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ウクライナの原発依存度が60%近くになった?

 ロシアの国営テレビ局「チャンネル1」のチェルノブイリの日にキエフでウクライナの原発問題が語られるという報道の中で「ウクライナでは原発依存度が60%近くまで上がっている」という文言があったので、調べてみた。

 こちらによると、2016年の総電力に占める原発の割合は52.3%となっていて、2015年の55.6%から下がっている。特にザポリッジャ原発で前年比-21.1%と落ち込んでいる。60%近くというのは2015年の55.6%を四捨五入するとそうなるが、やや言い過ぎの感が。ただ、元々40%台後半ぐらいだったのが、ドンバスからの石炭入手が困難になり、石炭火力が稼働できない、などの要因で上がってきているのは確かなようで。

 ウクライナの電源構成は2016年で原発が52.3%(2015年は55.6%)、火力が36.6%(同35.2%)、水力が5.9%(4.3%)などとなっており、代替エネルギーは1%程度にとどまっている。

 Wikimediaのこちらのページにウクライナの電力生産の変遷のグラフが出ているが、ソ連崩壊直前までは順調に伸びていたものの、崩壊後にガタ落ちし、その後、リーマンショックで、また2014年のウクライナ紛争でさらに落ち込んでいることがわかる。

 先のチャンネル1の記事でフランスのル・モンド紙の記事を引用する形でウクライナを「最も核の危険度の高い国」としている。理由として、ウクライナの原発はロシアで開発されたもので、部品等もロシア製であるが、そうした部品が使えなくなるとメンテナンスすらできなくなる可能性があること、また、燃料もロシア製であることが前提とされているが、切り替えが進んでいること、などが挙げられている。

 ル・モンド元記事はチェルノブイリで「手遅れになる前に行動しなければなりません」という記事。

 これもGoogle翻訳の助けを借りてナナメ読みしたところ、以下のようなことが書いてあるようだ。(諸事情でフランス語文法やり直し勉強中で辞書の助けがあれば、ある程度は読める状態にはなりつつあり。。。)


 新アーチの目的は3つあって、(1)風化から旧石棺を防護する、(2)放射性物質拡散の危険回避、(3)チェルノブイリを安全なエコロジカルな場所に変える、このうち(3)が最重要。これは旧石棺の解体と放射能除去なしには不可能。ウクライナは科学と技術の国だが、この課題を解決するためには先進国の支援が必要で、資金的にもウクライナ単独では不可能。ウクライナは原発シェアが50%の国だが、使用済み燃料の保管に関わるセキュリティ維持の部分でもリスクがある。政治と経済が不安定であることも懸念の一因。


 この文脈での結論がチャンネル1で引用された部分となっている。もっともな懸念ではあるな、という印象。

ウクライナの体操選手で銀メダルを獲得したベルニャエフ選手について、また彼が言ったとされる「無駄な質問だ」についてなど

 体操の内村選手と金メダルを争ったウクライナのベルニャエフ選手のことが話題になっている。内村が最後に逆転したことで、採点に疑問を投げかけた記者がいたが、ベルニャエフ選手は「無駄な質問だ」と言い放った、とのこと。

 「無駄な質問だ」の部分の原文を探したところ、多分、この記事にあるこの部分だろう。

Что касается судейства, то если ставят оценку, она соответствует. Он получал и выше, никаких вопросов не должно быть”, — заявил Верняев журналистам

 ざっくり訳すなら、「審判については言えば、彼らの判定はいつも妥当なものであり、内村は高得点を取った、ということ。疑問の余地はない。」という感じ。「無駄な質問だ」というのは同時通訳者の言葉だが、вопросという単語には「質問」の意味と「問題」の意味があって、彼は記者の質問が無駄と言ったのではなく、単に「判定に問題はない」ということを言ったのではないかと思う。

 私は同時通訳なんてとても出来ないし、正反対のことや、大きく間違ったことを言わなければ、同時通訳の場合はそれでオッケーってところがあるので、ケチをつけるつもりはないのだが、この言葉で検索すると、かなりな反響があったみたいなので、そこまで強い言葉は言ってない、ということは言っておいたほうがいいのでないかと。

 私はそれよりも彼の出自が気になった。というのは、彼はウクライナ代表だがロシア語を話していたので、おっと思って、出身を調べてみたところ、ドネツクだった。ドネツクはロシア語話者が多い地域で、現在、紛争を経て、ドネツク人民共和国がその多くを実効支配している地域となっているところが、親ロシアの人もいれば、親ウクライナの人もいる。彼の場合、試合後のインタビューでインタビュアーのマイクがロシアのメディアのものと分かった瞬間にインタビューを拒否した、という記事が出ていることから、親ウクライナの人だということがわかる。

