ザポロージェ訪問記2 ザポロージェのレーニン像

 先日、ハリコフの欧州最大という巨大レーニン像が引き倒された、という記事(巨大レーニン像受難=民族主義派引き倒す-ウクライナ東部 時事:2014/09/29)が出ていたが、ついこの間、ザポロージェのレーニン像を撮影してきたばかりなので、アップしておきます。

レーニン像600

 これが私が初めて目にした時のレーニン像であった。風の具合でそうなったのか、あえてウクライナ国旗でレーニン像の顔を包むことで何かを意図していたのか、どちらなんだろうと思っていた。

レーニン像605

 少し間を置いて、再確認すると、上の写真のような状態になっており、特に意図はなかったことが判明した。(電線が邪魔ですが、トロリーバスのものです)

 ちなみにレーニン像の背後には1932年にドニエプル川で初めて作られた水力発電所がある。上の写真のレーニンの背後の右側には水面が見えるが、左側には見えないので、その間の建造物がダムであることがわかっていただけると思う。

レーニン像607

 ダムの上には道路があり、車が往来していて、橋の欄干がウクライナカラーに塗られているのがわかる。

 この黄色と青のウクライナカラーは今回あちこちで見ることになったが、ユーロマイダン以降、大幅にウクライナ全土の街中で増えたように思う。

レーニン像608

 反対側から見たレーニン像。

レーニン像610

 こちらは夕方、近くまで行って撮影したレーニン像。

レーニン像620

 朝、首に巻かれていたウクライナ国旗が、夕方には腕にいい感じにかかっている。

レーニン像630

 台座部分ではソビエトの労働者が額に汗して働いている(?)。

 そして、つい先程、たまたまTLに出てきてびっくりしたのだが、今日、ザポロージェのレーニン像が着替えをしたらしい。

 こういうのってどうやってやってるんだろうと、思ってたが、ちゃんとクレーンを使ってたようで。

 さらに、ハリコフではこれ以上レーニン像を倒されないようにするためにレーニンに十字架を建ててる、とのこと。

ザポロージェ訪問記1 ウクライナ東部のコサックの街・ザポロージェへ

 アトムグラード(Atomgrad)なるイベントがあると聞いたのは、pripyat.comのサーシャからだった。聞くと、ソ連時代に建設された産業衛星都市についてのイベントで、プリピャチについて詳しいサーシャも呼ばれた、とのことで、私たちも急遽参加させてもらうことにした。

 開催場所はウクライナ東部のザポロージェ(ウクライナ語読みではザポリージャ)で、現在戦闘が行われているドネツク州に隣接するザポロージェ州の州都である。東部ではあるが、ドネツク州内に入らない限り、安全に問題はないと判断し、子連れではあったが、訪れることにした。

 キエフからの移動は列車で行くことにした。希望に合う夜行がなく、朝7時に出る列車で行くことになり、早起きして出発。

 列車は巷で噂になっていたヒュンダイ製の列車。冬季に立ち往生する事態が発生したことで「全面運行中断」という話もあったようだが、今もこうして普通に走っている。こちらのWikipediaの現代ロテムの項目にはには「2012年冬に寒波による運行トラブルが続発している。現代ロテム側は冬季における試運転不足を認めた」とある。

車内販売のお兄さん

 ウクライナで車内販売のある列車に乗ったのは初めてかも。いつもは事前に買い込んでおくのだが、事前に分かっていればこれを利用するのもありかも。食堂車というほどではないが、軽食や飲み物を提供する車両もあった。

ヒュンダイ製列車内トイレ

 いろいろ言われてるが、基本的には快適ではあった。トイレも広々としていて、夜行列車でよくあるように水浸しになって床などあちこちが汚れているようなことはなかった。ただ、だだっぴろいトイレにオムツ交換台がなかったのはマイナスポイントとのこと。

ウクライナ鉄道の女性駅員

 ウクライナ鉄道では女性駅員が多い。しかし丈が……。

ザポロージェ駅

 そうこうするうちにザポロージェに到着。キエフから7時間かかったがこれでも早い方である。子供が何度かグズったものの、デッキに出るなどして対応。特に舌打ちされることもなく(笑)、無事移動出来た。

A4用紙に印刷されたキエフ・ザポロージェ間の切符
A4用紙に印刷されたキエフ・ザポロージェ間の切符

 運賃は348.40フリヴニャ。今、フリヴニャレートが悪くなっているので、日本円では約3000円程度になる。日本の新幹線感覚でいくと時間はかかるが、安く移動できる。ただ、当地の人にとっては新幹線価格ではあり、より安価なのを好む人、あるいは、列車の密閉空間が嫌いな人は長距離バスに乗るようだ。

(つづく)