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ダークツーリズムについて 長島愛生園を訪れたときの話など

 ダークツーリズム:「負の遺産」を旅しよう 専門雑誌創刊という記事が出ていた。

 私はもう少し若かった頃、「観光」という行為に違和感を覚えていた時期があり、その時は観光よりも「観暗」「観闇」の方に心惹かれていた。まだダーク・ツーリズムという言葉があることは知らなかったが(Wikipediaのダークツーリズムの項によると、この言葉は1996年に提唱されたのだそうで)、当時、オウム真理教のサティアン詣での観光客のことで批判的な意見が出ていて、あまりそういうことを表立って言える雰囲気ではなかったと思う。

 記事によると、創刊号は長島愛生園についての特集があるようだが、ここには私も瀬戸内を自転車旅行をしていたときに「一旅行者」として行ったことがある。次の日の予定は前の日の晩に地図を眺めて決める、というような行き当たりばったりの旅行だったため、ちゃんと計画して行ったわけではなく、園までの経路が上り下りが結構あるようなぐにゃぐにゃの山道で思っていたよりも時間がかかり、到着した時にはもう日が暮れようとしていたと記憶している。

 当地を訪れたのは、2000年問題のデスマーチで大いに疲弊した後、会社を辞めて自分を取り戻すために自転車旅行に出た時のことなので確か2000年年代初頭だったと思う・・・と書いて、写真が残ってないか調べたところ、一枚だけ撮ったのが見つかった。生活の場でもある園内の様子を撮るのはさすがに憚られ、案内図だけ撮影したのだろうと思う。

長島愛生園案内図の看板
長島愛生園案内図の看板

 私は事前情報なく訪れたため、まずは事務所に行って、園内に足を踏み入れてもいいのかどうか尋ねたところ、どうぞどうぞ、という感じだったので拍子抜けしたが、とにかくいきなり入所者の方に出会っても挨拶程度にして、礼を失した態度を取らないように気をつけていたのを記憶している。

 園内では歩いている人は一人もみかけなかったが、視力をなくされた方のための盲導鈴(駅や図書館などの公共スペースで一定間隔で鳴っているピンポーンのチャイム)代わりのラジオがあちこちで鳴っていたのが印象的だった。この場所ではNHKが、他の場所では民放の○○局がなどと決まっていて、散歩中に自分が今どこにいるのかが分かるようにするためのものだ。

 園内を回っているとき、時々、他県ナンバーの車が数台通ったのも記憶に残っている。私が訪れたのは2002年だったが、当時からすでに「観光」の対象地ではあったようだった。

 島の周辺で人々と話すと、メディアなどでは聞こえてはこないような話も耳にした。よくある「逆差別」のような話でここに書くほどのことでもないので書かないが、まあいろんな声があるものだなぁ、と思った。

 ダークツーリズム自体にいろいろ意見はあるだろうが、その場に行ってみるとその後も関心が持続する、という効果は確実にあるので、私はダークツーリズムには肯定的である。事前学習は最低限はしておくべきだろうが、あまり構えなくてもいいと思う。まずは現地に行ってみて、出来れば現地の方にお話を聞く、というだけで十分だと思う。

 ただ、こうしたダークツーリズムで難しい面があるのは、体験者に話を聞くことはとても大切なのだが、ほじくり返してまで聞くべきではない、ということで、実際、ハンセン病患者の方が「一見」の訪問者に胸の内を述べることに対し、葛藤が生じることがあるという話を聞いたことがある。一見の訪問者に自分の人生の大切な部分を少しの時間で語り尽くすことなど出来るものではない。その方は訪問者に語ったその日、眠ることができなかった、という。

 とはいえ、そうしたことに配慮しつつも、重く感じすぎて無駄に避けるものよくないと思うし、迷ったらまずは行ってみる、ぐらいの「軽さ」で現地に足を運ぶのもよいことだと私は思う。

 よもやと思って、Googleストリートビューで見たところ、長島愛生園も訪問出来てしまうことがわかった。人間回復の橋を見ると、私が行った時は橋の手前の道路の真ん中に管理人のいる建物があったが、今はなくなっている。

 こうしてストリートビューで行った気になれる時代であるが、行ってみないと分からないことがたくさんあって、長島の場合だと、周辺との距離感とか、瀬戸内の気候の良さ、盲導鈴という音など視覚以外で感じるものはストリートビューからはつかめない類のものだろう。

 今、思い出したが、原爆投下の日に広島に行った時、灯篭流しの灯籠を子どもたちや観光客が作っている脇で地元の方と思われる方がスタッフに対し、「原爆の日はもっと厳かにお祈りするべきだ。こんな賑やかなイベントにするもんじゃない」という主旨のことを主張していた。その気持ちはわかるが、後世に伝えていく場合、ある種の「陽気さ」がないと続かないと一方で私は思っている。チェルノブイリ支援に携わる方も同様に「楽しさがないと続けられるものではない」ということを言っておられた。

 ついでに言っておくと、福島の観光地化については、総論では賛成だが、私はやはり、東京からこの話が出て来るべきではなかったと思っている。こういうのは体験者自身の止むに止まれぬ気持ちから自発的になされるべきであって、すでにこういう形で遍く知れ渡ってしまうと、同様のプロジェクトを発案して始めたいと思っても、二番煎じ感が出てしまい、運動も盛り上がらないことになりはしないかと危惧する。もっとも「東京も体験者であった」と言われると、福島から遠く離れた関西人としては、確かにそれはそうだが、となってしまうのであるが。

 ただ、あずまんは今もチェルノツアーを継続してるみたいで、事前準備の手間やら何やら考えるとまったくペイしない事業だと思うが、ようやってはるなと思う。ゲンロンのチェルノツアーの本も類書がなく、チェルノブイリについてほとんど知識のない人が現在のチェルノブイリの現状を知るとっかかりとしてはよい本だとも思ったし。ゲンロンの福島本は全体として私にはいただけなかったが、一部の著者コラムによい文章があり、全否定するものではない。ただ、どうしても「東京のお洒落文化人が福島をネタに妄想を膨らませてみました」感を田舎者としては感じないわけにはいかず、心穏やかには読めなかった。それぞれの方はそれぞれ真摯になされているつもりなのだろうけれど。

 話を戻すと、私が行った時はまだ出来てなかったが、「長島愛生園歴史館」が2003年に出来ていたようで、今は学びの場としての整備が進んでおり、さらに、「日生から長島愛生園をめぐるクルージング(参加無料・要申込)」というスタディツアーもあって、ちょうど数日前の8/29に第一回目が実施され、「長島愛生園が初のクルーズ運航 隔離追体験や人権侵害の歴史学ぶ」という記事が出ている。どうも今後、継続して実施される予定はないようであるが、出来ればこうした試みが続いて欲しいと思う。