 また、内村への敬意は相当なもので、内村を陸上のボルトや水泳のフェルプスに例えていたが、さらに「みんな内村がどれほど練習しているか知らないだろうが、おそらく彼は人の20倍はやっている」とも言っている。

 ロシアのドーピングで揺れる今回の大会だが、ドーピングについてはこちらの記事によると、「ウクライナにはドーピングやるお金もないし、私も練習にすべてを捧げることはできない。」と、金銭的にも環境的にも不十分な中で練習をせざるを得ない状況を述べている。

 紛争で揺れるドネツク出身で、経済的にも疲弊しているウクライナ社会にあって、ここまでのパフォーマンスを見せる、というだけで、もうすげぇ、って話だと思うし、世界選手権6連覇の内村をして「次の大きな大会で彼に勝てる自信がない」と言わしめるだけの実力ある選手で、今後ウクライナに希望をもたらす選手になってほしいと思う。

 あと、「ウクライナでは不満噴出…内村に金メダル「盗まれた」/体操」などという記事が出ているが、ウクライナメディアの記事をざっと見たところ、概ね冷静なもので、彼自身が結果に満足していて、内村に敬意を抱いていることもしっかりと伝えられていることも付け加えておきます。

スベトラーナ・アレクシェービッチがノーベル文学賞を受賞

 2015年のノーベル文学賞に『チェルノブイリの祈り』などで知られるベラルーシの作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチが選ばれた。著作の多くは日本語に翻訳されており、今、新品は入手しにくくなっているようだが、直に増刷されることだろう。

 国内での報道では、毎年恒例の「村上春樹は受賞を逃した」の記事が多いが、氏の発言を報道しているところもいくつかあったので、ピックアップしておこう。

「母国とその文化への賞」=アレクシエービッチさんが喜び-ノーベル文学賞

「私ではなく、私たちの文化、歴史を通して苦しんできた私たちの小さな国への授賞だ」
「全体主義体制は妥協を強いるが、それに屈する必要はない」
「バレエや文学など人間的なロシアの世界は好きだが、スターリンやプーチン(大統領)は好きではない。彼らはロシアをおとしめてしまった」

 実際の記者会見では好きではない人の名前として「ベリヤ、スターリン、プーチン、ショイグ」を挙げている。ベリヤの残虐非道ぶりについては、Wikipediaのベリヤの項などを参照。ショイグはロシアで1994年から2012年まで非常事態相を務めた人物で、現在は国防相の地位にある人物。

 2011年4月に東京外大の沼野恭子教授の依頼で「チェルノブイリから福島へ」と題するメッセージを寄せた、という記事が中日新聞で出ている。

原子力時代 脱却すべきだ ノーベル文学賞作家 震災直後にメッセージ

 広島、長崎の後、チェルノブイリ事故後、人間の文明は別の発展の道、非核の道を選択すべきだったのではないだろうか?

 原子力時代を脱却すべきだ。私がチェルノブイリで目にしたような姿に世界がなってしまわないために、他の道を探すべきだ。誰もいなくなった土地、立ち並ぶ空き家、畑は野生の森に戻り、人が住むべき家々には野生の動物たちが住んでいた。電気の通っていない電線が何百と放置され、何百キロもの道はどこにも行き着かない。

 テレビをつけると日本からのリポート。福島ではまた新たな問題が起きている。私は過去についての本を書いていたのに、それは未来のことだったとは! 

(全文はこちらの下の方で読めます。)

 ノーベル平和賞候補にも名前が上がっているノーヴァヤ・ガゼータ紙のこちらの記事によると、政府からの祝福のメッセージについて、最初の記者会見の時点でモスクワの文化大臣からあったものの、ベラルーシからは来ていない、とのことで、ベラルーシに自分はいないがことく振る舞われている、としている。

 ただし、確認すると、一応、ベラルーシ大統領の公式サイト上では、こちらで祝福のメッセージが出されており、受賞がベラルーシとその人民に寄与することを望み、作家の健康と幸福、祖国ベラルーシのための新しい創作の達成を祈る、としている。さすがに無視はできないということなのだろうが、素っ気ないメッセージであり、通り一遍感は否めない。

 こちらで受賞後の最初の第一声の映像が見られる。ここでウクライナについて触れていて、祖母も母もウクライナ人で、ウクライナが大好きであり、ウクライナのマイダンに行って、天国の百人の写真の前では涙が出た、と当時を思い出したのか、やや声を上ずらせつつ語っている。

 ウクライナのポロシェンコ大統領もFacebook上で祝福メッセージを寄せ、「どこにいても、どんな言語で話し、書こうとも、ずっとウクライナ人のままだ!」と述べている。

Нобелівську премію з літератури отримала Світлана Алєксієвич, родом з Івано-Франківська.Де б ми не були, якою б мовою не говорили і не писали – ми завжди залишаємось українцями!Вітаю!

