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ラグビーW杯が終了したが、日本ラグビー界の今後が気になるところで

 昨日、今日と子供の相手ばかりしてるが、子供が昼寝タイムに入ったので、またラグビーのエントリーをば。

 今朝、録画しておいたラグビーW杯決勝のニュージーランド対オーストラリア戦を見た。多くの時間帯でニュージーランドが試合の主導権を握り、一時、1トライで逆転可能なところまで迫られたものの、ニュージーランドが突き放し、横綱ラグビーを見せて優勝した。

 この前、「ラグビーのドロップゴールについて思うこと」というエントリーを書いたが、今回も意表をつくドロップゴールで流れを変え、オーストラリアの追撃を交わした。ニュージーランドは一時21-3まで差を広げたが、やや気の毒な反則によるイエローカード=シンビンで一人少なくなった時間帯にオーストラリアにペースを握られ、21-17まで迫られた。そのタイミングで意表をつくドロップゴールが出て、24-17となり、ワントライ・ワンゴールでも逆転はできなくなり、その後はニュージーランド・ペースに戻った。

 今回の試合ではノヌー選手の華麗なステップによる独走トライが見られた。やはり、ラグビーの醍醐味はトライで、時々、こういうプレイが見られるのが面白い。このトライはオーストラリアが押し込んでいたときのターンオーバーから始まったカウンター攻撃でのもので、やはり、何につけ、攻撃的になって前がかりになっているときに防御がお留守になりがちになるものらしい。

 今回のワールドカップでの事件の一つに、準々決勝のオーストラリア・スコットランド戦で試合後に「誤審」を認めた、というのがある。主審は試合後すぐにスコットランドの「ホーム」状態のスタジアムの観客からのブーイングを避けるためか、まっすぐグラウンドから走り去ったようで、そのふるまいも問題視された。比較的審判批判されることのないラグビーでも、今回のジャッジのように勝敗を決するような場合は厳しい目が注がれる、ということだろう。

 この誤審については、フィールドレベルで判断するのはあまりに酷、という意見もあり、選手自身もすべてのルールを把握しているわけではないとも言うラグビーのルールの複雑さ・難しさを露呈した形で、ビデオ判定を導入してもこうした誤審が防げないわけであり、ラグビーを全世界に普及させるのはなかなか大変だろう。今回の誤審の説明については、こちらなどを見るとわかるかも。

 今回のワールドカップ・ラグビーで日本が優勝候補だった南アフリカに対し「ジャイアント・キリング」をやってのけたことで日本でもラグビーが話題になるようになった。南アは結局、今回優勝したニュージーランドに負けたが、内容的にも南アは素晴らしい守備で勝ってもおかしくはなかった試合だった。日本は今回、決勝戦に進出した2チームと互角の闘いを繰り広げたチーム、つまり、南アとスコットランドと対戦し、スコットランド戦は中三日ということで精彩を欠いたものの、内容的にワンサイドゲームというほどではなかったし、20年前に対ニュージーランド戦で17-145で惨敗した時代からすると、世界のトップとの差がかなり縮まったように思える。

 ただ、監督のエディー・ジョーンズがいうように日本ラグビー界はどうしても大学中心という現状があり、日本開催のW杯とその後を見据え、長い目で見た強化策が必要ということになるのだろう。ただでさえ少子化で競技人口が減る中、どんな手を打つか。元々、ラグビーファンは少なくはなかったはずで、今回、私も含めラグビーに関心を持つようになり、良くも悪くも厳しい目が注がれることになるだろう。

 しかし、そういうのも大切だが、ラグビーワールドカップをきっかけに明るい話題が出たことが一番よかったことだったかも。日本の相対的な地位の低下は止めようがなく、暗めの話題が多い昨今、今回のように世界を驚かせるような出来事があると、まだまだ様々な場面での創意工夫で明るい話題は出てくるものだと改めて思ったし、国を背負って、というところで、拒否反応を示す人もいるかもしれないが、スポーツでの活躍の効用は、オレもがんばらなあかんな、と思わせてくれるところで、どちらかというペシミストな方だが、出来るなら人生前向きな方がいい、と柄にもなく思ったりしたことだった。

