「育児」カテゴリーアーカイブ

初老のおっさんによる2週間のワンオペ育児体験記

 先日、2週間ばかり、5歳と2歳の子のワンオペ育児をした。経緯としては、ちょうどずっとやっていた仕事が終わって、次の仕事に入る前の期間に嫁さんが泊まりの仕事を入れたためで、次の仕事の開始時期を少し遅らせてもらってなんとか対応した。

 上の子はもう5歳半ばで、生活上の諸々はちゃんと出来ない場合もあるけれども、ほぼほぼ自分でできる状態になっていて、そういう面では手がかからないが、つい下の子の世話に注意が向きがちな親の目を引くためなのか、まだまだ甘えたい様子が伺える。未だに抱っこ要求があり、邪険に扱うときもあるが、少しの間だけでもやってやると落ち着くらしいので、可能な範囲で対応している。ただ、過去にした約束をちゃんと覚えていて、指摘されたりもするので、もうごまかしは効かず、小さな大人に接するぐらいの気持ちでいるようにしている。

 将棋を覚えて、やりたがるようになったので、駒落ちでやっている。普通に駒落ちしてもこっちが勝ってしまうことが多くてつまらないので、こちらも本気でやっても負けてしまう場合がある方法を考えていたのだが、あらかじめ、落とした飛車角などを子供に持ち駒として与えてしまう、という方法があることを知り、やってみると、実際、こちらも負けてしまうことがあって、なかなか効果的。ただ、序盤から打ててしまうとあまり練習にならないので、中盤以降で使える、という形にするなどで試行錯誤しているところ。

 自転車も補助輪なしで乗れるようになり、中古自転車ではあるが、近所を散歩がてら一緒にブラブラしたりしている。割と怖がりなので、やいやいうるさく注意しなくてもいいのだが、初めていく道路ではあまり先に行かせないようにするなどこちらも気が抜けない。

 下の子は保育園に定期的に通うのが今回初めてでどうなるか多少心配していたが、すでに慣らし保育で大きな問題はなさそうだという感触はあったので、大丈夫だろうと思っていた。実際、終わってみると特に問題なく保育園デビューすることが出来た。他の子に触発されたのか、いろいろと自分でやりたがるようになり、それはよい傾向なので、当面は自分でやらせてみるように仕向けているところ。靴や靴下はたいていうまくはけないがズボンはたまにうまく履けるときがあったりして、少しずつできることを増やせるようにしている。

 食事も基本的にはずっと親がやるようにしていたが自分で食べるようになって、とても楽になった。ただし、あちこち汚しまくるので、後処理が大変ではある。こぼした食事をキャッチするための前掛けをずっとやってくれなかったが、保育園では問題なくかけていると聞いて、根気強く説得してみると諦めたのか納得したのか、かけさせてくれるようになった。まだほとんど言葉は話せないが、こちらの言葉はかなり理解していることが伺え、言葉でのコミュニケーションはちゃんとやろうと思っている。

 新しい環境で子供なりにストレスもあったのか、夜泣きがひどいときがあって、真夜中に一時間単位でなだめすかしても、寝てくれないときもあったが、園では概ね楽しく過ごしていたようで、夜泣きも徐々に減っていった。

 というわけで、ワンオペ育児も無事終了したわけだが、ワンオペでしんどかったのは、こちらが急病を患ったり倒れたりできない、という緊張感が常にあることで、今回は特に嫁さんがすぐに戻ってこれる距離にはいなかったため、もし倒れたりしたらどうなるか、というのは常に頭の片隅にあった。うちの場合、上の子が5歳であり、蛇口をひねって水分摂取したり冷蔵庫を漁ったりして数日生き延びることはできるだろうが、下の子だけだとちょっと無理じゃないかと思う。少し前に巻きずし一本だけ置いて家に放置された2歳の子が死亡した、という痛ましいニュースがあったが、発見時には裸だったらしい。その子は暑さで服を脱いだが、服を着ることがまだ出来ず、夜の寒さに耐えられなかった可能性があるようだが、うちの2歳の子を見ても、まだ服をちゃんと着るのは難しく、やはり幼子を一人家に残すというのはやるべきではないのだろうと思う。

