「「期待されてない……」育休明けに落ち込むワーママへ キャリアカウンセリングから脱出策を考える」という記事でこんなことが書かれていた。
会社側の問題としては、各職場の管理職がダイバーシティ思考に変化できていないことが挙げられると思います。かつ、そのような会社の管理職はこれまでの成功体験や価値観が根強く、簡単には変化しないことも考えられます。
その昔、バブルという時代があって、その時期に、人によって大きく差はあるものの、概ねいい思いをしてるのをなんとなく私は知っている。すぐに分かる例は就職についてのことで、私が大学に入学したあたりぐらいがバブル絶頂期で大学の先輩方は内定取り放題で選ぶのに苦労する、という今からすると信じがたい時代を目撃している。また、1990年前後だったと思うが、たまたま人伝に紹介してもらったイベント設営のバイトで時給2000円(それだけでも私の中では破格)で22時間連チャンで働き(というかそんなことは出来ないので最後はみんな寝ていたが)、一日で44000円稼いだことがある。私は学生時代、バイトばかりしてたものの、こういうバブルっぽいのからほど遠い底辺バイトばかりしてたので、こうした経験はほとんどないのだが、バブル期にがっぽり稼いでうまく売り抜けたような人が「いろいろと狂っていた時代だった」というのを何度か聞いたことがある。
人は20代、30代に培った経験を元にその後の人生を生きていくものだが、ざっくりバブル頂点の1990年に20歳から40歳だった人というと1950年から1970年生まれの人が当てはまり、そして、今、各界で決定権を握っているのがざっくり50歳から70歳ぐらいと仮定すると、だいたい1947年から1967年ぐらいとなり、バブルで若い時期においしい思いをした世代とかぶることになる。
数値的裏付けなどないし、世代としてくくってもそこからこぼれ落ちる人が山ほどいるのも承知しているが、概ねバブル期にいい思いをした世代は自分が死ぬまで日本がなんとか今の状態を保ってくれたらいい、というような逃げ切りマインドになっていて、自分の身が切られるような変革を拒む傾向があるように思う。時代の追い風があったという認識はあったとしても、自らの成功体験が何となく価値観のベースにがっちりと敷かれていて、ダイバーシティの必要性を頭では分かっていても、実際の施策として採用されない、というようなことがあちこちで起こっている。
そんなわけで、最近、タイトルに書いた「日本ではもうロスジェネ以降の世代が各界で決定権を握るまでは身を切るような改革は無理なんじゃないか」と思うことが多くなった。(ちなみにロスジェネ世代は1971年から1981年を指すのだとか。私はロスジェネは自分よりもう少し下だと思ってたが、自分もロスジェネにギリギリ入ってると初めて知った次第。)
しかし、それまで何年待たなくてはならないのか。そんなわけで移民という話が出てくるわけだが、前回、移民についての記事を書いたところ、私より若い世代の方がリアクションくれて、周囲でも移民の話になるんだという。実際、日本からなかなか出られない、って結論になったりするようではあるものの、日本でも頭脳流出が現実味を帯びて来始めているのかもしれない。