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1971年滋賀県大津市生まれ。大阪外国語大学ロシア語科除籍。IT業界で働きつつ、2006年よりチェルノブイリ被災地で「ナロジチ再生・菜の花プロジェクト」、被災者互助団体「ゼムリャキ」を取材。

2015年12月13日の身辺雑記

 今日は風邪の具合はマシになったものの、午後までずっと調子がよくなかった。しかし、夕方辺りから調子は上向いてきて、いろいろとしなくてはいけないことをやった。明日からの仕事は普通にできそうな感じで、やはり社畜的要素があるのか。

 そういうわけで、夕方から放置してた家の片付け作業などをやった。今年は、いつも本格的な雪になってから泥縄式でやり始める雪囲いとタイヤ交換を11月中にやってしまったのだが、その後始末が出来てなかったので、それをやってしまったりとか、屋根に登って傷んでいないかを確認するなどした。屋根は毎年上る必要はないのだが、屋根葺き替え時に業者がケチったのか、一部の針金に錆びるのが使われてて、切れてる場合があるので、油断ならない。

 他にウクライナから持ち帰った子供の木製玩具にカビが生えてて(大泣き)、カビを吸い込まないように防護しつつ拭き取ったりとか、毛布その他の大物洗い物の洗濯とかをやった。

 同時並行でPCの作業もした。ノートPCの挙動が不安定になってて、HDDを調べると「代替処理保留中のセクタ数」が増えているようなので、もうそろそろ寿命かな、ということで、新品を買うか迷ったが、お金もないので、SSDに換装することにしてみた。SSD換装はメモリ増設並みにコンピュータの速度改善に多大な貢献をするので、うまく行けばPCも延命できるし、5年前のだが、やってみる価値はあると判断した。しかし、リカバリーメディアの作成がうまくいかず、何度やっても途中で失敗してしまい、途方にくれていたが、USBメモリに作成してやるとえらい時間がかかったが、なんとか先ほど作成が無事完了した。最悪、Windows10をインストールしようかとも考えたが、これで元のWindows7のままでSSD換装ができそうでよかった。

 今メインで使っているPCは最初からシステムドライブがSSDなのだが、どうもプチフリという「ちょっとだけ固まる」現象が起きるSSDもあるようで、今回、私が買ったSanDiskのSSDがハズレでないことを祈りたいところ。。。

 一人暮らしになって、また自炊生活をしてるが、いつも行くスーパーに「生なまこ」が半額で売っていて、自分で捌いたこともないのに、つい買ってしまった。記憶によれば、食べた記憶もなく、さすがに手に持つと、そのグロさにたじろいだが、今はウェブで情報がわんさか出ており、見よう見まねで塩をまぶしたりするなどして、ナマコ酢というのを作ってみた。意を決して食べてみるとコリコリとした食感はなかなかのもので、食べたこともないのが、多分、食べ方は間違ってないんだろうと思える。

 すじ肉を買ってあったのだが、圧力鍋が焦がされ、使えない状態で放置されていたのを、圧力鍋を再生し、すじ肉も一応腐ってる様子もなかったので、自分が食べる分には大丈夫だろうと判断し、いただきものの大根などと共に圧力鍋に放り込んで炊いてみたところ、ちゃんとこちらもいい感じに柔らかくなって、いろいろと味付け用の調味料がなくて、自分流のになってしまい、やや薄味になってしまったが、素材の味が楽しめるものとなった。

 元々、生まれた時にはすでに上に兄弟が3人もいる状態で、賑やかな家に生まれついてて、一人暮らしに憧れを持ち続けて育ったためか、一人暮らしは今もまったく苦ではない。といって、妻子と暮らすのも、苦ではない。モードが切り替わる感じ。もっと若かったらしんどかったかもと思うことがあるが、あまり後悔しないたちなので、若かったとしても、適当にやってかも。

 とりとめない話ばかりでしたが、今日はこんなところで。

ベビーカーを折りたたまずにエスカレーターに乗ることの是非

 まだ風邪は治らず、昨晩は猛烈な寒気に襲われ、体温を測ると38.5と出た。勤めだすとこうして週末に症状が悪化することがよくあるが、社畜的気質持ってるんだろうか。。。