 こういうシチュエーションを想像するとき、太古の昔から人類は共同保育をしてきたことを想起し、ある親が突然倒れたとしても、別の大人がすぐに気付けるような仕組みがあるとよいのに、と思うことが時々あるが、現代の時代に実現可能な具体案はちょっと思いつかない。血縁に基づかないファミリー単位のシェアハウス的なゆるいつながりがある集団、ということになるだろうが、周囲からいろいろと誤解を受けるだろうし、実現にはハードルありまくりで、戦乱などの社会的混乱状態からの回避とか貧困状態にある者同士の助け合いなど大きなモチベーションがないと相当に難しそうではある。

  親が倒れた場合の危機回避で現実的にできることとして、いろんな方法はあるだろうが、複数の緊急連絡先の電話番号を子供に覚えさせて、室内でも出先でも電話でヘルプ要請ができるようにしておくのが有効だろうと思っているが、これはまだ出来ていない。

 今回、下の子を保育園に預けたあと、多少自分の時間が作れたが、それでも家事に多くの時間が割かれ、優雅そうにみえる専業主婦(主夫)生活も決して楽ではないことを身をもって知ったことが個人的な収穫。髪だけでなく髭にも白いものが混じり始めていて、もう立派な初老のおっさんとなり、ますます疲れやすくなってきているが、長丁場の子育て期間、あまり気負わずに適度に手を抜いて、テキトーに生きていきたいと思う今日このごろ……。

「上の子可愛くない症候群」について

 「上の子可愛くない症候群」なる言葉があるのを知ったのは割りと最近。二人目が生まれ、親の愛情を一身に受けていた上の子が、親が愛情を二人目にも注ぐようになり、自分にも注目してほしいからと赤ちゃん返りを始めるなどするが、それが親には可愛くなく、「無条件にかわいい」下の子とくらべて、かわいくないなぁ、と思うようになってしまう心理状態を表す言葉で、こういうのがあるとは知っていたが「症候群」とまで言われてるとは知らなかった。

 うちの場合、3歳半で下の子が生まれたこともあり、比較的赤ちゃん返りはゆるめだと思っているが、それでも「抱っこして」の要求は今まで以上によくあるし、食事時には「おててない~」とか言って、手を隠してしまって、ご飯を自分で食べないということもある。概ね、自分の好物のときや食べやすい食材のときは自分で食べるので、毎回食べやすいように準備すればいいのだろうが、それも現実的にはしんどいので、怒りつつも、食べさせることがある。放置するのもありだが、それはそれで親も付き合わざるをえないため大変であり、ついそういう面倒もあって、やってしまうことがよくある。

 上の子かわいくない、については、なんとなく母親が抱きがちなものじゃないかなと思っている。理由としては、まず、男性側は何かをかわいいかかわいくないかで判断することは比較的少ないこと、本能的に下の子を守らないといけない、という意識が母親側でより強くなる「可能性」があること、上の子が甘える対象として母親に向かいがちなこと、などなど。

 最近ではジェンダーフリーが前提の家族関係がごく普通にあるようだが、親の性差は紛れもなくあるというのが私の実感で、性の役割分担の弊害がたくさんあるためそういう意識の大切さも理解できるが、あるものはあるので、あまり囚われすぎるのもどうかな、と思うことがある。

 下の子が生まれてきたことによる上の子の変化としては、やはり、赤ちゃん返りの面倒さがあるが、いろいろと手伝いをより積極的にするようになり、オムツ替えのときはオムツを取りに行くのが自分の役割だと心得ているようで、私の方がオムツの近くにいても、遠くから飛んでくることがあり、そういう行動は「かわいい」といえなくもなく、私自身はあまり「上の子可愛くない」と思うことは少ない。しかし、下の子がミルクを欲しがっていて、さらにウンチもしていて、みたいなタイミングを見計らって(?)、ぐずりだすときもあり、そういうときはさすがにワシも感情的になるでー。

 これがいつまで続くのか、将来にも尾を引く場合もあるようなので、重すぎず軽すぎずに考えるようにして、適度に対処していく必要がありそう。下の子が物心つくまでは、やや上の子メインで対応するとよいらしいのだが、この辺りのバランスは微妙なさじ加減が必要だと思うので、それぞれの子どもの個性を見ながら対応できればと思っているところ。

1ヶ月の乳児と3歳半の幼児のワンオペ育児体験記

 やっと一週間に及ぶワンオペ育児が終了。私の体質として睡眠時間が削られると体調不良に直結するので、今回、中間で高齢の親にも上の子の相手という形でサポートしてもらった。かなり助かったのは間違いないが、夜の授乳で睡眠時間が確実に一定時間削られることには変わりないので、その部分のしんどさはあった。深夜の授乳は本当につらく、哺乳瓶片手に寝落ちとか、ゲップさせるための姿勢のまま寝てしまうこともあり、大事には至らなかったからよかったものの、深夜の授乳は交代制にするのがやはり現実的だと感じた。

