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1971年滋賀県大津市生まれ。大阪外国語大学ロシア語科除籍。IT業界で働きつつ、2006年よりチェルノブイリ被災地で「ナロジチ再生・菜の花プロジェクト」、被災者互助団体「ゼムリャキ」を取材。

福島のNPOシャロームさんにヒマワリの種をレターパックで発送した

 昨日、ヒマワリの種を福島でひまわりプロジェクトを実施しているシャロームさんにお送りした。半月前には収穫してて、あとは送るだけ状態になってたのだが、なんやかんやで今になってしまった。

 収穫のタイミングをはかっていたが、早めに収穫をしたグループで種だけに選別するところまで一通りやってみたところ、やはり、まとめて作業するほうが効率がよさそうだったので、残りはほぼ一気にやった。本数でいえば数十本程度ではあったが、慣れない作業の連続で戸惑いつつの作業だった。

 種をひまわりの花から取るのは、バーベキューなどで使う網が役に立った(ウクライナ人BBQの時のゴミを引き上げてきた時に混じってたのを流用w)。あれに押し付けてこそげとると、簡単にボロボロと取れた。また、しっかり乾燥しないとカビが生える、とあったので、天日干しを数日したところ、カビは生えなかったが、一部、すでにカビのようなのが発生してるのがあったので、それは除去した。

ひまわりの花を乾燥中
ひまわりの花を乾燥中

 面倒だったのは、一緒に落ちる花の小片や実のない種を除去する作業で、箕などを使ってみたもののうまく選別できず、扇風機を持ち出してきて、延長コードでつないで、戸外で段ボール箱をセットしておいて、そちらに軽いのが飛ぶような装置を作ってみたが、これもいまいちだった。

 それでも、いろいろとやるうちにある程度は選別できた。家のどこかに唐箕という昔ながらの木製の農機具があったはずで、これは風でそうした藁屑などを飛ばす便利な機具なのだが、あちこち探したけれど見つからず、以上のような試行錯誤をしたのだった。

ひまわりの種をレターパックで発送
ひまわりの種をレターパックで発送

 ひまわりの種を送る方法で一番安いのはどの方法かと考えたが、わからず、郵便局に行って尋ねると、「第四種郵便物」というのがあって、「植物種子等郵便物」はこの分類で送付可能とのこと。こんな分類があることを初めて知ったが、重さが600gほどで、同じような値段でレターパックを使えることが判明、ちょうどギリギリレターパックに入る程度だったので、こちらを選択したのだった。

 量によっては箱で送ることになるだろうが、今年はこの程度の収量だったのでレターパックとなった。どうせやるなら、もうちょい規模を拡大してやりたいところだが、来年やるとしても諸事情で十分な世話が出来ない可能性が高く、水やりをどれぐらいしなくても大丈夫なのか、などを自分なりに計算して、できるようならチャレンジしたいと思っている。

 これで今年の私のひまわりプロジェクトのミッションはコンプリートした、ということになる。こうした畑作業は祖母のをよく手伝っていたものの、一から全部自分で計画して行ったのは初めてで、種を収穫できるところまですらいけない可能性もあったが、なんとかなった。植物を育てることが精神衛生にいいことも想定外の気づきだった。

 来年もやりたい、といいたいところだが、枯らしてしまうのはなんなので、慎重に検討したいところで。

ブログセラピー

 平日昼間は仕事、朝晩と休日は子守という生活が続いている。最近は就床・起床のタイミングが子供と重なることが多く、私の希少な可処分時間がますます少なくなっている。ぶっちゃけブログなんか書いている時間があったら、山積しているToDoをこなさなあかんやろ、とも思うのだが、こうやって特定の誰かではない人に向けて文章を綴る時間というのは、生活に追われる毎日の中で悪くなく、精神安定作用があるように思う。