 先日、久々に子供と都会に行ってきて、田舎にいると気づかないが、都市部でベビーカーで動くことがこんなにも大変なのか、というのを身をもって体験してきたので、メモとして書いておきます。

 今回はただ大阪駅近辺を歩いただけなのだが、かなり重めの荷物を抱え、ベビーカー自体にも荷物をたくさん詰め込んで、という状態だったので、移動するだけで疲労困憊という状態になってしまった。日曜の昼下がりということもあってとにかく人が多く、また、通路で平気で塊になっている団体とかがいるとそれだけで通れなくなることもわかった。

 一番困ったのは店の中での階の移動だった。たった一階を移動するだけでも10分とは言わないがよほど運が良くないと数分は確実にかかる。今回は箱満杯で見送るというのを数回経験した。一人ぐらいなら乗れるスペースがあってもベビーカーは結構なスペースを専有するので、ちょっと割り込むのはきつい。

 最近の店舗にはベビーカー優先のエレベーターもあり、そちらだと心置きなく乗れるのだが、こちらも満員で乗れない、ということが何度かあった。一度、ベビーカー優先を待っていて、ベビーカー優先じゃないのが止まってしまい、そちらは満杯で乗れず、やり過ごすうちにベビーカー優先のが素通りしてしまって、さらに数分待たなくてはいけない、ってことがあって、泣きたくなった。

 多分、そうした経験を何度も経てなのだろう、ベビーカーを折りたたまずにエスカレーターにそのまま乗ってしまう人たちがいて、私も前後に人がいないタイミングを見計らって一度だけやったことがあるが、突然エスカレーターが止まっても絶対離さへんぞ、ぐらいの強度で集中していたためか、意外と普通に乗れてしまうことが実感として分かった。

 どうしてもベビーカーでエスカレーターに乗らざるを得ないときは、せめてベビーカーを折りたたんで、子供を抱っこして乗るように、ってことになっているが、やってみるとわかるが、さらに荷物があったりしたら、片手に子供を抱え、もう片方は手すりに、とすると、荷物とベビーカーはどうするの、そりゃ肩掛けベルトで右肩にベビーカー、左肩に荷物、とか不可能ではないが、手すり側に荷物は厳しく、余計に危ないんじゃないか。また、子供は0歳児はともかく1歳をすぎると10kgを超え始めるわけで、十分に重く、しかもいきなり身をのけぞったりするので怖い。

 というわけで、ベビーカーでそのままエスカレーターに乗ってはいけない、ということになってはいるし、他の人の迷惑にもなる可能性もあるだろうが、場合によっては大目に見てもいいのではないか、なんて思ったりした。でないと、ますますベビーカー族の行動範囲が狭まってしまう。もちろん、エレベーターを使えるなら、そっちを使うべきなんですけどね。

 日本では、とかく迷惑をかけないようにすることを自他に求めることが多く、逆に言えば、迷惑をかけなければ何をやってもいい、ということになりがちだ。私は最近は生きている限り、迷惑をかけるのだから、多少の迷惑には出来るだけ寛容になるようにした方が楽に生きられるんじゃないか、と思うようになってきている。そりゃ、迷惑をかけられるのは嫌だし、避ける努力をするに越したことはないのだが、あまりに迷惑をかけないことに注力しすぎるのもどうかと思う。

 なるたけベビーカー使用時の階の移動にはエレベーターを使うようにはするだろうが、場合によってはエスカレーターもありってことにならんかな。ならんだろうな、社会としては容認はせんだろう。しかし、世の中、容認はされないが、黙認される事柄はよくあって、この件もそうならんかな、と思っているのだが、どうだろうか。

