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土人について

 沖縄での機動隊員による土人発言が物議を醸している。

 この発言自体が沖縄への差別意識の現われであり、こうした発言自体許されないと思うが、私が違和感を覚えるのは、この機動隊員を何とか擁護しようとする動きが政治家の間で見られたことで、どういうことなのか、と測りかねている。例えば、以下の記事など。

大阪知事、「土人」発言の機動隊員に「出張ご苦労様」
「土人」発言、鶴保沖縄相「間違いと言う立場にない」

 土人といえば、浅田彰がかつて天皇崩御の際に「連日ニュースで皇居前で土下座する連中を見せられて、自分はなんという『土人』の国にいるんだろうと思ってゾッとするばかりです」と述べたことがあるが、彼らに共通するのは、自分が土人ではないという立ち位置で発言している点で、さらに発言主体の多くが関西人である点にも注目したい。

 かの大阪府の機動隊員がどこの出身か知らないが、話している関西弁からおそらくは大阪か大阪周辺だろう。また、松井大阪府知事も鶴保沖縄相も大阪出身のようであるし、浅田彰は生粋の京都人だ。彼らは関西の都市部の人たちで、自分たちがゆめ土人の側にいるとは考えていないのであろう。

 「土人」発言は何が問題なのか 大阪で沖縄女性らが見せ物にされた人類館事件という記事によると、大阪でかつて「7種の土人」として、沖縄やアイヌなどの人々が展示されたことがあるとのこと。

 私は京阪神の都市部出身の人たちと話していて、自分がむしろ「土人」寄りの人間であることを感じざるを得ないときがある。土人と言われる側はやはりこの言葉が上から下への目線でなされていることが分かるので、気分のよいものではない。

 土人とは元々「土地の人」ぐらいの意味だったようだが、明治時代にアイヌへの同化政策として制定された「北海道旧土人保護法」という法律の名称にもあるように、明治期の文明開化の恩恵を受けていない人々=未開の人々という意味付けがなされたようで、今や元の意味から転じて「未開地域の原始的な生活をしている住民を侮蔑していった語」という意味をも持っており、不用意に使うべきでない言葉となっている。

 件の機動隊員は記事によると「(抗議する人が)体に泥をつけているのを見たことがあり、とっさに口をついて出た」と述べているそうで、「侮蔑的な意味があるとは知らなかった」のだそうだが、そんなわけないやろと思いつつ、カメラの前で堂々と述べており、ここまで強い反応が来ることは予想していなかったのであろう。

 朝日の記事で中川淳一郎という人が「『土人』という言葉はネット上で沖縄と福島の人に対して使われることが多い」と述べている。2ちゃんねるなどでそうした書き込みがいくらかあるのであろうが、ネットスラングでは自分たちとは違う文化圏で文化的でない振る舞いをすると彼らが思う特定の地域の人々を土人と名指す傾向があるのではないかと思う。

 ちなみに、私はネットスラングに通じているわけではないが「福島土人」でフレーズ検索すると、今日時点でせいぜい9440件であり、沖縄土人の119000件を大きく下回っていることは指摘しておきたい。さらには「大阪土人」は29800件で、むしろ福島土人より多いことも指摘しておこう。ついでに、「滋賀土人」は868件で、関西圏では馬鹿にされがちな県であるが、要するに関心の外にある地味な都道府県はこうした侮蔑対象にも上がらないってことのようで。

 かつて、夏目漱石は「現代日本の開化」という題目での講演で当時の明治日本の文明開化を「皮相上滑りの開化」と述べた。英国帰りの漱石の目には文明開化したとされる日本がただ上っ面だけ開化したように見せかけているだけで、いわば日本は未開の国なのだと述べたと言ってよいだろう。

 あちこち話が飛んでしまったが、要するに私が述べたいのは、いつもの話になるが、明治の文明開化が「キリスト教をバックグラウンドに持つ先進文化への同化」だったとすると、全く別の文化圏に属していた当時の日本には土台無理な話だったのであり、明治の文明開化から一世紀半を経た今、そうした方向性の限界が見えつつあるのではないか、という話。

 そして、土人についていうなら、現代にあっても、明治期のお手本であった欧米社会の目から見ると、日本人というだけで「非キリスト教文化圏の未開人=土人」にカテゴライズされる可能性がある、ということで、欧米に行ったことがある人なら、一度ならず嫌な目に会ったことがあるはずだが、今もそうした差別は厳然とある。

