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1971年滋賀県大津市生まれ。大阪外国語大学ロシア語科除籍。IT業界で働きつつ、2006年よりチェルノブイリ被災地で「ナロジチ再生・菜の花プロジェクト」、被災者互助団体「ゼムリャキ」を取材。

シングルファーザー体験中だが、こんなんやるもんじゃない

 さて、子供が早めの昼寝に入ったので、つらつらと最近の育児日記をひとつ。

 ここのところずっと父子家庭状態になっていて、職場と保育園と家の3点往復運動を繰り返す毎日。数日おきにスーパーなどに行ったりするが、ほぼ単調といってもいい日々が続いている。とはいえ、子供が日々昨日とは違う何かをするので、単調ではないのだが、毎日気づいたら寝る時間で朝起きて、あまり考える暇もなく、日々が過ぎていく状態が続いている。

 子供を一時保育にあずけているので、帰宅時間は早めなのだが、帰宅して、食事の準備をしつつ、食器片付け、朝の食器洗い、洗濯、散らかったおもちゃの整理などをし、食事を一緒に取って、食休みに映像なり絵本などを読みつつ、そのうちうんちをしたりするので、慌てて風呂の準備をして、うんちの後始末などをし、風呂に入り、上がったら、肌のケアをし、牛乳を飲ませ、部屋を暗くして少し遊ばせた後、歯磨きをして、就床の時間、という感じ。

 就床後、すぐに寝る日もあれば、1時間以上グズグズとする日もあって、なかなか対応する側も大変。こちらもいろいろとすることがあって、就床後にしようと思っていることが出来ない場合もあり、相手がある場合は待ってもらったりすることもあって、何かに追われるような日々が続いている。

 そして、朝が来て、すでにその時点で遅刻なので、急いで嫌がる子供に着替えをさせ、食事をさせる。寝起きで最初は進まない食事だが、食べ始めると割りと食べる場合も多いので、なかなかに時間が読めない。まだオムツは取れないのだが、さあ出発という時にウンチをしてることがわかったりして、さらに時間がかかる、というのはザラ。ゴミ出しの日にはゴミをまとめて出すとかしているとあっという間に時間がさらに経過する。

 誰でもいいからせめて家の中で子供の相手をしてくれる人がいてくれたら、と思うが、核家族化が完了した今、なかなかそうはいかない。そういう意味で子供に兄弟がいる、というのはそういう役割をお互い担ってくれるので楽になる部分はあるのだろうか。経済的にはただでさえ大変な上にさらに負担がのしかかるので、プラマイでいうとどうなるんかわからんが。

 書いてて思ったが、もしかしたら、もはや地縁血縁は頼れないと見切って、ちょっとした支援の必要を感じているファミリー同士でつながれるような、昔の「長屋」的な生活を望む人が増えているのだとしたら、そうした場が提供されれば、参加したいと思う家族が一定数いるんじゃないか。

 あと、離婚経験者に聞くと、あまり子供のためだからといって我慢するのもよくない、とのことで、子供に我慢してる姿を見せたり、親の笑い声の一つも起きないような家で過ごすのはどうか、というのだが、こんな状態では笑う時間もなかなか取れやしない。せっかく作った食事をいとも簡単にベー、と吐き出されると普段温厚な人でもかなりイラつくはずだし、こちらが家事をしている最中に大声でぐずられると、あーもーなんやねん、ってなって、つい怒り気味になってしまう。

 今はちょっと鼻づまりと咳がひどいので、かかりつけ医の診察を受け、薬をもらってきたのだが、最初の対応をまずったのか、どうしても飲んでくれない薬があって困っている。砂糖混ぜたり、コンデンスミルクにまぶしたり、それ用のゼリーを買ってきて試したりしたが、もうスプーンに赤いゼリー状の液体が乗っている、というだけで、逃げ出す始末。ただ、私も自分で舐めてみたが、かなり薬特有の味が濃く、後味も口に長く残るので、こうなってしまうのも仕方ないかなとも思う。幸い、症状は快方に向かっているので、今回は大目に見てもいいと思うが、無理にでも飲ませないといけない場合もあるだろうから、今後、そういう場合のためにスポイトか何かを用意しておこうかと思っている。