 まずは受け入れられないだろうと思われる個人的見解をいうと、エスカレーター自体が中途半端な代物であって、高齢者や子供には早すぎて危険だし、車いすの人もベビーカーも乗れないって、ちょっと今の時代にふさわしくないんじゃないの? むしろ、エスカレーターだらけにするなら、エレベーターを増やして欲しい、と思うし、最近は階段がなくなりつつあるが、階段の登り降りは健康にもいいわけで階段とエレベーターだけで十分だと思っている。さらにいうと、階段近くでベビーカーを運ぼうとしている人を見かけたら、たまたまそこにいる人が手伝うのが普通の社会であるべきじゃないのか。私の知る範囲ではウクライナは実際そういう社会で、ウクライナでベビーカーで階段に行くと誰知らず、ほぼ100%の確率でベビーカーを運ぶのを手伝ってくれ、大変感動したのだった。

 最後に今回気づいたコツとしては、エレベーターも場所によっては空いているのもあって、入口近くのは混雑気味だが、奥の方のは意外と空いてることがある、ということで、箱満杯素通りになった場合、他にないか探すのが精神衛生上いいと思います。

原節子追悼で放映された小津安二郎監督の『東京物語』を見た

 先週からずっと保育園関係などで奔走中で、ゼムリャキのタマーラさんたちの講演に行けたらと思ってたが、いろいろあって行けなかった。

 そんな中、原節子追悼で放映された東京物語を録画しておいたのを子供が寝た後、見始めた。見てる途中に子供が起きてしまったため、そこで見るのをやめて、翌朝、続きを見たのだが、また子供が起きてきて、抱っこしながらの鑑賞となった。子供は膝の上でまた眠りについたのだったが、後半に入って話が佳境に入り、感涙することしきりで、朝から見るものではなかったかもしれない。

 東京物語はもう何度も見ていて、大枠の筋書きは頭に入っているのだが、昔から「忘却力」が強いこともあって、ストーリー展開を忘れてるところが結構あり、今回も堪能してしまったのだった。前回見たのはいつだったかなと思って、2003年頃から出来るだけつけるようにしている映画メモを見るともう10年以上前で今回で5回目の鑑賞となるようだ。

 メモにはこんなことが書いてあった。

前回見てからまだ数ヶ月にもならないと思うが、前回もそうだったが学生時代に見た時には感じなかったことを感じたと思う。学生時代に涙が出ることはなかったが、もう年を取り、いくつかのやりきれない現実を前にいろんな経験をした後で見るとまた違った角度で見ることが出来る。やはり未亡人役の原節子とは母親役の東山千栄子のやりとりは涙なしには見られない。今の自分の境遇と将来への見通しの無さがどうしてもだぶってしまう。この作品が世界的にも高い評価を得ていることがどう理解してよいのか今だによくわからないが、これからの人生あと何度か見ることになる作品であろうと思う。

 当時は会社を辞めたばかりぐらいで、今後どうやって食べていこうか、というより、どうやって生きていこうかをよく考えていた時期で、しかし、祖母の面倒を私以外に誰も見てくれそうもない状態にあって身動きがとれず、原節子演じる紀子の言う「何かを待っている」状態だったように思う。その後、結局、なぜかチェルノブイリ被災地に行くことになったりし、さらには一生独身で行くつもりが子供が出来て、方向性が大転換されてしまったわけだが、今回は、今まで見た時よりもさらに様々な人生経験を経たこともあり、昔よりも自分的に泣き所が増えていたし、各場面をより深く理解したように思う。

 特に杉村春子演じる夫婦の子供にあたる美容院店主の長女の身勝手な感じは自分の身近でも思い当たる節が大いにあり、祖母の介護をめぐって押し合いへし合いしたことを思い出したりした。結局、独り身で決して暇ではないが「自由になる時間」のある人が損をするような役回りになりがちで、この映画でも未亡人で子供もいない紀子がそうした立場にいる。例えば、葬式が終わって会食しているときに、長女は自分は用事があるため帰京したい旨を述べた後、「紀子さんはまだいいんでしょ」と厚かましくもさらりと言ってしまうあの感じは、聞き覚えがある嫌な感じだ。

