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なぜトランプは演説の最後にローリング・ストーンズの名曲「無情の世界(You Can’t Always Get What You Want)」を流すのか

 ”You Can’t Always Get What You Want”(欲しいものがいつも手に入るとは限らない)の印象的なフレーズが繰り返される、ストーンズの名曲をトランプ陣営は演説の締めで流している。ストーンズ側は使用許可を出してないし、使うなと述べているが、トランプ陣営はお構いなしに今回も使った。

 ミック・ジャガーはツイッターで「この曲を就任式で歌ってくれって言われるんとちゃうか」と皮肉を述べている。

 しかし、この曲、トランプ的な人がチョイスする曲としてはちょっと奇妙だ。共和党好みの曲としてはスプリングスティーンの「Born in the USA」が有名だが、こうした場面ではこの曲のようにみんながハイになるような、ノリノリの曲を流すものだと思うのだが。

 ざっと検索したところ、日本語記事で解説したサイトを見つけられなかったので、ちょっと考えてみたのだが、おそらく、曲調よりも歌詞の方を重視してチョイスされたのではないか。そして、結果として、荘厳さすら感じられるこの曲調も悪くない、と判断したのではないか。

 「欲しいものはたいてい手に入らない」と何度も何度も繰り返す曲だが、重要なのは、このリフレインのあとに” But if you try sometimes well you just might find. You get what you need.”(でも、やってるうちに、手に入ることがあるかもね)という一文があること。曲名は「無情の世界」だが、最後に希望が述べられていて、トランプ支持者が日常感じている閉塞状況が打破されるイメージを醸すのにちょうどいい、ということになる。

 この曲には血なまぐさいイメージを醸し出す部分があって、女性がワイングラスを持ってるがその中に血まみれの男がいて、彼女はごまかす技術に長けてるがその手が血塗られてるのを俺は知っている、みたいな歌詞がある。この状況でこの女性がヒラリー・クリントンでなければ誰なんだ、という話で、この曲を聞かされる人はクリントンへの忌避意識が増幅される仕掛けになっている、ということかもしれない。

 ここで英語記事を少し調べたところ、ガーディアン紙がHow You Can’t Always Get What You Want became Donald Trump’s bizarre theme songという記事を出しているが、理由ははっきりしない。むしろ、私はこちらの記事の「たまたまプレイリストにあった曲だった」説が意外と当たってたりするんじゃないか、と思った。トランプ陣営が非常に緻密な計算をして大統領職に上り詰めた可能性はあるだろうが、大枠の方針だけはしっかりと決めて細部はアバウトにやってるような気がする。

 ちなみに記事では「それは少なくとも”Sympathy for the Devil.”ではなかった」なんて書いてるが、さすがにこの曲を流す選択肢はなかっただろう。邦題は「悪魔を憐れむ歌」だが、これは確信犯的な誤訳だったという話があり、当時の日本の世相で「悪魔にシンパシーを感じる」なんてのはご法度でとてもそのニュアンスを含む日本語タイトル名にはできなかった、という逸話があったはず。私はこの曲が結構好きで、世界史の舞台を悪魔が飛び回り、ローマ帝国のピラトが手を洗うところやロシア革命で皇帝が殺され、アナスタシアが叫ぶところなどが描かれ、ケネディを殺したのは誰だ、お前と俺だ、みたいなちょっとドキッとする一文も入っている。そして、俺様に敬意を払わないと大変な目に会うぞ、みたいな警告を最後にぶっ放す。ゴダールの「ワン・プラス・ワン」はこの曲のレコーディング風景だが、ブライアン・ジョーンズがおかしくなり始めてる時期に撮影されていて、とても興味深い映像になっている。

 暗殺で思い出したが、WASPでない大統領は非業の死を遂げる、と言われたりして、オバマの暗殺が大変心配されていたが、無事8年間勤め上げようとしている。トランプについては、早くも暗殺ではなく、弾劾されるのでは、という憶測が出始めている。弾劾という仕組みは用意されているものの、アメリカの歴史上、一度も実行されたことがない。異例づくしのトランプ次期大統領は、この点でも異例ぶりを発揮して、弾劾される可能性は確かにありそうかもとも思いつつ。

 9月からのデスマーチで精神がやられておりましたが、こうして3日連チャンで投稿出来る程度には回復してきたようです。いろいろと動き始めようと思っておりますので、皆様よろしくです。


追記:

 こちらの記事によると、以下のようにSympathy for the Devilも使われているとのこと。Let’s spend the night togetherまで使ってるんだから、相当の確信犯ってことかもしれない。

トランプ氏の集会は最近、演説終了後にストーンズの「スタート・ミー・アップ」を流すことが定番になっており、始まる前にも「夜をぶっとばせ」「悪魔を憐(あわ)れむ歌」「無情の世界」などの曲が会場でかかっている。米メディアによると、選曲はトランプ氏自身が判断しているという。

オバマ大統領の広島スピーチを聞いて感じたこと

 オバマ大統領広島訪問のニュースを見てたら、オバマと直接話すことになった被爆者の森重昭さんが感極まったのか、涙ぐまれて(ご本人も「舞い上がっちゃって」と後におっしゃっていた)、図らずも大統領とハグすることになった。このシーンは事前に用意して出来るものではない。私もつい涙ぐんでしまった。