 というわけで、土人と蔑む言葉を口にするのはやめた方がいいと思うし、未開の側を開化済と思っている側が蔑むこと自体も回り回って自分に返ってくる可能性があるので、やめた方がいいだろう。土人といった本人が「大阪土人」と揶揄されているのだとしたら。また日本人の土人ぶりにゾッとした浅田彰が欧米で未開人=土人扱いを受けたことがあるのだとしたら。

 ところで、浅田彰は彼の言う土人の作った食物を食べて大きくなったことをどう自分の中で消化しているのだろうか。彼などはソイレント・グリーン的な完全栄養食を好んで食ってそうだが(すんません、イメージでゆうてますw)、今も浅田彰はそうした土人の国に住んでて、京都にお住まいになっているようで。この土人騒動をどう見てるのか、ちょっと気になる。

 しかし、かのスキゾキッズ浅田彰も来年で還暦か。自分も年をとったもんだな……。

宮古島旅行記(その4)~ダークツーリズム?~

 折しも、普天間基地移設問題を巡り揺れている沖縄であるが、昔、ゼミで琉球処分について調べて発表したことがあって、その時に東アジアの統治体制は中華思想が根本にあって、その中華思想は伝染する、というような主旨の考え方があることを知り、実際、江戸時代に幕府は薩摩藩を、薩摩藩は琉球王国を統治して搾取していたが、琉球王国も宮古島などの離島から搾取していた、という史実を知ることになった。その中で人頭税という重税が宮古島に課されていたことも知り、実態を知っておきたいと思っていたが、なかなかその機会がないまま、現地を訪れることとなった。

観光地となっている人頭税石。「じんとうぜい」と思っていたが、「にんとうぜい」と読むのだそうで。(間違いというわけではないようだが)
観光地となっている人頭税石。「じんとうぜい」と思っていたが、「にんとうぜい」と読むのだそうで。(間違いというわけではないようだが)
人頭税石(ぶばかり石)の説明。この石より背が高くなったら、人頭税を課された、という言い伝えがあるとのこと。ただ、この石自体は人頭税とは無関係だろうと書かれている。
人頭税石(ぶばかり石)の説明。この石より背が高くなったら、人頭税を課された、という言い伝えがあるとのこと。ただ、この石自体は人頭税とは無関係だろうと書かれている。
人頭税石の高さは、私の身長が170cm弱なので、だいたい150cm程度か。
人頭税石の高さは、私の身長が170cm弱なので、だいたい150cm程度か。

 地元書店の沖縄コーナーに行くと、「人頭税百年シンポ」という本があり、まだ廃止されて100年強というのに驚いた。県外の人が実態を知り、地元の人とともに廃止運動に立ち上がったが、それを阻止しようと既得権益側からの様々な嫌がらせがあったらしい。それらをくぐり抜け、大正デモクラシーの世相にもうまく合致して、廃止を勝ち取ったとのこと。今の基地問題もそうだが、多くの人にとって都合が良い、という理由で現状維持方向に圧力がかかるが、沖縄の基地負担はやはり尋常ではないので少しずつでも軽減されるべきだと思う。

 人頭税については、書店に「人頭税はなかった」という題名の書物があり、ざっと斜め読みしたところ、課税は一人頭ではなく、集落単位のものだったのではないか、と問題提起し、呼び名を当時呼ばれていたものに戻せばよいのではないか、という主旨のようだった(流し読みなので、間違い有りかも)。ただし、人頭税的な制度で過酷な課税がなされていたのは間違いないだろうし、すでにこの名前で定着していることもあるので、なかなか教科書書き換えまではいけないのではないかと思ったがどうだろう。

宮古島の典型的なさとうきび畑の風景の先にある航空自衛隊宮古島分屯基地
宮古島の典型的なさとうきび畑の風景の先にある航空自衛隊宮古島分屯基地

 宮古島には米軍施設はないが、航空自衛隊宮古島分屯基地がある。そして今、宮古島への陸上自衛隊配備計画が持ち上がっている。以下は6/20付の琉球新報記事。宮古島への陸自配備容認を正式表明 下地敏彦市長 「旧大福牧場」周辺配備は反対。ただし、先の参院選で、自民現職で沖縄担当相だった島尻安伊子氏に約10万6000票の大差で勝利した伊波洋一氏は反対を表明している。

航空自衛隊宮古島分屯基地
航空自衛隊宮古島分屯基地

 偶然知ったが、この自衛隊基地近辺にアリランの碑というのがあることを知り、行ってみようとしたが、場所が分からずに断念した(集落の方に聞いた道はあさっての方向だった……)。案内の看板を頼りに行こうとしたのだが、看板はおそらく何者かに撤去されていたようだった。