 先日、ちょうどこの映画の紀子と同じぐらいの年齢の女性が「何のために生きてるか、ふと分からなくなることがある」などと言っていて、その人も兄弟の間で親の世話に関して意見の相違があるらしく、独身であるがゆえの損な立場にいるようだったが、こういう場合、得な立場にいる者は「暇なお前が面倒見て当たり前」的な態度を知らず知らずのうちに取りがちで、映画の中でまだ若い先生をしている末っ子の京子のセリフのように世の中は「他人同士でももっと温かい」はずなのだが、紀子が言うように「誰だってみんな自分の生活がいちばん大事になってくる」わけで、それはそれで真実だったりするのだ。私自身もつい被害者面を強調しがちだが、思いがけないところで他の人に負荷をかけていることに気づかずにいることがままあるわけで。

 小津は東京物語について「親と子の成長を通じて、日本の家族制度がどう崩壊するかを描いてみたんだ」と述べているが、この時代からさらに世代が二つほど進んだ今の目で見ると、離婚経験のあるような人は出てこないし、兄弟仲も決して悪いわけではない。そもそもが5人の子供を育てあげ、そのうち3人が東京へ、1人が大阪へ行ったという老夫婦の話で、映画の中でも述べられているが、この家族はかなり「いい方」なのだ。ただ、映画中で年を取ってから出来たひとり子を甘やかして育てたばかりに、子供から邪険に扱われているという同郷人に対し、笠智衆演じる主人公の老夫婦の夫は、同様に子供の現状には満足していないが欲張ったらキリがないので諦めるしかないと述べる。「東京は人が多すぎる」というのを理由の一つとしてあげているが、「平気で親を殺す奴もいる」というセリフなども、東京物語の時代と今は、さほど変わりはないんじゃないかと思えてくる。

 東京物語は戦後8年目の作品で戦争の影が色濃くあり、それは次男の戦死であり、また、同郷人の服部の子供2人の戦死であり、服部は「もう戦争はこりごり」と言う。現代日本で戦争のリアリティを感じる機会はあまりないが、改めて、戦争を経て今の日本があることを感じたりもした。

 ともかく、様々な観点から気づきを得ることができる作品で、イギリスの企画で監督が選ぶ作品の1位に選ばれた作品であり、外国人がどのような点で本作に感銘を受けているのか知りたくなってきた。今はちょっとその時間すら取れないが、これから調べてみたい。

 あと、『「東京物語」と小津安二郎: なぜ世界はベスト1に選んだのか (平凡社新書)』という本が出ていて、こうした本が出ているのを知ってはいたが、残念ながら未読。旬の今、読んでみようかと思っているところ。著者は大学の映画サークルの先輩の先輩らしく、その方からその存在を知った。また読後に感想を書いてみようと思う。

中山間地域で実際に子育てしてて思うこと

 たまたまテレビをつけたタイミングで鳥取県知事が「中山間地域で保育料を無料に」という話をしていた。キャスターのお決まりの「財源はどないすんねん」に対し、「それが都会人特有の発想で、人数は圧倒的に少なく600万円で済む」といった話をしていた。そこしか聞いてないので、話の前後の脈絡などは知らんのだが、検索すると確かに鳥取県ではそうした事業を実施しているようだ。

中山間地域市町村保育料無償化等モデル事業

 4000万円の予算で「少子化、人口減少の危機に直面している中山間地域において、保育料の無償化・軽減による子育て支援により若者の移住定住に果敢に挑戦する市町村に対して助成する」という地方創生のための財源を使った事業を実施している。

 先頃出された子育て支援拡充の方針の中で「3世代同居」を促す措置が検討されているようだが(例えば、三世代同居に係る税制上の軽減措置の創設(内閣府 PDF) など)、うちの場合、いずれの親も近くには住んでいないため親には頼れない状況にある。

 今の状況で子育てと仕事とを両立出来ている家の多くは、何らかの形で親のサポートを受けられている家庭が多いように感じる。そして、この地でも保育環境として概ね親のサポートが前提とされている状況があるように感じている。田舎なので、少なくともいずれかの親が近くにいることが多い、という事情がある。ただし、実際に親の手を借りずに子育てしている例が私の身近にもあることはあり、その方から情報をもらったりしているものの、双方ともに今の日本でよくある就労形態(要するに正社員とパートの組み合わせなど)の場合に限り、よい保育サービスが受けられる状況があるように思える。

