「学童集団疎開」とその諸問題。(4) まとめ

(つづき)

 引き続き、「学童集団疎開」を読んでの感想文です。

    「学童集団疎開」とその諸問題。(1) いじめについて
    「学童集団疎開」とその諸問題。(2)農村と都会の人間性の違い
    「学童集団疎開」とその諸問題。(3)襲いかかる様々な困難

 最近、あまり読書が出来ないためか、久々に本を読んで蒙が啓かれた気がして、一つの本で3つもエントリーを書いてしまったが、最後にざっくりまとめておきます。

 今という時代に学童集団疎開が可能かどうか、という問題意識を持ちつつ読んだが、著者が繰り返し述べているように「家庭あっての子どもの生活」なのであり、家庭から引き離されて、終わりが見えない中で子供だけで避難生活を継続するのは大変困難だろう、という印象を持った。また、子どもは避難させるが、大人はそのままそこで生活する、というのも、よくよく考えると理不尽な面があるように思える。学童集団疎開を実施するのであれば、精神的影響を考慮して、地域まるごと移住の方がよほどよい、ということになるのではないか。地域まるごと移住は、大人にとっても都合がよく、地域内であれば、人間関係ができているし、それぞれどういう点に注意すべきかについて、ある程度、お互い分かり合っているというのが大きく、もし人間関係を損なうような出来事があっても、双方を知る関係者の仲裁が期待できるので、大きな問題にはならないはずなので。

 チェルノブイリ原発事故の時もキエフで子どもの集団疎開が実施されたが、ソ連の場合、もともとサナトリウムなどで保養する文化がある上に、ソ連版ボーイスカウト(ガールスカウト)のピオネールの伝統もあり、子どもたちが集団で生活するのに慣れていた、という面があったため、比較的スムーズにいったのではないか。期間も3ヶ月程度と1年以上に亘った日本の戦時中の学童疎開に比べると短く、また、その期間はちょうど春から夏にかけてであり、子どもたちが過ごす季節としては良い季節だった、ということもあるように思う。

 原発事故では初期被ばくを抑える、という意味で出来るだけ早く避難を実施するべきなのであるが、チェルノブイリの場合も、実際のところ、集団疎開が実行されたのは、初期被ばくを相当に受けてからだった(一説によると、疎開前に75%被ばくを受けてしまっていて、疎開することで防げたのは25%程度だった、という話もあったような)。再稼働に向けて、様々な動きがある中、今一度、事故が起きたときにありえる出来事をリアルに想像し、どのようにして被ばくを防ぐのか、再稼働を認めない、というスタンスであっても、再稼働賛成側であっても、被ばくを出来るだけ少なくしたいという思いは同じはずで、思考停止状態に陥ることのないよう、常に思いを巡らせ続けておかないといけない、と改めて思ったことだった。


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