Posted by Петро Порошенко on 2015年10月8日

 スベトラーナ・アレクシェービッチ公式サイト(?)はおそらくこちらのようだが、連絡先はドイツの住所になっており、古い情報かもしれない。このサイトでは経歴や出版物についての情報が英語とロシア語で読めるようになっている。さらにこちらのbooksのページでは英語版やドイツ語版・フランス語版(ただし、一部だけ?)が読めるし、こちらからは「チェルノブイリの祈り」や「戦争は女の顔をしていない」などのロシア語原文がそのままPDFで読むことが出来る。

 私の場合、ロシア語はいくらか読めるとはいえ、読むのに日本語の何倍も時間がかかってしまうのだが、せっかくなので、翻訳の助けを借りつつ、少しでも原文で味わいたいところで……。

沿ドニエストルが舞台の小説『シベリアの掟』(ニコライ・リリン著)を読んでの感想(2)

 引き続き『シベリアの掟』の感想です。

沿ドニエストルが舞台の小説『シベリアの掟』(ニコライ・リリン著)を読んでの感想(1)

 この本で印象深く読んだ件はいろいろとあるが、刺青には物語があり、その人がたどってきた人生が読める、という話は興味深かった。様々な事情で途中まで仕上げられた刺青を、別の刺青師がそのメッセージを的確に読み取り受け継ぐ話などを読むと、私の周囲で刺青の話を聞く機会はほとんどないが、昔は日本人も普通に刺青をしていたわけで、刺青にも様々な文化的背景があるのだな、と思った次第。

 犯罪社会でも民族ごとに集団となっており、それぞれの民族同士の関係を反映して、友好関係が築ける集団とそうでない集団がある、というのも、興味深い話だった。シベリア犯罪共同体「ウルカ」はアルメニア人の集団と友好関係にあり、ベラルーシ人とも悪くない関係にあるが、グルジア人とは「掟」に対する考え方が大きく異なることから、近寄らないようにしていた、とあり、ウクライナ人とも、彼らがロシア人を憎んでいることから感情的対立となり「心から憎みあう関係」となった、とある。

 沿ドニエストルはその南北に細長い国土の東西をウクライナとモルドバに挟まれいてるが、ウクライナ人やモルドバ人は、そうした掟の理解者ではないことから、侮蔑的な表現を使って扱われていて、あまりいいようには描かれていない。例えば、1970年代から旧ユダヤ人地区にウクライナ人が住み始めたが、そうした家族の娘は「軽い女の子」たちが多く、「その性的にオープン過ぎる振る舞いは、結果的に彼女たちの人生を縛り、困難なものにした」とあり、「他の娘たちのように夫をみつけて家族を築きたいと望んでも、それはもう不可能」で「自ら死を選ぶ気の毒な女たちはあとを絶たなかった」とある。まだソ連時代の話ではあるが、「ベンデルにやってきたウクライナ人の若者たちは、暴力的な形で両親から引き離され、何の助けもないまま放置されていた」ともあり、社会主義国ソ連にもこうした社会問題があったものと見える。

 旧ソ連の国々の街には比較的治安が悪い地区というのがあるにはあるようだが、昔からずっとその地区に住み続けてきた人の末裔が今もそこに住む、というのでは恐らくなく、どういう経緯でそういう地区が出来ていったのか、よくわからない。この本では「バム地区」というバイカル・アムール鉄道に由来する名称を持つ地区がそのような地区として描かれており、「無知蒙昧ゆえに善良な犯罪者としての規範も守れなくなったろくでなし」の集まる場所で、窓から新生児が投げ捨てられたり、親子や兄弟間で殺し合ったりするなど、「無知と絶望は人をここまで荒廃させるのか、という血の凍るような話」が少なくない場所とされている。ここは犯罪者といえども「穢れるため」うかつには手を出せない場所とされ、暴力が支配する無秩序の街として描かれている。

 この街が実在するのか気になったので、ググってみるとWikimapiaに“Солнечный(ソルニェチヌィ)”(太陽地区) とあり、存在するようだ。ソ連でよくある工業地帯に併設して建設された街らしく、YouTubeに上がっていた街の動画を見ても、ウクライナやロシアの都市でよくみかける風景が流れているだけだったが、夜になると豹変するのかどうか。