今更ながら、ドイツと日本の類似性に関心が出てきたところ

 少し前に近所の本屋の新書ベストセラー・コーナーに『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる 日本人への警告 (文春新書)
』という本があり、こんな本がなぜこの田舎で売れてるの!?、と驚いて中を見ると、ウクライナ危機のことに多くのページが割かれているようだったので、購入しておいたのだが、ちょうど昨日、ざっと読み終えたところだったので、ドイツについて書いてみる。

 私がドイツを訪れたのは7年前のことだ。ウクライナからポーランド経由でバスを乗り継いでドイツ入りし、ほんの数日間だがドイツを周った。ウクライナ滞在中に行ったため、その対比が自分の中で凄まじく大きく、同じヨーロッパにあるのに、その生活レベルに天と地ほどの違いがあることを肌で感じた。ドイツ人にもいろんな人がいるだろうが、道行く人で出会った人で不愉快な印象を与えた人はほとんどいなかった。道を聞けば夜中だろうが、立ち止まって丁寧に教えてくれるし、電車で乗り合わせた人たちもよい印象しか残っていない。車窓を見てもウクライナのように遊んでいる土地がなく有効利用されていたのも印象的だった。世の中にこういう生活空間を作り上げている場所があるのだな、と感慨深かった。

 再生可能エネルギーの先進地域であり、車窓からは風車がいたるところに林立している印象で、バイオガス発電の現場も見せてもらったが、小さな村の一般の皆さんがやっておられ、自宅にも入らせてもらったが、日本の田舎とは違うヨーロッパ特有の「見た目のきれいさ」があったのも印象的だった。福島原発事故後もいち早く脱原発を決め、世界をリードする環境立国といっていいのだろう。

 外国を旅行していてよく出会うことになるのが、私の場合、ドイツ人だった。彼らも大抵、私に嫌な印象は残さず、結果、私の中のドイツは「リアル地上の楽園」とでもいうようなところになっている。ドイツと対比される国といえばフランスだが、私の会ったフランス人は嫌な印象の人が多かったのと対照的だ。

 そんなドイツだが、ここに来て、そうした印象を打ち消すような様々なニュースが出始めている。フォルクスワーゲンのデータ改竄はその象徴の一つといえるだろうが、やはり、ドイツが率先して関わったシリア難民を巡るEU内の軋みの方がより深刻な事態といっていいだろう。

 ドイツは経済面でユーロ圏内にいることのメリットを享受できる立場にあり、EUの存続を望む立場ではあるだろうが、「メルケル首相「移動の自由」見直しも示唆 難民急増受け」という記事にあるように「シェンゲン協定」の見直しに言及するなど、ドイツ流の圧力を高め始めている。また、[FT]メルケル時代の終わりが見えてきたというような記事が出てきており、ドイツの行く末に暗雲が立ち込めているかのようだ。

 冒頭の書に話を戻すと、この本で興味深く読んだ箇所を引用しておく。

歴史的に確認できるとおり、支配的状況にあるとき、彼らは非常にしばしば、みんなにとって平和でリーズナブルな未来を構想することができなくなる。この傾向が今日、輸出への偏執として再浮上してきている。(p68)

 引用文中の「彼ら」とはドイツ人のことを指す。この本の著者はエマニュエル・トッドというフランス人だが、自由・平等の国であるフランスとは対照的に、ドイツは不平等的であり、その権威主義的文化により、ドイツが支配的立場に立つと固有の「精神的不安定性」を生み出すのだという。さらに、

アパルトヘイトの南アフリカには、自由主義的・民主主義的ルールにしたがって申し分なく機能する平等な市民の集合体があったのだけれども、その自由や民主主義は被支配者たちが存在するという条件でのみ成立していた。(p65)

 とも述べ、人種差別時代のアメリカも白人同士の平等が黒人などに対する支配によって保証されていたとし、現在のヨーロッパも、ドイツ=支配者とその周辺で支配される諸国民のヒエラルキーが形成されている、という。そして、この政治的不平等はドイツ議会選挙でギリシャ人が投票できない以上、アメリカなどでの人種に起因する不平等よりも大きいという。

 日本特殊論に与するものではないが、それでも、様々な観点から見て、日本に似た国を探すのは難しい。そんな中、世界の中での政治的立場として参考になるほとんど唯一の国はドイツではないか。工業品輸出メインの産業で成り立っていて、勤勉な国民性も似ている。よく様々な政策に関して北欧などが参照されるが、国の規模が違いすぎるので、あまり参考にならないと思う。その点、ドイツと日本は共に1億人前後であり、これぐらいの人口規模の国で同様の国は他にはないといえるだろう。

