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2017年時点の世界の脱原発動向まとめ

 世界のエネルギー動向と題した、現在の脱原発動向をまとめた記事があったので、多少色をつけながらまとめてみた。

 このBellonaというサイトは本部がノルウェーのオスロにあるNGOにより運営されているようで、ロシアにもサンクトペテルブルクとムルマンスクに支部があるようだ。ロシア語以外にも英語とノルウェー語で情報発信がなされている。


 産業としての原発のピークは2006年で、世界全体の原発のシェアは2016年には10%となり、その20年前の17.6%から大幅に落ち込んだ。

スペインの原発

 スペインでの原発開発は世界的にも最初期からなされており、フランコ独裁期の1940年代にすでに始められている。1964年から1968年にかけて加圧水型(PWR)、沸騰水型(BWR)、ガス冷却炉(GCR)の3種類で建設が始まり、それぞれ1969年から1972年にかけて運転が開始された。しかし、フランコの死後から失速し、1979年のスリーマイル島事故を受けて、1983年以降、原発建設計画は大幅に縮小された。1988年以降、新設はなされていない。現在、PWR6基、BWR1基が稼働中で原発依存度は約20%。

イタリアの原発

 イタリアには4基の原発があったが、チェルノブイリ事故を受け、1987年の国民投票で原子力の平和利用を拒絶することが決まり、1990年にイタリアの全原発が停止した。2000年代になって、ベルルスコーニ政権は再び原発を建設しようとしたが、福島第一原発事故の発生を受け、2011年6月に原子力利用再開の是非を問う国民投票が実施され、94%が反対票を投じ、原発再開に国民はノーを突きつけた。

オーストリアの原発

 1970年代に6基の原発建設計画があったが、1978年に国民投票が実施され、賛成49.5%、反対50.5%という僅差で反原発側が勝利し、開発計画は頓挫した。当時、完成していたツヴェンテンドルフ原発は稼働することなく閉鎖され、「世界一安全な原発」と言われている。また、オーストリアは他国からの原発による電力の輸入も拒絶している。

ドイツの原発

 現在、ドイツに17基の原発があるが、一部はすでに停止している。2022年までに原発をやめ、再生可能エネルギーへの転換をはかる予定。このために3兆ユーロが必要と見積もられているが、2022年には最後の3基が閉鎖される予定で変更予定はない。

ベルギーの原発

 ベルギーでは現在、2箇所で7基の原子炉が稼働中。1993年には原発依存度が60%に達し、フランスに次ぐ割合となった。1999年、連立政権下で原発の段階的廃止が決定され、新設が禁止となり、耐用年数は40年とされた。その後、この決定の見直しが図られたが、オランダ語圏とフランス語圏の対立による政治の空白で法制化できなかった。福島第一原発事故後の連立政権で10年延長が予定されていたドール1、2号機を2015年までに閉鎖し、チアンジュ1号機のみ10年間運転延長することを決定した。2025年までに全廃の予定。

スウェーデンの原発

 ここ数年、スウェーデンの原発依存度は40%程度で3箇所で10基の原発が稼働している。1979年のスリーマイル事故を受け、1980年に国民投票で段階的廃止を決定し、1999年と2005年にバーセベック原発で操業が停止され、2018-2020年にリングハルス原発で期限前の停止が予定されている。2017年中頃にもオスカーシャム原発の1基が廃炉予定で原発全廃に近づいている。

 (※宮腰注:ここには書かれていないが、他の情報源を見ると、2010年までに全廃予定であったが、今も稼働しており、スウェーデンでは原発全廃は事実上撤回されており、既存の原子炉10基をリプレースで建設することが許可される可能性がある、という記事が出ている。Financial TimesのBoost to nuclear energy as Sweden agrees to build more reactorsなど参照。)

スイスの原発

 スイスでは現在5基の原発が稼働中で、原発依存度は約40%である。福島第一原発事故後に段階的脱原発を目指す「エネルギー戦略2050」が策定され、今後10数年で全廃される予定で、現在のところ、2018年までに老朽原発3基が、2024年に1基、2029年に最後の1基が廃炉予定である。

 (※宮腰注。既存の原発の運転期間について、2029年全廃とする案は2016年の国民投票で否決された。また、2017年5月21日(つまり今月)、全廃の方針に対し、改めて国民投票が実施される。詳しくはこちらを参照)