 この本には時折日本にまつわる話題が出てくるのだが、p184あたりに1940年代末にシベリアの民と共に強制移住でベンデルに運ばれてきたボリシュカと呼ばれる元日本兵の話が出てくる。彼はノモンハン事件で捕虜になったあと偶然コザック軍に拾われ、「忍者と殺し屋の土地である伊賀の出身」とのことで、互いに技術を教え合ううち、アタマン(コザックの首領)に気に入られ、戦後アルタイ地方でアタマンの長女と結婚し、ボリスという洗礼名を得て、アムール川のほとりに住むようになるが、コザック共同体の自治独立の気風からソ連政府に目をつけられ、アタマンは処刑され、その家族は沿ドニエストルへ強制移住させられた、とある。

 彼は主人公の少年から敬愛されており、シベリアの犯罪共同体に入ってからも「犯罪社会の掟をすぐに理解し、誠意を持って約束を守る男」ということで敬意を勝ち取った、とある。

 10年ほど前にウクライナのジトーミルに元日本兵の上野石之助さんが住んでいることがわかり、日本に里帰りされたことがあるが、知られていないだけで、まだ多くの元日本兵が旧ソ連の国々で生きている可能性があるのではないか、と思う。

 この本を通して一番印象に残ったのは、少年の確固とした長老への敬意で、それは共同体が機能していることの何よりの証といえるだろう。あとがきの解説によると、この小説は三部作の一作目であり、少年はその後、チェチェン戦争で生死の境をさまよい、さらに除隊後のロシアでPTSDを患いながら、自身のルーツを求めシベリアに向かい、自らを取り戻す、とのことであるが、こうした帰属意識を持つことの出来る共同体があったことで彼は再生できた、と言えるかもしれない。読んでないからわからないが。

 というわけで、引き続き、二作目、三作目の翻訳を待望。翻訳も最初はちょっと固いか、と思ったが、読み進む内にこの文体が原著者のスタイルに合致したものと思えるようになり、元がロシア語の部分にどうしてもひっかかる箇所がいくつかあったものの、他は特にひっかかることなく読める翻訳で、同じ訳者による翻訳作業がもうすでに始まっているものと期待したい。

チェルノブイリのクリスマスツリーを人々は買うのか

 チェルカーシ州の地元テレビ局がチェルノブイリ立入禁止区域内から持ち込まれたクリスマスツリーを事前に説明した上でも人々は買うか、社会実験を実施、という記事がこちらに出ていた。

 ツリーの販売店から100mの路上でジャーナリスト扮する若者が市価の半額か1/3の価格で販売すると、プリピャチから持ち込んだツリーだと説明しても、買おうとする人はやはりいた。ただし、小さい子連れの母親は買おうとしなかったし、家に放射能を持ち込みたくないとして、買わない人も当然ながらいた

 日本でやったらどうなるか、恐らくは似たような結果になりそうな気がするがどうだろう。放射能の忌避意識がわかって興味深い結果が得られると思うのだが。日本だとクリスマスツリーは一般的ではないので、門松でやることになるか。ただ、結果は年齢層や家に子供がいるかどうかによっても変わるだろうし、もしかしたら、地域によっても変わるかもしれない。放射能汚染地域に近いほど住民の放射能リテラシーは上がる傾向があるので。

 ちなみにこのジャーナリスト氏は自ら警察を呼んだが、40分経過しても警察は現場には来なかった、とのこと。というわけで、記事はこの社会実験自体よりもこうした形で違法に販売が出来てしまうこと自体に注意喚起している。

 日本では一般商品をこういう形でゲリラ的に路上販売している現場に出くわすことはほとんどないが、ウクライナでは路上での販売はよく見かけるので、事実上チェックは追いつかず、そうした商品は実際に流通している、と現地の人が言っているのを耳にすることがある。

 福島原発事故後、流通している言説にウクライナでは出来ているのに「先進国の」日本でなぜ出来ないのか、というのがあるが、自称ウクライナ通の私としては違和感を抱かざるをえない。ウクライナでは立派な法律があっても実情は全然追いついていないので。ともかくこうした社会的状況の違いは大変大きい、ということを折に触れて言っていきたいと思っているところなのだが、なかなか伝えるのが難しい……。

 ちなみにウクライナやロシアなどの正教圏ではクリスマスは新年あけた1月7日に祝われます。なので、クリスマスツリーは「新年のツリー」と呼ばれます。12月25日は当地では特に祝われず、普通の日となっています。