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中核派って何? ~全共闘世代について思うことなど~

 こんな記事が出てた。

「福島に暮らす人々描いた映画、打ち切りから再上映へ」

 映画については見てないのでここでは言及しないが、記事に中核派について言及がなされている。私は中核派については、何かの団体が分裂してそのうちの自分たちが中核にあるとみなした人たちの団体なんだろうな程度の知識しかなく、「中核派とは」などを読んでも、その前提がさっぱりわからないので全然頭に入ってこなかったわけであるが、世間的には「あいつは中核派のシンパだ」的なレッテルを貼ると何かを攻撃したことになる的な位置づけにあるらしいことをなんとなく感じる程度だ。

 私が学生時代だった頃のさらにそのずっと前にはすでに学生運動は下火になっていて、総合大学に行った時に見かける立て看板でその存在を知るぐらいで、今まで「私は中核派です」という人に会ったことが一度もないので、どういう人たちなのかも実感としてよくわからない。何でも内ゲバで殺し合いにまで発展したのだそうで、そうした過去の経緯から一般人にとっては言及することで得をすることはあまりなさそうな人たちとみなされても仕方のない面はあるだろう。また、中核派を否定的に言及する人がやたらと攻撃的なのもますますそういう事柄に言及することを避ける土壌が出来上がっているように見える。

 一応、ブログ記事「革共同~ヤンキーな中核派VSオタクな革マル派」などを読むと大雑把な対立構造などは見えてくるが、リアリティをもって理解することは私には不可能だ。

 今現在もその程度の認識しかない私であるが、福島との関連で思い出したので、ここにメモしておきます。

 私たちが2011年4月に初めて福島入りした時に何箇所かで集会が開催されたのだが、そこで地元の年配の方から「中核派が来てますね」と言われた。それが何を意味するのか、当時の私はよくわからず、はあそうですか的な反応をした記憶がある。具体的に誰が中核派なのかは関心もなかったし、特に聞きもしなかったが、当時はふーん程度に思っていた。

 その後、子ども福島の運営を巡り、中核派との関連が指摘されるようになり、様々な経緯を経て、現在ウェブサイト上では以下のような記述がなされている。

「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」は、政治・宗教・企業などあらゆる団体からの独立を原則としています。
*当会はふくしま共同診療所、福島診療所建設委員会、NAZEN、中核派などの団体と関係がありません。

 私は子ども福島の運営についてもよく知らないので知ったふうな口を聞くつもりはないが、子ども福島に関わる人たちの多くはただ子どもの将来を心配する方々の集まりなのだと今も思っている。実際に関係者の方から「中核派って何ですか?」という質問を受けたこともあるぐらいで、子ども福島を団体ごと丸々中核派の思想がバックにあると誤解されかねない主張など見ると、ちょっと悲しくなる。ただ、様々な思惑を持って運動体に近づく人もおり、来る者拒まずで受け入れていると「なぜか人が去っていく」という事態に繋がる場合も現実としてある。この辺りのバランスの取り方はなかなか難しいところで「排除の論理」を原則避けつつも、どうしても方向性の違う特定の人に辞めてもらうような場合も出てくるだろう。

 中核派かどうか知らないが、福島事故直後ぐらいに、全共闘世代としてここで動かないといけない、的なことを私に言ってきた人がいた。その言葉に私は違和感を覚えたものの、そうした意識で動く人がいてもいいだろうぐらいには思った。ただ、私は当時の混乱状況にあって、例えばこちらに「子どもを避難させること」など何らかの思惑があったとしても、とにかくまずは現地の人たちのことに耳を傾け、人々の意向を知るのが第一で、いわばまず「相手ありき」だというのがこうした場合の常識ではないかと思っていたが、その辺りの感覚に幾分ズレがあり、私の目には「ここで行動する自分ステキ」みたいな、まず「自分ありき」なのだとしか思えないような言動を見聞きすることになった。

 元々身近にデモに積極的に参加したりして、選挙前になると「共産党に入れろ」などと電話してくる人が一人いて、世代的にはもろ全共闘世代の人で話も面白く長く付き合いがあったのだが、普段は立派なご高説を吐く割に、大事な時に子どもじみた行動を取ることが何度もあって辟易するようになり、今は付き合いはなくなった。

 他にもこの世代周辺の人にこのタイプの人が多くいることを経験として知るようになり、一体なぜこのような一群がいるのか、長らく謎だったが、これは戦争直後に激変した不安定な教育環境があのような人たちを生み出したんだろうと思うようになった。彼らとて、そのように育ちたくて育ったわけではなく、戦争に飽き飽きした当時の大人が少々のやんちゃ程度なら大目に見た、という話もあり、そのように育ってしまったことに責任はないと個人的には思うし、私自身あの時代に生まれていたら、似たようなことになっていた可能性はあるだろうと思う。

 ただ、本人たちもうすうす感じている通り、時代は変わった。ボブ・ディランの歌詞ではないが「Your old road is rapidly agin’」で、もう昔のやり方は通用しない時代になっていて、そのことをよくよく理解した上で下の世代とつきあってもらいたいと思う。先日のデモなども主導しているのは旧来のデモでよくみかける組織ではないみたいで、世代交代が進んでおり、否応なく新しい世代が出てきている。仲間内で懐古的にヘルメットの色の話とかしてる分にはいいが、そういうのに下の世代はまったく関心が持てないわけで。

 もちろん、この世代の人がみなそういう傾向があるなどというつもりはないし、むしろ気さくで偉ぶったりしないのがこの世代のいいところで、自分が前に出るのでなく、また後ろから黒幕的に操ったりするのでもなく、下の世代に経験を伝授して、育てるぐらいのつもりで社会と関わってくれるといいんだがなー。実際に私はこの世代の何人かに育ててもらったと思ってるので。