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1971年滋賀県大津市生まれ。大阪外国語大学ロシア語科除籍。IT業界で働きつつ、2006年よりチェルノブイリ被災地で「ナロジチ再生・菜の花プロジェクト」、被災者互助団体「ゼムリャキ」を取材。

宮古島旅行記(その4)~ダークツーリズム?~

 折しも、普天間基地移設問題を巡り揺れている沖縄であるが、昔、ゼミで琉球処分について調べて発表したことがあって、その時に東アジアの統治体制は中華思想が根本にあって、その中華思想は伝染する、というような主旨の考え方があることを知り、実際、江戸時代に幕府は薩摩藩を、薩摩藩は琉球王国を統治して搾取していたが、琉球王国も宮古島などの離島から搾取していた、という史実を知ることになった。その中で人頭税という重税が宮古島に課されていたことも知り、実態を知っておきたいと思っていたが、なかなかその機会がないまま、現地を訪れることとなった。

観光地となっている人頭税石。「じんとうぜい」と思っていたが、「にんとうぜい」と読むのだそうで。(間違いというわけではないようだが)
観光地となっている人頭税石。「じんとうぜい」と思っていたが、「にんとうぜい」と読むのだそうで。(間違いというわけではないようだが)
人頭税石(ぶばかり石)の説明。この石より背が高くなったら、人頭税を課された、という言い伝えがあるとのこと。ただ、この石自体は人頭税とは無関係だろうと書かれている。
人頭税石(ぶばかり石)の説明。この石より背が高くなったら、人頭税を課された、という言い伝えがあるとのこと。ただ、この石自体は人頭税とは無関係だろうと書かれている。
人頭税石の高さは、私の身長が170cm弱なので、だいたい150cm程度か。
人頭税石の高さは、私の身長が170cm弱なので、だいたい150cm程度か。

 地元書店の沖縄コーナーに行くと、「人頭税百年シンポ」という本があり、まだ廃止されて100年強というのに驚いた。県外の人が実態を知り、地元の人とともに廃止運動に立ち上がったが、それを阻止しようと既得権益側からの様々な嫌がらせがあったらしい。それらをくぐり抜け、大正デモクラシーの世相にもうまく合致して、廃止を勝ち取ったとのこと。今の基地問題もそうだが、多くの人にとって都合が良い、という理由で現状維持方向に圧力がかかるが、沖縄の基地負担はやはり尋常ではないので少しずつでも軽減されるべきだと思う。

 人頭税については、書店に「人頭税はなかった」という題名の書物があり、ざっと斜め読みしたところ、課税は一人頭ではなく、集落単位のものだったのではないか、と問題提起し、呼び名を当時呼ばれていたものに戻せばよいのではないか、という主旨のようだった(流し読みなので、間違い有りかも)。ただし、人頭税的な制度で過酷な課税がなされていたのは間違いないだろうし、すでにこの名前で定着していることもあるので、なかなか教科書書き換えまではいけないのではないかと思ったがどうだろう。

宮古島の典型的なさとうきび畑の風景の先にある航空自衛隊宮古島分屯基地
宮古島の典型的なさとうきび畑の風景の先にある航空自衛隊宮古島分屯基地

 宮古島には米軍施設はないが、航空自衛隊宮古島分屯基地がある。そして今、宮古島への陸上自衛隊配備計画が持ち上がっている。以下は6/20付の琉球新報記事。宮古島への陸自配備容認を正式表明 下地敏彦市長 「旧大福牧場」周辺配備は反対。ただし、先の参院選で、自民現職で沖縄担当相だった島尻安伊子氏に約10万6000票の大差で勝利した伊波洋一氏は反対を表明している。

航空自衛隊宮古島分屯基地
航空自衛隊宮古島分屯基地

 偶然知ったが、この自衛隊基地近辺にアリランの碑というのがあることを知り、行ってみようとしたが、場所が分からずに断念した(集落の方に聞いた道はあさっての方向だった……)。案内の看板を頼りに行こうとしたのだが、看板はおそらく何者かに撤去されていたようだった。

航空自衛隊宮古島分屯基地近くにあるアリランの碑への案内看板撤去跡
航空自衛隊宮古島分屯基地近くにあるアリランの碑への案内看板撤去跡(左側に台だけ残っている)

