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スベトラーナ・アレクシェービッチがノーベル文学賞を受賞

 2015年のノーベル文学賞に『チェルノブイリの祈り』などで知られるベラルーシの作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチが選ばれた。著作の多くは日本語に翻訳されており、今、新品は入手しにくくなっているようだが、直に増刷されることだろう。

 国内での報道では、毎年恒例の「村上春樹は受賞を逃した」の記事が多いが、氏の発言を報道しているところもいくつかあったので、ピックアップしておこう。

「母国とその文化への賞」=アレクシエービッチさんが喜び-ノーベル文学賞

「私ではなく、私たちの文化、歴史を通して苦しんできた私たちの小さな国への授賞だ」
「全体主義体制は妥協を強いるが、それに屈する必要はない」
「バレエや文学など人間的なロシアの世界は好きだが、スターリンやプーチン(大統領)は好きではない。彼らはロシアをおとしめてしまった」

 実際の記者会見では好きではない人の名前として「ベリヤ、スターリン、プーチン、ショイグ」を挙げている。ベリヤの残虐非道ぶりについては、Wikipediaのベリヤの項などを参照。ショイグはロシアで1994年から2012年まで非常事態相を務めた人物で、現在は国防相の地位にある人物。

 2011年4月に東京外大の沼野恭子教授の依頼で「チェルノブイリから福島へ」と題するメッセージを寄せた、という記事が中日新聞で出ている。

原子力時代 脱却すべきだ ノーベル文学賞作家 震災直後にメッセージ

 広島、長崎の後、チェルノブイリ事故後、人間の文明は別の発展の道、非核の道を選択すべきだったのではないだろうか?

 原子力時代を脱却すべきだ。私がチェルノブイリで目にしたような姿に世界がなってしまわないために、他の道を探すべきだ。誰もいなくなった土地、立ち並ぶ空き家、畑は野生の森に戻り、人が住むべき家々には野生の動物たちが住んでいた。電気の通っていない電線が何百と放置され、何百キロもの道はどこにも行き着かない。

 テレビをつけると日本からのリポート。福島ではまた新たな問題が起きている。私は過去についての本を書いていたのに、それは未来のことだったとは! 

(全文はこちらの下の方で読めます。)

 ノーベル平和賞候補にも名前が上がっているノーヴァヤ・ガゼータ紙のこちらの記事によると、政府からの祝福のメッセージについて、最初の記者会見の時点でモスクワの文化大臣からあったものの、ベラルーシからは来ていない、とのことで、ベラルーシに自分はいないがことく振る舞われている、としている。

 ただし、確認すると、一応、ベラルーシ大統領の公式サイト上では、こちらで祝福のメッセージが出されており、受賞がベラルーシとその人民に寄与することを望み、作家の健康と幸福、祖国ベラルーシのための新しい創作の達成を祈る、としている。さすがに無視はできないということなのだろうが、素っ気ないメッセージであり、通り一遍感は否めない。

 こちらで受賞後の最初の第一声の映像が見られる。ここでウクライナについて触れていて、祖母も母もウクライナ人で、ウクライナが大好きであり、ウクライナのマイダンに行って、天国の百人の写真の前では涙が出た、と当時を思い出したのか、やや声を上ずらせつつ語っている。

 ウクライナのポロシェンコ大統領もFacebook上で祝福メッセージを寄せ、「どこにいても、どんな言語で話し、書こうとも、ずっとウクライナ人のままだ!」と述べている。

Нобелівську премію з літератури отримала Світлана Алєксієвич, родом з Івано-Франківська.Де б ми не були, якою б мовою не говорили і не писали – ми завжди залишаємось українцями!Вітаю!

Posted by Петро Порошенко on 2015年10月8日

 スベトラーナ・アレクシェービッチ公式サイト(?)はおそらくこちらのようだが、連絡先はドイツの住所になっており、古い情報かもしれない。このサイトでは経歴や出版物についての情報が英語とロシア語で読めるようになっている。さらにこちらのbooksのページでは英語版やドイツ語版・フランス語版(ただし、一部だけ?)が読めるし、こちらからは「チェルノブイリの祈り」や「戦争は女の顔をしていない」などのロシア語原文がそのままPDFで読むことが出来る。

 私の場合、ロシア語はいくらか読めるとはいえ、読むのに日本語の何倍も時間がかかってしまうのだが、せっかくなので、翻訳の助けを借りつつ、少しでも原文で味わいたいところで……。

チェルノブイリという言葉が使用禁止に!?

