Yoshiro のすべての投稿

1971年滋賀県大津市生まれ。大阪外国語大学ロシア語科除籍。IT業界で働きつつ、2006年よりチェルノブイリ被災地で「ナロジチ再生・菜の花プロジェクト」、被災者互助団体「ゼムリャキ」を取材。

うちの息子、初めての高熱

 「別居中」だった嫁さんと1歳ちょいの息子が帰ってきました。いや、別に不仲だったとかそんなんじゃありませんが。2ヶ月ぶりぐらいだったためか、出迎えた時の表情は固く、しかし、こちらが気になる様子で何度も振り返って凝視されたりしたのだが、すぐに思い出してくれたようで、以前のように振る舞うようになった。

 今朝はゴミ出しついでに、最近あまりこけずに安定して歩けるようになった子どもと一緒に朝の散歩。ゴミ出しのとき、忙しい朝の時間なので、だいたい走っていくことが多く、時間はさほどかからないのだが、よちよち歩きの子どもと一緒だと当然子どもはあっちこっち見回して立ち止まったり、急にUターンして反対方向に行ったりして、普段の何倍も時間がかかってしまった。しかし、鳥が飛んだらそちらを向き、蝶が舞えばそちらを向き、U字溝を流れる水を眺め・・・、こちらは大人になり、もうそうした「当たり前の情景」に気を止めなくなってしまって長いが、この子にとってはすべてが新鮮なんだなぁ、と改めて子どもの視点のおかげで事物を新鮮に見ることが出来る事に気づいたのだった。

 親に似ず、今のところは比較的丈夫な子のようなのだが、今日の昼頃、仕事中に39度近く熱があるとの知らせを受け、今朝はあんなに元気だったのに、と子どもの急な発熱は話は聞いていたが、実際に目の当たりにするとちょっとうろたえてしまった。

 受診すべきか迷ったが、いろいろ読むと、乳幼児の発熱はそれ自体は恐れることはない場合がほとんどで、ひとまず一晩は様子を見よう、ということになり、今も時々額に手をやったりしながら、いつになく元気のない様子の子どもを見守っているところ。

 昨日あたりから、急に寒くなり、子どもの手足が冷たくなっていたのだが、子どもなので、大丈夫だろうと甘く見たのがまずかったか、風邪を引いたのだろう、というのが、我々親の見立てで、このまま大事なく回復することを願っている。

ブログ開設一年

 今日でブログ開設一年となりましたた。いつもお読みいただきありがとうございます。

 こちらが初投稿の記事。この記事によるとmiyagoshi.netのドメインを取得したその日のうちにサイト構築し、初記事を投稿してたようだ。最初のうちは誰にも知らせずにこっそり運用してたので、サイトをどんな感じにするかいろいろと試行錯誤してたが、ひとまずは無難にデフォルト・テーマを少しだけ改変した形で行くことにしたのだった。一応、途中で変えるつもりでいたのだが、そのままで来てしまってて、そろそろカスタマイズしようとしているところ。

 まずは一年、ツイッターのような短文でない、まとまった文章で情報発信する習慣を付ける、という意味で、読んでくださっている方には申し訳ないが、あまり読み手のことは考えずに、こちらが書きたいことをただ書く、という意識でやってきた。そうでもしないと私のような怠け者はすぐに面倒になって、途中でやめてしまうので。一度も投稿しなかった月もあるし、だいたい一ヶ月に5前後の記事しか投稿してこなかったが、先月あたりからやや投稿する頻度が高くなってきた。当面は最近のペースでは無理になりそうで、また一ヶ月数記事に戻る可能性が高くなりそうなのだが、せめて週に2回以上は投稿したいとは思っている。

 アクセス解析をちゃんとしていないので、どの記事が読まれているか、などは分析できていないのだが、この1年、特にアクセスが急増するようなこともなく、淡々と運営している状況が続いている。

 今後、どういう方向に向かうか、ちゃんと決めてませんが、この一年の延長線上でありつつも、今のことだけでなく、過去のこともどんどん書いていくつもりでおりますので、よろしければ、継続して読んでいただければと思います。

 感想やご意見、ご忠告、苦情など、なんでもいいので、リアクションいただけると励みになります。いつか気が向いた時にでも、よろしくお願いします。

倉庫用の5段スチール棚4セット買ってきて、3セット分の両面7段本棚とする

 本が未整理のまま、段ボール箱に入ってて、どの箱にどの本があるかわからない状況が続いていたが、この連休中にホームセンターでスチール棚を買ってきて、組み立てたところ。

 本棚についてはいろいろこだわり派がいるようで、愛書家的には壁一面本棚を目指したくなるものらしいが、懐事情に難がある私としては、そんな贅沢はできないので、とにかくコスト&収納力重視で、会社の倉庫にあるような棚が5段あって、高さ180cm幅90cm奥行45cmみたいなスチール棚を4セット買ってきて、これを7段にして両面本棚とする方式を採用している(正確には1セットだけ6段になる)。外枠は万能ツールの100均のワイヤーメッシュで対応。

 スチール棚にしたもう一つの理由は私の住む地域は山の中みたいなもんなので、湿度100%みたいな日が数日連続する場合があり、昨年、木製の棚にことごとくカビが生えて、大変な目にあった、というのも大きい。スチール棚はカビの心配はない。

 ただし、床がふにゃふにゃになってるところがあちこちにあり、床が重みに耐えられるかが心配ではある。以前、誰だったか、小説家の家が本の重みで傾いていた、なんて話を読んだことがあるが、この家は豪雪に耐える仕様で建てられているようなので、そういうのはないのかもしれないが、床下に潜って、一度ひと通り確認しておかないといけないな。祖母と二人して平べったくなって床下に潜った事があるが、もう10年以上前の話で、シロアリ対策とかもしとかないといけないし。。。