航空自衛隊宮古島分屯基地近くにあるアリランの碑への案内看板撤去跡
航空自衛隊宮古島分屯基地近くにあるアリランの碑への案内看板撤去跡(左側に台だけ残っている)

 ちなみに「恨の碑」という名称だとグーグルマップで検索可能で、関心ある方はストリートビューなどで確認できます。

宮古南静園
宮古南静園

 これも偶然知ったのだが、島尻集落にいったときに、ハンセン病療養所の宮古南靜園があることを知り、地元の方に聞くと、驚いたことに通常の病院として、当地の住人は通院したりしているとのこと。皮膚科と内科があるようで、一般にも開放され、結構昔から敷地内に普通に出入りされていたようだ。

宮古南靜園の人権啓発交流センター(未開園?)
宮古南靜園の人権啓発交流センター(未開園?)
中を覗くと、展示物準備中のようで、「ハンセン病回復者の願い」と書かれたキャプションがあった。
中を覗くと、展示物準備中のようで、「ハンセン病回復者の願い」と書かれたパネルがあった。
島尻にあった車海老養殖場。マングローブ林のあるところだと養殖しやすいということなのか、東南アジア諸国でもマングローブ林を切り開いて養殖場が作られていて、環境破壊が問題になっているとのこと。
島尻にあった車海老養殖場。マングローブ林のあるところだと養殖しやすいということなのか、東南アジア諸国でもマングローブ林を切り開いて養殖場が作られていて、環境破壊が問題になっているとのこと。
下地島飛行場横の道路にて。伊良部島と下地島の間にある津波石。
下地島飛行場横の道路にて。伊良部島と下地島の間にある津波石。

 1771年「明和の大津波」が発生し、八重山地方や宮古地方を襲った。一説によると、80mを超える高さの津波になったという話もあり、多数の死者が発生し、甚大な被害を与えた。それと知らずに訪れたのだが、もしかしてこれは津波石ではないかと思い、釣りをしていた方に確認したところ、そうだ、との返事。大きな岩が点在し、しばし呆然と立ちすくんでしまった。

伊良部島の津波石2
伊良部島の津波石2
伊良部島の津波石3
伊良部島の津波石3
伊良部島の津波石4
伊良部島の津波石4
別角度から伊良部島の津波石5
別角度から伊良部島の津波石5

 案内板を見落としていたが、通り池に行く道すがらに「帯岩」という津波で持ち上げられた岩があったようだ。これらが実際に津波によるものなのか確認しようもないが、これだけの傍証がある以上、実際そうなのではないかと思える。

宮古島名物のまもる君
宮古島名物のまもる君

 最後は、宮古島をドライブすると嫌でも何度も目にすることになる「まもる君」。髭の風貌がどこかベラルーシのルカシェンコ大統領を彷彿とさせる。よく見るといろんな顔をしていて、個々に微妙に違いがあるようだ。

 宮古島ではあちこちに「飲酒運転はダメ」という内容の標語があり、今も飲酒運転がなされていると聞く。最近はさすがに飲酒してすぐの運転はなくなりつつあるようだが、現地警察は「二日酔い」対策に移行しているらしく、地元の方はいやらしいやり方だと反発されていた。宮古島には「おとーり」という沖縄本島の人もビビるようなえげつない飲酒習慣があるそうだが、やはり酒はほどほどが一番ということで。

(つづく)

宮古島旅行記(その3)~宮古島周辺の島々、伊良部島、下地島、池間島、来間島~

 宮古島周辺にある有人島の伊良部島、池間島、来間島との間には橋がかかっていて、車で行くことができる。伊良部大橋は2015年開通と出来たばかりで、無料道路としては日本最長らしく、全長3,540mもある。

宮古島側から見た伊良部大橋
宮古島側から見た伊良部大橋
途中で道が曲がり、上り下りが複数ある伊良部大橋途中の風景
途中で道が曲がり、上り下りが複数ある伊良部大橋途中の風景
伊良部島側から見た伊良部大橋
伊良部島側から見た伊良部大橋