 そして、ニュースでのスピーチを聞き、やはり全文をちゃんと聞かんといかんな、ということで、日本語字幕付きの映像がまだ出てないようだったので、テキストの原文と日本語訳を横目に見ながら、今、聞いたところ。

 核兵器というものへの言及のために、人類の歴史が語られたりもするが、やはり、以下のようなところはオバマ大統領ならではなのではないだろうか。(以下、スピーチは朝日の全文訳より。原文はこちらなど、日本語通訳抜きの英語スピーチ映像はこちら

私たちはここに、この街の中心に立ち、原子爆弾が投下された瞬間を想像しようと努めます。目にしたものに混乱した子どもたちの恐怖を感じようとします。私たちは、声なき叫びに耳を傾けます。私たちは、あの恐ろしい戦争で、それ以前に起きた戦争で、それ以後に起きた戦争で殺されたすべての罪なき人々を思い起こします。

 アメリカの大統領が広島の当時の子供たちが感じた恐怖を追体験する言葉を述べている。こんなことはこれまでになかったことで、歴史的な演説なのだ、と思わずにいられない。

私たちは、人間の悪をなす能力をなくすことはできないかもしれません。だからこそ、国家や私たちが作り上げた同盟は、自衛の手段を持たなければなりません。しかし、私の国のように核を保有する国々は、恐怖の論理にとらわれず、核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければなりません。私の生きている間に、この目標は実現できないかもしれません。しかし、たゆまぬ努力によって、悲劇が起きる可能性は減らすことができます。

 プラハ演説の時にも「生きているうちは無理かもしれないが」と述べていたが、それでもこうして繰り返し、核兵器廃絶を訴え続けることが重要なのだ、ということを身を持って示していて、こうした部分もオバマ大統領ならではないかと思う。

すべての命は尊いという主張。私たちはたった一つの人類の一員なのだという根本的で欠かせない考え。これらが、私たち全員が伝えていかなければならない物語なのです。それが、私たちが広島を訪れる理由です。私たちが愛する人のことを考えるためです。朝起きて最初に見る私たちの子どもたちの笑顔や、食卓越しの伴侶からの優しい触れあい、親からの心安らぐ抱擁のことを考えるためです。私たちはそうしたことを思い浮かべ、71年前、同じ大切な時間がここにあったということを知ることができるのです。

 この部分は「TOMORROW 明日」を想起させるが、原爆を投下した側の国の一番の責任者がこうした言葉を述べたことは、いろんな意見はあるだろうが、やはり感動せざるをえない。これに続き、以下のように述べる。

亡くなった人たちは、私たちと変わらないのです。普通の人たちは、このことを分かっていると私は思います。普通の人はもう戦争を望んでいません。科学の驚異は人の生活を奪うのでなく、向上させることを目的にしてもらいたいと思っています。

 この部分は原爆のことを述べているのだが、私はどうしても福島やチェルノブイリ原発事故に思いを馳せてしまった。

 ところで、この「普通の人たち」というのは、ちょっと意図がうまく掴めなかったのだが、どういうことなのだろう。オリジナル・スピーチでは「Those who died, they are like us. Ordinary people understand this, I think.」となっていて、この”I think”の言い方が、なんだか原稿にないのに付け足した感があったのだがどうだろう(そんなことはまずなさそうだけど)。戦争をしてはいけない、ということが理解できない「普通じゃない」人のことが念頭に置かれているのか、それとも、核兵器なんてなくせるわけないっしょ、な現実主義者どもが念頭にあったのか。

 冒頭、被爆した日本人のみならず、朝鮮半島出身者や捕虜のアメリカ人にも言及しているのも見逃せないない点だと思った。

 最後の締めは以下の言葉。

世界はここで、永遠に変わってしまいました。しかし今日、この街の子どもたちは平和に暮らしています。なんて尊いことでしょうか。それは守り、すべての子どもたちに与える価値のあるものです。それは私たちが選ぶことのできる未来です。広島と長崎が「核戦争の夜明け」ではなく、私たちが道徳的に目覚めることの始まりとして知られるような未来なのです。

 「なんて尊いことでしょうか」というのも、とてもオバマの思いが伝わる部分だった。「道徳的な目覚めの始まり(the start of our own moral awakening)」とは、ちょっと高邁な理念だが、これもオバマらしいんじゃないだろうか。

 もちろん、優秀なスピーチライターがいらっしゃって、大枠、また、エピソードの詳細などは彼らが作っているんだろうけど、それでも、全体として、オバマ大統領の考えがしっかりと細部にまで埋め込まれている演説じゃないかと思った。

 多くの被爆一世の方々が高齢になり、自らの体験談として話せる方が少なくなってきているが、直接被害受けた方々が生きているうちにアメリカの大統領が来た、そして、それがオバマだった、ということは、幸運だったと思う。

 オバマは勇気を持って、広島を訪問し、こうして「勇気を持とう」という言葉を残していった。たまたま、前エントリーで「勇気を持つことが大切」だと書いたのだけど、蛮勇でもなく臆病でもなく勇気を持つのは簡単ではないが、少しでもよい世界になるように、心がけたいと思う。