 がっつり一人で全責任を背負って1ヶ月の乳児を世話した感想として最初に出てくるのは、ホンマにここまできちんと消毒だの調乳だのをせんならんのか、ということ。この部分の手間が一番堪えた気がする。直感的に思うが、ここまでのことを海外では先進諸国も含め、まずやっていないのではないか。日本の夏場の高温多湿という気候条件を考えると、特に新生児~3ヶ月ぐらいまではやっとくと無難と思わせられるし、大変面倒ではあるが、なんとか出来ないことはない程度の面倒さなので、日本の多くの親は可能な範囲でやってることと思う。ただ、二人目以降とか端折ってる家庭は多いだろうなぁとも思ったし、実際、そういう声も聞いた。

 今回、消毒には購入したけど未開封だったミルトンを使った。煮沸よりは面倒さは少ないが、電子レンジ式がやはり楽。ミルトンにしたのは、せっかく買ってあった、というのと、ミルトンを一定期間使用してみたかったため。容器は4Lのを使うのが基本のようだが、手近にそのような容器がなく、私は3L容器でやった。しかし、底が十分に深くなく、哺乳瓶を横に寝かせる形となったため、気泡を出来るだけ少なくして漬けるのが意外と手間でちゃんと底の深い4L容器で行うのが効率的だと感じた。

 消毒についてググルとやはり海外ではそんなに手間はかけていないようで。食洗機で洗うだけとか当たり前。食洗機はすすぎが高温のお湯で行われるので、これだけでも十分消毒可能という意見もあり、今後、この部分の手抜きを検討中。

(追記:検討したが、日本の場合、これで消毒になると考えるのは止めたほうが無難、というのが結論。日本の高温多湿環境と乾燥地域とは条件が違うと認識した方がよさげ。)

 調乳については、一人目のときは説明書通りに70度のお湯で溶かした後、冷ますということをやっていたが、夜中にギャン泣きしてる中、そんなことやってられっか! ってことで、試行錯誤の結果、ツイッターで@sararicoさんに教えてもらった、70度保温出来るポットの湯で粉ミルクを溶かし、その後、冷蔵庫保管の湯冷ましで割ることで調温、というところに落ち着いた。一応、毎回、腕の内側にかけて温度をチェックしたが、熱すぎたり人肌というにはやや冷たかったりということがままあり、このリカバリーがこれまた面倒で(場合によっては粉ミルクを足したりもした)、この部分の効率化には限界があるなぁ、と思った。毎回、200mlとかになる頃には腕も上達してるのだろうけれど。

 斯様に面倒な調乳だが、この調乳が不要な液体ミルクというものが海外では売られている。今知ったのだが、哺乳瓶も使い捨てなのだとか。エコではないし、その分高価なのだけれども、こういう選択肢があってもよいと思う。東京オリンピックまでに間に合うのかどうか。日本の各メーカーはとうに研究開発に入っているだろうが、海外メーカーのを輸入してもいいんじゃないの? 東日本大震災のときにはフィンランドから緊急輸入がなされたと聞くし、これなしで海外からやってくる子連れの人たちをおもてなしだなんて、どうかしてると思う。

 乳児を連れての買い物を2回ほどしたが、1回目のときは折悪しく途中で泣き出して、店内に響き渡る声で大泣き。買い物を終えて出ていったら、雨が降ってて、やや遠くに止めた車を見て、あ~困ったなぁ、と思っていたところ、「お手伝いしましょうか?」という子連れの若いお母さんから声を掛けられた。おっさんの慣れない育児ぶりを見るに見かねてということなのだろう、ここはお言葉に甘えて、赤子を預けて、車を雨のかからないところに一時停車させてもらうことで事なきを得た。こういう時に声をかけるのは躊躇するものだが、さらっと声をかけられる人でありたいものだ。

 2回めのときはレジのおばさんに声をかけられ、「ちょっと今、訳あって一人で見てますねん」ゆうたら、誤解を産んでしまったようで、開口一番に「あかんで、離婚したらあかんで」と強い調子で言われてしまった。幼児連れの場合、もうあまりこういうことはなくなったのだが、やはりまだ新生児に近い赤子連れの場合、強い関心を示されるようで、親切にしてもらえる機会がなんどもあった。以前、海外に比べ、日本は子連れに冷たいというような主旨のことを当ブログに書いたが、意外とそうでもないのかもしれない。田舎と都会とではまた違うのかもしれないが……。

