2016年1月20日の身辺雑記

 この年末年始は柄にもなく海外旅行に行ってきた。年末年始の海外旅行は人生初。別にこの時期である必要はなかったのだが、嫁さんの都合、というのと、子どもが2歳未満だと航空運賃が安い、というのが動機付けとなり、遠目のところで、あまり今後行くことはなさそうなところ、ということで、スペインとモロッコに一家3人で行ってきた。後に、この遠目、というところがアダとなり、自分にはね返ってくるとは思わなかったが。

 というのは、帰国便はその2歳前の子どもと2人で搭乗したのだが、小さな子どもと飛行機で長距離旅行するのはやはり大変なことでほとんど寝ることが出来なかった。計算すると、スペインで嫁さんと別れたのが14時頃で、帰宅が日本時間で20時は過ぎていたので、時差8時間を差し引くと日本時間で22時~20時の間の22時間ほどを2人で旅したことになる。

 私は機内では基本的には何もせず、ひたすらじっとしている方なのだが、今回、途中乗り継ぎのドーハまでは満員で子どもを脇に寝かせることも出来ず、ほぼずっと膝の上抱っこの状態で6時間を過ごした。やはり2歳近くになると十分に重く、この時点でかなり消耗してしまった。

 乗り継ぎも結構大変で、巨大空港なので、結構な距離を歩く必要があり、汗だくになるほどだった。そして乗り継ぎのセキュリティコントロールで子連れだったので、優先で行けるのかとおもいきや、空港職員に聞くと「通常の並べ」とつれない返事が。深夜だったが、ちょっともう途方に暮れるほどの長蛇の列が出来ていて、仕方なくしばらく並んでいたのだが、多分インド系の世話焼きなおじさんが子連れの人にお前はあっちの優先で行けるぞ、と声をかけてきて、私にもそう言ってきたので、先に向かった人の様子を見てるとあっさりと通れていたので、私も挑戦してみると通れたのだった。こういうのは割りとアバウトなので、余裕がない場合は厚かましく出るに限る。

 乗り継ぎ時間は2時間と十分ではあるが、決して余裕のある時間ではない。この間にオムツ替えや食事を食べさせるなど、なかなかすることが多い。ちなみにオムツはこの時のために使わないでおいたラス一の日本製のオムツを使ったのだった。ただ、印象として、外国製紙オムツが特に粗悪だとは思わなかったし、こちらがオムツ交換をサボらなければ、ほとんど漏れることはなかった。

 などやってるうちに、搭乗時間が近づいてきているのに気づき、慌てて荷物をまとめて、搭乗ゲートへ向かう。大きな空港なので、少し迷う。途中エレベータに乗らないといけない、というのが落とし穴だった。そしてゲートに到着した。今回の旅行ではなぜか日本人旅行者に会うことがあまりなく、むしろ韓国や中国の観光客ばかりに遭遇したのはどうしたわけか、と不思議だったのだが、さすがに日本行きの便だけあって、日本人だらけで、やはりどこにでもいると言われる日本人だけあり、久々にまとまった日本人の集団を見て、お~やっと帰れるんやな~、とちょっとホッとした。

 今回訪問したモロッコとスペインでは本当に老若男女問わず子ども好きで、歩いていたり座っているだけで声をかけてきたり、笑いかけたり、頭を撫でたり、ほっぺたをつんとしたりしてきて、親愛の情を示す人たちが多く、子連れ旅行特有のしんどさはあったが、そういう面ではむしろ思いがけない一面を見られたように思う。特にモロッコでは、強面の警備員も子どもを見るとほぼ例外なくニヤケ始めてあやしてきたし、スペインでもモロッコほどではないが、子連れだからと嫌な目に遭うことはほとんどなかったと思う。

 そんな感覚で日本人集団の中に入ることになったのだが、何かちょっと違う感じがあるのを認めないわけにいかなかった。曰く言いがたい感じなのだが、言葉にしてみるなら、「知らない人にはやたらと話しかけたりするものではない」という社会的規範が日本人の間にはあって、モロッコやスペインのように子どもに何らかの親愛の情を示す人はほとんどいないのだった。というか、むしろ、そいつを黙らせろ的な悪意ある空気を、実際はそんなものはなかったのかもしれないが、感じてしまうほどのちょっとした、というか、それまでと比較すると「強烈な」といってもいい違和感があった。団体旅行客が多かったから、というのもあるが、たまたま話しかけた個人旅行客にもなぜか無視されて、なんだか心が折れ始めたのだった。今思うに、空港というところは日本人に限らず、そんなもののような気もするが、その時は蓄積した疲れもあって、正常な判断力を喪失していたのかもしれない。