 伊良部島は橋がまだ出来たばかりで観光地化されてない面があるようだったので、ゆっくり回りたかったのだが、時間が足りず、ほとんど通っただけになってしまったのが残念。

無人の家があちこちにある。過疎化が進行しているのか。
無人の家があちこちにある。過疎化が進行しているのか。
サバウツガーという井戸。1966年に水道が出来るまで貴重な生活用水として利用されてきたとのこと。
サバウツガーという井戸。1966年に水道が出来るまで貴重な生活用水として利用されてきたとのこと。
サバウツガー井戸への道。123段もあるのだとか。
サバウツガー井戸への道。123段もあるのだとか。
伊良部島のすぐ隣の下地島にある通り池。地下で海とつながっている。
伊良部島のすぐ隣の下地島にある通り池。地下で海とつながっている。
通り池への緑のトンネル
通り池への緑のトンネル
通り池には遊歩道が整備されている
通り池には遊歩道が整備されている
遊歩道は未完成なのか途中まで終わっている。海まで続くのか?
遊歩道は未完成なのか途中まで終わっている。海まで続くのか?
下地島には訓練用飛行場があり、離発着を間近に見られる(訪問時は見られなかった)。周辺道路はバス・トラックは通行禁止
下地島には訓練用飛行場があり、離発着を間近に見られる(訪問時は見られなかった)。周辺道路はバス・トラックは通行禁止
下地島空港誘導桟橋
下地島空港誘導桟橋
離発着するラインは駐停車禁止になっている
離発着するラインは駐停車禁止になっている
このラインに沿って飛行機が離発着する
このラインに沿って飛行機が離発着する

 宮古島の北方にある池間島には池間大橋がかかっていて、気軽に車で行くことが出来る。

宮古島側から見た池間大橋
宮古島側から見た池間大橋
池間島側から見た池間大橋
池間島側から見た池間大橋
池間島には中央部に結構な規模の湿原があり、バード・サンクチュアリになっている。
池間島には中央部に結構な規模の湿原があり、バード・サンクチュアリになっている。
渡り鳥の休憩所となっている
渡り鳥の休憩所となっている
そう大きくない島の中に広がる池間湿原。
そう大きくない島に広がる池間湿原。
カモの仲間?
カモの仲間?

 宮古島の南西にある来間島には来間大橋がかかっている。

宮古島側から見た来間大橋
宮古島側から見た来間大橋
来間島側から見た来間大橋
来間島側から見た来間大橋
来間島展望台からの景色。さとうきび畑が広がる。
来間島展望台からの景色。さとうきび畑が広がる。
来間島にあった謎の石碑。天網恢恢云々とある。
来間島にあった謎の石碑。天網恢恢云々とある。

 今回、訪問できなかったが、宮古島の島尻港からフェリーで訪れることのできる大神島というのがある。次回訪問する機会があれば、是非行ってみたい。

大神島行きフェリーを運行する大神海運
大神島行きフェリーを運行する大神海運
大神島に向かうフェリー
大神島に向かうフェリー

(つづく)

宮古島旅行記(その2)~子連れでの観光~

 宮古島観光の目玉はダイビングやシュノーケリング、ビーチで海水浴など「海で楽しむ」系ということになるだろうが、子連れだとなかなか海は大変。別の場所で、子連れシュノーケリングなどもやってみたが、子供の世話で手一杯になる面があるので、子供が小さいうちは体験型よりも見て楽しむ系が無難といえるかも。

 子供が喜んだのは北部にある宮古島海中公園で海の中の魚をじっくりと観察できるスポット。海中公園はいくつか行ったことがあって、あまりクリアに見えなかったりする場合もあるのだが、ここは新し目であるためか、そこそこクリアに見えた。日や時間帯によって透明度に大きく差があるようだが。子供は魚がマイブームらしく、「カタナ、カタナ」と叫び(まだサカナと発音できない)、なぜかハイテンションになって大はしゃぎしていた。

宮古島海中公園にて。子供が食い入るように魚を見つめている
宮古島海中公園にて。子供が食い入るように魚を見つめている
宮古島海中公園。海の魚を間近に見ることが出来る。
宮古島海中公園。海の魚を間近に見ることが出来る。
台風など海が大荒れになる時は、写真中央部分を窓にスライドさせて閉めるのだとか
台風など海が大荒れになる時は、写真中央部分を窓にスライドさせて閉めるのだとか

 子供はカニもなぜか好きなのだが、ビーチなどにいるヤドカリを見ても喜んでいた。小さい子供にとって、動いている生物を見るのは興味深いことであり、近場で石をひっくり返すと発見できるダンゴムシとかアリとかでも十分楽しめるものなので、子供が小さいうちの遠出の旅行は大人メインで楽しめばよいのではないか、と思ったりした。