 ちなみに「恨の碑」という名称だとグーグルマップで検索可能で、関心ある方はストリートビューなどで確認できます。

宮古南静園
宮古南静園

 これも偶然知ったのだが、島尻集落にいったときに、ハンセン病療養所の宮古南靜園があることを知り、地元の方に聞くと、驚いたことに通常の病院として、当地の住人は通院したりしているとのこと。皮膚科と内科があるようで、一般にも開放され、結構昔から敷地内に普通に出入りされていたようだ。

宮古南靜園の人権啓発交流センター(未開園?)
宮古南靜園の人権啓発交流センター(未開園?)
中を覗くと、展示物準備中のようで、「ハンセン病回復者の願い」と書かれたキャプションがあった。
中を覗くと、展示物準備中のようで、「ハンセン病回復者の願い」と書かれたパネルがあった。
島尻にあった車海老養殖場。マングローブ林のあるところだと養殖しやすいということなのか、東南アジア諸国でもマングローブ林を切り開いて養殖場が作られていて、環境破壊が問題になっているとのこと。
島尻にあった車海老養殖場。マングローブ林のあるところだと養殖しやすいということなのか、東南アジア諸国でもマングローブ林を切り開いて養殖場が作られていて、環境破壊が問題になっているとのこと。
下地島飛行場横の道路にて。伊良部島と下地島の間にある津波石。
下地島飛行場横の道路にて。伊良部島と下地島の間にある津波石。

 1771年「明和の大津波」が発生し、八重山地方や宮古地方を襲った。一説によると、80mを超える高さの津波になったという話もあり、多数の死者が発生し、甚大な被害を与えた。それと知らずに訪れたのだが、もしかしてこれは津波石ではないかと思い、釣りをしていた方に確認したところ、そうだ、との返事。大きな岩が点在し、しばし呆然と立ちすくんでしまった。

伊良部島の津波石2
伊良部島の津波石2
伊良部島の津波石3
伊良部島の津波石3
伊良部島の津波石4
伊良部島の津波石4
別角度から伊良部島の津波石5
別角度から伊良部島の津波石5

 案内板を見落としていたが、通り池に行く道すがらに「帯岩」という津波で持ち上げられた岩があったようだ。これらが実際に津波によるものなのか確認しようもないが、これだけの傍証がある以上、実際そうなのではないかと思える。

宮古島名物のまもる君
宮古島名物のまもる君

 最後は、宮古島をドライブすると嫌でも何度も目にすることになる「まもる君」。髭の風貌がどこかベラルーシのルカシェンコ大統領を彷彿とさせる。よく見るといろんな顔をしていて、個々に微妙に違いがあるようだ。

 宮古島ではあちこちに「飲酒運転はダメ」という内容の標語があり、今も飲酒運転がなされていると聞く。最近はさすがに飲酒してすぐの運転はなくなりつつあるようだが、現地警察は「二日酔い」対策に移行しているらしく、地元の方はいやらしいやり方だと反発されていた。宮古島には「おとーり」という沖縄本島の人もビビるようなえげつない飲酒習慣があるそうだが、やはり酒はほどほどが一番ということで。

(つづく)

宮古島旅行記(その3)~宮古島周辺の島々、伊良部島、下地島、池間島、来間島~

 宮古島周辺にある有人島の伊良部島、池間島、来間島との間には橋がかかっていて、車で行くことができる。伊良部大橋は2015年開通と出来たばかりで、無料道路としては日本最長らしく、全長3,540mもある。

宮古島側から見た伊良部大橋
宮古島側から見た伊良部大橋
途中で道が曲がり、上り下りが複数ある伊良部大橋途中の風景
途中で道が曲がり、上り下りが複数ある伊良部大橋途中の風景
伊良部島側から見た伊良部大橋
伊良部島側から見た伊良部大橋

