もし、ボブ・ディランが本名のユダヤ系の姓と類推される可能性のある「ジマーマン」で活動してたとしたら

 ノーベル財団がボブ・ディランのノーベル賞受賞講演を公開した、というニュースが出ていた。これで晴れて、賞金1億円を受け取れるとのこと。

 今、ちょうど、スコセッシの『No Direction Home』を少しずつ見てるとこなんだが、ボブ・ディランが本名のZimmermanからDylanに改名した時の逸話があって、リアム・クランシーというミュージシャンが冗談で「ディラン・トーマス、ハワユー」って呼んだら、彼はハッとした顔になった、という。ディラン・トーマスはウェールズの詩人。

 この映画のインタビューで本人は例の調子で「ある日その名が不意に浮かんだ。それしか言いようがない」などというが、トニー・グローヴァーというフォークシンガーによれば「人種の問題で名を変えたのかもしれない。ミネアポリスには反ユダヤの長い歴史があったからね」とのこと。

 彼のルーツは、ディランの言葉によれば「祖母はロシア南部の港町、オデッサからアメリカにやってきた。(中略)もともと祖母はトルコの出身で、対岸にあるトラブゾンから黒海(中略)をわたってオデッサにやって来た。」とのことで、Wikipediaによると祖父はリトアニアにいたらしく、父母も「小規模だが絆の固いミネソタのアシュケナジム・ユダヤ人の一員だった」とのこと。

 もし、ジンマーマンのままだったらどうなっていたか。名前からユダヤ人である可能性が想像される場合、その名前が背負うものに過剰に意味づけされて、今とは違った形で受容されていたのではないか。作品が作り手の意図しない形で受容されることはよくあるが、ディランの場合、それはよい方向には向かなかっただろう。というわけで、ボブ・ディランの場合、改名したことでそうした受容のされ方が回避されたといえるので、改名してよかったということになると思う。

 私も珍しい姓で生まれたが、ちゃんと読める稀ではない名前になって、気分的にちょっと楽になった。ルーツは個人にとって大切なものだが、時に鬱陶しくなる場合もある。ボブ・ディランは本名もディランに改名したらしいが、自分で姓をつけられる、というのも面白い文化で、長い目で見ると、それが認められる国が増えていくんじゃないかと思ったり。英米法の国だと改名の規制が緩めらしく、大陸系の国は厳しいらしい。日本もこういう面では大陸系同様やけに保守的なんであと何世代か経ないと無理かな。