アレクセイ・バターロフ出演の放射能の危険性を描いた映画『一年の九日』や『鶴は翔んでゆく』について

 バターロフが亡くなった。私がバターロフを初めて見たのは「一年の九日」だったと思う。1年のうちの9日に焦点を当てたもので、監督はタルコフスキーの師匠のミハイル・ロンム。この映画は放射能の危険性を描いた映画でもあり、ロシア映画社の一年の九日(ДЕВЯТЬ ДНЕЙ ОДНОГО ГОДА)の記述のネタバレにならない部分を以下に引用しておく。

1960年代、シベリアの地方都市にある原子力研究所。核融合の重要な実験が進行している。この実験は危険と隣り合わせで、有名な物理学者シンツォフも実験中に浴びた放射能が原因で命を落す。彼のもとで研究活動を続けている若い物理学者グーセフにしても同じ危険にさらされている。

 1961年の作品でちょうど大気圏核実験が盛んな頃であり、その翌年にはキューバ危機があった。核戦争の危機がリアルに迫っていた時代の映画で、ソ連側でもこのような映画が作られていたのだった。

 劇場で一度見たきりなので、また機会があれば見てみたいと思う。ちなみに、この映画は学生時代に日本橋の映画館で見たのだが、ロシア語を勉強中でこんなことしたらあかんのだが、館主に無理を言って、カセットテープを持ち込んで録音させてもらった、という記憶がある。今のご時世、こんなことは認められんだろうけど。

 バターロフは「鶴は翔んでゆく」にも主演俳優として出ている。この映画のカメラワークは有名だが、やはりすごいもので、ストーリーも私の好きな部類の話。以下に、10年前に見た時のメモ書きをそのまま載せておく(ネタバレ危険につき、未見の方は読まないで!)。

かなり昔に見た記憶があるが、流麗なカメラワークに目を奪われ、内容の方は昔の邦題の「戦争と貞操」の話なんだな、程度の感想しかもてなかった。しかし、それなりに年を取った今、内容の方に注意が行く傾向が出てきたようで、主人公の悲劇がやるせなく、しかも最後にはその死が確定してしまい、その後彼女はいったいどのようにして生きていくのか、というところで、彼の戦友が「勝利の陰には死んでいったものたちがいることを忘れてはならない」という感動的な演説をし、未来の夫になるはずの許婚のために持ってきた花を隣に居合わせた初老の男性に言われて周囲の人々に渡していく様子は涙なくしては見られない場面だ。こういう話には弱い。カメラワークはもちろん、奇抜なカメラアングルもよく、「誓いの休暇」と共にこれから何度か見ることになるだろう。

 バターロフは他にもロシア語圏で大変好まれている「モスクワは涙を信じない」にも出ており、かなりな重鎮と言って良い存在だった。今、ざっとリアルタイム検索してみると、そんなには話題に上がっていないようなのだが、日本でも人気俳優だったはずで、回顧上映なんかがされるといいな。