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「孫ターン」のメリットとデメリット

 「“孫ターン” 新しい移住の形」という記事が出ていた。私自身が約20年前に「孫ターン」した先駆者wなので、諸々の経験を通じて感じたことを書いておきます

 まず、孫ターンすることになったきっかけを書いておくと、最初の最初は一人暮らし歴の長い祖母がちょうど病み上がりで家に帰ってきていたタイミングで、自分自身がちょうどその時、生活を変えたいと漠然と思っていて、祖母の家にふと立ち寄ったのがきっかけだった。当時はインターネット界隈に生息していたのだが、このハッタリだらけの世界はしんどいな、と思い始めていて、一旦ちょっと距離を取ろうと思っていた。

 そのようにして住み始め、畑仕事などを手伝ううち、しばし住んでみたら、と言われて、同居するようになった。ただし、この時点では1年程度か、長くとも2,3年程度だと思っていた。少ししたらまた都市部、具体的には当時住んだことはないが一度は住んでおきたかった首都圏に住むことになると思っていた。

 ここに住むことを勧めたのは祖母本人でもあったが、伯母の一人がやけに強く勧めてきたのをよく覚えている。私が都市部へ行くことを「疲弊するだけでお金も貯まらないしお前のためにならない」などなど、あれやこれやと理由をつけて引き止めたこともよく覚えている。私は自分自身の意志でここに住み始めたし、住み続けたと思っているが、私よりも人生経験のある伯母の言であり、そんなもんかな、とちょっと思ったのも正直なところだ。当時はまだまだあまちゃんだったということだろう。今思うに、そうしたおためごかしの言葉の裏にドス黒い意志が当時からすでにあったことに気づかざるを得ない。

 その後、いろいろありつつも、祖母と住み続けることになり、80代後半になった祖母も体力が落ちてきて、入退院などを繰り返すようになった。そうした中、結果として、私が祖母の介護にメインで携わることになった。メインというのは、結局誰か一人が中心になって、あれこれ決めたり介護サービスを提供するところとのやりとりをしないといけない、という程度の含意があるのだが、逆にいうと、介護サービスを提供する側としては、誰に聞けばいいかわからない状態というのは、大変やりにくいし、話が進まない、ということが分かってきたからだった。

 私は再三、アラームを発した。なぜ自分がメインで担当しなくてはいけないのか、手伝いならいくらでも喜んでやるつもりだが、メインでというのは違うんじゃないか、と。介護というのは、その人に育ててもらった人がまずはやるべきであって、いろんな事情で出来ない場合もあるだろうし、育ててもらってもやりたくない、という場合もあるだろうけど、根底に何らかの「感謝」の気持ちがあってなされるべきものだと思っている。もちろん、昔のように、オムツ交換から何から自分でしてこそ、なんてことは言わないし、今は昔に比べて介護サービスが充実しており、「お金で解決」できることも多いわけで、そうしたサービスは積極的に利用すればいい。

 また、世代が一つ違う、ということもよく考えていた。介護を30代の人がするのと50代の人がするのとでは随分と違う。私は祖母の介護に携わること自体を問題視していたわけではないが、なぜ他に出来る人がいるのに人生で重要な時期である30代に祖父母世代の介護に時間と労力を割かなくてはいけないのか、私が病院通いをしている間、伯母は楽しく旅行♪・・・なんてことが重なるうち、いろいろと「黒い感情」が自分の中に沸き起こるのを認めざるを得なくなってきた。

 ある時、私はもうアラームを発するのをやめることにした。最後まで私が中心になって面倒を見ることを決めた。そして、基本的に私が最終的判断をすることも私の中で決めた。祖母が食べられなくなって胃瘻を造設するかどうか判断を迫られた時、それは結果として延命することになり、私自身の介護生活も伸びることを意味したが、私は造設することに決めた。「管だらけになって死ぬのは嫌だ」とよく言っていた祖母で、ビデオにその「証言」も撮影してあったが、それでも、病床の祖母と何度も話をする中で、祖母自身が胃瘻造設を望んでいることが朧気ながら分かったからだった。

 その後、しばらく胃瘻で生きながらえたが、ある日、介護施設での骨折を境に衰弱し始め、様々な臓器が機能しなくなりだした。そして、危機を脱し、いくらか病状が安定しはじめた時、一旦停止していた胃瘻からの栄養注入を再開するかどうか医師から問われ、私は迷いに迷ったが、再開しないことを決めた。これは大変孤独な決断だった。私以外はみんな、胃瘻継続という雰囲気だったからである。見ようによっては、私が祖母の死期を早めた、ということになるだろうが、私は今も自分の判断が間違っていたとは思わない。祖母自身、死ぬ直前、いつもとは違うちょっと奇妙な調子で「ワシはもう迷わんことに決めた」などと言ったが、優しい心遣いをする祖母特有の思いやりだったのだろうか、などと思うことがある。