 伊良部島は橋がまだ出来たばかりで観光地化されてない面があるようだったので、ゆっくり回りたかったのだが、時間が足りず、ほとんど通っただけになってしまったのが残念。

無人の家があちこちにある。過疎化が進行しているのか。
無人の家があちこちにある。過疎化が進行しているのか。
サバウツガーという井戸。1966年に水道が出来るまで貴重な生活用水として利用されてきたとのこと。
サバウツガーという井戸。1966年に水道が出来るまで貴重な生活用水として利用されてきたとのこと。
サバウツガー井戸への道。123段もあるのだとか。
サバウツガー井戸への道。123段もあるのだとか。
伊良部島のすぐ隣の下地島にある通り池。地下で海とつながっている。
伊良部島のすぐ隣の下地島にある通り池。地下で海とつながっている。
通り池への緑のトンネル
通り池への緑のトンネル
通り池には遊歩道が整備されている
通り池には遊歩道が整備されている
遊歩道は未完成なのか途中まで終わっている。海まで続くのか?
遊歩道は未完成なのか途中まで終わっている。海まで続くのか?
下地島には訓練用飛行場があり、離発着を間近に見られる(訪問時は見られなかった)。周辺道路はバス・トラックは通行禁止
下地島には訓練用飛行場があり、離発着を間近に見られる(訪問時は見られなかった)。周辺道路はバス・トラックは通行禁止
下地島空港誘導桟橋
下地島空港誘導桟橋
離発着するラインは駐停車禁止になっている
離発着するラインは駐停車禁止になっている
このラインに沿って飛行機が離発着する
このラインに沿って飛行機が離発着する

 宮古島の北方にある池間島には池間大橋がかかっていて、気軽に車で行くことが出来る。

宮古島側から見た池間大橋
宮古島側から見た池間大橋
池間島側から見た池間大橋
池間島側から見た池間大橋
池間島には中央部に結構な規模の湿原があり、バード・サンクチュアリになっている。
池間島には中央部に結構な規模の湿原があり、バード・サンクチュアリになっている。
渡り鳥の休憩所となっている
渡り鳥の休憩所となっている
そう大きくない島の中に広がる池間湿原。
そう大きくない島に広がる池間湿原。
カモの仲間?
カモの仲間?

 宮古島の南西にある来間島には来間大橋がかかっている。

宮古島側から見た来間大橋
宮古島側から見た来間大橋
来間島側から見た来間大橋
来間島側から見た来間大橋
来間島展望台からの景色。さとうきび畑が広がる。
来間島展望台からの景色。さとうきび畑が広がる。
来間島にあった謎の石碑。天網恢恢云々とある。
来間島にあった謎の石碑。天網恢恢云々とある。

 今回、訪問できなかったが、宮古島の島尻港からフェリーで訪れることのできる大神島というのがある。次回訪問する機会があれば、是非行ってみたい。

大神島行きフェリーを運行する大神海運
大神島行きフェリーを運行する大神海運
大神島に向かうフェリー
大神島に向かうフェリー

(つづく)

宮古島旅行記(その2)~子連れでの観光~

 宮古島観光の目玉はダイビングやシュノーケリング、ビーチで海水浴など「海で楽しむ」系ということになるだろうが、子連れだとなかなか海は大変。別の場所で、子連れシュノーケリングなどもやってみたが、子供の世話で手一杯になる面があるので、子供が小さいうちは体験型よりも見て楽しむ系が無難といえるかも。

 子供が喜んだのは北部にある宮古島海中公園で海の中の魚をじっくりと観察できるスポット。海中公園はいくつか行ったことがあって、あまりクリアに見えなかったりする場合もあるのだが、ここは新し目であるためか、そこそこクリアに見えた。日や時間帯によって透明度に大きく差があるようだが。子供は魚がマイブームらしく、「カタナ、カタナ」と叫び(まだサカナと発音できない)、なぜかハイテンションになって大はしゃぎしていた。

宮古島海中公園にて。子供が食い入るように魚を見つめている
宮古島海中公園にて。子供が食い入るように魚を見つめている
宮古島海中公園。海の魚を間近に見ることが出来る。
宮古島海中公園。海の魚を間近に見ることが出来る。
台風など海が大荒れになる時は、写真中央部分を窓にスライドさせて閉めるのだとか
台風など海が大荒れになる時は、写真中央部分を窓にスライドさせて閉めるのだとか

 子供はカニもなぜか好きなのだが、ビーチなどにいるヤドカリを見ても喜んでいた。小さい子供にとって、動いている生物を見るのは興味深いことであり、近場で石をひっくり返すと発見できるダンゴムシとかアリとかでも十分楽しめるものなので、子供が小さいうちの遠出の旅行は大人メインで楽しめばよいのではないか、と思ったりした。

