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石川迪夫著『考証 福島原子力事故 炉心溶融・水素爆発はどう起こったか』を読んでの感想

 一昨日は頭痛で悩まされながら、しかし、そんなにひどいのではなかったので、前から通読したいと思っていた石川迪夫氏の著作『考証 福島原子力事故 炉心溶融・水素爆発はどう起こったか』を読んでみた。まだ新鮮なうちに、備忘録代わりに感想を書いておきます。

 読後感としては、福島第一原発の1号機から4号機の原子炉建屋での事象に対し、1人の人物がそれなりに矛盾なく考えたストーリーを提示した、という点で意味があるのではないか。事故調などの報告はそれぞれに意味はあるとは思うが、様々な人が関わっており、不確定な部分については、断定的に書くわけにはいかないので、どうしても謎のまま、読み手側は放り出されてしまう面があるし、東電の報告などを読もうにも専門用語が多用され、煙にまかれて、なんかようわからん、ということになりがちだ。この本では、その辺り、わからないところも「かもしれません」と但し書きをつけながら憶測を交えて書いている部分が多々有り、そこがむしろ一般読者にとっては、専門家でもわからない部分もそれなりに理解しながら、読み進められるようになっている。

 個人名の著書だが、著者は原子力村の重鎮で、その人脈を活かし、様々なエキスパートのチェックを経ているようで、正式には表に出ていないが、「耳にした」という表現での記述もちらほらとあり、まだ先のある技術者だと書きにくいことも書いていて、文系人間にとってなるほどそういうことだったかと思わせる部分が多々あった。

 ただし、「原発継続ありき」の前提で話が進むので、読むに耐えない記述があちこちにあり、そういう部分を我慢しながら読む必要があるのが面倒なところで、原発反対の立場の人が読むと「何をゆうとるんやー」と怒りたくなる記述が随所にある。

 著者はチェルノブイリ原発についても聞き取りをしており、「関係者の見聞記録や発言があって大いに役立ちました」としつつ、今回は「チェルノブイリ事故の時のような、傍証として使える具体的事実がほとんどないこと」から「情報統制が度を越すと原子力安全の改善の機会を失わせます」などとして、「東電に苦言を呈す」体に一応なってはいる。

 私は事故後しばらくは張り付いていて、原発情報を追いかけられていたが、途中でついていけなくなったので、今や自明であるようなこともわかっていないことがあるのだが、この本の中の技術的な記述で私が一番印象に残った点は、2号機ベント失敗の部分。飯舘村などへのセシウム汚染は2号機からの大量放出の寄与が大きいことは報道されていて(3号機分も相当寄与してるらしいが)、格納容器圧力が大気圧と同じになっていることから、どこかが破損し、3号機の爆発で偶然開いたブローアウトパネルから水素共々非常に濃い放射性プルームが漏れでて、そのおかげで水素爆発は免れたものの、放射性物質を大量にまき散らし、深刻な汚染の一番の源となった、というところまでは押さえていたつもりだが、p229-230の以下のような記述はちゃんと理解してなかったように思う。

 ベントが開かなかった理由は、ベント管内に挟まれていた破裂板(ラプチャーディスク)が破れなかったためといわれていますが、多少異論があるとも聞いています。(中略) 非常時にしか使用しないベントには、2重の隔離弁だけではなく、破裂板を置いて、管路からの漏洩対策に万全を期したものと推察されます。

 破裂板は、一定の圧力がかかれば破れるよう設計されていて、1、3号機では設計通り破れました。ところが残念なことに、2号機では破れなかったのです。破裂板の破裂失敗例には、取り付けの失敗が多いといわれています。

 後悔先立たずですが、いやしくもベントは安全装置ですから、破裂を置くならば万一の失敗を考えて、外力で破れる工夫を凝らしておくべきでした。この注意が不足していました。これは設計ミスです。

 この記述を読んだ時、責任者出てこい!と思わず唸ってしまった。もし存命中であれば、自分でもよくわかっていると思うので、名乗り出てきてほしいぐらいだが、もし、このベントが成功していたら、この本の中で繰り返し述べられている「750もの除染係数を持つSCベント(注:水にくぐらせ放射性物質を減少させてから大気中に放出するベントの方法)は十分役に立っていた」という記述を仮に信じると今の帰還困難区域の汚染は相当に減っていた可能性がある、ということになる。

 破裂板が破裂しなかった ―― 肝心なときにエアバッグが作動しないようなもので、いろいろと致命的なことが起きていた中で、ここはなんとかなった部分ではないかと思ってしまうところだ。ほんま、どこの誰が取り付けたのか、知りたい。

 ただし、SCベントに成功したとされる3号機についても、この本の出版後に遠隔カメラを使った調査で格納容器が破損していたことが確認されたとの報道がなされており、それを踏まえた改訂版、あるいは、この本を批判的に検証しつつ、別のストーリーを提示するような本の出版があるとよいと思った。しかし、結局、3号機でベントに成功しても、格納容器は破損したわけで、2号機でベントに成功していたとしても、汚染が相当減少したわけではない可能性も大いにあるだろう。

 1号機に関しては、データがこんなにも少なかったことを改めて知った。「とにかく、言い尽くせないいろいろな事柄が、この時間、修羅場である原子炉圧力容器の内部で、時間をかけながら進行していたと思えます」との記述にあるように多くの記述が憶測で書かれている。著者は5階爆発説を唱えているが、4階爆発説の可能性が高い、という話が出ており、1号機はまだまだ未解明部分が多いように感じる。

 4号機については、3号機からの水素逆流ということになっていて、着火源は熱膨張したダクトの折れ曲がり部分とのことだが、2号機、3号機のような傍証となるデータが少ない分、なんともいえんなあ、という印象。

 この本の筋立てとして、検証が進んだスリーマイル島原発事故での炉心溶融を元に論証しており、この筋立ては素人にはとてもわかりやすい。2号機・3号機については、概ねこの本の筋立てに近いことが起こったのだろうなぁ、という印象を持った。

 ただ、とにかく当時の民主党政権が大嫌いらしく、いちいちちくちくとうざいなぁ、と呆れながら読むことになるので疲れるが、私のような文系でもなんとかついていける書物ではあり、一読して損はない本だと思います。

 あと、もう一つ気になった点を書いておくと、『”福島原発”ある技術者の証言』という本で、「1990年の少し前から、私の見る限り、原発の現場力は明らかに低下していった」との記述があるのだが、石川氏も原発導入時からの第一世代であり、「(事故について)明快な説明ができない理由は、事故現象についての物理化学的な現象解明をしないまま、コンピュータの計算に頼るひ弱い解明方法にあります。これは日米共に同じと感じました。」としているように、今の現行世代の「包括的な」技術力に問題があることを伺わせている。つまり、技術の継承が出来ていない、ということになる。今回の福島第一原発事故では、かろうじて、第一世代が存命中だったことで助かった部分があるのではないか。そうした面を考えると、今後、再び事故が起きた時に、今以上の対応は出来ない可能性が高いように思う。原発は技術力の結晶かもしれないが、全体を把握できている人はこの世にいない、という話もあり、今だと各分野に通じたその道の専門家はたくさんいても、全体を俯瞰しながら事故対応できる人材はもういないのではないか。原発のような安全が極めて重要な施設でそんな危なっかしい話はないだろう。そういう意味でもやはり原発はなくしていく方向に進むべきと考える次第である。

 その他、この本で興味深い点を書き留めておこうと思ったが、また今度ということで。