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WordPressでブログ記事をすべて一覧できるページを作ってみた

 個人ブログを見ていて、この人おもろいな、と思った時に、その人が書いたブログ記事がすべて一覧で表示されているページがあるといろいろ有益なんじゃないか、と前から思っていた。WordPressではないが、fc2ブログでそういうページがあるのを以前知り、なるほど、記事タイトルを一覧するだけでその人の関心事が浮き上がってくるし、その人のブームのようなのも見えてくるので、興味深いページになると思う。

 ただ、私と同意見の人はあまりいないようで、SEO的にもおいしくないのか、あまり「全記事一覧」について書かれているサイトはなかった。昔風の自分でhtmlをゴリゴリ書いてたような人のサイトだとそういうページはあるものだが、最近のCMS全盛の時代にふさわしくないのだろうか。

 私があるといいと思うのは、1ページ内ですべての記事を表示するページ。一日にいくつも記事が書かれるようなサイトだとちょっとあまりに縦に長くなりすぎて複数ページにわけるなどの工夫が必要になってくるだろうが、今の私程度の更新数だと投稿数はしれているので、1ページでも十分表示可能な範囲に収まる。

 というわけで、WordPressでの実現方法を調べてみたのだが、私のほしい「1ページに全記事タイトル一覧を表示する」ための方法というのが書いてなかったので、あちこちの記事で知った方法をつなぎあわせながら、作成してみたのがこちらの「カテゴリー別全記事一覧」。

 もっといろいろ工夫の余地がありそうだが、ひとまず最低限は実現出来ているので、公開しておきます。

 WordPressで1ページ内に全記事一覧を表示する手軽なやり方は見つけられなかったので、次の記事で具体的なやり方をメモがてら書いておきます。

 ちなみにfc2では2013年時点で記事一覧が100件に限定されたようだ。こちらの「記事一覧の表示数」で一覧できる表示数をユーザーが指定できるよう、リクエストがでている。コメントで「titlelistはFC2blogのキラーファンクション。全て一覧出来てこそ意味があったのに」とあり、一部のユーザーにとってはやはり全記事一覧は意味がある、ってことなんかも。

ブログセラピー

 平日昼間は仕事、朝晩と休日は子守という生活が続いている。最近は就床・起床のタイミングが子供と重なることが多く、私の希少な可処分時間がますます少なくなっている。ぶっちゃけブログなんか書いている時間があったら、山積しているToDoをこなさなあかんやろ、とも思うのだが、こうやって特定の誰かではない人に向けて文章を綴る時間というのは、生活に追われる毎日の中で悪くなく、精神安定作用があるように思う。

 時々チェックしてるブログで「ブログセラピー」なる言葉があることを知った。ブログを始めた理由はツイッターではまとまった文章を書くのに向かないので、こういう場を作っておけば、ちょっとした情報を出したい時に使えるだろう、ぐらいの気持ちからだったが、こういう感じになるのは想定外だった。

 この文章も子供にまとわりつかれながら書いていて、前段を書いてから5分経過した。かようにちょっとした文章を書くのも簡単ではないのだが、自分専用の日記とは違い、誰かに読まれることを想定して書くことで、よりよく頭の中を整理できるように思う。

 カウンセリングを受けるとモヤモヤがすっきりするのは、現在置かれている状況を他人に話すことで心の状態が整理されるからだろう。プログラミング中でも良い解決法が見つからないときに他の人に説明するだけで解決することがあり、これを積極的に利用する「ラバーダッキング」(ゴム製のアヒルのおもちゃに話しかける)というのがあるが、これも似たようなものだろう。

 別に非公開なプライベートな日記にでも書いておけばよいとも思うが、一時的にこういう形で継続的に文章を綴ってみるのも一興かな、程度の意識で1年半ほど続いている。もう少し余裕が出たら、もっと別な形になると思うが、当面はこれぐらいがせいぜいでぼちぼちと続けられたらそれで十分、ぐらいでやっていこうというところ。

ブログ開設一年

 今日でブログ開設一年となりましたた。いつもお読みいただきありがとうございます。

 こちらが初投稿の記事。この記事によるとmiyagoshi.netのドメインを取得したその日のうちにサイト構築し、初記事を投稿してたようだ。最初のうちは誰にも知らせずにこっそり運用してたので、サイトをどんな感じにするかいろいろと試行錯誤してたが、ひとまずは無難にデフォルト・テーマを少しだけ改変した形で行くことにしたのだった。一応、途中で変えるつもりでいたのだが、そのままで来てしまってて、そろそろカスタマイズしようとしているところ。

 まずは一年、ツイッターのような短文でない、まとまった文章で情報発信する習慣を付ける、という意味で、読んでくださっている方には申し訳ないが、あまり読み手のことは考えずに、こちらが書きたいことをただ書く、という意識でやってきた。そうでもしないと私のような怠け者はすぐに面倒になって、途中でやめてしまうので。一度も投稿しなかった月もあるし、だいたい一ヶ月に5前後の記事しか投稿してこなかったが、先月あたりからやや投稿する頻度が高くなってきた。当面は最近のペースでは無理になりそうで、また一ヶ月数記事に戻る可能性が高くなりそうなのだが、せめて週に2回以上は投稿したいとは思っている。

 アクセス解析をちゃんとしていないので、どの記事が読まれているか、などは分析できていないのだが、この1年、特にアクセスが急増するようなこともなく、淡々と運営している状況が続いている。

 今後、どういう方向に向かうか、ちゃんと決めてませんが、この一年の延長線上でありつつも、今のことだけでなく、過去のこともどんどん書いていくつもりでおりますので、よろしければ、継続して読んでいただければと思います。

