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カビと過剰品質の日本

 ここ数日、この山の中でも気温が上がり、葉刈りなど外仕事をしている時に、一時ちょっとふらついてしまって、あまり根を詰めすぎるのはよくないと、その後は休み休みやるようにしている。葉刈りといっても、10年近く放置していて伸び放題になっている枝をキレがいいとはいえない錆びたのこぎりで切るという作業の連続でもう腕があがらないほどになり、今朝も二の腕に麻痺があるような感覚が残ってたり。

 そういうわけで、梅雨明けが見えてきた今日このごろだが、先週はジメジメしつつ気温も高い日が続き、カビ大発生の嫌な予感がしている。昨日、風を通そうと普段あまり開けないカーテンを開けたら、死んだカメムシにカビがさっそく生えていて、これはやばいぞ、とビビっているところ。カビはあらゆる箇所に根を下ろすので、湿度がいくらか下がったタイミングで家に風を通すとか、カビが見つかったら拭いたりするなどして地道に取り除いていくしかない。

 あと、カビが生えないようにカビの元となる有機物を出来るだけなくすのもよい方法とのことで日頃からまめに掃除をしているといいのだが、育児などでそんなことはしてられず、しかも食べこぼしとかが散乱し、子供が汚れた手であちこち触り回るので、掃除してもすぐに汚されてしまう。

 ウクライナにいるときに思ったのだが、あちらはこうした明確に雨季と呼べるような季節がなく、あまりカビに神経質にならなくてもよく、ナッツ類の入った皿をフタもせずにテーブルに置きっぱなしにしてる家庭があったりとか、日本では考えられないような生活様式に驚いたものだ。実際、そういうことをしても特に湿気る様子はなかった。

 江戸時代や明治初期に日本に来た外国人の記録で、きれい好きな日本人の様子が描かれることがあるが、ウクライナで生活していたとき、もしかしたら、それは日本には梅雨という雨季があるせいではないか、と思ったことがある。そして、この雨季が一年のうち、1ヶ月程度、という期間も重要なポイントで、これより長くても短くても、また違った生活習慣になるのではないかなと。つまり、1ヶ月という期間はある習慣を育てるには十分な長さなのだが、半年ともなると、カビ前提での生活になるだろう。それがこの期間だけ我慢すれば、あとは大丈夫ということになると、そのカビ前提でない習慣はそのまま続けられることになるだろう。

 ただし、梅雨時だけきれい好きになるのは実質無理なので、梅雨じゃない時も梅雨時に身についた生活習慣が少しずつ広がっていき、きれい好きになっていく、ということではないかと。例えば、袋に入った食材の口は一度開けたら開けっ放しにはせず、比較的乾燥している季節でもちゃんと口を閉めることを習慣づけている方が日本では多数派だろう。

 思いつきの説にすぎないし、こういう説がすでにあるんかどうかも知らないが、民族性・国民性に気候や地形が与える影響というのは、思っているよりも大きいように思う。

 現在の日本製品への信頼性は、かつの安かろう悪かろうのイメージがあったメイド・イン・ジャパンの面影はないといってよいだろうが、世界から見るとそこまで高品質にしなくても、必要十分な品質であれば安価なものが選ばれるのが現実で、高付加価値で生き延びる戦略に日本は向かおうとしているようだが、この人口規模ではちょっとそれは無理なんじゃないかとなんとなく思う。北欧とかシンガポールぐらいの数百万人規模の国ならなんとかなりそうな気がするが、1億人規模の国でこの方向性はまずい気がしているのだがどうだろう。

 日本滞在経験のあるウクライナ人が「電車に乗っている日本人の顔は疲れているかイライラしているかで楽しくなさそう」的なことを言っていたが、時々ほぼ時間通りに電車が来ることの背後にどれだけ多くの人達が苦労しているかを思うことがある。新幹線の運転をしていた方の話を直に聞いたことがあるが、30秒遅れるだけで始末書物だとか、ちょっとあの仕事はいくら高給でも精神をやられそうで(実際、その方は精神的にきつくなり、転職された)、やりたくないなぁ、と思ったものだ。

 日本も国際化、というのであれば、もう少しいろんな面でゆるくなっていかないともうもたないんじゃないか、と思う。何か問題があった時に声をあげるのはよいことであるが、行政サービスとか公的機関に苦情を簡単に言い過ぎて、無駄に防御的対応がなされる、という場面が増えてきているようにも思う。

 日本人の国民性、というのも、本当にそうなのかと時に疑問に思ってみるのもよいことで、きれい好きについても、イザベラ・バードの記録を見ると、明治時代の人々は今の日本人の目には不潔としかいいようがない生活をしてたりしたわけで。

 元々多様性のあった国だったはずだが、近代化の過程で効率の名の下、少々やり過ぎていろいろと無理が生じていて、そろそろ行き過ぎを反省し、揺り戻しの時期に来ているのではないのかな、と。

 ちょっと雑ですが、梅雨明けの待ち遠しさから思うことを書いてみました。