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「限界集落維持のコストは 国土交通省が検証へ」の記事の感想

 年末年始は10ヶ月の赤子が初めての風邪をひいて、その世話をしたりしていたのだが、さらに手押し車を使ってあちこち暴走ならぬ「暴歩」を初めており、ひとり歩きする日も近そうで、去年の年末年始同様、部屋の模様替えと掃除で終わってしまった。そんな中、こんなニュースが出てたので、日頃思ってることなどをつらつら書いてみます。

限界集落維持のコストは 国土交通省が検証へ(NHK) 1月2日 4時13分

限界集落維持のコストは 国土交通省が検証へ
人口減少が深刻な過疎地で持続可能な集落の在り方を探ろうと、国土交通省は東北の4地区をモデルに集落を中心部に移した場合に維持する場合と比べてコストがどれだけ節約できるかを具体的に検証することになりました。

住民の半数以上を高齢者が占め、存続が危ぶまれているいわゆる「限界集落」は国の調査で全国400か所以上に上り、中でも東北地方は50か所と中国・四国地方に次いで人口減少が深刻な過疎地が多く、集落維持のコストが課題となっています。
このため国土交通省は、集落を維持する場合と中心部に移しコンパクトな街づくりを進める場合のコストを比較し、実際の集落をモデルに検証することになりました。
具体的には集落の維持にかかる道路や上下水道の費用やバスやゴミ収集車などのコストと、集落の移転に伴う費用を比較し移転でどれだけ節約できるのかを分析することにしています。
モデルとなるのは宮城県栗原市、青森県むつ市、秋田県湯沢市、それに山形県小国町の4地区で、国土交通省は現地調査をし、ことし3月までに報告をまとめます。
こうした検証は全国で初めてだということで、東北地方整備局の安田吾郎企画部長は、「限界集落の問題は、住民の合意形成が難しくなかなか解決に向かわないが、『コスト』を見える形にすることで、集落再編を進める貴重なデータにしたい」と話しています。

 ちょうど最寄りの数少ない新刊がいくらか読める書店に『地方消滅の罠』という本があって、著者の山下祐介氏の『東北発の震災論』を興味深く読んだものとして、関心分野でもあり、購入して、半分ほど読んだところなのだが、『限界集落の真実』の著者でもある氏の問題意識は自分には何かと示唆に富んでおり、興味深く読んでいるところ。

 この本では主に元岩手県知事の増田寛也氏の話題の著書『地方消滅』に対する批判という形で論が展開されているのだが、「選択と集中」という言葉に潜む「選民意識」をあぶりだした上で、対案として「多様性の共生」という概念が提出されている。過疎地の住民として、著者の問題意識はほぼ共感できるものなのだが、いかんせん「多勢に無勢」感が強く、結局のところ、現代日本で多くの人が住む首都圏をはじめとする都市部、さらに言えば、東京在住の人たちの耳にはほとんど届かないか、届いても実感を持って共感されるものとはならないのではないか、という諦めにも似た気持ちを抱かざるをえない。

 私は東京に住んだ経験がなく、東京から出たことがないというリアル知人が非常に少ないため、たまに、そうした人と会って話したりすると、地方人の常識との乖離に驚くことがある。とはいえ、そういうずっと東京に住んでいた人に地方の実態を把握してほしい、というのもちょっと無理な注文なんじゃないかと思ったりもする。

 昨年末、「またまたエコノミストの予測外れる GDP下方修正発表に記者からどよめき」というようなニュースがあり、様々な「大人の」制約でこうした予想がなされた、という話もあるが、エコノミストの多くが東京在住で地方の実態が見えてないからじゃないか、と言われたりしていた。

 今回の記事も地方の実態など眼中にない中央官僚の「限界集落は国を維持していく上でコストがかかって邪魔なので、とっとと移住しろ、田舎者ども!」という考えが背景にあるのではないか。いや、まあ、官僚の秀才の皆さんもそこまで意識的に悪意を持って考えてるわけではないんだろうけど、こうした住んでいる人の気持ちなどお構いなしに「コスト」で測るという発想は「選択と集中」の「選ぶ側」に立つもの特有の何か(要するに先の著者もいっていたが「エリート主義」)が見え隠れする。

 増田寛也という人物については官僚出身だが、岩手県知事をやってたぐらいなんで、地方出身者なんだろうな、と勝手に思ってたが、どうも東京生まれ東京育ちの生粋の東京人のようだ。(Wikipedia 増田寛也

 私は全都道府県に足を踏み入れたことがあり、結果、一番変わった人が多いところが東京で、別の言い方をすれば、東京は日本で最も多様性に富んだ街という、「日本の首都は東京です」以上ではない感想を抱いたのだが、東京人を集団としてみたときに、エゴイズムをむき出しにする都会人の集まりに見えてしまうのは地方人の僻みなのか。

 滋賀県には一部「三大都市圏」に入らない地域があるのだが、私はその地域に住んでいる。とはいえ、京都・大阪・神戸、さらに名古屋に普通列車で日帰りできるところに住んでおり、これで田舎もんとは片腹痛いわ、と突っ込まれることもあり、私が中国・四国地方や東北の限界集落の実態を本当に理解できているか心許ないのではあるが、こうした中央から忍び寄る魔の手から逃れ、いかに生き延びるか、我々地方人もそれぞれの立ち位置でできることをしていかないといけないんじゃないかと思う。