 中山間地域で私みたいのが子育てする場合の苦労を書いてみる。ちなみに中山間地域とは農水省のサイトの説明によると「平野の外縁部から山間地」とのことだが、滋賀県の資料では「中間地域」と「山間地域」に分けられていて、私の住む地域は山間地域の方にカテゴライズされているようだ。

 保育環境についていうと、同じ町内(合併前)に認可保育園はあるものの、そこでは一時保育の受け入れはしていない。保育園に入れるには、この田舎であっても事前にいろいろと動いておく必要があって、また、一種のポイント制でもあり、我々のような就労状態の場合、どうしてもそのポイントが低くなってしまうし、また、常時保育園に行かせたいわけでもないため、一時保育でない通常の方の保育園に入れる選択肢はなく、一時保育を希望しているのだが、その一時保育のハードルが結構高い。

 まず、遠い。車で30分とは言わないが、最寄りの保育園まで車で二十数分はかかる。それも認可外の方で認可の方だとなぜかいやがらせのように行きやすいところにはなく、もう少し時間がかかるようになっている。

 また、一時保育は16:30までということになっており、これが大きなネックとなる。私の場合、その時間だと迎えに行けないのだが、その間どうしたらいいのか。一応、「ファミリーサポート」という制度があって、16:30から仕事が終わるまでの間に、あらかじめ市の仲介で顔合わせしておいた方にお願いして保育園まで迎えに来て、その方の家で預かってもらい、仕事が終わったあとにその方の家まで引き取りに行く、ということになるのだが、これが現実的といえるのかどうか。お金も思ってたよりもかかるようで、二の足を踏んでいる。

 先日、嫁さんの具合が悪くなったが、私もその日、納期の迫った仕事の最後の仕上げ段階にあって休むわけにはいかない、ということがあって、たちまち困り果ててしまった。結局、昼過ぎまで子供の面倒を見てバトンタッチし、午後から出勤、ということにしたが、こういう場合、いったいどうしたらいいのか。急な用件の場合、こうしたサービスは期待できない(事前に申し合わせをしておく必要があるため)。祖母からよく聞いてたが、急な呼び出しで子供のいる都市部へ何度も何度も行ったことがあったようだが、昔よりも制度が整備されているはずの今も結局は、こういう場合に頼りに出来るのは親だけ、ということになっているのが現状なのだろう。

 というわけで、ベビーシッターを雇うとか、近所の方にお願いするとか、いろいろと考えたが、結論として、我々はこの地域を出ることに決めた。ここで子育てをするのは無理ゲー、というのが結論。いや、もちろん不可能ではないし、それなりにお金を払って、それなりに仕事をセーブすれば可能だ。しかし、我々はそうした生き方を選択しないことにした。

 ここを出るのは、それだけが理由ではないのだが……、大きな要素の一つであったことは間違いない。私はこの地域に思い入れをすでに持ってしまっており、なんとか住み続けることを考えたかったが、現状は厳しい。一応、とりあえずは二地域居住に近い状態を保持できればと考えているが、現実はそう甘くなく、こうした「別荘」を維持するのは大変高くつくのが実際のところだ。

 中山間地域の保育料を無料にしたところで、子育て世代が残ったり移住してきたりするのかどうか、私はわからない。でも、それぐらいやらないとこの流れは止まらないだろう。というか、それぐらいでは足らないんじゃないかとすら思う。こうした事柄は「心理戦」でもあり、誰かが出て行くと私も、という風になるのが常だ。

 さらに突っ込むと、そもそも中山間地域に人がいる必要があるのか、というところに行き着くだろうが、私は必要だと思う。それが「多様性」というものだろうし、全員が都市部に住むわけにもいかないだろう。しかし、ここに特に力を入れてもらう(要するに税金を投入してもらう)ために都市部の人たちに納得してもらえる言葉を持てるか。先の農水省サイトにある「農業の多面的機能とは?」などは一つの模範解答といえるが、なるほど、じゃあ税金ザブザブ投入しよう、とはなかなかならないだろう。

