2018年3月21日の身辺雑記

 3月も半ばが過ぎた。仕事して育児家事やっての日々で余裕がなくブログ更新などしてられんのであるが、思いつくままに身辺雑記などを書いてみる。

 先月末に上の子が4歳になった。「もう4歳なんだから」ということでいろいろと仕向けているのだが、今のところ、本人もその気になっていて、もう4歳だから○○する、ということをたまに言ったりするようになってきた。犬を怖がっていたのだが、もう怖くない、と言い出したので、理由を聞くと「もう4歳だから」とのこと。

 3歳と4歳というのもかなり大きく違いがあるようで、4歳にもなると話が通じない、ということがほぼないので、変にぐずることもまだまだあるが、概ね原因・理由が話の中から推測できることが多いので、そういう面ではとても楽になった。

 「3歳までは母親が家庭で育てるべき」という「3歳児神話」というのがあるが、多分、母親に限定してるところ以外は今も有効なんではないかなと思ったり。うちは1歳代のうちから保育園にやったが、出来る範囲で一緒にいる時間を増やすように努めてきたつもりで、今のところ、親バカではあるが、いい感じに育っているように思う。4歳になり、それなりに社会性を身に着け始めているようで、今行っているところでも友達と楽しく過ごしてるようだ。

 下の子は8ヶ月になり、ハイハイのようなものを始めてるなぁ、と思ったら、もうつかまり立ちをし始めた。動ける範囲が増えて、チラシだのレジ袋だの、何でも手近なものに関心を示して、とにかく触って確かめたい欲求が増している。上の子のおもちゃも手にとって、ガンガンと床に打ち付けたりするので、上の子は嫌がっているのだが、しょうがないやっちゃなぁ、という感じで付き合っている感じがおもろい。マジギレ気味になることがないわけではないが、やはり年が3歳以上離れているのが大きいのか、あやしたりしてくれることもあるので、結構助かっている。

 一時期フランス語の勉強をしていたが、全然伸びないので、ちょっと停止して、英語の勉強を再開したところ。英語の勉強は大学受験期以外では、30歳を過ぎたあたりでかなり本格的に時間をかけてやったことがあるが、それ以来、人生で三回目になるだろうか。昔使った教材の復習からやっているが、かなり忘れていてなかなかに衝撃的。何となく覚えているのも結構あり、まずは以前のレベルまで戻すところからかな、というところ。当時使っていたDUO 3.0という教材があるのだが、今でもバージョン3.0のまま英語教材の定番であり続けているのが興味深い(今アマゾンランクを確認すると138位となってて化物級の教材だ)。確かにこの教材は例文が上手に作ってあって、全般的にセンスがよく、今、やり直してても十分使い物になる教材だなぁと感心している。

 以前だとアウトプットはどうしても英会話教室に行かなくてはいけなかったのだが、今では格安オンライン英会話が一般化していてそろそろそういうのもやり始めようかな、と思い始めているところ。語学習得は話すだけでなく、書くことも重要なので、添削もしてくれるサイトも使ってみようかな、などといろいろ調べてる。

 今後、こうしたブログも勉強がてら英語でまず書いて、日本語に機械翻訳して、それを適当に訂正するとかできないかなと思っているのだが、日本語だけでも書けていないのに、英語というとさらに大変だし、日本語を直すところまでなんて、ちょっと継続してできるかは心許ない。

 国外脱出を企んでいるが、やはり語学力がそれなりのレベルでないと始まらないので、今の空き時間の半分は語学学習に費やしているかも。元々語学が得意ではないという自己認識があるのに、外国語大学に行ってしまって、今もこうしてムダに(?)語学学習に時間とお金をつぎ込んでいて、我ながらアホちゃうかと思わないでもないが、この全然思うように上達しない感じは嫌いではない。

 そんなわけで国内政治が揺れている今日この頃、なんだかんだで強い関心を示さざるを得ないところだが、ちょっと覚めた目で見ている部分が私にはある。もちろん、私は今回の騒動の大元は安倍首相のこれまでの方向付け、こうした忖度をさせる土壌を育んできたその性向にあると思っているし、「私と私の妻が関わっていることがわかったら首相も議員も辞める」という無駄に強い言葉を使ったことが改竄の背景にあるとも思うので、安倍首相は支持率とかはともかく自ら落とし前をつけるべきだと考えるが、安倍首相の進退いかんにかかわらず、今後も日本は停滞したまま、世界の趨勢から離れていって、衰退の道を確固としたものにしていくのだろうと考えたりしている。

 私は今の日本社会の有り様にほとほと嫌気がさしている。何度もこのブログで書いてきたが、戦後日本の社会が上向きだった時代を生きてきた世代が実権を握っているうちはもう何をしようとしてもダメで、私よりちょい下のロスジェネ世代が実権を握る時代までこんな感じでどんどん衰退していくことになるだろうという諦観がある。

 ただ、あるタイミングで一気にどっと振り子が大きく動くのが日本社会の特質でもあり、そういう意味では楽観的でもある。ただ、それがいつ来るかについて私は少々心もとなく、まだまだゆっくりと衰退していく可能性が高いため、子どもの将来を考えると、やはり脱出準備だけはしておこうと思う。私は日本に嫌気がさしているとはいえ、外国で外国人が生きていくのが大変であることを多少は見聞しているので、必ずや日本に戻りたくなることはわかりきっているのだけれども、動けるうちは留まるよりも動く方を選びたい。出戻り上等。別に日本を捨てるわけでもなく、死ぬまで日本とは関わっていくことになるだろうし、あまり悲壮にならないように注意しよう。