 感想やご意見、ご忠告、苦情など、なんでもいいので、リアクションいただけると励みになります。いつか気が向いた時にでも、よろしくお願いします。

ブログについて

 結局、3月に入っても忙しい日々が続いていて、今週も平日休みが取れなさそうで、諸々条件的には不利だが、自由を得るために正社員にならずにいるのに全然メリットを享受できずにいる今日この頃ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。今回も特に情報はないですが、時々、ブログについて何か書きたくなる病にかかっているので、うだうだと書いてみます。

 ウェブの記事などで、日常でちょっと面白い体験をしたら、SNSに投稿する、という流れになっていて、様々な交流も生まれてそれはそれで楽しいのだが、そろそろやめようかな、という人の話を見かけることがある。つまり、体験自体がサブになり投稿がメインになってしまうような本末転倒ぶりに対し、自制が働くということなんだろう。

 自分の場合、投稿が日常生活を侵食するような事態になることは311直後を除くとほとんどなかったので、そういうのはいらぬ心配なのだが、どちらかというと、もっといろいろ投稿したいのに出来ないでいるもどかしさみたいなのはある。

 こうして文章を綴るのは嫌いな方ではないのだが、いかんせん、なかなか時間が取れないし、そもそもそういう自分の諸々を公開することにどれほどの意味があるのか、とつい思ってしまい、筆不精気味になっていく、という負のスパイラルに陥りつつあり。

 私自身、割りとお役立ち情報系に弱く、ライフハック的なのが好みなので、そういうのを発信していけるといいのだろうけど、なかなかネタを思いついても、記事にするほどでなかったり、めんどくさかったりで、結局やらない、ってパターンになりがちで。

 特に得るものもないブログ記事を公開しても、何かの拍子に来てしまった人に申し訳ないという気にかられるわけだが、これも自分に言い聞かせるように言うのだが、いずれにしても、こうした発信は続けていく予定であるし、今のところ、大した情報も鮮度もないのが多いが、自分としては今後いろんな持ちネタを書いていくにあたって、文体練習とでもいうか、よい訓練になっているし、やはり公開することを前提で文章を書くのは精神衛生上良い、というのが今のところの結論だ。

 というわけで、読まされる方はたまったものではないかもしれませんけど、適当に気になる記事などがあれば、読んでいただければ、幸いです。

なぜブログを書くのか

 諸々あって、ここのところ、ブログを書く気持ちの余裕がなく、全然更新出来てなかった。赤子の世話とウクライナ大統領選周辺事情を追っていた、というのもあるが、別件で少々面倒なことがありまして。投稿の仕方すら忘れかねないので、クセをつける、という意味で雑感をば少々。
(アイキャッチ写真は特に意味なく抹茶です)

 ブログを始めたのはなぜかと改めて考えると、明確な説明付けは出来ないことに気づいた。前から始めたかったが、始めるまでの諸々がもう面倒で、ずっとToDoリストの中に埋もれている状態だったのを、ちょうど一ヶ月前のGWにおもむろにこのToDoをサルベージした、というのが、このタイミングで始めたことのとりあえずの説明にはなるが、では、なぜそもそも始めようと思ったのか。私のネット歴は1995年からで「○○のホームページ」みたいなのはいくつか作ったが、何らかの情報を出すためであって、自分の意見を表明するため、というわけではなかった。

 40年以上生きてると、特に社会に対してガンガン発信してるわけではない市井の方々が卓見を持ってることに遭遇する機会は多く、むしろ発信力の高い方々が「ポジショントーク」なんかで悪目立ちする様を見るにつけ、いろんな生き方があるものだなぁ、という乾いた感慨に浸ったりもするのだが、その人達だって、実際はそういうキャラとして割りきって商売に利用してるだけだったりするのだろうし、やはりそれはそれでこの世知辛い世を泳いでいく一つの方法なんだろうと納得したりもする。

 私は自分が卓見を持っているとまでは言わないけれど、様々な事柄について、ひと通りまとまった意見を表明しておくのも悪くないのではないか、と思うようになった。どうしてもネットでは「香ばしい」意見が話題になることが多く、そうしたものを読む機会が多くなりがちだが、たとえ多くの人の目に触れなくても、そうした意見を出しておく、ということは大切ではないかと思う。

 ツイッターでも連ツイで意見を表明することは可能ではあるが、別に細切れに140文字という制限のあるツイートという形で表明しなくても、ブログなどで一つの塊の文章で表現すればよいわけで。実際、ツイッターアカウントを持つ人の多くは別途ブログなどまとまった情報を出すハコも持っていることが多いように思う。

 あと、私はどうしても「世代論」にとらわれてしまうところがあって、この人口減少社会にあって、こうなることが予想できたのに有効な手を打ってこなかった上の世代に対して大いに文句を言いたい気持ちがあり、また同世代に対してはなかなか考えが聞こえてきにくいが諸々意見交換をしたいし、若い世代には私みたいな大人にならないよう反面教師にでもしてもらえれば御の字かw、などと思ったりしている。

 実名で俗に云う「香ばしいこと」を書くのは、匿名の有象無象が寄ってきて大変、と実名アカの人たちが嘆いているのを時々見かけるが、毒にも薬にもならないような駄文を連ねていても仕方がないという面はあり、炎上リスクを避ける努力はしつつも、それを恐れすぎるのもよくない、というところかなと。

 まとまった時間が朝しかとれないのであるが、夜に書くような文章を書いてしまったw またぼちぼち投稿していきますので、時々見に来てやってください。