砂山ビーチにて。
砂山ビーチにて。
砂山ビーチへの道。ベビーカーを押してビーチまで行こうとしたが、砂の道でさらに坂がきつめなのでやめたほうがいいとと子連れの家族に止められた。ありがたい忠告だった
砂山ビーチへの道。ベビーカーを押してビーチまで行こうとしたが、砂の道でさらに坂がきつめなのでやめたほうがいいとと子連れの家族に止められた。ありがたい忠告だった。

 島内には何箇所かマングローブ林があり、そのうちのひとつ、島尻のマングローブ林に行った。海水と淡水の狭間でたくましく育つ植物で近年減少傾向にあるそうだが、様々な機能を担っているようなので、産業との兼ね合いもあるだろうが、保護されてほしいところ。

島尻のマングローブ林。展望できるように整備されている。
島尻のマングローブ林。展望できるように整備されている。
奇妙な形をした根。これで海水に対応しているそうな。
奇妙な形をした根。これで海水に対応しているそうな。
獲物を狙う鳥(サギの仲間か?)
獲物を狙う鳥(サギの仲間か?)
シオマネキの穴があちこちに。せわしなくプランクトンを口に放り込んでいた。
シオマネキの穴があちこちに。せわしなくプランクトンを口に放り込んでいた。

 宮古島中心部から少しはずれたところにある久松地区では昔ながらの赤瓦屋根の集落がまだ残っている。この地区には遺跡群や日露戦争時にバルチック艦隊の通過を目撃し、危険を冒して通知した久松五勇士の顕彰碑などがある。

久松地区の赤瓦の家。無人の家もちらほらとあったが……
久松地区の赤瓦の家。いくつもある無人の家がどうしても目についてしまう……
久松みゃーか(巨石墓群)の一つ
久松みゃーか(巨石墓群)の一つ
久松みゃーか(巨石墓群)の説明書き
久松みゃーか(巨石墓群)の説明書き
久松みゃーか近くのストーンサークル?
久松みゃーか近くのストーンサークル?
久松みゃーか近くの多分ガジュマルの大木
久松みゃーか近くの多分ガジュマルの大木
南国の風景がみられる
南国の風景がみられる

 他にもいろいろ回ったが、そのうちのいくつかの写真をあげておきます。

うえのドイツ文化村。訪問時は天候も悪く、閉館間際で閑散としていた。敷地内には無料で入場できる。滑り台など子供の遊具もある。
うえのドイツ文化村。訪問時は天候も悪く、閉館間際で閑散としていた。敷地内には無料で入場できる。滑り台など子供の遊具もある。
宮古馬。牛と共に飼育されている。馬は観光用とのこと。
最北部の牧場の宮古馬。牛と共に飼育されている。馬は観光用とのこと。
宮古島の地面の下に作られた地下ダムである福里ダム。資料館があり、宮古島特有の地質を利用した仕組みを知ることが出来る。
宮古島の地面の下に作られた地下ダムである福里ダム。資料館があり、宮古島特有の地質を利用した仕組みを知ることが出来る。
天候が悪く、荒波。ビーサンが脱ぎ捨てられていた。
天候が悪く、荒波の日も。ビーサンが脱ぎ捨てられていた。
ビーサンといえば、これがあちこちで売られている島ぞうり。現地調達した島のおばあたちも、カラフルな色の島ぞうりをはいて、散歩しているそうな。
ビーサンといえば、これがあちこちで売られている島ぞうり。現地調達した島のおばあたちも、カラフルな色の島ぞうりをはいて、散歩しているそうな。
手書きの石敢當。
手書きの石敢當。
宮古島の立派なお墓。本島と多少違いがある模様。
宮古島の立派なお墓。本島と多少違いがある模様。
エメラルドグリーンの海沿いに風力発電3基
エメラルドグリーンの海沿いに風力発電3基
ダイバーたちの船はちょくちょくみかける
ダイバーたちの船はちょくちょくみかける

(つづく)

