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議会制民主主義について思うこと ~参議院のあり方について~

 議会制民主主義について、事前に調べると簡単にその影響を受けてしまうタイプなので、調べずに思うことを書いてみる。すでに誰かが言ってそうとか、ググればその無効性がすぐに分かるようなことを書くことになるかもしれないが、メモとして書いておきます。

 今回の採決で野党は必死の抵抗を見せたが、保有議席数の差を見せつけられ、安全保障関連法は成立した。政治制度上、この結末を見ることはみんなうすうすは分かってはいたが、それでも多くの人が今行動しないといけない、という衝動に突き動かされ、反対の声をあげ続けた。デモを揶揄する連中がうじゃうじゃ出てきたが、その多くは「反反原発」の人たちとかぶる印象を持った。彼らが反原発やデモに参加する人たちが嫌いなのは分かったが、では彼ら自身どんな世の中にしたいのか、あんま見えてこないのだが、そこんとこどうなんだろう。

 野党は今回、様々なやり方で対抗し、「見せ場」は何度も作ったが、反対の強度をこういう形であの手この手で見せるぐらいしかできない政治制度はやはり欠陥があるように思える。実質、フリーハンドで法案を通すことが出来るわけであり、急速に社会が変化する中、何年かに一度しかない選挙の結果が与える影響の度合いが大きすぎるように思う。

 参院は良識の府だそうだが、実質的に衆院で成立したら成立してしまうのであって、何の意味があるのか、という意見がある。それに対し、もう二院制なんてやめればいい、という意見もあるが、貴族院の流れから来ていて、それなりに歴史的に意味のある存在であり、そういうものには過去の人たちの知恵が含まれていることが多く、そう簡単にやめるものではないだろう。

 ただ、今のような、実質的に止める力もない参院ではその存在意義に疑問符がつけられても仕方ない。なので、どうせなら、限定的に止める力だけは与えるとかすればいいのではないか。例えば、内閣不信任案のように、会期中一回だけ拒否権を使えるようにするとか。ただ、そうすると、拒否権発動用にひどい法案を出しておいて、本当に通したいのは拒否権が出た後、ちょうどトランプの大富豪でジョーカーが出た後にゆうゆうと2を出すように出す、なんて悪知恵が働いて無効化される恐れもありそうだが。

 あと、参院は貴族院の流れで設置されているとはいえ、正直なところ、良識の府という期待をもはや多くの人は抱いていないだろうから、いっそ、そういう現実に則さない幻想は捨て去って、今の時代にあった、衆院には期待できないような役割を与えた方がいいのではないか。例えば、若い人や女性など、現実の政治になかなか声が届けられない人たちの意見を国政にすみやかに反映されるようにするため、選挙区を、今のように地域ごとに分けるだけでなく、性別や世代など、出来るだけ今の日本の人口構成に合うような属性ごとで立候補できるようにするとか。もちろん、こうした参院議員も立法ができるので、実効性のある方策を打ち出すことができるようになる。

 より具体的には、都道府県単位だと一票の格差解消が大変なので、道州制にして、各道州ごとに30-35歳など各年齢層の男女1人ずつ選べるようにするとか。道州ごとの定員で生じる格差は年齢帯で解消すれば良い(ある州は30-34歳、別のある州は30-36歳、など)。このようにすることで、女性議員が半数を占めるようになり、誰かが言ってた「女性が輝く社会」の到来により近づけるだろうし、各世代の声が届くようになるので、不毛な議論に陥りがちな世代間対立をより生産的な形で解決できる方向へと進めるようになるだろう。

 以上は、今の今思いついたような案なので、粗はあるだろうし、様々な問題があって実現は困難なのだろうが、ともかく、今の政治制度には問題が多いので、今回の出来事を契機に政治制度改革に向かうとよいのではないかと思う。

 ということで、改革は必要だと思うが、そういうテクニカルなことよりももっと根本的なところで思うことがある。それは、今、主流にいる政治家の政治信条のことで、その政治信条を持つに至った動機はいろいろだろうが、その背景に何があるのか、しっかりと語れる政治家はどれほどいるだろうか。世襲議員だらけで、生まれた時から地盤を引き継ぐ用意が出来ていて、そんな青臭いことを言う必要性もないのだろうし、有権者もそれでよしとしている現状があって、問われる場面は少ないのだろうが、どこの所属の党員であっても私はやはり叩き上げの政治家に頑張って欲しいと思う。職業選択の自由というものがあるから難しいかもしれないが、せめて参院だけでも世襲はあかん、そして、コスタリカみたいに連続で出てもいけない、とか出来ないものか。

 政治信条については、一昔前の世代の戦争反対への思いは、どこか、経験に裏打ちされた迫力のようなものがあり、人をして納得させずにはおかない何かがあったように思う。戦争を知らない我々戦後の各世代の反戦熱はどうしても相対的に低く感じられるし、戦時想定にしても、リアリティが感じられない。しかし、これはどうしようもないことだと思う。だって、実際、戦争を知らないので、思い入れを持ちようがない。

 しかし、こういう戦争を知らない世代でも何らかの強い思いを持ちうるはずだ。それは何なのか。

 ちょっと疲れてきたので、続きはまた今度、ということで。