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肩書をどうするか

 日記といえば「三日坊主」と連想してしまうぐらい、書き始めたもの途中でやめてしまうことは多いのだが、せめて最初の三日だけでも毎日書いてみよう、というわけで、今日も特にテーマを決めずに書きます。

 今、嫁さんと2ヶ月の息子が実家里帰り中で、寂しくも久々に静かな時間を過ごしているのだが、昨日も帰宅後は結局、ウェブサイト構築にかかりきりだった。こういうのは自分の性格上、「旬」のうちにある程度やりきってしまわないと途中で放り投げる可能性があるので。

 広告の扱いをどうするか、ジャーナリスティックな活動をしている方の中には、広告が自分の活動には合わないからと一切広告を入れない主義でやってらっしゃる方も結構いるようだが、私はその辺りあまりこだわらないようにしている。福島原発事故後からYouTubeに映像をアップロードするようになり、YouTubeから広告挿入が可能になった、という知らせが来た時にちょっと悩んだが、基本的には入れることに決めた。講演の映像などでは自分の映像というわけではないので当初は入れないようにしていたが、編集とかアップロードとかの手間はかかっているわけではあり、今後は入れることにすると思う。(※このあたりの感覚は子供が出来て、変わったと思う。どんな手段でも稼がないといけない、という強いインセンティブが働くようになった、というわけで)

 自分がジャーナリストなのかどうか、広義に「記録する人」ととるとそうだといえるが、各種メディアに定期的に出稿するとかしてるわけでなし、どうも気恥ずかしく感じてしまう。自分の肩書きをどうするか、フリーでやっていくなら、仕事の依頼の多寡を大きく左右するし、非常に重要だと先輩には諭されたが、自分の活動実態を一言でバシっと言い表せるのがなく、名刺を作るときなど毎回悩んでしまう。主な収入源という意味でいえば、私はここ10数年ずっと、そして今現在も「プログラマ」ということになるわけだし。

 「ドキュメンタリスト」というのが候補だったが、まだ一つも映画としては完成させていないのにドキュメンタリストもないだろうし、以前蓮實氏が「ドキュメンタリー映画とは呼ばず、ただ映画といえばいい」という旨のことを述べていたことがあるが、これは「ドキュメンタリー映画」というと「社会派で問題提起するものでなくちゃならない」という窮屈感が半端なく、私のようなちゃらんぽらんには向かないと常々感じていたので、いろいろと得心した気がした。

 ある程度、自分の中では方向性は決めてるつもりなのだが、肩書を決めてしまうと可能性を狭めてしまうような気もしている。自分でも「えーっ、世間ではこっち方面に需要があったのか!」というときに軌道修正が無理なく出来るようにしておきたいみたいで、てへへへ。というわけで、肩書をめぐる自分の旅はもうちょい続くかな~、というところで、今日の駄文を締めておきます。