宮古島旅行記(その1)~現地の人の話を聞くなどして思ったこと~

 子供が3歳未満の場合、国内線は無料、ということで、今のうちに国内遠出をしておこう、ということで、嫁さんのマイルを使わせてもらって沖縄の宮古島に行ってきた。

 ちなみに、関西からは今年からANAが宮古=関西空港線を通年運航し始めたようで、人気が出てきているようだ。

 さて、いつものように、ほとんど前調べせずに到着し、ひとまずレンタカーを借りようと雑誌に出ていた地元系らしきところいくつかに電話をしたところ、今日借りられる安めの車が見つからず、困ったことになったなぁ、としばし空港到着出口で佇んでいた。大手系は下手すると料金が倍するのでこれは避けたい。案内カウンターに行ってみると、雑誌には出ていなかったレンタカー会社のチラシがあり、電話をかけると借りられるという返事。軽自動車を借りることにし、料金も3日で12000円と格安で二つ返事でOKした。ちなみにレンタカー会社は宮古島ソラレンタカーというところで、若い地元の方が経営しているところでした。チャイルドシートも無料貸出で助かりました。

 注意点を聞くと、宮古島では「車の飛び出し」が結構あるとのことで、田舎でそういうのはあるあるなので、まあそんなに気にしなくてもいいだろうと思っていたが、実際に3回ほどそういう飛び出しに遭遇し、うち1つは暴風雨時の見通しの悪いところでの飛び出しでかなりやばかった。そうした運転の多くは高齢者の軽トラだったりするが、そのヒヤリハット後は前後に車がなくても飛ばさないように注意して運転した。

 沖縄には本島や石垣島などには行ったことがあるものの、宮古島には石垣-本島間のフェリーで夜に寄港した時に上陸してヤギ汁を食べて以来なので、ほとんど初訪問みたいなものだった。どういう島なのかほとんど知らなかったが、レンタカーで3日回ることで、本島や石垣島とは違う側面があることを多少は理解できたと思う。

 一通り回って思ったのは、本島や石垣島だと存在する山がちな部分がほとんどなく、多くの土地が農地や住宅地として利用されている、ということで、沖縄の離島の人口密度ランキングを見ると、宮古島は沖縄本島以外の島の中でナンバーワンとなっているように住環境としてはよいのだろうと思う。また、近年は内地からの移住者も増加傾向にあるのだとか。本島や石垣だと数百mの山があるが、宮古島の最高標高は115mで全体として平坦であり、一度水没したことがあるためか(諸説あり?)、ハブが生息していないという点も、移住者にとって魅力的なところなのだろう。

 レンタカーで回るとわかるが、農地の多くはサトウキビ畑で2mを超える大きなサトウキビがあちこちで風に揺られているのを目にしながらの旅行になる。地元の方に話を聞いて初めて知ったのだが、サトウキビは植えてから1.5年で収穫するらしく、ある畑は今年収穫、別の畑は翌年に、などという風にして、収入に偏りがなくなるようにしているそうだ。

サトウキビ畑、収穫前と収穫後
サトウキビ畑、収穫前と収穫後
耕うん機でサトウキビ畑を耕す
耕うん機でサトウキビ畑を耕す

 サトウキビ以外にも、タバコなどの栽培もなされているが、サトウキビよりは難しいらしい。10年ほど前からマンゴーが特産品になりつつあり、ビニールハウスがあちこちに建てられている。なお、年間をとおして温暖な地域であるため、ハウスは温度維持のためではなく虫よけのため、とのこと。

タバコ畑
タバコ畑
タバコの葉。一見、葉野菜にしか見えない。
タバコの葉。一見、葉野菜にしか見えない。

 若い人向けの仕事としては、やはり農業は大変な仕事であり、大学に進学する若者は島を出て主に関東や関西の大学に行き、そのまま帰ってこないことが多く、観光業も有力な仕事ではあるものの、内地の人間の方が商売上手な面があり、地元の若者の雇用の受け皿として機能していない面もあると聞いた。私の地元同様に地方の過疎化は日本全体の大きな問題となっていて、今後どうしていくのかそれぞれがよく考えて動いていかないといけない。

 行ってみて思ったのは、イオン系列のマックスバリュが2店舗もあったり、西松屋なども進出していて、買い物にはほとんど困らない、ということ。地元系総合スーパーのサンエーにも行ったが、こちらも品数が多く、賑わっていて、宿は島内では中心部から外れたやや辺鄙なところだったが、車があれば困ることはない。こうした状況になったのは、ここ10年ほどのことのようで、一昔前の高校生はお気に入りのスニーカー一つ買うために、わざわざ本島までフェリーで行っていた、とのこと。

 一応、スーパーでなくても、地元系の小さな商店はそこここにあるが、値段が高めになることがあるので、旅行者は使い分けが必要かも。車があるとなんとでもなるが、車がない場合は中心部に泊まった方が無難かもしれない。