こどもの日にDIYで家の中の子ども安全対策を実施

 今日は子どもの日、というわけで、前からやろうとして、中途半端にしか出来てなかった、歩けるようになった子どもへの安全対策をした。

 今住んでいる家は祖母の住んでいた昔ながらの家で、土間部分が長く、今は板張りになっている部分が多いが、それでもまだ土間が露出している箇所が数メートル分は残っていて、その部分には簡単に落ちる、というか、降りられてしまうので、これまで不細工にとにかくただただ本の詰ったダンボール箱を2段積み上げて通せんぼする、という応急対策でやってきたのだが、いろいろと不都合があり、とりあえず新しい物は買わずになんとか家にあるガラクタを組み合わせて対応が出来ないか、頭の体操で試行錯誤しつつ、先ほどなんとか完成させたところ。

 子どもは乱暴に揺らしたりするので、それなりの強度で固定しなくてはならず、意外とこの作業に時間がかかった。手持ちの金具では対応できず、必要なものはホームセンターや100均で買い足して対応した。手近なあれやこれやを組み合わせたやつで、とても見せられる代物ではないので、写真はアップする勇気はないw

 さて、こういうのは個人的には楽しい、という程のものでもないのだが、こうしたDIY的な作業は時々はやった方がいいように思う。普段コンピュータの前に座ってプログラムを組んだり、こうしてキーボードを叩いて、文章を書いたりすることが多い日常の中で、何でもいいから「目に見える何かを作る」という作業は、精神衛生にどうやらプラスに働くらしいことはいくらか前から気づいていたのだが、やり始めるのが億劫でなかなか実際には出来ないもので。せめて休みの日だけでも一定時間はやりたいと思いつつ。

 あと、祖母が畑仕事に出られなくなって、もうだいぶ経つので、畑は草ぼうぼうにしてしまっていたが、一部だけでも草取りなどをして土いじりなどもやり始めたところ。土を触るのも明らかに精神衛生にプラスに働くことを実感している。確か、この記事でも書いた秀丸の作者も農業をやってるという話もあるようだし、今の勤め先の人の中にも土いじりをし始めようとしてる人がいて、ITと土いじりは割りと相性がいいような気がする。

チェルノブイリ森林火災の現場ともなった放射性廃棄物保管場もあるブリャコフカ村

 そろそろ「別居中」の嫁さんと子供が帰ってくるので、部屋を掃除・整理してたら、今回のチェルノブイリ森林火災が起きた時に探してて見つけられなかったウクライナで発行されたチェルノブイリ汚染地図が出てきた。マップ自体はネットでも見られるものだが、本棚に縦置きはもちろん横置きしようとしてもはみ出すほど大きい(ページ数はそんなにない)ので、本棚の中でなく、外側に立てかけるように置いてたが、その上に板がかぶさり見えない状態になっていたのだった。

 ということで、改めて地図を眺めてて気づいたのは、今回、火事に見舞われた村のうち、Рудня-Ильинецкая, Глинка, Лубянкаは原発から南西に20km以上離れた位置にあるが、Буряковкаだけは上記3村とはやや離れた、原発から西の方角に12,3km辺りに位置する村であるということで、さらに、うかつにも今気づいたのだが、この村は放射性廃棄物の埋設処分場がある村だった。日本語で「ブリャコフカ」でググったら、2012年の自分のツイートが3つ目に出てた。(ウクライナ語では「ブリャキウカ」)

 あと、衆議院チェルノブイリ原子力発電所事故等調査議員団報告書の中にも「放射性廃棄物保管場「ブリャコフカ」及び予定地「ヴェクトル」視察 という題名の視察報告PDFがあるので、関心ある方はどうぞ。6ページほどの分量です。

 この報告書によると、この処分場では深さ12mで穴を掘って廃棄物を埋めていて、さらに77の井戸を掘って、地下水を監視中だが、今までに漏れが見つかったことはないとのこと。

 今回の森林火災の時の記事を読んでると火災が廃棄物埋設場に近づいていることへの懸念が示されていて、埋設場ってあんなとこにあったんだったかなぁ、と思ってたのだが、あれはこのブリャコフカ村を指していたというわけだった。あと、コムソモールスカヤ・プラウダの記事の地図の説明で出ていた「プリピャチから7km」というのは、この村のことを指していたのだろう。

 グーグルマップだとだいたいこの辺りかと。確かに集落跡が見える。原発までの距離を測ると12.14kmと出たので、ここなんだと思う。ちなみに原発からРудня-Ильинецкаяまでは23.5kmほどだった。

 今回の森林火災の現場は比較的ゾーン内でも汚染度の低いところだったが、このブリャコフカはチェルノブイリ原発からほぼ真西に当たる。汚染地図を見ると分かるが、原発から真西に伸びる濃い線があり、ホットスポット(というかライン)になっている。つまり、ブリャコフカは汚染度が低いとはいえない場所で、さらにいうと、プルトニウム・アメリシウム241などのα線核種のホットスポットでもある場所で、手元の地図で目見当で見ると、それぞれ1000Bq/m2程度の汚染度の場所のようだ。ちなみに2011年時点のセシウム137だと40ci/km2(1480kBq/m2)以上はある。

 ということで、火事があったとすると、そうした核種やストロンチウムの再拡散もいくらかあったのではないかと思うのだが。