こちらのエントリーはネタバレを含むので、結末その他を知りたくない方はネタバレ控えめのこちらをどうぞ。
ひとまず、改行の代わりに、この「服従」という題名の元となったともいえる小説「O嬢の物語」のアフィリンクなどを放り込んでおきます。
こちらは著者の代表作。名前は聞いたことがあるが、私は未読。
さて、ネタバレ編です。
この小説の主人公はイスラム教や政治について無知・無関心、という設定になっていて、序盤・中盤・終盤にそれぞれ1人ずつイスラームや現代の情勢に通じている人物を登場させており、読者はイスラームやフランスの政治状況のことをよく知らなくてもなんとか置いてけぼりにならずに済む仕掛けになっている。そのうちの一人は、小説中でフランス大統領になったイスラム教徒のベン・アッベスをフランス情報機関で十年に渡って監視してきたアラン・タヌールという人物で、彼に政治情勢などを語らせており、前大統領サルコジのUMP、現大統領のオランドの社会党に加え、ル・ペンの極右や架空の政党であるイスラーム同胞党などが織りなす複雑なフランス政治情勢の動きを読み解いてくれる。
また別の一人は、政権交代後にサウジアラビアのオイルマネーを受け入れることになったパリ=ソルボンヌ・イスラーム大学の新学長となったロベール・ルディジェという人物で、ソルボンヌ大学の教職を追われた主人公に対し、イスラム教に改宗したこの学長が改めて彼にイスラムの教えを説き、改宗することで職に戻るように説き伏せる。結果、主人公は説得を受け入れ、改宗を決意するシーンで小説は終わる。
正直言って、彼が改宗を決意する理由がちょっと弱い気がするが、孤独を紛らわすには家族しかない、また、以前の教職に戻れるということが後押しした、というようにも読める。また、主人公が一夫多妻に惹かれたようにも書かれている。
情報機関出身という設定の人物が語る情勢分析は結構興味深い。ざっくり言ってしまうと、既存の中道右派でも中道左派でもなく、さらに極右でもない選択肢が求められていて、さらに今もフランスで隠然たる影響力のあるカトリックを基盤に持つ人々に対し、穏健イスラームは歓迎される、というもので、カトリック信者は啓典の民として恩恵を受けることになる、ということになっている。
こんな一文がある。
イスラーム教徒の真の敵、彼らが何より怖れ憎んでいるのはカトリックではなく、世俗主義、政教分離、無神論者たちの物質主義です。かれらにとっては、カトリック教徒は信者であり、カトリックは啓典の宗教の一つです。そこから一歩進ませればイスラーム改宗も可能でしょう。
対して、同じ啓典の民のユダヤ人について、その大統領は、ユダヤ人のイスラエル移住を期待している、としている。主人公の最後の恋人はユダヤ人だが、この情勢で父母と共に家族でイスラエルに移住している。
新学長による小部数の雑誌に書かれた「ジャーナリストによって発掘されたら、ずいぶんと厄介な目に遭うだろう」という記事中で「自由な個人主義という思想は、祖国や、同業組合、カーストといった中間的構造の解体に留まっている限りは多くの同意を得られるが、家庭、すなわち人口構造、という究極の構造を変容しようとした場合には、失敗する。そこで、論理的に、イスラームの時代が来る」という主旨のことを述べ、インドや中国については「自分たちの伝統的な文明を保持していれば、彼らは、将来にわたって一神教とは異質であり、したがってイスラームの台頭から逃れられただろう。しかし、インドや中国は西欧の価値観に犯され、彼らもまた終わるべきものになった。」としている。
少々、イスラーム政権誕生に引き寄せて、筋立てが強引かなと思えるところがあるもの、一笑に付すべきお伽話とも見えないようにみえるのだが、フランス政治に通じた人たちにこの本がどのように受け取られたのか興味がある。
実際のところ、2022年はもちろん、それ以降も当面の間、フランスにイスラーム政権が誕生する可能性はないと思うが、小説内で以下のように述べている。
『信じがたい』という理由故に困難に直面するのです。というのも、そうした状況を、人々はヒトラーからのパリ解放以来経験していないからです。この国の政治的駆け引きは、余りのも長い間、右と左の対立のみを軸にしていました。その図式から抜け出るのは不可能ではないでしょうか。
本筋とは関係ないが、フランスの中道左派の社会党の立ち位置がどんななのか、以前より気になっていたが、この小説でもほとんど有効な手を打てないまま、事態がどんどん進行していくのを追認するだけ、というような立ち回りを演じる羽目に陥っている。現実の方も、どうもオランド大統領というのはどうも影の薄い人物だと思っていたが、トッドの本でもこの本でも情け容赦なく無能扱いされており、今回のテロを受けて、どのような策が打てるのか、そういう意見を聞くとあまり期待できないようにも見える。
全般として、著者の言はイスラームに対し、やや否定的ニュアンスがあるように見えるし、登場人物の一人に「そろそろキリスト教とイスラム教は和解すべきときに来ているのではないか」という主旨のことを言わせているが、十字軍からの1000年の恨みつらみの積み重ねが厳然と存在しており、現実的にはやはり事は簡単ではないと思わざるをえない。
恐らく、ネットを検索したりすれば、すでにいくつもの論評は読めるのだろうが、まずはそうしたことに影響される前に自分で感じたことを書いておこうということで書いてみた。まだ佐藤優の解説も読んでないわけであるが。
余裕があれば、そうした論評を読んだあと、もう一つエントリーが書けるといいのだが、気が向いたら、ということで。