 最初に書こうと思ってたところから随分と脱線したが、元に戻すと、デメリットとしては、上記のように、祖父母の介護をする羽目に陥る可能性が高い、という点があげられる。仄聞するところでは、孫世代が祖父母の介護要員をしていることも現代日本では多いようで、ただでさえ少子高齢化で大変なのにこんなんでええのか、と思わないではないが、現実としてこうした状況があるようだ。

 本来は皆が元気なうちに介護について事前によくよく話し合っておくのがいいのだが、なかなかそうもいかないのが実際のところだろう。一応、必ずしも理解がない親類ばかりではなく、出来る範囲で協力してくれる親類もいるので、うまく取り込むのが肝要なのだが、俗に「遠くの親戚より近くの他人」というように、最終的には「近く」かつ「親戚」の人がいるなら、その人が一番動かなくてはならなくなる、というのは知っておいたほうがいいだろう。ただし、そうなったら、逃げてしまうのも一つの手だと、経験から思う。世の中、意外と自分がいなくても回っていくもんなんで。

 ネガティブな面ばかり強調しているが、私自身孫ターンしてよかったと思っている。メリットは、一緒に住むことで自分の家族について多面的な見方ができるようになったことがあげられる。私は親とはいろいろあって思春期以降は特に心情的に距離を取り続けてきたが、そういう拘りがかなり軽減した。これは精神衛生上、かなりよい効果をもたらしたと言える。

 また、祖母の話すリアルな、ほとんど前近代的といっていい村社会の側面は私に強い影響を与えた。そうした話はなかなか聞けるものではないので、もし戦前の様子を知る祖父母がいたら、願ってでも、話を聞き出しておくべきだと思う。戦後社会の価値観とは別の生き様がごく最近までごく普通にあったことがよく分かる。

 思えば、私は本格的な孫ターンをする前に数ヶ月だけプチ孫ターンをしていたことがあったのを思い出した。ちょうど学生時代に休学していた頃だった。その経験が孫ターンに繋がったのは間違いないとも思う。ともかく、やってみたいが二の足を踏んでいる、という状態であれば、まずはプチ孫ターンから始めてもいいのではないだろうか。

 孫ターンの課題については、まずは、なんだかんだいって、仕事である。今やってる仕事をやめて、新しい土地で仕事を見つけなくてはならない。このハードルは決して低くはない。ちなみに、私は当時まだ今ほどネットは普及していなかったこともあり、タウンページで調べまくって、募集も出ていない会社に電話でアポをとったりしたものだが、それなりに創意工夫が必要ということになる。ただし、「どこの馬の骨かが知れている」という安心感が雇う側にはあるはずで、「ああ、あの地域の人の孫か」となる場面もあるだろうから、まったく未知の土地よりは受け入れられやすい可能性はある。

 私が移住できた最大の要因はインターネットの普及である。私が孫ターンした地域にはまだ「テレホーダイ」はなかったが、倍の値段を支払う必要があったものの「隣接テレホーダイ」が使える地域だったため、「深夜だけ常時接続」が可能となったのは大きい。今だとさらにサービスが拡充され、僻地にいても買い物に不自由することはまずないと言ってよい。仕事もネットの普及の恩恵で工夫次第で食べていくことも不可能ではないはずだ。

 あと、人というファクターをどう考えるか。都会の方が多様な人と知り合う機会が多く、刺激も多いので、若いうちは踏ん切りが付かないかもしれないが、地方の人が皆、保守的で閉鎖的なわけもなく、そう大きく違わないんじゃないかと私には思える。ただし、これは孫ターンする地方によって、大きく事情が異なるだろうから、なんともいえない。私の場合、都市部に日帰りでいけてしまう、というのが大きいが、そうでない場合、自他ともに説明可能な形で定期的に都会に行く口実を作っておくのも一つの知恵だろうと思う。

 私は多様性を重要視する方なので、こうした「孫ターン」の動きは基本的には歓迎だが、ズルイ大人も世の中にはいるので、そこらあたりに気をつけつつ、迷っているぐらいなら、えいやっと移住してしまうのを私としてはおすすめします。都市で消費する生活の楽しさも捨てがたいでしょうけれど、それ以外の生き方もあることがよくわかるし、世界が広がること請け合いです。