 時々チェックしてるブログで「ブログセラピー」なる言葉があることを知った。ブログを始めた理由はツイッターではまとまった文章を書くのに向かないので、こういう場を作っておけば、ちょっとした情報を出したい時に使えるだろう、ぐらいの気持ちからだったが、こういう感じになるのは想定外だった。

 この文章も子供にまとわりつかれながら書いていて、前段を書いてから5分経過した。かようにちょっとした文章を書くのも簡単ではないのだが、自分専用の日記とは違い、誰かに読まれることを想定して書くことで、よりよく頭の中を整理できるように思う。

 カウンセリングを受けるとモヤモヤがすっきりするのは、現在置かれている状況を他人に話すことで心の状態が整理されるからだろう。プログラミング中でも良い解決法が見つからないときに他の人に説明するだけで解決することがあり、これを積極的に利用する「ラバーダッキング」(ゴム製のアヒルのおもちゃに話しかける)というのがあるが、これも似たようなものだろう。

 別に非公開なプライベートな日記にでも書いておけばよいとも思うが、一時的にこういう形で継続的に文章を綴ってみるのも一興かな、程度の意識で1年半ほど続いている。もう少し余裕が出たら、もっと別な形になると思うが、当面はこれぐらいがせいぜいでぼちぼちと続けられたらそれで十分、ぐらいでやっていこうというところ。

ラグビーW杯が終了したが、日本ラグビー界の今後が気になるところで

 昨日、今日と子供の相手ばかりしてるが、子供が昼寝タイムに入ったので、またラグビーのエントリーをば。

 今朝、録画しておいたラグビーW杯決勝のニュージーランド対オーストラリア戦を見た。多くの時間帯でニュージーランドが試合の主導権を握り、一時、1トライで逆転可能なところまで迫られたものの、ニュージーランドが突き放し、横綱ラグビーを見せて優勝した。

 この前、「ラグビーのドロップゴールについて思うこと」というエントリーを書いたが、今回も意表をつくドロップゴールで流れを変え、オーストラリアの追撃を交わした。ニュージーランドは一時21-3まで差を広げたが、やや気の毒な反則によるイエローカード=シンビンで一人少なくなった時間帯にオーストラリアにペースを握られ、21-17まで迫られた。そのタイミングで意表をつくドロップゴールが出て、24-17となり、ワントライ・ワンゴールでも逆転はできなくなり、その後はニュージーランド・ペースに戻った。

 今回の試合ではノヌー選手の華麗なステップによる独走トライが見られた。やはり、ラグビーの醍醐味はトライで、時々、こういうプレイが見られるのが面白い。このトライはオーストラリアが押し込んでいたときのターンオーバーから始まったカウンター攻撃でのもので、やはり、何につけ、攻撃的になって前がかりになっているときに防御がお留守になりがちになるものらしい。

 今回のワールドカップでの事件の一つに、準々決勝のオーストラリア・スコットランド戦で試合後に「誤審」を認めた、というのがある。主審は試合後すぐにスコットランドの「ホーム」状態のスタジアムの観客からのブーイングを避けるためか、まっすぐグラウンドから走り去ったようで、そのふるまいも問題視された。比較的審判批判されることのないラグビーでも、今回のジャッジのように勝敗を決するような場合は厳しい目が注がれる、ということだろう。

 この誤審については、フィールドレベルで判断するのはあまりに酷、という意見もあり、選手自身もすべてのルールを把握しているわけではないとも言うラグビーのルールの複雑さ・難しさを露呈した形で、ビデオ判定を導入してもこうした誤審が防げないわけであり、ラグビーを全世界に普及させるのはなかなか大変だろう。今回の誤審の説明については、こちらなどを見るとわかるかも。