砂山ビーチにて。
砂山ビーチにて。
砂山ビーチへの道。ベビーカーを押してビーチまで行こうとしたが、砂の道でさらに坂がきつめなのでやめたほうがいいとと子連れの家族に止められた。ありがたい忠告だった
砂山ビーチへの道。ベビーカーを押してビーチまで行こうとしたが、砂の道でさらに坂がきつめなのでやめたほうがいいとと子連れの家族に止められた。ありがたい忠告だった。

 島内には何箇所かマングローブ林があり、そのうちのひとつ、島尻のマングローブ林に行った。海水と淡水の狭間でたくましく育つ植物で近年減少傾向にあるそうだが、様々な機能を担っているようなので、産業との兼ね合いもあるだろうが、保護されてほしいところ。

島尻のマングローブ林。展望できるように整備されている。
島尻のマングローブ林。展望できるように整備されている。
奇妙な形をした根。これで海水に対応しているそうな。
奇妙な形をした根。これで海水に対応しているそうな。
獲物を狙う鳥(サギの仲間か?)
獲物を狙う鳥(サギの仲間か?)
シオマネキの穴があちこちに。せわしなくプランクトンを口に放り込んでいた。
シオマネキの穴があちこちに。せわしなくプランクトンを口に放り込んでいた。

 宮古島中心部から少しはずれたところにある久松地区では昔ながらの赤瓦屋根の集落がまだ残っている。この地区には遺跡群や日露戦争時にバルチック艦隊の通過を目撃し、危険を冒して通知した久松五勇士の顕彰碑などがある。

久松地区の赤瓦の家。無人の家もちらほらとあったが……
久松地区の赤瓦の家。いくつもある無人の家がどうしても目についてしまう……
久松みゃーか(巨石墓群)の一つ
久松みゃーか(巨石墓群)の一つ
久松みゃーか(巨石墓群)の説明書き
久松みゃーか(巨石墓群)の説明書き
久松みゃーか近くのストーンサークル?
久松みゃーか近くのストーンサークル?
久松みゃーか近くの多分ガジュマルの大木
久松みゃーか近くの多分ガジュマルの大木
南国の風景がみられる
南国の風景がみられる

 他にもいろいろ回ったが、そのうちのいくつかの写真をあげておきます。

うえのドイツ文化村。訪問時は天候も悪く、閉館間際で閑散としていた。敷地内には無料で入場できる。滑り台など子供の遊具もある。
うえのドイツ文化村。訪問時は天候も悪く、閉館間際で閑散としていた。敷地内には無料で入場できる。滑り台など子供の遊具もある。
宮古馬。牛と共に飼育されている。馬は観光用とのこと。
最北部の牧場の宮古馬。牛と共に飼育されている。馬は観光用とのこと。
宮古島の地面の下に作られた地下ダムである福里ダム。資料館があり、宮古島特有の地質を利用した仕組みを知ることが出来る。
宮古島の地面の下に作られた地下ダムである福里ダム。資料館があり、宮古島特有の地質を利用した仕組みを知ることが出来る。
天候が悪く、荒波。ビーサンが脱ぎ捨てられていた。
天候が悪く、荒波の日も。ビーサンが脱ぎ捨てられていた。
ビーサンといえば、これがあちこちで売られている島ぞうり。現地調達した島のおばあたちも、カラフルな色の島ぞうりをはいて、散歩しているそうな。
ビーサンといえば、これがあちこちで売られている島ぞうり。現地調達した島のおばあたちも、カラフルな色の島ぞうりをはいて、散歩しているそうな。
手書きの石敢當。
手書きの石敢當。
宮古島の立派なお墓。本島と多少違いがある模様。
宮古島の立派なお墓。本島と多少違いがある模様。
エメラルドグリーンの海沿いに風力発電3基
エメラルドグリーンの海沿いに風力発電3基
ダイバーたちの船はちょくちょくみかける
ダイバーたちの船はちょくちょくみかける

(つづく)

