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チェルノブイリの日に行われたデモ(ベラルーシ編) チェルノブイリの道(чернобыльский шлях)

 ベラルーシで毎年行われる「チェルノブイリの道(чернобыльский шлях)」というベラルーシ野党主催のデモ・イベント。過去にはОМОН(OMON=特別任務民警支隊)に逮捕された者も出ていたようだが、今は当局公認のイベントとなっているようだ。

 こちらのベラルーシのニュースサイトでイベントの詳細が時間順で報告されている。規模としてはそれなりでおそらく数百人レベルの動員がなされているようで、老若男女が思い思いの格好をして、歩いている様子が見える。

 「アストラベツは第二のチェルノブイリ」という横断幕とともに行進する市民の姿が見える。アストラベツ(ロシア語読みではオストロベツ)はベラルーシ初の原発の建設予定地でチェルノブイリ原発事故で最も被害を受けたベラルーシ市民としては受け入れがたい方も大勢いることだろう。ベラルーシはこうした活動への締め付けが大変強い国なのだが、ガス抜き目的なのか、こうしたデモは公認されている。

 組織委員会の名誉会長はノーベル賞受賞者のスヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ。日本でも大江健三郎が関わることでデモが大きく世界的に取り上げられることもあり、著名人の名前を利用するのは効果的なはず。ただ、アレクシェーヴィチ氏は参加しなかったようだ。

 ВНФ(BNF)と書かれた紅白の旗がたくさん揺れているが、これはベラルーシ人民戦線という野党の旗。この政党はベラルーシ(Belarus)と人民(Narod)が政党名にルカシェンコにより使えなくなったため、仕方なく今はBNF党と名乗っているとのこと。

 映像は時間のない方はこちらのこの記事のサイト“tut.by”による2分編集版を、2時間のライブ配信の映像はこちらのRadio Libertyの映像とかこちらのBelSatの映像を御覧ください。

 ちなみにBelSatはポーランド資本のテレビ局のようで、2007年にはルカシェンコ大統領から「愚かで非友好的な試み」とまで言われてたようだが、ベラルーシでも一応、こうしたテレビが活動出来ているようで。

チェルノブイリという言葉が使用禁止に!?

 「ベラルーシでチェルノブイリという言葉が使用禁止になった、という話があるけど、本当?」という質問を受け、そういう話は聞いたことがなかったので、ロシア語検索サイトなどで少し調べてみたのだが、そういう情報は見つけられなかった。

 その後、ふと思い立って日本語で検索してみると、IWJのサイトで以下のような記述があるのを見つけた。

質疑応答では、ルカシェンコ大統領(1994年7月就任)の独裁政権下にある、ベラルーシの現状が伝えられた。大統領は「チェルノブイリは終わった。もう、放射能はない」と発言し、「チェルノブイリ」という言葉の使用を禁止。そのため、「チェルノブイリの子どもたち」という団体名を、ベラルーシ国内向けに「子どもたちの喜びのために」と変更したという。

 また、FoE Japanスタッフブログにも以下の様な記述があり、ベラルーシの方の日本国内での講演からそうした話が広がったと推測される。

驚くべきことに、2014年に入って、政府の方針で「チェルノブイリ」という言葉の使用が禁止され、財団の名前も急遽「子どもたちの喜びのために」へと3月に変更したとのこと。ベラルーシでは、チェルノブイリについてこのように講演したりすることはできず、4月26日に少し語られる程度だ、とのこと。

 ただし、「チェルノブイリ」という言葉自体が禁止される、というのは、さすがにないだろうと思って、ベラルーシ政府のサイトを訪れてみると、当然ながら、チェルノブイリという言葉は使われているし、ベラルーシ非常事態省のチェルノブイリ原発事故被害対策局のサイトも閉鎖されてはいない。

 ちなみに、そのサイトの現在の新着トップ記事は日本政府による草の根支援による超音波診断装置提供に関する記事だった。これは、外務省サイトに出てる「モズィリ市病院医療機材改善計画」のことだろう。

モズィリ市の中心広場
(※モズィリ市の中心広場)

 冒頭の話に戻ると、「チェルノブイリという言葉が使えない」というのは、財団名に「チェルノブイリ」という言葉を使うな、という話なのではないか、と思うのだがどうだろう。

 先のサイトにはさらにこのような記述がある。

独裁政権が続くベラルーシでは、ルカシェンコ大統領が『チェルノブイリは終わった』と宣言したことから、海外からの公的な支援が受けられなくなったという。

 実際、ルカシェンコ大統領はチェルノブイリという言葉が醸し出すネガティブなイメージの除去に努めようとしているようで、例えば、2008年のだが「ルカシェンコはチェルノブイリのせいで国のイメージを損なうから、という理由で(保養目的の)ベラルーシの子どもたちのヨーロッパ渡航を禁止した」という表題の記事(ロシア語)があった。

 海外からの公的支援については、ベラルーシ政府サイトの草の根支援についての記事に「チェルノブイリ原発事故の影響を最も受けたゴメリ州にとりわけ注意を払う」とあるように、まだこうした支援が完全に閉ざされているわけではないようだが、ベラルーシで被災者支援をされている方に聞くと、依然として外国からの支援が簡単ではない国であり続けているようだ。「2014年から」という発言があったようなので、最近さらに何かより困難になるようなことがあったのかもしれない。

 さらにいうと、チェルノブイリ被災地域の子供たちの問題の根本原因のひとつにその親世代や地域全体の貧困の問題があり、チェルノブイリ原発事故に起因する問題の解決に特化していたプログラムをそうした貧困問題解決のためにより包括的なものとするために名称を変更する、という場合もあるようである。ただし、今回のは海外の支援団体に関するものなので、また別の話なのかもしれない。

 というわけで、「チェルノブイリという言葉が使用禁止になった」わけではないが、依然として、ベラルーシでのチェルノブイリ被災者支援は困難な状況が続いている、ということが確認できた、ということで。

モズィリ市のホテル「プリピャチ」
(※モズィリ市のホテル「プリピャチ」)