折しも、普天間基地移設問題を巡り揺れている沖縄であるが、昔、ゼミで琉球処分について調べて発表したことがあって、その時に東アジアの統治体制は中華思想が根本にあって、その中華思想は伝染する、というような主旨の考え方があることを知り、実際、江戸時代に幕府は薩摩藩を、薩摩藩は琉球王国を統治して搾取していたが、琉球王国も宮古島などの離島から搾取していた、という史実を知ることになった。その中で人頭税という重税が宮古島に課されていたことも知り、実態を知っておきたいと思っていたが、なかなかその機会がないまま、現地を訪れることとなった。
地元書店の沖縄コーナーに行くと、「人頭税百年シンポ」という本があり、まだ廃止されて100年強というのに驚いた。県外の人が実態を知り、地元の人とともに廃止運動に立ち上がったが、それを阻止しようと既得権益側からの様々な嫌がらせがあったらしい。それらをくぐり抜け、大正デモクラシーの世相にもうまく合致して、廃止を勝ち取ったとのこと。今の基地問題もそうだが、多くの人にとって都合が良い、という理由で現状維持方向に圧力がかかるが、沖縄の基地負担はやはり尋常ではないので少しずつでも軽減されるべきだと思う。
人頭税については、書店に「人頭税はなかった」という題名の書物があり、ざっと斜め読みしたところ、課税は一人頭ではなく、集落単位のものだったのではないか、と問題提起し、呼び名を当時呼ばれていたものに戻せばよいのではないか、という主旨のようだった(流し読みなので、間違い有りかも)。ただし、人頭税的な制度で過酷な課税がなされていたのは間違いないだろうし、すでにこの名前で定着していることもあるので、なかなか教科書書き換えまではいけないのではないかと思ったがどうだろう。
宮古島には米軍施設はないが、航空自衛隊宮古島分屯基地がある。そして今、宮古島への陸上自衛隊配備計画が持ち上がっている。以下は6/20付の琉球新報記事。宮古島への陸自配備容認を正式表明 下地敏彦市長 「旧大福牧場」周辺配備は反対。ただし、先の参院選で、自民現職で沖縄担当相だった島尻安伊子氏に約10万6000票の大差で勝利した伊波洋一氏は反対を表明している。
偶然知ったが、この自衛隊基地近辺にアリランの碑というのがあることを知り、行ってみようとしたが、場所が分からずに断念した(集落の方に聞いた道はあさっての方向だった……)。案内の看板を頼りに行こうとしたのだが、看板はおそらく何者かに撤去されていたようだった。
ちなみに「恨の碑」という名称だとグーグルマップで検索可能で、関心ある方はストリートビューなどで確認できます。
これも偶然知ったのだが、島尻集落にいったときに、ハンセン病療養所の宮古南靜園があることを知り、地元の方に聞くと、驚いたことに通常の病院として、当地の住人は通院したりしているとのこと。皮膚科と内科があるようで、一般にも開放され、結構昔から敷地内に普通に出入りされていたようだ。
1771年「明和の大津波」が発生し、八重山地方や宮古地方を襲った。一説によると、80mを超える高さの津波になったという話もあり、多数の死者が発生し、甚大な被害を与えた。それと知らずに訪れたのだが、もしかしてこれは津波石ではないかと思い、釣りをしていた方に確認したところ、そうだ、との返事。大きな岩が点在し、しばし呆然と立ちすくんでしまった。
案内板を見落としていたが、通り池に行く道すがらに「帯岩」という津波で持ち上げられた岩があったようだ。これらが実際に津波によるものなのか確認しようもないが、これだけの傍証がある以上、実際そうなのではないかと思える。
最後は、宮古島をドライブすると嫌でも何度も目にすることになる「まもる君」。髭の風貌がどこかベラルーシのルカシェンコ大統領を彷彿とさせる。よく見るといろんな顔をしていて、個々に微妙に違いがあるようだ。
宮古島ではあちこちに「飲酒運転はダメ」という内容の標語があり、今も飲酒運転がなされていると聞く。最近はさすがに飲酒してすぐの運転はなくなりつつあるようだが、現地警察は「二日酔い」対策に移行しているらしく、地元の方はいやらしいやり方だと反発されていた。宮古島には「おとーり」という沖縄本島の人もビビるようなえげつない飲酒習慣があるそうだが、やはり酒はほどほどが一番ということで。
(つづく)