしまった人への対策、ということになると思うが、このあたり、それこそ、持ち前の「おもてなし」精神でそれなりにうまく日本社会は切り抜けるように思うのだが。楽観的すぎる、と思われるだろうが、私はそんな風に思う。