あまり時間は取れず、ざっと歩いただけですが、現在のキエフのマイダン(独立広場・ユーロマイダン)の様子を簡単にご紹介しておきます。
キエフの人に聞くと、街はすっかり平穏を取り戻している、とのことで、実際、多数の死者が出た独立広場も警官の数がいつもより多いものの、雰囲気は平常に戻っている。
広場には立て看板で写真の展示があり、多くの人々が見入っていた。
まだ記憶に新しい当時の広場の様子。
東部の様子を伝える写真も。
ガラスはまだ割れたまま。
割れたガラスの前でキスを交わすカップルの姿も。
広場横の真っ黒に焦げた壁の建物は修理中。
広場に隣接する中央郵便局の柱にはオレンジ革命当時の落書きが保存されているが、
その隣の柱にはЕС(EU)という文字が踊る新しい落書きがそのままになっている。
ATO(反テロ作戦)に寄付金を募る男性。
ドンバス大隊の人道支援募集。
なぜかヤヌコーヴィチ元大統領邸へのマイクロバスの発着地点になっているようで、すでに入場料を支払えば入れる観光地となっている。
広場横の道沿いに亡くなられた方一人一人のための一角がある。
石油パイプラインの労働者だった23歳の男性。
ドネツクの学生。東部からもキエフに少なくない人々が来ていた。
テルノーピリの学生。享年17。
グルジアの方も何人も亡くなられた。
道路東側の木々にも亡くなられた方の写真が多数置かれていた。
マイダンから北に伸びるインスティトゥーツカ通りを”вулиця Героїв Небесної Сотні”(天の数百の英雄通り)と改名するという話が出てたがその後、どうなったか
ヘルメットや盾と共に・・・
若木の街路樹が植えられ、街は再生する。