 というわけで、父子家庭の大変さを身を持って体験し、やはり離婚とかはせんほうがいいなぁ、と実感しているところ。そもそもがせんほうがいいわけだが、やっぱりせんほうがいいんじゃないかいなと。

安田純平さんが無事に解放されることを祈る

 安田純平さんと思われる動画がFacebook上に投稿され、ニュースになっている。映像はこちら。(追記:この映像は現在見られなくなっている模様)

 ツイッターでどのように話題になっているかYahooリアルタイム検索で見てみると、こんな感じ。

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 どちらかと言うと、揶揄する声がやや上回っている感じだが、こうした「自己責任」を声高に叫んで何かを言った気になる類のリアクションはもうずっと日本ではよくある光景なので特に驚きはしない。ただ、こうした世相にあっても、ぬくぬくとして居心地のよい日本を出て、世界で何が起きているのかを自分の目で見て確かめ、伝えようとするフリージャーナリストがいることをありがたいことだと思う。

 私は職業ジャーナリストではないけれど、震災後、フリージャーナリスト界隈の人たちと知り合う機会が何度か有り、安田純平さんとも東北某所でお会いした。というか、もうゆうてもええと思うが、遠目からではあるが、福島第一原発を見に行った時に同行されたのが安田さんだった。

 その後、何度かお会いする機会があり、いつも身なりが整っていてイケメンな安田さんだったのが、今回の映像の中ではボサボサ頭になっていて、疲労のにじむ変わり果てた姿はとても痛々しい。でも、ともかく無事に生きていることが分かり、うれしく思う。

 こちらに「安田純平さんの安否は今どうなっているのか」という雑誌「創」の記事が出ていて、ジン・ネットの高世仁さんが安田さん拘束後から今年1月までの経緯を語っておられるので、今回の映像公開にどういう背景があるのか知りたい方は一読をおすすめします。また、5ページ目以降には安田さんがイラク人質事件後の2003年8月号に同誌に寄稿された記事「新聞社を辞めて 戦場に行った理由」が掲載されていて、組織ジャーナリスムの枠内で記者生活を続けることの困難が語られている。

「多くのメディアが「公明正大」「客観」と言う言葉を未だに使いたがるのはこっけいだ。組織ジャーナリズムの中にいるかぎり、記者は取捨選択に組み込まれる。」

 という事態は今も継続していて、公平中立なんてありはしないし、出来もしない、という諦めから出発すべきなのに、その言葉に自縄自縛状態になっていて、今はさらに無駄に洗練されつつあるんじゃないか、とまで思ってしまうほど。

 個人的な話をすると、安田さんは、我々の結婚にちょっとした影響を与えたらしい。私は詳細はよく知らないのだが、私には何か安田さんがこのまま帰ってこない、ということはちょっと困るなぁ、という気持ちがある。

 そうした私のどうでもいい個人的事情はともかく、安田さんには是非無事に帰ってきてほしいし、「自己責任」論が目立つ中にあっても、心ある人には解放を求める声を上げ続けてほしいと願う。

(※2016.3.20文章一部変更しました)

本日の身辺雑記

 久々のエントリー。子供が寝ている間に少し。

 このところ、家庭内でいろいろあって、ブログどころではなくなっているのだが、少し事態に落ち着き(?)が見られるようになったといってよいのかどうか。ともかく、時間というのだけは過ぎていくので、この間に子供は着実に年を重ね、2歳の誕生日を迎えた。

 保育園に行きだした影響からなのか、言葉の爆発、というほどではないが、物を指差してその名前を言ったり、こちらの言葉をオウム返しに繰り返したりできるようになった。「リ」で始まって、「ン」で終わる言葉なんかが飛び交っていたときに、その言葉を真似て話したりして、親を戸惑わせたりもして、そういう戸惑いを見せると余計に喜んで繰り返すので、子供というのはなるほど容赦しないものだと思う今日この頃である。

 誰に習ったのか、私の顔を平手打ちしたりし始めたので、さすがにこれはあかんやつ、というわけで、昔、この家で躾として行われていた「蔵に閉じ込める」というのを現代風にアレンジし、こちらが部屋に閉じ込もって、私の部屋に入ってこれないようにする、というのをやってみたら、部屋の前で数分泣き続けたので、まあこの辺でやめてやろうと、入れてやるとしおらしくなった。その後、平手打ちすることはないので、子供ながらに理解したのだろうと思いたい。