 今回のワールドカップ・ラグビーで日本が優勝候補だった南アフリカに対し「ジャイアント・キリング」をやってのけたことで日本でもラグビーが話題になるようになった。南アは結局、今回優勝したニュージーランドに負けたが、内容的にも南アは素晴らしい守備で勝ってもおかしくはなかった試合だった。日本は今回、決勝戦に進出した2チームと互角の闘いを繰り広げたチーム、つまり、南アとスコットランドと対戦し、スコットランド戦は中三日ということで精彩を欠いたものの、内容的にワンサイドゲームというほどではなかったし、20年前に対ニュージーランド戦で17-145で惨敗した時代からすると、世界のトップとの差がかなり縮まったように思える。

 ただ、監督のエディー・ジョーンズがいうように日本ラグビー界はどうしても大学中心という現状があり、日本開催のW杯とその後を見据え、長い目で見た強化策が必要ということになるのだろう。ただでさえ少子化で競技人口が減る中、どんな手を打つか。元々、ラグビーファンは少なくはなかったはずで、今回、私も含めラグビーに関心を持つようになり、良くも悪くも厳しい目が注がれることになるだろう。

 しかし、そういうのも大切だが、ラグビーワールドカップをきっかけに明るい話題が出たことが一番よかったことだったかも。日本の相対的な地位の低下は止めようがなく、暗めの話題が多い昨今、今回のように世界を驚かせるような出来事があると、まだまだ様々な場面での創意工夫で明るい話題は出てくるものだと改めて思ったし、国を背負って、というところで、拒否反応を示す人もいるかもしれないが、スポーツでの活躍の効用は、オレもがんばらなあかんな、と思わせてくれるところで、どちらかというペシミストな方だが、出来るなら人生前向きな方がいい、と柄にもなく思ったりしたことだった。

今更ながら、ドイツと日本の類似性に関心が出てきたところ

 少し前に近所の本屋の新書ベストセラー・コーナーに『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる 日本人への警告 (文春新書)
』という本があり、こんな本がなぜこの田舎で売れてるの!?、と驚いて中を見ると、ウクライナ危機のことに多くのページが割かれているようだったので、購入しておいたのだが、ちょうど昨日、ざっと読み終えたところだったので、ドイツについて書いてみる。

 私がドイツを訪れたのは7年前のことだ。ウクライナからポーランド経由でバスを乗り継いでドイツ入りし、ほんの数日間だがドイツを周った。ウクライナ滞在中に行ったため、その対比が自分の中で凄まじく大きく、同じヨーロッパにあるのに、その生活レベルに天と地ほどの違いがあることを肌で感じた。ドイツ人にもいろんな人がいるだろうが、道行く人で出会った人で不愉快な印象を与えた人はほとんどいなかった。道を聞けば夜中だろうが、立ち止まって丁寧に教えてくれるし、電車で乗り合わせた人たちもよい印象しか残っていない。車窓を見てもウクライナのように遊んでいる土地がなく有効利用されていたのも印象的だった。世の中にこういう生活空間を作り上げている場所があるのだな、と感慨深かった。

 再生可能エネルギーの先進地域であり、車窓からは風車がいたるところに林立している印象で、バイオガス発電の現場も見せてもらったが、小さな村の一般の皆さんがやっておられ、自宅にも入らせてもらったが、日本の田舎とは違うヨーロッパ特有の「見た目のきれいさ」があったのも印象的だった。福島原発事故後もいち早く脱原発を決め、世界をリードする環境立国といっていいのだろう。

 外国を旅行していてよく出会うことになるのが、私の場合、ドイツ人だった。彼らも大抵、私に嫌な印象は残さず、結果、私の中のドイツは「リアル地上の楽園」とでもいうようなところになっている。ドイツと対比される国といえばフランスだが、私の会ったフランス人は嫌な印象の人が多かったのと対照的だ。

 そんなドイツだが、ここに来て、そうした印象を打ち消すような様々なニュースが出始めている。フォルクスワーゲンのデータ改竄はその象徴の一つといえるだろうが、やはり、ドイツが率先して関わったシリア難民を巡るEU内の軋みの方がより深刻な事態といっていいだろう。

