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1971年滋賀県大津市生まれ。大阪外国語大学ロシア語科除籍。IT業界で働きつつ、2006年よりチェルノブイリ被災地で「ナロジチ再生・菜の花プロジェクト」、被災者互助団体「ゼムリャキ」を取材。

自営業者に育児休業制度を!

 新しい年度となった。年度内契約が出来ない可能性もあったが、なんとか今日から働ける状態になっている。

 個人事業主になって、もう10年以上になるが、安定とは程遠い労働形態であり、いつ食えなくなってもおかしくはない状態が常時続いているので、常に「追われている」感覚が消えることはない。老後の年金などに期待はまったく出来ないので、この状態が一生続くのは覚悟の上である。ただ、人生計画として、妻子を養う予定がなかったこともあり、大きく軌道修正しなくてはならない事態となり、今後20年なんとか食べさせていくだけの収入を保持し続けることが私の目下の最大の関心事となっている。(もちろん、ここのところ最大の関心事であったチェルノブイリや福島のことも常に念頭にはありますがね……)。

 こういう立場になって、つくづく感じるのが、今の日本が会社などの組織に所属して収入を得る、という労働スタイルを前提として多くのことが組み立てられている、ということで、自営業者には育児休業もなければ、産前産後の休暇もないし、保育園も多様な働き方に対応した制度設計になっているとはとても思えない。

 少子化対策らしきものがいろいろとなされているが、効果をあげている気配はない。結局、基本制度設計からして、実態に即していないわけで、根本的なところに手を付ける時に来ているのではないか。こうした制度に通じていないので、思いつきで書くが、例えば、自営業者でも一定の枠内で直近3年の平均年収に近い金額を給付するとかしたらどうか。仄聞するところでは、ヨーロッパではこれに近いことがなされているらしい。

 借金だらけの日本にそんな新たな支出をする余裕はない、という意見はあるだろうが、これほどの急激な少子化があらゆる階層・年齢層にとって、よくないことだという共通認識はあるはずであり、子育て世代の「マインド」に大いに訴える方策を打ち出さないとこの流れは変わらないだろう。先日、3人目の子供を産んだ世帯への優遇策が出ていたが、この程度で産もうという気になる人が増えるとはとても思えない。

「子供3人以上の世帯」負担軽減へ 結婚支援策も盛り込み 少子化対策大綱を閣議決定

 今、政治力を持つ世代の子育て環境と、現行世代の子育て環境はまるで違うし、当面、高齢者の人口に占める割合がまだまだ高まっていく局面で極端に子育て世代向けの施策がなされる、というのは望み薄ではあるだろうが、それでもせめて声ぐらいはあげていかんとあかんなと思いつつ、日々の生活にまぎれて、なかなかそれすら大変というのも現実ではあり……。

育児マンガ・吉田戦車「まんが親」

 某ブック**で育児本コーナーを眺めてて、うーん、おっさん向けの本ってなかなかないもんなんやなぁ、と思って、店内をひと通りぐるっと回って、普段は行かない漫画コーナーに行くと、吉田戦車著「まんが親2」というのがあり、面白そうなので、買って読んでみた。

 氏の奥さんは私がファンである伊藤理佐であり、二人の日常が吉田戦車独特の世界観そのままに描かれてて、続きを今後も読み続けることになりそう。ここ数年マンガはほとんど読めてなくて、その存在をうかつにも知らなかったのだが、奥さん側視点の育児マンガ「おかあさんの扉」というのもあるようなので、そちらも読んでいくことになりそう。

 伊藤理佐のマンガは、一言で言うと「下品」ということになってしまうのだが、それだけに収まりきらない、ツボをつく笑いがあって、最初期のを除くとほとんど私的にははずれがない。代表作は「おるちゅばんエビちゅ」ということになるのだろうが、「やっちまったよ一戸建て!!」とかも、とても面白い。余計なお世話だが、このマンガを書かれた当初は独身だったため「一人用一軒家」を建てられたのだが、結婚されて、その後どうなってるんだろうか。