 日本からクマがいなくなっていいのか、実際に九州からクマはいなくなったが、特に困った、という声は具体的にはあがってこない。日本からオオカミがいなくなった。でも、困った、という声はあがらないし、家畜がオオカミにやられなくなって、むしろ「利便性」が上がりはしただろう。私自身も割りと「効率」重視のメンタリティなんでそういうのもわからんではないが、多分、「多様であること」に価値を置きたい気持ちが強い方なんだろうなどと考えたりする。

 こういう時、アマゾンで文明と接触しないようにされている「イゾラド(隔絶された人々)」の居住地域を管轄する方が言っていたことを思い出す。人類は多様であるべきなのだと。少し検索すると、言葉をメモってた方がいたので、引用しておきます。

「イゾラドはそれぞれの部族が一つの文化・言葉・神話を持っている。いくら小さくても、それは何千、何万の国家と同様一つの国なのだ。そうした国が滅びれば、世界は一層平準化し貧しくなっていくのだ。」
「たとえ、どれ程、私たちと異なるものであれ、それが地球上から消えるということは、私たち自身の豊かさを失うことになる。」

(こちらより引用)

 我々はすでに多くのものを絶滅させ、失ってきた。失ってたちまち困るかというと、必ずしもそうではないし、むしろ一時的には利便性が増すことだってあるだろう。しかし、多様であることは、それ以上の何者かであると私は信ずる者である。

被曝者互助団体ゼムリャキのタマーラ・クラシツカヤ代表と地区病院小児外来病院チェルノブイリ科主任ベスパーロヴァ医師が来日

 チェルノブイリ原発労働者の街・プリピャチ市の元住人たちが立ち上げた被曝者互助団体「ゼムリャキ」の代表を務めるタマーラ・クラシツカさんと、チェルノブイリから避難者が多数住むデスニャンスキー地区の小児中央外来病院チェルノブイリ科主任医師のスヴィトラーナ・ベスパーロヴァさんが来日されます。

 11月下旬から12月上旬にかけて、各地で講演会や交流会を開かれます。今、検索してみて見つけた公開情報より、場所や日時などをまとめておきます。

11/23 東京講演会「チェルノブイリからゲストを迎えての研修会&交流会」

日時:2015年11月23日(祝) 開始14:00~16:45(開場 13:30)
会場:主婦会館プラザエフ:BF2クラルテ(〒102-0085東京都千代田区六番町15)
   アクセスJR 四ッ谷駅 麹町口から徒歩1分・東京メトロ 四ッ谷駅から徒歩3分
参加費:無料・申込不要

http://starsdialog.blog.jp/archives/47927918.html
https://www.facebook.com/kirakiraboshinetjapan/posts/905599046191768

11/28 大阪講演会「チェルノブイリのその後、そして未来」

日時:2015年11月28日(土) 13時開場14時開演
場所:石切ホテルセイリュウ
近鉄奈良線「石切駅」下車、南出口より南へ徒歩約5分。
近鉄東大阪線「新石切駅」下車より上り坂を徒歩約15分。
シャトルバスは新石切駅発・石切駅発 それぞれ 13:15、13:30、13:45 (15分おき)
チケット代:1000円

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=698246546976963&set=a.214831331985156.55627.100003748735646&type=3&permPage=1

12/1 岡山講演会「ウクライナからゲスト招き講座「チェルノブイリから29年」」

日時:2015年12月1日(火)19:00~20:30
場所:岡山市立京山公民館2F第1講座室
住所:岡山市北区伊島町2-9-38
岡山駅東口バスのりば 7番のりばより乗車 「武道館口」下車 徒歩5分

http://blog.livedoor.jp/sakatakouei/archives/51830829.html

12/6 神戸講演会「チェルノブイリからのたより」

日時:2015年12月6日(日)14:00~15:30
場所:カトリック神戸中央教会
住所:神戸市中央区中山手通1丁目28-7
http://catholic-kobe.org/tunagari/images/katudo/talking.pdf

 上記以外に福島や広島・宇部などにも行かれるようなので、関心のある方はお問い合わせ下さい。

(※注:ロシア語読みの場合、お名前はそれぞれタマーラ・クラシツカヤさん、スヴェトラーナ・ベスパーロヴァさんとなります)