 ちなみに、私の部屋には自由に子供が入ってこれるようにしていて、私が自分の部屋でパソコンに向かっているときに、絵本読んでくれ~、とか、遊んでくれ~、って感じで邪魔しにやってくることが多い。そんなわけでいろんなToDoが全然進まず、確定申告もやっと入力・計算が終わったところで、あともう一息というところ。今年も所得税の2.1%分の「復興支援」名目の税も取られているが、こちらによると、2038年まで継続するようで。先日、今中さんが飯舘の除染は環境破壊となっており、もっと有意義に使うべきだと言われていたが、先の戦争でもそうだが、走り始めるともう誰も止められないこのシステムの暴走は何とかならんもんだろうか。

 子供の話に戻ると、このところ、少しずついろいろな名前を言えるようになっていて、街中で救急車を見て「キュキュシャ」と言ったりするようになったが、消防車やパトカーを見ても「キュキュシャ」というので、あの3つはセットで頭に入っているようだ。魚は「カカナ」と言っていて、まだサ行で始まる言葉はうまく言えないらしい。イルカのぬいぐるみを見ても「カカナ」というが、これはまあしゃあないかなと。

 そろそろトイレトレーニングを始めようとして、おまるに座らせてみたりしたが、まだうまく出来ない。ウンチが出るとだいたい教えてくれるが、オシッコはまだなので、時々オムツの状態を確認して、一定間隔は溜めておけるようになっているか確認してみるといい、と保育士に言われたところで、ボチボチやってみようかというところ。

 最近、食事やおやつのとき、親にもシェアしてくれるようになった。どういう動機付けなんかようわからんが、親の真似をしてる、ということなのだろうか。あるいは、保育園での生活の中でそういうやり取りがあるのかもしれない。

 親の真似でいえば、寝る前に布団に入ろうとすると、部屋を出て行って、とある月刊誌を取りに行くようになってしまった。要するに寝る前に私がその月刊誌を寝転んで読んでいたことが何度かあって、それを真似ているようである。仰向けになって、2歳の子供がやや固めの月刊誌を読んでいる様は微笑ましいが、自分のだらしない姿を見せつけられているようで、子供の前では寝ながらの読書はやめておこうと思っているが、長年しみついた習慣なんで、ついやってしまう。

 今日は近くの駅でSLが走るイベントがあり、行ってきたのだが、待合室にプラレール・コーナーが出来ていて、小さな子供たちが押し合いへし合いしながら、列車を走らせていた。我が家では、際限なく増殖するのが怖いので、まだプラレールは導入していないのだが、うちの子供にも触らせてみたところ、自走する牽引車が理解しきれてないようで、プラレールの遊び方が分かってなくて、他の子が作ってる橋を何度か壊したりしてしまった。幸い、その子は小学校低学年ぐらいの子で、その子とはトラブルに発展することはなく、その親御さんも「小さな子のすることなので我慢しなさい」的なことを言ってくださったのだが、こういう場合、親はどこまで介入するものなのか、まだ距離感がよくわからない。基本的には子供同士の解決に任せつつ、必要に応じて介入する、ぐらいでよいのではないかと思うのだが、最近は親が積極的に介入するのをよしとする風潮があるのかもしれないので、様子見しつつの対応となるだろう。あんまり空気読まない(読めない)方なんで、他の親御さんからはちょっと放任気味に見えるかもしれんなぁ、などと思いつつ。

 この春に引越しを考えていたが、いろいろあって、もう少しいることになりそう。家族の事情を考えると早めに動きたいところだが、仕事の都合その他で、そのように決めた。ただ、今年度中には移動することにはなるだろうと思うので、新しい生活に適応できるように諸々準備を進めたいと思っている。

故沢野伸浩さんのこと

 先ほど、今中哲二さんの「最後」の原子力安全問題ゼミでの講演をアップロードしたところなのだが、講演の中で、故沢野伸浩さんのお名前が出ていた。今中さんは明石昇二郎さんから面白い人がいる、と紹介を受け、沢野さんが米国NNSAのデータに基づいて作成した、セシウム137の沈着量を等高線で示した地図を見て、これで外部被曝のみではあるが、飯舘村の人たちの初期被ばくの見積もりができると確信した、とのことだった。