 ドイツは経済面でユーロ圏内にいることのメリットを享受できる立場にあり、EUの存続を望む立場ではあるだろうが、「メルケル首相「移動の自由」見直しも示唆 難民急増受け」という記事にあるように「シェンゲン協定」の見直しに言及するなど、ドイツ流の圧力を高め始めている。また、[FT]メルケル時代の終わりが見えてきたというような記事が出てきており、ドイツの行く末に暗雲が立ち込めているかのようだ。

 冒頭の書に話を戻すと、この本で興味深く読んだ箇所を引用しておく。

歴史的に確認できるとおり、支配的状況にあるとき、彼らは非常にしばしば、みんなにとって平和でリーズナブルな未来を構想することができなくなる。この傾向が今日、輸出への偏執として再浮上してきている。(p68)

 引用文中の「彼ら」とはドイツ人のことを指す。この本の著者はエマニュエル・トッドというフランス人だが、自由・平等の国であるフランスとは対照的に、ドイツは不平等的であり、その権威主義的文化により、ドイツが支配的立場に立つと固有の「精神的不安定性」を生み出すのだという。さらに、

アパルトヘイトの南アフリカには、自由主義的・民主主義的ルールにしたがって申し分なく機能する平等な市民の集合体があったのだけれども、その自由や民主主義は被支配者たちが存在するという条件でのみ成立していた。(p65)

 とも述べ、人種差別時代のアメリカも白人同士の平等が黒人などに対する支配によって保証されていたとし、現在のヨーロッパも、ドイツ=支配者とその周辺で支配される諸国民のヒエラルキーが形成されている、という。そして、この政治的不平等はドイツ議会選挙でギリシャ人が投票できない以上、アメリカなどでの人種に起因する不平等よりも大きいという。

 日本特殊論に与するものではないが、それでも、様々な観点から見て、日本に似た国を探すのは難しい。そんな中、世界の中での政治的立場として参考になるほとんど唯一の国はドイツではないか。工業品輸出メインの産業で成り立っていて、勤勉な国民性も似ている。よく様々な政策に関して北欧などが参照されるが、国の規模が違いすぎるので、あまり参考にならないと思う。その点、ドイツと日本は共に1億人前後であり、これぐらいの人口規模の国で同様の国は他にはないといえるだろう。

 今まで考えたことがなかったが、この本で知ったのは、ドイツも日本同様に元来「直系家族」と呼ばれる家族形態を取っていて、それは「長男を跡継ぎにし、長男の家族を両親と同居させ、他の兄弟姉妹を長男の下位に位置づける農村の家族システム」(p157)とのことだが、ドイツではこのシステムが「権威・不平等・規律」などの価値を現代の産業社会に伝えたという。

 それに対し、フランスは「結婚適齢期に達した子供は自律的な家族ユニットを築くのが当然とされた」とのことで、遺産も男女関係なく子供全員に平等に分け与えられ、結果として、このことがフランスの「自由・平等」という価値を培ったとしている。

 よくフランスの少子化対策が紹介されるが、国民性の違いが大きすぎるので、個人的にはまるで参考にならないだろうと感じていた。第二次大戦で大いに疲弊し、戦後経済復興を遂げた、という類似点を持つドイツと日本だが、ドイツも同様に少子化の問題を抱えているようで、こうした類似性は興味深い。

 他所の国の有り様はなぜかよく見えるので、今後の日本の行く末を考えるヒントとして、もう少しドイツに関心を持ってみようと思っている。

 ちなみにこの本の著者は「最後の転落 〔ソ連崩壊のシナリオ〕
」でソ連崩壊を予言し、その人口学者としての視点は読んで損はないかと思う。ただ、訳者はあの「悪童日記」を訳された方であり、名訳者とのことだが、この本に関しては、口語体が唐突に出てきたり、文章として成立していない部分があったりと、誰かの下訳に手を加えたような出来なのが残念なところ。しかし、元がインタビューであるので、意味が取れないほどではなく、読み進むうちに脳内補完できるようになると思う。

サラダパン(つるやパン・滋賀) vs たくあんサラダロール(キムラヤ・岡山) vs 大根サラダコッペ(セブン-イレブン・多分滋賀限定?)