 ちなみに、「えびちゅ」は私の知るウクライナの大学の日本語学科の学生さんも好きでネットで見てたらしく、ワールドワイドに人気があるようで。

 ところで、「まんが親」にはほぼお二人そのままであると思われる東京住まいの漫画家夫妻が出てくるが、放射能の話題が何度か出てくる。原発事故のせいで子供に砂場で遊ばせることが出来ないという件(あとがきによると、公園デビューが済み、砂場遊びも解禁されたとのこと)、また、旅行先の長崎の平和公園でのシーンではこんなセリフが出てくる。

「…東北や関東の食べ物応援したいし、食べてるけどさ…」「東京あたりに住んでる人間がこんなこと言って申し訳ないけど…」「なんかすごく楽…放射能のこと考えなくていいの…」

 対する夫たる人物は、泥酔して帰宅した奥さんが母乳を与えようとした時に以下のようなセリフを言う。

「日頃、放射性物質がどーした基準値がこーしたうるさいくせに!」「その酒乳のほうがよっぽど子供の体に悪いわ!」

 私の子供が生まれたのは約1年前だったが、原発事故当時に妊娠中だった方、子育て中だった方は、それはそれは様々な情報に錯綜され続けたことだろう。そして、今も現在進行形で心配され続けているんだろうと思う。

 その後、様々な実測データは出てきているが、多分、データを示されても、親というのは、子供の安全ということにかけては99%を99.9%に出来るなら、その99.9%を選んでしまう生き物なのであり、それに対し、外から「正しく怖がれ」などと言われても、その態度を翻すことはできないのであろう。

 原発事故から4年目、まだまだ原発事故が収束したとはいえない状況が続いている。そして、福島の農家さんの声も直に聞いたことがあるので、その努力や悔しさは知っているつもりで、応援したい気持ちもある。遠くにいて、出来る事は限られているが、引き続き、関心を持ち続けていきたい。

東北と関西

 今日、録画してたけど全然見られてなかった震災関連番組をいくつかながらで見ていたのだが、その中で津波被災地で家族全員助かった方の話がとても印象に残った。その方は周囲に親族を亡くした方が多くいる中で自分は親族が無事だったこともあり、「くよくよする資格なんてない」と思っていたとのこと。しかし、津波で避難していたときに目にした様々な出来事を誰にも話せずにいて、流される人たちを目にしながら婚約者がいたこともあり助けられなかったことについて、「何もしなかったことがつらい」のだと。

 番組内で言及されていたように、阪神大震災の場合だと4年目にはすでに仮設も解消しかけていて、復興が進んでいたが、東北の被災地は4年目になっても復興が見えない状態が続いている。原発事故の影響もあるだろうが、やはり非常に広範囲であり、さらに経済の状態も悪く、また、安全への配慮も津波被災地の場合、より複雑で大変ということもあるだろう。さらに過疎の問題が元からあったことも関係があるだろう。

 阪神大震災のときとの比較に関していえば、ボランティアについて『東北発の震災論』に興味深い指摘がある。多くのボランティアがかけつけた点では同様だったが、阪神では前例がなく、現場での創意工夫の空気があったが、東北の場合は阪神大震災という前例があり、そのことがよくも悪くも、パターン化・マニュアル化を招いた、という指摘である。また、遠方からの団体は組織化されていて、人材、資金、知識が豊富であるため、地元地域の自主性が発揮されず、「資源の豊富な中心集団に対する、地元の小集団の遠慮や萎縮が見られた」というのである。

 確か2007年だったと思うが、山形ドキュメンタリー映画祭の会場でNPO法人化についての公開討論会が催されていて、私は事情もよくしらないので、ただ客席で聞いていたのだが、壇上にいる関西のとある映画館主他、関西弁も飛び交う中、東北の大学の方が言われた「関西など外部の方が大変だ、大変だと言うのはわかるが、東北には東北のリズムがあり、もう少しゆったりとしていてもいいのではないか」という趣旨のことを述べられたことがとても印象深く、今も時々思い出すことがある。