 今まで考えたことがなかったが、この本で知ったのは、ドイツも日本同様に元来「直系家族」と呼ばれる家族形態を取っていて、それは「長男を跡継ぎにし、長男の家族を両親と同居させ、他の兄弟姉妹を長男の下位に位置づける農村の家族システム」(p157)とのことだが、ドイツではこのシステムが「権威・不平等・規律」などの価値を現代の産業社会に伝えたという。

 それに対し、フランスは「結婚適齢期に達した子供は自律的な家族ユニットを築くのが当然とされた」とのことで、遺産も男女関係なく子供全員に平等に分け与えられ、結果として、このことがフランスの「自由・平等」という価値を培ったとしている。

 よくフランスの少子化対策が紹介されるが、国民性の違いが大きすぎるので、個人的にはまるで参考にならないだろうと感じていた。第二次大戦で大いに疲弊し、戦後経済復興を遂げた、という類似点を持つドイツと日本だが、ドイツも同様に少子化の問題を抱えているようで、こうした類似性は興味深い。

 他所の国の有り様はなぜかよく見えるので、今後の日本の行く末を考えるヒントとして、もう少しドイツに関心を持ってみようと思っている。

 ちなみにこの本の著者は「最後の転落 〔ソ連崩壊のシナリオ〕
」でソ連崩壊を予言し、その人口学者としての視点は読んで損はないかと思う。ただ、訳者はあの「悪童日記」を訳された方であり、名訳者とのことだが、この本に関しては、口語体が唐突に出てきたり、文章として成立していない部分があったりと、誰かの下訳に手を加えたような出来なのが残念なところ。しかし、元がインタビューであるので、意味が取れないほどではなく、読み進むうちに脳内補完できるようになると思う。

ラグビーのドロップゴールについて思うこと

 今朝、ラグビーワールドカップ準決勝「南アフリカvsニュージーランド」の試合を見た。点差はたったの2点で、あと一本PGかDGが決まっていれば南ア勝利となったが、ボール所有は6:4でNZで、さらにトライの数ではNZが2に対し、南アは0であり、試合としてはNZが押していたといっていいだろう。ただ、南アの守備がよくて、いくつもあったピンチを切り抜けていた。

 今回のラグビーワールドカップで知ったのは、主審とキャプテンのコミュニケーションが大変重要だ、ということで、日本の南ア戦やサモア戦では主審とのコミュニケーションが吉と出たような試合だったようだ。(スポニチの記事 「リーチ「英語力が勝因」 新主将は主審と良好な関係を築ける人材を」

 この準決勝の試合では、南アがうまく審判とコミュニケーションを取っていた、ということか、ニュージーランドの反則が多かった印象で、南アがうまく反則を誘い、トライで引き離されてもペナルティゴールで着実に3点ずつ加点してニュージーランドを追い込んでいった。特に端っこからの難しいの2本を含め、5本すべて成功だった、という南アのキッカーのポラード選手の正確さはすごかった。ちなみにこの選手はW杯後に日本でプレイするらしい。(記事「南ア代表の21歳司令塔、ハンドレ・ポラードが短期契約でドコモ入り!」)

 テレビ解説でも触れていたが、前半はノートライだったもののよい守備をしつつ、着実にPGで加点していた南アのペースであったが、後半開始少ししてからのNZのドロップゴールで流れが変わったような。

 ラグビーの試合を見ていて、ドロップゴールをやられると、ちょっと置いて行かれた感が残る。トライは爽快感があるし、PGは反則に対する代償で理解できるのだが、ドロップゴールは何かそれまでの試合の流れを断ち切ってしまう。トライまであと少しなのにそこで3点狙いにいくんか、というような。サッカーでいうと、ゴール前にロングボールを放り込んだら、なんか入ってしまったみたいな感じに近いあっけなさがある。

 しかし、これもラグビーの味の一つなのだろう。正直言って、トライを望む観客の興をそぐことになると思うが、相手に勢いがあるときなどにこれをやると効果的なのかもしれない。流れが悪い時にちょっとした怪我を痛がって時間を浪費するサッカー選手みたいなもんで。

 ラグビーの歴史上、トライは元はコンバージョンゴールの権利取得のためのもので0点だったそうだが、ドロップゴールはそうしたサッカーから派生したゴール主体ラグビーの名残なのかもしれない。