 米国エネルギー省(DOE)の国家核安全保障局(NNSA)は福島第一原発事故直後の3月17日から福島県上空に航空機を飛ばし、放射能を実測したが、その生データが2011年10月21日に一般公開され、沢野さんはその公開の約一ヶ月後に「偶然」それを見つけ、汚染地図を作ってみたのだという。その時の様子はブログにアップされた、とのことだが、現在、そのブログは見られない。代わりにarchive.org内のこちらこちらのページを見ると、当時の様子がいくらか分かる。

 当時、沢野さんはこのデータはアメリカから日本政府に提供され、このデータに基づいて汚染マップが作成され、避難や除染に活用されているものと思ったらしいが、実際は十分に活用されているとは言いがたい状態であったことが後に分かり、飯舘村にも実際に行かれるなどして、少しずつ福島に関わるようになったようだった。

 この生データはKMZというGoogle Earthなどで使われるファイル形式であるKMLをZIPで圧縮したもの、とのことで、KMLはXMLベースであり、テキストファイルとして開くと、中身はタグや数値だらけで、それだけ見てもなんだかよくわからない文書、ということになる。例えば、Googleのドキュメント群がこちらにあるが、そこのサンプルファイルをダウンロードしてメモ帳か何かで開くと分かってもらえると思う。

 XML文書の解析は、意外と面倒で仕事で扱ったことがあるが、なかなか厄介な代物であった。仕様がしっかりしてるといいのだが、よいXMLパーサーをかますといい感じに見えるようになったりする。

 話を戻すと、エクセルやワードなど多くの人が使い慣れているファイル形式ではなく、そういうやや専門性の高いファイル形式で震災直後の混乱期に文科省の元にそのファイルが届いたようなのだが、どうもその扱い方がわからなかった可能性があり、有効活用される気配がないのでアメリカはこっそりと震災の年の秋に一般公開を始めた、という見立てがあるそうだ。

 真偽不明であるが、ありそうなことだと思う。別に文科省をDisるつもりはなく、混乱期に次から次へと降ってくる玉石混交の情報の嵐の中でこの「玉」の方の情報が見過ごされてしまったんだろうと私も思う。

 沢野さんはこの辺りを確認すべく、アメリカ大使館にまで確認に出向いたが、結局、真偽のほどはわからずじまいだった。

 ちなみに沢野さんは英語も大変堪能だったようで、スピーキングも大変お上手であることが伺われた。私は沢野さんとは一度だけ飯舘村調査の時に初期被ばく調査のための現場下見に行かれた時に同行しただけなのだが、車内での四方山話で、コンピュータにも造詣が深く、インターネットには日本では最初期に関わった人の部類に入るようだった。

 その昔、UNIX USERという雑誌があったのだが、そこに「ルート訪問記」という連載記事があったのを知る人は、今の若い人だとほとんどおらんのではないかと思う。ルートとはUNIX文化のrootという特別な全権ユーザのことで、要するにサーバ管理者という程度の意味なのだが、そのルート訪問記にも出られていた、と知って、とても驚いたのだった。こちらの「第11回 窓から見えるは星と未来と現実と」というサイトで読むことが出来る。

 ちなみに沢野さんは1997年には「ネットワーク・コンピューティング・リテラシー」という本を上梓されていた。

 GPSについての話も興味深く、今でもよく覚えている。GPSは複数のGPS衛星からなり、数が多いほど精度が増すが、現在、アメリカがこの分野でも抜きん出いていて、ロシアや中国が対抗しようとしている状態となっているようだ。こちらによると、2014年12月現在で全世界のGPS衛星の数は「アメリカが32、ロシアが24、EUが4、中国が16の合計76個」ということになるようで、日本はそもそもこの中にも入れていない状況らしい。実運用するにはGPS衛星が少なくとも4つだったか6つぐらいは必要とのことだった(うろ覚え)が、はやぶさもいいけど、こういう実用性の高い分野にも資源を振り分けたほうがいいんじゃないか、と思えたし、また、そもそもが軍事目的なので、ある地域で使えなくする、というようなことが出来るのだそうで、この話を聞いた時、日本はもう少し実力を蓄えるまで属国のままでいた方がいいのではないか、とすら思ったのを覚えている(冗談だが)。