 福島に何度か行っていた頃、とある雑誌に県民性の特集があって、福島のページを開けてみたら、「関西人が苦手」と何度も繰り返し書かれていて、福島で関西弁で話すことに、なんというか、居心地の悪さを感じていたこともあり、思わず苦笑してしまった。

 東北と関係の深い都会といえば、いうまでもなく、東京・首都圏である。私は生まれてからほぼずっと関西に住んでいるが、関西で東北出身の方に出会うことは、仙台の方を除くと稀であり、恐らくその逆もまた真なのではないかと思う。なので、東京で会う関西人の印象がそのままその方の印象になっているんじゃないか、と思ったりしたが、東京に住んだことがないので、この当たりはよくわからない。

 あと、東北と関西でいうと、軍隊で屈強だったのは東北と九州で、関西はひ弱だった、という話があり、真偽の程は知らないが、関西人のずる賢い感じが出ているエピソードでさもありなんな話のように見える。

 事程左様に、東北と関西は性質が真逆で、私は福島にいて、そのことを意識せざるを得なかった。自分が福島に行くことで何か福島の役に立っているのか、ただ引っ掻き回しているだけなんじゃないのか、と。やがて、個人的な事情もあり、福島から足が遠のくことになってしまった。今も時間とお金が許せば、行く用意があるが、いかんせん、関西・東北間は日帰りでいけるような距離ではなく、子育て中で平日は会社勤務であるような人間が気軽に通うのはちょっと難しいというのが実情である。

 そうした中でヨソモノとして出来る事は何か、と考えているが、あまり不用意に事情もわからないのに、福島について何かを述べることは出来ない、という遠慮もあり、ある時期から積極的に何かを述べることは避けてきたが、そういう風に腫れ物に触るように避けるのも風化の手助けをすることになるだけかもしれないので、福島の人から、お前黙れ、と言われない限り、時々にでも言及ぐらいはしていこうと思い始めたりしているところである。

 以上、少々「ナイーブ」に過ぎるかもしれないが、ここのところ感じてたことをつらつら書いてみました。

フリージャーナリスト礼賛

 昨日、岩上安身さんが連続ツイートをされていたのを読んだが「【岩上安身のツイ録】眠れない日々 ~僕が交感神経優位になってしまった理由」、ジャーナリストは本当に大変な職業だと思う。特に組織に所属していないフリージャーナリストは収入面で大変なようで、本来業務とは関係無いようなアルバイト的な仕事をしてる方も少なくないと聞く。

 ジャーナリストが有料メルマガを始めた頃、「信者ビジネス」などと揶揄する向きがあったが、佐々木俊尚氏が「なぜフリージャーナリストは震災後に劣化したのか?」という記事で指摘していた通り、まだ世間ではジャーナリストが「公共圏の担い手」として期待されていることの証左といえるのかもしれない。

 私自身のことをいうと、震災後しばらくはジャーナリストにカテゴライズされることもあったが、主な収入源は別であって、ジャーナリストで食べていこうと思ったことはない。現実的に考えて、食べていけるとはとても思えないからだ。なので、私のようなものからすると、信者ビジネスであれ、食べていけている人はそれだけで十分すごいと思うし、本音を言えば、ちょっと羨ましいし、それを元手に大手メディアが出来ないような取材活動が出来れば、そんな揶揄をされるいわれはないのではないかと思っている。

 また、ジャーナリストという職業は誰からも好かれるものではなく、どうしても敵ができてしまう。日本の場合だと殺されるようなことは少なくはなっているだろうが、命の危険があることは今も変わらないだろう。伊達や酔狂で出来る仕事ではない。

 先日、ロシアでネムツォフ氏が殺害されたが、こうした暗殺は世界では今も普通にある。ウクライナのキエフ中心部の繁華街「フレシャーチク」にはウクライナのジャーナリスト協会があるのだが、その協会が入っている建物の外壁には以下のように「真実のために命を捧げたジャーナリストたちへの追悼」というプレートが掲げられていて、殉職したジャーナリストの名前が記されている。かように当地では今もジャーナリストは命がけの職業である。