 そんな中で列が動き始め、私は優先で行けたはずなのであるが、なんだか見えないガードがあるように勝手に感じてしまって、最後まで搭乗しないことにした。なぜそんな気後れを感じたのか、といえば、それまでとの落差が大きかったからだと思う。

 日本行きの機内は十分に空席があり、これはラッキーと、さっそく客室乗務員に席の移動許可を願い出た。2歳未満の子連れはだいたい一番前の席を割り当てられるようなのだが、ここだと席と席の間の肘置きがあげられず、子どもをイスに寝かしつけることができないからだった。

 しかし、移動した先は4人席ですでに一人、私と同年輩の男性が座っている。あまり考えなしにそこに移動したのだが、この男性はいろんな所作動作からかなりなコダワリ派であることが見えてきて、子どもを寝かせるには自分の分も含め、4列席のうち3列分をどうしても専有することになるのだが、その方には自分の横の席の「優先権」を譲ってくれる気配がないのであった。これは戦略を誤ったな、と思ったが、もう後の祭りで、離陸して、一定の時間が経っていて、それぞれ寝る体制に入り始めており、このタイミングで移動するのはなかなかに簡単ではない状況だ。

 困ったなーと思っていると、近くの2人席の男性が席を替わってくれた。後に分かったことだが、顔は日本人顔だったが、日系ブラジル人の方のようだった。画面の字幕がポルトガル語だったし、たまたまパスポートコントロールで再度会った時に外国人用の列に並ばれたので、それと分かった。

 私が困っているのを遠目に見てる人がちらほらいて、そういうのもちょっと堪えた気がする。目が合うと慌ててそらす人もいたりして、悪意うずまく中で生きるカフカの主人公にでもなった気分だった。なんと日本人は冷たい人たちなのか。日本を嫌いになって帰国する留学生がたくさんいるが、こんな感覚を毎日のように味わっていたのだろう。

 いやいや、それは言いがかりってものだろう。決して、日本人は冷たいわけではない。しかし、こういう時に遠巻きに見るだけで関り合いにはならないようにするように、いろんな契機を経て、多くの日本人がなってしまった結果なのだと思う。実際、逆の立場だったら、積極的に動けたかどうか、正直、心許ない。

 今思うに、真ん中の4人席を一人でいる人に声をかけて、もしくは日本流にするなら、客室乗務員に声をかけてもらって、最初から4人席を一人で専有すればよかった。それぐらいの空席はいくらも空いていたので。しかし、疲労がピークで考えが至らず、いっときは子どもの落下防止のために地べたで寝ようとしてしまって、注意されたりもしたのだった。

 そんなわけで無駄に消耗して、帰国後はストレスからか、猛烈な下痢と胃の激痛に見舞われたのだった。体重を測ったら、かなり痩せていた学生時代でもこんな数字は見たことないで、というような数字を記録していて、ビビった。今回の旅行では融通を利かせるために大きなスーツケースでなく、小さめのキャリーケースと複数の肩掛けカバンでしのいだため、両肩に食い込むほど荷物が重く、これは何の苦行なのか、というような長距離歩行を何度かしたりして、心身ともに疲労した。今はとにかく重い荷物を引きずっていた記憶ばかりが思い出されるが、時間が経てばこれもまたよい思い出となるだろう……なるかな……なってほしいけどならんかもな……いろいろあったし……。

 というわけで、別の厄介事が現在進行形で動いており、考え事をしていたためか、今日は子どもの保育園で必要な荷物を忘れてくるとか、さらに仕事に遅れるので早く取りに行かなくちゃ、と急いだからでもないが、保育園の敷地内で車のドアミラーをこすってしまって壊してしまうとか、散々だった。

 というわけで胃痛が再発中なのであります。

 慢性胃痛にはストレスの少ない規則正しい生活がよい、というわけで、そろそろ寝ます。