 そういうわけで、私のような「にわか」はドロップゴールに対し、よい印象を持てないが、それでも、このルールを失くしたほうがいいとまでは思わないし、これはこれでおもろいルールだと思う。ただ、3点もいらんのんとちゃうかとは思う。2点に減らすなんて案は出てないのかな。

 英語記事だが、Rugby World Cup 2015: New Zealand progress to final after seeing off spirited South Africaはいろいろとデータが出ていて、見せ方がうまくなるほどと思った。日本国内でもこれぐらい力をいれた記事がこれから普通に読めるようになるのか、各種メディアの対応にも注目したいところ。

「シベリア抑留」が記憶遺産になったことの是非はさておき、この悲惨な出来事についてもっと知ろうとするきっかけになればそれでいいのではないか

 「シベリア抑留」なども記憶遺産に 日本が申請という記事が出ていた。

いわゆるシベリア抑留などに関する資料は、旧ソビエト軍に連行されシベリアなどに抑留された人や、戦後、旧満州などから引き揚げた人、合わせておよそ66万人が京都府舞鶴市の舞鶴港に到着する船で帰国を果たしたことから舞鶴市が記念館を設けて保管しているものです。抑留中の体験を書き残した日記やスケッチのほか、帰還を待つ家族の手紙や引き揚げ船の乗船名簿など570点に上ります。

 ちょうど、9月5日のETV特集で「沈黙を破る手紙~戦後70年目のシベリア抑留」が放送されたのを録画していて、見ていた時だったので、このニュースはタイムリーだった。この報道だけでは、やや簡素に過ぎるので、自分の知る範囲で背景をメモしておきます。ちなみに、直リンはしませんが、この番組名で動画検索すると何か見つかるかもしれません。

 シベリア抑留の一般的事実についてはWikipediaの項などを参照してもらうとして、まずは番組で取り上げられたことで興味を引いた点を書いておくと、表題の「手紙」について、ETV特集の内容紹介には以下のように記述されている。

アメリカとの冷戦下にあったソ連が、共産主義のプロパガンダのために放送していたという国営ラジオ放送。そのラジオ番組を通じて、大阪に住んでいたひとりの青年と、抑留されていた元新聞記者とが偶然にもつながれ、700通にも及ぶ希望の手紙に結びついたのだった。

 戦後も非人道的抑留を続けるソ連を非難する声があがり、ソ連にはそれを軽減したい思惑があった。そうした中、ソ連の日本語プロパガンダ放送に従事させられていた元新聞記者の木村慶一さんが抑留者が無事に生きていることを伝えたいと提案し、1947年9月、抑留者の消息を伝えるラジオ放送が実現した。1日に4回のニュース番組の最後の5分間を使って、名前と住所が1日に60人ほど読み上げられた。

 この放送は日本でも聞くことが出来たようで、たまたまこれを聞いた大阪府守口市の坂井仁一郎さんが、当時まだラジオは誰もが持っていたわけではないため、抑留者の帰国を待つ家族の元には届かないだろうと考え、毎夜カタカナでメモをし、住所を調べ、家族に自費ではがきで伝えたのだという。

 当時、政府も傍受していたものの黙殺した。そうした中、民間人の2人の「伝えなくてはならない」という強い思いで、消息すらつかめない家族の無事をあの冷戦の時代に伝えることが出来た。

 そして、この手紙をきっかけにして、今、語らないとなかったことになってしまう、という危惧をもって、語り始めた方もいるという。

 シベリア抑留からの帰還者は、抑留中の思想教育で感化された方もいて、抑留者だったというだけで「アカ(共産主義者)」呼ばわりされることとなり、就職などで不利になることが多く、話しても得になることはなく、多くを語ることはなかった。また、戦争を命からがら生き延びたとはいえ、さらに、戦後もソ連兵に執拗に追われて撃ち殺されたり、シベリアでの過酷な生活で亡くなる方が続出し、そうした地獄のような日々を送ってきた人にとって、そうした体験を平穏に暮らす人に理解してもらうのは無理だ、との思いもあったという。

 放送では触れられていないが、シベリア抑留者の複雑な一面として、戦中の階級がそのまま抑留生活に持ち込まれたことから、上官との間で拭いがたい憎しみの情が生まれてしまった、ということがあり、それは今も残っているのだそうだ。そして、「赤に染まった」ことにしないと大変な目に合うことから、密告が横行し、人間不信が広がっていった。

