「学童集団疎開」とその諸問題。(1) いじめについて

 浜館菊雄著「学童集団疎開」という本を読んだ。

 いじめにより、子どもが自殺するという痛ましい報道がつい最近もあったところであるが、子どもの陰湿ないじめは戦後の高度成長が一段落し、皆がある程度豊かになった辺りから出てきた問題かとなんとなく思っていたが、この本を読んで、戦中からすでにあったことを知った。軍隊での新兵いじめの話は映画や小説などでよく出る題材でそういうのが日常あったことは知っていたが、子どもの間で仲間はずれにしたりして精神的に追い詰めるようないじめが戦中からあったことをこの本を読んで初めて知った。

 この本は某古書店で100円で売ってるのを見かけてなんとなく買った本だった。福島第一事故直後、集団疎開を提案する動きが出はじめ、私たちが初めて2011年4月に福島入りしたときも、主目的の一つは集団疎開は無理としても、希望者だけでも子どもたちの一時避難ができないか、という件で現地の意向を聞きに行く、ということであって、自治体の社協などを訪れたりしたのであるが、その後もずっと疎開について、あの状況で可能だったのか無理だったのか、しなかったのは正解だったのか、した方がよかったのか、私の中でも未だ結論は出ていない。ただ、今後、原発事故など想定外の事態に対し、集団疎開が今の時代に現実的なのかどうか考えておきたい、という気持ちはずっとあって、ここのところ、育児の合間にちびちびと読んでいたのだった。

 読後感として、疎開は様々な問題が噴出し、大人にも子どもにも大変な肉体的・精神的苦痛を与えるものだ、ということがよくわかった。特に子どもの精神的動揺の問題は大変大きく、担任として子どもと直に接してきた著者は以下のように述べている。

「わたくしは疎開の頭初には、その訓育的効果に期待をもっていたのだった。(中略)。わたくしは、ある理想をいだいて臨んだのであった。しかし、事実はより以上に厳しく、環境と生活状態の急変による子どもたちの精神的動揺は、わたしくにとっても大きな動揺であった。わたくしの夢は破れ、きゅうきゅうとして子どもたちの精神を平静にし、その心に喜びの灯をともしてやりたいという消極的な仕事に終始してしまった」

 そして、食料調達の問題も大変大きく、そのことがいじめの問題に大きく影響したこと、また、父兄との信頼関係がゆらぎ、いくつものデマが生まれ、相互不信状態に陥り、中途で子どもを集団疎開生活から離脱させる親が続出したことなども疎開が簡単ではないことを物語っている。

 この本で描かれている疎開について述べておくと、世田谷区の小学校児童が長野県に疎開にいったときの記録で、1944年7月17日に疎開通達があり、翌々日には疎開列車に乗っている翌々日までに参加するかどうか決めるように言い渡された。そして、約1ヶ月後の8月12日に出発している。この猶予のなさについて、著者は時間を与えてしまうと疎開自体がうまくいかなくなるため、当局がそのように設定したのだろうという推測を述べている。

 疎開はまず旅館に寝泊まりし、その旅館の部屋で授業が行われた。その後、工場移転に伴う危険を避けるため、再疎開が行われ、より山深い農村の寺に宿泊することになり、そこで終戦を迎えることになる。学級は3年から6年を男女別8つに分けられ、担任もそのままという形で行われたので、教師と児童の間の問題は少なかったようだ。

 1945年4月から東京では学校が閉鎖され、低学年の児童も疎開組に入ることになり、ただでさえ「疎開病」という精神的退行状態に陥る子どもが多い中でさらに困難が増した。勤労奉仕で飛行場建設現場に行ったり、農作業や薪運搬作業に駆り出され、教育が満足に行えない状態が続く中、玉音放送が流れ、その後すぐ続けて流された解説放送で、集団疎開は来年3月まで続行とアナウンスされたが、実際には11月1日に帰京できた、とある。

 この本を読む前の私の疎開のイメージは、都会の子が田舎に行き、村の子どもたちにいじめられる、というものだったが、この本を読むと、むしろ疎開児童同士の間のいじめがひどく、村の子どもとはそんなに深い交流があったわけではなかったことが伺えた。ただし、これは集団と単独の疎開の違いでもあるかもしれず、親に連れられての疎開の場合はまた別の話かもしれない。

 著者によると「本書の刊行を思いたったのも、この子どもたちの内面的な苦悩の姿を幾分でも表わしたいという願望があったから」とのことで、いじめのことを「特殊な異常行為」と表現していることから、当時としてはこの問題が異例であったことが伺われる。

 この本には22の章があるが、10章目に「教育の盲点」という章があり、それがいじめの報告となっている。ちょうど重松清の「ナイフ」の「ある日突然、クラスメイト全員が敵になる」みたいなのが、この時代にすでにあったことが描かれている。教師も含め大人がまったく見抜けなかったとあるので、この時代では子供同士でこうしたいじめがあることは稀だった、ということだろう。そして、「子供の精神衛生面を重要視できなかったといことが、決定的な落度といわなければならないのではなかったか」と述べている。

 上級生が下級生をいじめる例が多かったようで、少ない食べ物をめぐっての争いで上級生が巻き上げるなどがあったとのことで、面会の折に親がこっそり渡す食物も上納しないといけないなどの厳しいルールがあったようだ。また、みんなで一人を無視するいじめもあり、無視の仲間に入らないと今度は自分が標的になる、という点も今のいじめと同じで、集団生活で生じるいじめに時代は関係ないようだ。また、男児より女児に排他性・残忍性が強く出たとあるが、今の集団生活は多くの場合、男女別でないので、どうなんだろうか。

 本書ではこうしたいじめが起きた原因の一つとして、班編成にあった可能性が示唆されており、隣組での班編成が基本であったが、どうしても部屋によって、あぶれる場合も出てきて、その場合、意地悪な子が敬遠される傾向があって、そうした「問題児たち」がいじめる側に回ることが多かった、という事情があったようだ。

 そうした閉鎖空間にあって「疎開病」になり、精神的不安の蓄積が肉体に影響して病弱になる子どもが続出した、とのことで、そうした子どもは、親元へ戻すとただちに「疎開病」が治ることが記されている。このことについて、著者は以下のように書いている。「子どもたちの日ごろの元気の根源というものは、家庭生活にあるのだということを、しみじみと観ぜざるをえないのである。まことに、家庭こそ子供の魂の宿るところなのである」

(つづく)