 「ベラルーシでチェルノブイリという言葉が使用禁止になった、という話があるけど、本当?」という質問を受け、そういう話は聞いたことがなかったので、ロシア語検索サイトなどで少し調べてみたのだが、そういう情報は見つけられなかった。

 その後、ふと思い立って日本語で検索してみると、IWJのサイトで以下のような記述があるのを見つけた。

質疑応答では、ルカシェンコ大統領(1994年7月就任)の独裁政権下にある、ベラルーシの現状が伝えられた。大統領は「チェルノブイリは終わった。もう、放射能はない」と発言し、「チェルノブイリ」という言葉の使用を禁止。そのため、「チェルノブイリの子どもたち」という団体名を、ベラルーシ国内向けに「子どもたちの喜びのために」と変更したという。

 また、FoE Japanスタッフブログにも以下の様な記述があり、ベラルーシの方の日本国内での講演からそうした話が広がったと推測される。

驚くべきことに、2014年に入って、政府の方針で「チェルノブイリ」という言葉の使用が禁止され、財団の名前も急遽「子どもたちの喜びのために」へと3月に変更したとのこと。ベラルーシでは、チェルノブイリについてこのように講演したりすることはできず、4月26日に少し語られる程度だ、とのこと。

 ただし、「チェルノブイリ」という言葉自体が禁止される、というのは、さすがにないだろうと思って、ベラルーシ政府のサイトを訪れてみると、当然ながら、チェルノブイリという言葉は使われているし、ベラルーシ非常事態省のチェルノブイリ原発事故被害対策局のサイトも閉鎖されてはいない。

 ちなみに、そのサイトの現在の新着トップ記事は日本政府による草の根支援による超音波診断装置提供に関する記事だった。これは、外務省サイトに出てる「モズィリ市病院医療機材改善計画」のことだろう。

モズィリ市の中心広場
(※モズィリ市の中心広場)

 冒頭の話に戻ると、「チェルノブイリという言葉が使えない」というのは、財団名に「チェルノブイリ」という言葉を使うな、という話なのではないか、と思うのだがどうだろう。

 先のサイトにはさらにこのような記述がある。

独裁政権が続くベラルーシでは、ルカシェンコ大統領が『チェルノブイリは終わった』と宣言したことから、海外からの公的な支援が受けられなくなったという。

 実際、ルカシェンコ大統領はチェルノブイリという言葉が醸し出すネガティブなイメージの除去に努めようとしているようで、例えば、2008年のだが「ルカシェンコはチェルノブイリのせいで国のイメージを損なうから、という理由で(保養目的の)ベラルーシの子どもたちのヨーロッパ渡航を禁止した」という表題の記事(ロシア語)があった。

 海外からの公的支援については、ベラルーシ政府サイトの草の根支援についての記事に「チェルノブイリ原発事故の影響を最も受けたゴメリ州にとりわけ注意を払う」とあるように、まだこうした支援が完全に閉ざされているわけではないようだが、ベラルーシで被災者支援をされている方に聞くと、依然として外国からの支援が簡単ではない国であり続けているようだ。「2014年から」という発言があったようなので、最近さらに何かより困難になるようなことがあったのかもしれない。

 さらにいうと、チェルノブイリ被災地域の子供たちの問題の根本原因のひとつにその親世代や地域全体の貧困の問題があり、チェルノブイリ原発事故に起因する問題の解決に特化していたプログラムをそうした貧困問題解決のためにより包括的なものとするために名称を変更する、という場合もあるようである。ただし、今回のは海外の支援団体に関するものなので、また別の話なのかもしれない。

 というわけで、「チェルノブイリという言葉が使用禁止になった」わけではないが、依然として、ベラルーシでのチェルノブイリ被災者支援は困難な状況が続いている、ということが確認できた、ということで。

モズィリ市のホテル「プリピャチ」
(※モズィリ市のホテル「プリピャチ」)