 たまたま1週間ほど前の記事でGPS衛星でエラーが発生、複数企業で12時間ものシステムエラー発生の原因にというのがあったが、GPS(というか、GPSはアメリカのシステムの名称らしいので、より包括的にはGNSSというらしい)に依存している現代社会でこういうことが今後も頻繁に起こらないとも限らないわけで。

 ともかく、沢野さんは大変刺激的でエネルギッシュな方だったのだが、去年、亡くなられたと聞いた時は本当に信じられなかった。

 ネットで検索をかけてもあまり情報は出てこないが、近かった人ほど、書けないものなのだろう。私は沢野さんのごくごく一部分しか知らないが、とても魅力的な人がいて、重要な仕事をされた、ということを伝えておきたかったので、以上、書いた次第です。

※参考文献:本当に役に立つ「汚染地図」 (集英社新書) 沢野伸浩(著)

子どもの成長に応じて、親の心配の種類も変わっていく

 いつの間にか子どもの靴下がえらく小さくなっているのに気づき、この日曜に西松屋に行ってきた。最近、自分で靴下を履きたがるようになっているのだが、簡単ではないようで、成功した試しがない。店頭で商品を見てると、自分で履くためのトレーニング用靴下なんてのが売ってて、引っ張るところにつまむ部分があり、引っ張り上げやすくなっている。物は試しとこれを購入(季節ものなのか、めっちゃ値下げされてたってのもあるが)。

 その後、一回りして帰ろうとしたところ、おもちゃ売り場、特に車や電車のコーナーでロックオン。いつもはさりげなくどんどん進むとついてきたのだが、自我の芽生えか、自己主張が始まり、一歩も動く気配がない。あれやこれやのおもちゃに熱い視線を送っている。元々ひとつぐらいは買ってやろうと思ってたので、気に入ってそうなやつのうち安価なのをひとつ手にとってレジに進んだのだが、それでも一歩も動こうとしない。ちゃうねん、こっちがほしいねん、という感じではなく、もう少しそこで眺めていたい、という感じだったのだが、そんなにゆっくりもしてられないので、かつぎあげてレジに行こうとすると、店内全体に響きわっているんじゃないか、というような叫び声をあげて抵抗したのだった。子供用品店だから理解してもらえるが、通常の店なら虐待の誤解を受けるレベルで、ちょっと先が思いやられる。

 今日は、保育園でタンコブを作ってきた。お友達と押し合いしてじゃれてる内にちょっと背中を押されてベッドの角に打ち付けてしまった、とのこと。保育士の先生はとても恐縮されていて、こちらが恐縮するほどだったが、こういうのは子供同士のことなのでお互い様で許容するようにしないと。しかし、子どもを預かる立場というのも大変なことで。

 もう一つ、思ったのは、こちらの子どもが他の子を怪我させてしまったら、親としてどうしたらいいのか、ということ。相手の親に謝りにいかなくてはいけないのか、タンコブ程度なら許されるが、出血するほどの怪我だったらどうするか、などなど、あまり過剰に構えなくてもいいが、今後、それなりの心構えが必要で、この類の心配をこれからもずっとしていかないといけないのだ、ということに改めて気づいた。

 変なもので、うちの子が怪我をする側でよかった、とまでは思わないけど、逆じゃなくてよかった、とちょっと思ってしまったのが正直なところ。本人はそんなに痛がる様子もなく、コブもそれほど痛々しいものではなかった、というのもあるが。

 私は3,4歳ぐらいのころ、近所の子供たちと一緒に電車ごっこをしている時につまづいてしまい、コンクリートの角におでこをぶつけ、タンコブどころか、骨が見えるぐらいの怪我をして、血をポタポタと道路に落としながら、歩いて家に帰り、「血が出てもた」と親に報告したことがあって、その言い草がおかしかったのか、その後も長く兄たちにからかわれ続けたのだが、それはともかく、子どもはそうやって怪我をしながら、いろんなことを学んでいくもので、喧嘩なども度を越したやつはあかんが、そうやっていろいろと経験しながら学んでいって欲しいと思った。