真実のために命を捧げたジャーナリストたちへの追悼
(Wikimediaより)

 日本でも、つい最近、後藤健二さんが痛ましい形で殺害され、「自己責任論」が再び論議されるなどフリージャーナリストへの関心が一時的に高まった。グーグル・サジェスチョンを見ると、こんな感じで、時勢を反映して、後藤さん関連のワードが出ている。「年収」や「収入源」なども出てくるので、一般的にもフリーの収入について関心を呼んでいるのだろうか。(少し前に収入とかで調べた記憶があるが、グーグルサジェストって個人の検索履歴は関係無かったっけ?)

フリージャーナリストのグーグルサジェスト結果

 今日、近場では比較的本の数が多い本屋に立ち寄ったのだが、後藤さんの著作コーナーがあり、その中に「エイズの村に生まれて―命をつなぐ16歳の母・ナターシャ」という本があった。この本はエストニアのロシア系住民が多数を占める国境の街・ナルヴァへの取材旅行で出来た本らしかった。私もここは行ったことがあるが、外国人観光客は稀で、ウクライナ政変後の今ならともかく、こうした日本人にはほとんど関心がもたれないところにも取材に行っておられたようで、ちょっと驚いた。こうした取材はフリーならではであろう。

 グーグル・サジェストには「フリージャーナリストになるには」というワードがあり、検索するとトップには就職情報サイトが来るのだが、それなりにこのワードが選択されている、ということなんだろう。雑誌メディアの退潮のせいなのか、私のアンテナの張り方がまずいのかわからないが、若手ジャーナリストの名前は私はあまり思い浮かべられないのだが、こうしてなりたい人がまだまだ存在することに希望を持ちたい。

 ただ、どうやって食べていくかについてはよくよく考えた方がいいだろう。私は個人的には、今後もフリージャーナリストがどんどん出てきて欲しいが、他に収入源を持ちながら活動することも考えておいた方がよいのではないかと思う。何もジャーナリスト稼業一本でやっていかなくてはならない理由はなく、比較的自由が利く仕事をしながら、独力で修業することも不可能ではないはずなので。

多分、十数回目の「映像編集に着手するぞ」宣言

 去年の後半からずっと残業早出に休日出勤までして対応してきたプロジェクトがなんとかリリース出来る見込みとなり、気持ち的には幾分余裕が出てきた。今の今は確定申告に着手出来てなくて、さらに次の契約も決まっていないので、まだまだ追われている感はあるが、もう少しするとまとまった時間が取れそうなので、その時間をどう使おうか、と考えているところ。

 溜め込んだ映像編集もあるが、映像だけでなく、その映像とともに、何らかの文章も同時に残していこうと思っているところで、今、わたしの溜め込んでいる映像には、大きく「チェルノブイリ被災地関連」「福島関連」「その他」とあり、自分としては同時並行で進めていきたいぐらいなのであるが、やはり基本的には撮影順に、つまりチェルノ関連から着手しようとしているところ。

 ただ、インタビューしたものや、無理を言って撮影させてもらったものも多く、そういうのもできるだけ早く編集し、何らかの形にしておきたいとも考えていて、あまり厳密に撮影順を守らずに進めようとも思っている。時間がかかるやつは撮影順、その合間に短いのを、という感じになりそう。

 映像編集にはまとまった時間が必要で、自分自身の怠惰もあって、なかなか着手できなかったが、そろそろ着手しようと思っていますので、ここに宣言しておきます。

 ダイエットや禁煙は、公言してしまうと実現できる、というので、書いておきます。今まで何度も「やるぞ~」と宣言してきて、前言を翻してきたので、またゆうとるわぐらいに思っている人も少なからずおられるかもわかりませんが、どうぞ気長にお付き合いくださいますよう、よろしくお願いします。