ソ連時代、チェルノブイリ原発に隣接していたプリピャチ市のような産業衛星都市が各地で建設され、多くは原発衛星都市であったようだが、例えばベラルーシではカリウム塩の産地に建設されたソリゴルスクというような街もあった。当地ザポロージェでは原発の隣にエネルゴダール(ウクライナ語読みでエネルホダル)が建設された。
こうした衛星都市はソ連各地にあり、私はプリピャチ以外に、スラブチチ、リトアニアのヴィサギナス、そして今回滞在時に訪問したオデッサの近くのテプロダルに行ったことがあるが、いずれも街の端から端までが徒歩圏内で非常にコンパクトに何万人もが住める街が形成されている。特に旧ソ連圏は寒冷地が多く、冬季の暖房用に温水を各家庭に行き渡らせる必要があるため、効率性がより重視される傾向があったはずである。
プリピャチ出身のサーシャと共に訪れたので、サーシャ的にはこの9階建ての建物群がノスタルジーを誘うものらしい。実際、今回撮影してきた建物の階数を改めて数えてみると判で押したように9階建てだった。ただし、プリピャチ市の場合はさらに先進的で9階建てもあったが、16階建ての建物も多かったため、プリピャチ市とは景色は異なる。
ちなみに、日本の団地がソ連の方式を参考にした、という話があり、例えばこちらのブログ:原武史・重松清『団地の時代』で紹介されている。
私はこの原武史という著者の「滝山コミューン1974」という、1970年台の東京郊外の団地のリアリティを描いた本を読んだことがあるが、私はこの本に登場する、熱い時代にアドレッセンス期を過ごした実験精神溢れる例の年代の人たちに冷めた感覚を持っていることもあって、興味深くも昔から同じようなことをしてたのだなぁ、という感想を抱きつつ通読したのだが、奇妙な読後感のある本ではあった。
ともかく、日本とソ連の間にこんなところで類似性がある、というのは大変興味深いと思ったのは確か。ただ、日本の団地は基本的には住居のみであり、街をまるごと設計したこうした街は、筑波とかそういうのはあるが、これだけの規模で作ったところはないのではないか、と思う。
街の中心部にはソ連時代のスローガンがそのまま残されている
チェルノブイリ祈念碑はチェルノブイリから離れた街でもよく見かける。それだけの国家的災難だった、ということだろう。
このWikipediaロシア語版・ザポロージェ火力発電所の項目によると、ザポロージェの火力発電所はウクライナで最大の火発らしい。ザポロージェ原発近くにさらに火発があるというのは知らなかった。ザポロージェ州は水力・火力・原子力のすべてで、重要な電力供給の役割を果たしている、ということになる。
一番下の写真は普通のアパートだが、一階部分に図書館、書店、家具店などがある他、ファイトクラブ「アタック」というのがあるのが目を引く。格闘技のクラブのようだ。街の貼付広告などからウクライナには格闘技に関心を持つ人が多いように見える。
「一つの国」という意味のєдина країнаという文字の上に卑猥な言葉が書かれたが、黄色い文字で再度上書き訂正されている。
ちょうど訪れた時に、中心部の文化会館の前で、エネルゴダールから戦闘に参加している兵士を支援するチャリティ・コンサートが準備中だった。
遠くから見てもコンパクトにまとまった街、エネルゴダールを後にした。