 一人目のときは私の幼少時からの持病である円形脱毛症が再発したが、今回上の子も赤ちゃん返り状態になっているところがあって、なすべき作業は量として増えており、大変さは増しているといえる。しかし、メンタル的には同等か、一人目でいろいろとわかっている分、やや楽といえるかもしれない。もっとも、また円形脱毛症が再発したら、同等以上ということになるので、バロメーターとして観察しておくとしようw

 今回、下の子よりも上の子対策が大変だったのだが、そのあたりはまたおいおい書きます。

チャイルドシートやジュニアシートを助手席に置くことの是非

 チャイルドシートは後部座席に装着することが推奨されている。

 自動車総合安全情報という国交省のサイトで「チャイルドシートは、安全のためにできるだけ後部座席に取り付けましょう。」と書かれているし、こちらの滋賀発祥の某メーカーのサイトにも「エアバッグの付いている座席」では取り付けないでください、と書かれている。

 乳児の場合、後ろ向きの装着になるので、チャイルドシートを助手席に設置するのはやめるべきだが、前向きの場合、どうなのか。もちろん、一般論として、後部座席の方が事故率は低くなるし、助手席というのは最も死亡率の高い場所であり、避けるべきというのは正論であるだろう。

 私もずっとチャイルドシートは後部座席につけていた。後部座席の左右どちらがよいか問題については、やや運転手席側の方が死亡率はいくらか低くなるものの、先程のメーカーでは歩道から乗り降りさせることが出来るから、という理由で助手席側を推奨している。私も信号待ちのときなどに運転席から世話がしやすい、ルームミラーをやや斜めにすることで常時監視することができる、などの理由で助手席側に置いていた。

 ただ、何度か助手席に仕方なくチャイルドシートを設置した経験から、前向き装着なら助手席に乗せるのもアリではないかと思うようになった。子供としては前に乗った方が小さいうちからいろんなものをより多く見ることが出来、これはこれで立派な理由になるんじゃないかと。

 もちろん、これは親の自己責任である。多くの人は後部座席に乗せているのも知っているし、安全性も一般的には高くなるだろう。昨年、3歳の子がエアバッグで圧死する、という痛ましい事故が起きたが、こちらの「エアバッグで圧死」3歳児死亡事故、運転の母親に有罪判決という記事によると、後部座席にチャイルドシートがあったが、近所だったのでチャイルドシートのない助手席に乗せたとのことで、運転していた母親は有罪判決を受けている。

 上記のようなエアバッグでの圧死を避けるためにどうすればよいか。出来るだけ座席を後ろに引いておくぐらいしかないのだが、これで100%安全が保証されるわけではない。また、車両に助手席エアバッグ・カットオフ・スイッチというのがある場合、エアバッグ機能をオフに出来るが、多くの機種は未対応らしい(私の車種も未対応)。

 ここから先はもうリスクとベネフィットをそれぞれが判断する、という話になると思う。後部座席にいたら絶対安全でもないわけだし。

 うちの場合、4人家族になるにあたって、乳児を含む子供二人を後ろに乗せて、親二人が前、というのは、ちょっと考えられない、ということで、上の子を助手席に乗せるのを検討するきっかけとなった。そして、実際に乗せてみて助手席に乗せることのメリットがそれなりにあることがわかった。まず、子供にとって、景色がよく見えること、親としては子供の状態が後部よりもよくつかめること、子供の急な「お茶ちょうだい」などに対応出来ること、子供との会話を楽しめること、などなど。デメリットは死亡や怪我をする危険性が高くなる、ということだが、危険性をいうのであれば、車に乗ること自体なし、っていうのもありうる。そういう人も実際いるだろうし。

 私は他の人には推奨しないし、子供が一人だったら、そのまま後部座席に乗せてたかもしれないなとも思いつつ、助手席絶対危険で思考停止するのもよくないな、とも思った次第。JAFの海外のシートベルト着用・チャイルドシート使用義務というページによると、諸外国では前部座席に子供を乗せることを禁止しているところもあるようなのだが、細かい点がこのページだけではわからなかった。早いところ、自動運転車が主流になって、事故激減って世の中になってほしい、なんて思ったりもするが、まだまだ先の話ではあろうし、ともかく常日頃から安全運転を心がけるしかない。