 『帰還証言:ラーゲリから帰ったオールドボーイたち』という自主制作のドキュメンタリーがあり、上映会のお手伝いをしたことがあるが、証言者の皆さんは皆高齢化していて、次々に亡くなられているとのこと。語る機会がなかなかなかった帰還者たちにとっての「精神的支柱」にもなっている監督さんだが、そうした対立の和解はどうしても無理なようだ。

 映画の内容については、これだけ人の死が簡単なものなのか、というエピソードが次から次へと語られ、それが80以上の高齢の男性の独特の語り口で語られるため、生々しさが軽減されるが、壮絶な話ばかりで、圧倒される。自分の映像もそうだが、映像編集のプロではないため、どうしても「きれいに仕上がった」映像にするのに限界はあるが、この映画は内容がすごいので、長尺でも見続けることが出来る。

 私がシベリア抑留について最初に知ったのは「ある〈共生〉の経験から」の石原吉郎を通してであるが、香月泰男の絵画など、シベリア抑留生活を伝える作品が残されており、今回のことがきっかけとなって、より多くの人に戦争の悲惨さを後世に伝える、こうした作品がもっと知られるようになればそれでよいのではと思った。

“国民年金保険料「10年の後納制度」は9月30日まで” ということで、もし後納制度を利用するつもりがある方はお急ぎを

 年金の不公平感について、以前報道ステーションで出ていたこの映像が分かりやすかった。

TVで放送された世代別の年金受給額-支払額に冷や汗しか出ない
(http://temita.jp/none/9065 より)

 私は20代の時に会社に勤め始めた時、「年金を払いたくないんですが」と経理のおばちゃんに掛け合ってみたが、事務処理的にちょっと難しくて、結局、払い続けた。その結果、その分の厚生年金が少し上乗せされることになったが、焼け石に水であって、死ぬまで働き続けることをすでに覚悟している。国に頼れない/頼らない生き方をしてきたつもりで、年金は払いたくない気持ちは強かったが、自分の両親に関して、ずっと働き続けてきて、今、年金暮らしをしており、欠陥だらけではあるが世代間扶助の考え方も分からないではない、ということで、「払えるうちは払い続けつつ、文句も言うぞ」というスタンスでいた。

 震災前後の時期ぐらいにあれやこれやで貯金が底をつき、未納期間が続いていたが、子供をもうけたこともあり、支払いを再開した。ちょうど今、過去の分も遡って支払える特例期間になっていて、この機会に払うぞ、と意気込んで調べ始めると、今年7月にこんなニュースが出ていたのを知った。

年金保険料10年後納、9月末で終了=期限延長の法案見送り-厚労省

国民年金の保険料未納分を10年前までさかのぼって支払える後納制度の期限を2017年3月末まで1年半延長する法案の今国会提出を見送る方針を固めた。同制度は当初の予定通り9月末で終了する。審議時間の確保が難しいと判断したためで、与党内では議員立法による延長を目指す動きもあるが、これも厳しい状況だ
(中略)
さかのぼれる期間を10年から5年に短縮した上で18年9月末まで3年間継続する

 ということで、今回の安保関連法案のとばっちりで延長はされないことを知り、あわてて、手続きしようとしたが、もう郵送やら何やらしてると間に合わないみたいで、最寄りの年金事務所に行くしかないことが分かった。ただ、私の場合、ちょうど5年前ぐらいから未納期間があり、10月1日以降でもほとんど金額に変わりなく支払うことが出来ることが分かったので、最寄りの事務所まで車で1時間はかかかるため、郵送で手続きを進めることにした。

 もし、5年以上前の未納期間について後納制度を使いたい人がいたら、まだギリギリ間に合う可能性があるので、最寄りの年金事務所へGoしてください。詳細は、国民年金保険料「10年の後納制度」は9月30日まで などのページや 案内PDF を参考に。電話での年金相談窓口はこちらにあります。

 ぶっちゃけ野垂れ死にでええわ、と思ってたが、子供に迷惑をかけるわけにもいかんので。多分、私のように野垂れ死でええわな人が結構な割合でいると思っているが、そうした社会は不安定になるのは間違いないので、早急に今の事実上破綻した世代間扶養の仕組みを改めるべきだと思う。もう手遅れだが、それでもやらないよりはいい。