 先日、岡山に行く機会があったので、前から気になっていたパン屋さんのキムラヤを訪れてきた。ここでは湖北名産のサラダパンのライバル商品を販売しており、一度食べてみたいと思っていたのだ。

 岡山駅前に到着し、早速Google Mapで調べてみると岡山のそこここに店舗があることがわかり、チェーン店でもなく学校のそばの工場でフル稼働生産しているつるやパンとしてはちょっと規模的には太刀打ちできそうもなく、いきなり出鼻をくじかれる。

 店舗は駅中にもあるようだったが、人待ちの時間を利用し、駅前商店街の店舗に行ってみた。

キムラヤ外観

 綺麗な店内にはいろんなパンが売られていて、その中に変わり種を集めたコーナーみたいなところがあり、そこに目指すたくあんサラダロールがあった。幸い、まだ売り切れてなかった! 店内写真を撮影してよいか尋ねたところ、NGとのこと。滋賀から来たと先に断ったのがアダとなったか。偵察目的であると警戒されたようだ。

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 お味の方は、キムラヤの方がよりたくあん感が強い印象。サラダパンの方を食べ慣れていることもあり、味が濃く感じた。尋ねると割りと最近(数年前?)に開発された商品とのことで、この点では長年、味を改良してきたサラダパンの方がより万人受けするように、よりマイルドになってるのかもしれない。遠出するとき何度か手軽なお土産代わりに持っていくことがあるが、皆さん、拒否反応なく食べてくれている。福島にも何度か持っていったことがあるが、みなさん元気にしてるかな。

 キムラヤでは他にも高菜サラダロールなど変わり種パンを販売しており、同行者はこちらを購入していた。ご飯が欲しくなったそうだが、つるやのサラダパンも初めて食べた時は違和感があって、おいしいとは感じなかった。どうしても舌は保守的なので初めはこうなるものだが、こうして継続して販売されているということは、食べ慣れるとおいしく感じるということだろう。個人差はあるだろうけど。こちらはキムラヤのサンドイッチのラインナップ。

 実はかのセブンイレブンも同じ趣向のパンを販売している。その名も「大根サラダコッペ」。たまたま販売しているのを最寄りのセブンイレブンで発見し、購入。こちらも店内写真NGとのことで、パンの外観だけ。味はたくあん部分はかなり似せているがパン自体の味が多少違う印象。つるやのサラダパンの方は昔懐かしいコッペパン風だが、セブンの方は無難な今風、とでもいうか。

大根サラダコッペ

 残念ながら、こちらは試作品的な商品だったようで、その後、継続的に販売されているわけではない模様で、時々立ち寄って確認しているが、その後はその姿を見ていない。こちらはちゃんとつるやパンを訪問して、販売委託を依頼したりしたそうだが、規模的に難しい、ということで、セブン側で製造販売することになった、とのこと。このあたり、ちゃんと仁義切るところが、現在、コンビニ業界の雄として君臨する王者らしい振る舞い、というところだろうか。

 木ノ本駅前の北国街道沿いにあるつるやパンの店舗に行くと、サラダパンを求めて各地からやってくる車が何台も止まっていることがよくある。駐車場があるわけではないが、商店街にしては道は広いので、交通の妨げになるほどではない。周りの店もうちの前に車置くな、みたいなうるさいことは言わない感じでここが湖北らしいところだろう。つるやパンもこの人気に浮かれている様子はまるでなく、昔ながら雰囲気を残しつつ、人気に戸惑っている様子が今も見えるくらいで。

 近くに来られた時は是非お試しを。つるやのサラダパンは平和堂などでも売っています。