新生児訪問と乳児家庭全戸訪問事業(こんにちは赤ちゃん事業)は義務として受ける必要があるのか

 早いものでもう次男が生まれて一週間が経過した。すでに家の中に赤ちゃんがいることが普通になっていて、第一子もいろいろと協力的に動いてくれている。

 出生届を出してきたのだが、いろいろとトラップがあって、訂正印を幾つか押すことになった。本籍の筆頭者については提出後に間違えて提出したことに気づいたのだが、後日、訂正に行くと、すでに役所の方で訂正済みとのこと。なんのこっちゃ。訂正できるということは特に書く必要がないということではないのか。本人確認の意味があるのかもしれないが、私のように忘れてしまっている人が結構いるようだし。一体、どういう意図でこの項目があるのか。

 母子手帳には新生児訪問依頼書というハガキがついている。第一子のときは義務的なものだと思い、受け入れたが、第二子であること、産科の指導で必要十分であること、今のところ、母子ともに健康であることなどから、訪問は受けないでもいいのではないかと考え、役所で聞いてみた。結論としては、自治体としては受けてほしいが、受けなかった場合は数ヶ月後にまたハガキが来て、別の訪問事業を受けてもらうことになる、とのことだった。

 よく理解してなかったのだが、新生児訪問以外に乳児家庭全戸訪問というのもあって、私の自治体では新生児訪問を受けなかった人が対象となっているようだ。新生児訪問は母子健康法、乳児家庭全戸訪問は児童福祉法が根拠となっていて、それぞれ以下のような文言がある。

母子保健法の第11条

当該乳児が新生児であつて、育児上必要があると認めるときは、医師、保健師、助産師又はその他の職員をして当該新生児の保護者を訪問させ、必要な指導を行わせるものとする。

児童福祉法の第六条の三の4項

乳児家庭全戸訪問事業とは、一の市町村の区域内における原則として全ての乳児のいる家庭を訪問することにより、厚生労働省令で定めるところにより、子育てに関する情報の提供並びに乳児及びその保護者の心身の状況及び養育環境の把握を行うほか、養育についての相談に応じ、助言その他の援助を行う事業をいう。

 前の自治体では新生児訪問は家の居間に保健師さんに来てもらっていろいろ指導を受けるという形で、もう一つの方は地域の民生委員の人が玄関先で様子を尋ねる、という感じだったので、今回、新生児訪問はパスして、全戸訪問の方を受けることにすることにした(対応が楽だからというのが主な理由だったりw)。

 ちなみに厚生労働省サイトにやや古いが平成22年度実績の乳児家庭全戸訪問事業の実施状況(PDF)というのがあり、見てみるとこの事業は92.3%の市町村で実施されたとのこと。残りの7.7%の市町村で実施しなかった理由としては「母子保健法に基づく訪問事業で対応可能である」や「乳児家庭全戸訪問事業以外の同様の事業を既に実施している」などが挙げられており、この事業を必要としていない自治体も少なからずある模様。

 国としては早期に「問題家庭」の把握をすることで未然に虐待やネグレクトを防ぐなどの目的があるのだろうと思う。個人的にはこうした事業は「孤育て」が当たり前の時代にないよりはあった方がいいとは思うが、多様な有り様を一律に「全戸訪問」することで把握しようとするのは少々無理があるようにも思える。こういう事業では得てして現場が様々な工夫をして訪問率をあげようとしているものと想像するが、実施できなかった理由に「訪問者が足りない」「訪問の同意が得られない」というのもあり、今の時代にあったやり方があるのではないかと思ったりもした。

 子育ては今や家庭の範疇の事柄となっているが、人類の歴史を鑑みるに集団で育ててきた、というところがあり、集団での子育てのデメリットも多少有るものの、メリットの方が大きいと思われる。その効用をどのように取り入れるか。おそらく今の行政では出来ることが限られており、期待すべきではない。ではどうするか。私が思う一つの答えは子供が属す集団を複数にし、多様な集団での経験ができるように準備することぐらいしかないのではないか。この場合、習い事とかになってしまいがちだが、それだけではなく、いろんな形で工夫の余地があるように思う。

 なんか、思ってた方向と違う方向に論を進めてしまった。私も上記のことは十分に出来ていないが、方向性を今、確認したので、これから考えていきたいと思っている。

 最後に、うちの自治体は「乳児家庭全戸訪問及び新生児訪問の際に配付している人形に縫い針が混入した事案についてお詫び」がなされるような自治体だったりして、これが新生児訪問を躊躇した理由の一つではあったのかも、なんてね。