沖縄のヒマワリ畑
沖縄のヒマワリ畑

(つづく)

追悼アッバス・キアロスタミ

 学生時代、よく映画を見ていた方だと思うが、あまり見なくなっていた時期があり、そんな時に久々に見に行ったのがキアロスタミの映画だった。なぜそのチョイスをしたのか、今となってはよく覚えていないが、京都のみなみ会館で上映されていた『友だちのうちはどこ』を見たのだった。最初から最後まで高いテンションを保ちつつも、ユーモアがあり、あざとさと紙一重の、ちょっとそれまでに見たことのないような演出で非常に完成度の高い映画になっていて、自分的に濃密な映画体験をした、という記憶がある。特にラストのノートに挟まれた一輪の花のシーンを見て、私は異様な感動を覚え、自分の座席が震えているのを自覚したほどだった。

 それ以来、ごく最近の作は残念ながら見られていないが(そもそも福島原発事故以降、映画自体ほとんど見てないわけだが……)、日本で見られる作品はほぼすべて見ている。初期のドキュメンタリーもよいが、やはり私はフィクションの方が好きだ。どの映画も独特の空気があり、何気ない日常でありつつも、キアロスタミの切り取る映像はどれもが絵になっていて、いつも新作を心待ちにしていた。

 東京国際映画祭が遷都1200年記念で京都で開催されたことがあるが、その時に『オリーブの林を抜けて』が上映され、それに合わせてキアロスタミも来日した。当時、私は学生で、その期間中はもう大学も休みに入っていたが、学内で「キアロスタミが本校で講演会をします」という小さな掲示を偶然発見し、驚愕して、何人か関心を持ちそうな人にも連絡し、その日を迎えた。

 招聘したのはペルシャ語科の先生方で、講演会は学内の一般教室で行われた。聴衆は関係者含めても十数人程度だったかと思う。今思うともったいないことだが、私ですら、その掲示を見たのがその前日だったので、急遽決まった話らしかった。

 キアロスタミは当時某IT企業勤務だった息子さんを連れてやってきた。講演はそう長くない時間だったと思うが、生キアロスタミを前にして、ただその場にいるだけで幸せな気持ちになった。

 質疑応答の時間になり、私が誘った一人で、映画サークルの後輩である千浦僚(現在の肩書は映画感想家?)が手を上げ、彼はなんと持参した8mmカメラを構えながら果敢にも壇上のキアロスタミに向かっていき、至近距離からキアロスタミを激写する、というパフォーマンスをしたのだった。あの映像、まだ残ってたら、見てみたいが現存するんかな。

 質疑応答は英語でやることになっていて、当時、まったく英語を勉強していなかった私だが、その場で原稿らしきものを手元の紙に書き、できるだけ平易な英語にして、以下のような主旨のことを言った。

 「私はあなたの映画を見て、勇気づけられています。さて、あなたの映画を見て気づいたことがあります。あなたの映画ではラストシーンに木や花などの植物が出てくることが多いのですが、それは何か意図があるのでしょうか。」

 一部、うまく通じなくて、キアロスタミの息子さんがとりなしてくれたりしたのだが、キアロスタミからは、そんなことを言われたのは初めてだ、おもしろい指摘だ、みたいなことを言われたかと思う。

 講演後、キアロスタミは次に行くところがあるらしく時間があまりなかったのだが、持参した使い捨てカメラ「写ルンです」(カメラなんて高価なおもちゃは持ってなかった)でキアロスタミとのツーショット写真を息子さんに撮影してもらった。それは今も私の宝物だ。

 その後に行われた京都での上映に駆けつけることはできなかったが、上映時にキアロスタミは壇上から「ここに大阪外国語大学の人はいますか」と問いかけたという。確か行けなかったのはバイトが入っていたためだったと思うが、バイトなんてサボって、駆けつけるべきだったと猛烈に反省したのだった。

 キアロスタミが亡くなり、心にぽっかり穴が開いた気分だが、氏の映画タイトルではないが「そして、人生はつづく」。ゴダール曰く「映画はグリフィスに始まり、キアロスタミで終わる」とのことで、不世出の映画作家キアロスタミは亡くなってしまったが、偉大なる作品群は残っている。これからも何度も見返すことになるだろう。