宮古島旅行記(その1)~現地の人の話を聞くなどして思ったこと~

 子供が3歳未満の場合、国内線は無料、ということで、今のうちに国内遠出をしておこう、ということで、嫁さんのマイルを使わせてもらって沖縄の宮古島に行ってきた。

 ちなみに、関西からは今年からANAが宮古=関西空港線を通年運航し始めたようで、人気が出てきているようだ。

 さて、いつものように、ほとんど前調べせずに到着し、ひとまずレンタカーを借りようと雑誌に出ていた地元系らしきところいくつかに電話をしたところ、今日借りられる安めの車が見つからず、困ったことになったなぁ、としばし空港到着出口で佇んでいた。大手系は下手すると料金が倍するのでこれは避けたい。案内カウンターに行ってみると、雑誌には出ていなかったレンタカー会社のチラシがあり、電話をかけると借りられるという返事。軽自動車を借りることにし、料金も3日で12000円と格安で二つ返事でOKした。ちなみにレンタカー会社は宮古島ソラレンタカーというところで、若い地元の方が経営しているところでした。チャイルドシートも無料貸出で助かりました。

 注意点を聞くと、宮古島では「車の飛び出し」が結構あるとのことで、田舎でそういうのはあるあるなので、まあそんなに気にしなくてもいいだろうと思っていたが、実際に3回ほどそういう飛び出しに遭遇し、うち1つは暴風雨時の見通しの悪いところでの飛び出しでかなりやばかった。そうした運転の多くは高齢者の軽トラだったりするが、そのヒヤリハット後は前後に車がなくても飛ばさないように注意して運転した。

 沖縄には本島や石垣島などには行ったことがあるものの、宮古島には石垣-本島間のフェリーで夜に寄港した時に上陸してヤギ汁を食べて以来なので、ほとんど初訪問みたいなものだった。どういう島なのかほとんど知らなかったが、レンタカーで3日回ることで、本島や石垣島とは違う側面があることを多少は理解できたと思う。

 一通り回って思ったのは、本島や石垣島だと存在する山がちな部分がほとんどなく、多くの土地が農地や住宅地として利用されている、ということで、沖縄の離島の人口密度ランキングを見ると、宮古島は沖縄本島以外の島の中でナンバーワンとなっているように住環境としてはよいのだろうと思う。また、近年は内地からの移住者も増加傾向にあるのだとか。本島や石垣だと数百mの山があるが、宮古島の最高標高は115mで全体として平坦であり、一度水没したことがあるためか(諸説あり?)、ハブが生息していないという点も、移住者にとって魅力的なところなのだろう。

 レンタカーで回るとわかるが、農地の多くはサトウキビ畑で2mを超える大きなサトウキビがあちこちで風に揺られているのを目にしながらの旅行になる。地元の方に話を聞いて初めて知ったのだが、サトウキビは植えてから1.5年で収穫するらしく、ある畑は今年収穫、別の畑は翌年に、などという風にして、収入に偏りがなくなるようにしているそうだ。

サトウキビ畑、収穫前と収穫後
サトウキビ畑、収穫前と収穫後
耕うん機でサトウキビ畑を耕す
耕うん機でサトウキビ畑を耕す

 サトウキビ以外にも、タバコなどの栽培もなされているが、サトウキビよりは難しいらしい。10年ほど前からマンゴーが特産品になりつつあり、ビニールハウスがあちこちに建てられている。なお、年間をとおして温暖な地域であるため、ハウスは温度維持のためではなく虫よけのため、とのこと。

タバコ畑
タバコ畑
タバコの葉。一見、葉野菜にしか見えない。
タバコの葉。一見、葉野菜にしか見えない。

 若い人向けの仕事としては、やはり農業は大変な仕事であり、大学に進学する若者は島を出て主に関東や関西の大学に行き、そのまま帰ってこないことが多く、観光業も有力な仕事ではあるものの、内地の人間の方が商売上手な面があり、地元の若者の雇用の受け皿として機能していない面もあると聞いた。私の地元同様に地方の過疎化は日本全体の大きな問題となっていて、今後どうしていくのかそれぞれがよく考えて動いていかないといけない。

 行ってみて思ったのは、イオン系列のマックスバリュが2店舗もあったり、西松屋なども進出していて、買い物にはほとんど困らない、ということ。地元系総合スーパーのサンエーにも行ったが、こちらも品数が多く、賑わっていて、宿は島内では中心部から外れたやや辺鄙なところだったが、車があれば困ることはない。こうした状況になったのは、ここ10年ほどのことのようで、一昔前の高校生はお気に入りのスニーカー一つ買うために、わざわざ本島までフェリーで行っていた、とのこと。

 一応、スーパーでなくても、地元系の小さな商店はそこここにあるが、値段が高めになることがあるので、旅行者は使い分けが必要かも。車があるとなんとでもなるが、車がない場合は中心部に泊まった方が無難かもしれない。

沖縄のヒマワリ畑
沖縄のヒマワリ畑

(つづく)