フランスの原発

 原発大国フランスは現在、58基が稼働中であるが、老朽化に伴う事故の増加や再生可能エネルギーの普及などで原発が政治的論争を呼ぶ話題となっている。

 大統領候補だったメランション氏は原発を全廃し、2050年までにすべての発電を再生可能エネルギーで賄うと主張し、アモン氏も同様の主張を述べていた。

 全廃した場合、リサーチによると、その解体コスト、代替電力への投資、金銭的保障含め、2170億ユーロのコストがかかると見られている。

 (宮腰注:フランス最古のフェッセンアイム原発の閉鎖延期が2017年4月6日に決まり、原発論戦も盛んになっているようで、こちらによると、ルペン氏は「近代化、安全化」との条件付きながらフェッセンアイム原発の維持を唱えるが、マクロン氏は廃止を訴え、さらに原発依存率50%削減を公約にしている。)

台湾の原発

 台湾では現在、3基の原発が稼働中で原発依存度は約16%。さらに2基の建設計画あったが、コスト上昇や大規模な抗議行動もあり、2014年に中止が決まった。

 2016年発足の蔡英文政権は2025年全廃を決め、期間延長もしないことが決まった。2018年から停止される。

ベトナムの原発

 2009年、ロシアと日本が原発建設を受注したが、福島第一原発事故後の建設コスト増大、および、他のエネルギー資源が安価になったこともあり、2016年白紙撤回された。


 改めてまとめてみると、スリーマイルきっかけの国(例:スウェーデン)もあれば、チェルノブイリや福島第一きっかけの国もあり、各国いろいろであるが、その中でも異彩を話すのがオーストリアで、スリーマイルの数ヶ月前に国民投票で脱原発が決まった、というのは、そういう国があるのだな、と感慨深い。

 その経緯についてはオーストリアの原子力への「ノー」~なぜ脱原発が可能だったのかに詳しい。

 世界で最も原発依存度の高いフランスでは大統領選の結果いかんによっては原発政策に大きな変化が生まれる可能性があり、注目したいところ。

「2022年フランスにイスラーム政権誕生」という設定の小説『服従』の感想(ネタバレ多め編)

 こちらのエントリーはネタバレを含むので、結末その他を知りたくない方はネタバレ控えめのこちらをどうぞ。

 ひとまず、改行の代わりに、この「服従」という題名の元となったともいえる小説「O嬢の物語」のアフィリンクなどを放り込んでおきます。

 こちらは著者の代表作。名前は聞いたことがあるが、私は未読。

 さて、ネタバレ編です。

 この小説の主人公はイスラム教や政治について無知・無関心、という設定になっていて、序盤・中盤・終盤にそれぞれ1人ずつイスラームや現代の情勢に通じている人物を登場させており、読者はイスラームやフランスの政治状況のことをよく知らなくてもなんとか置いてけぼりにならずに済む仕掛けになっている。そのうちの一人は、小説中でフランス大統領になったイスラム教徒のベン・アッベスをフランス情報機関で十年に渡って監視してきたアラン・タヌールという人物で、彼に政治情勢などを語らせており、前大統領サルコジのUMP、現大統領のオランドの社会党に加え、ル・ペンの極右や架空の政党であるイスラーム同胞党などが織りなす複雑なフランス政治情勢の動きを読み解いてくれる。

 また別の一人は、政権交代後にサウジアラビアのオイルマネーを受け入れることになったパリ=ソルボンヌ・イスラーム大学の新学長となったロベール・ルディジェという人物で、ソルボンヌ大学の教職を追われた主人公に対し、イスラム教に改宗したこの学長が改めて彼にイスラムの教えを説き、改宗することで職に戻るように説き伏せる。結果、主人公は説得を受け入れ、改宗を決意するシーンで小説は終わる。

 正直言って、彼が改宗を決意する理由がちょっと弱い気がするが、孤独を紛らわすには家族しかない、また、以前の教職に戻れるということが後押しした、というようにも読める。また、主人公が一夫多妻に惹かれたようにも書かれている。

 情報機関出身という設定の人物が語る情勢分析は結構興味深い。ざっくり言ってしまうと、既存の中道右派でも中道左派でもなく、さらに極右でもない選択肢が求められていて、さらに今もフランスで隠然たる影響力のあるカトリックを基盤に持つ人々に対し、穏健イスラームは歓迎される、というもので、カトリック信者は啓典の民として恩恵を受けることになる、ということになっている。

 こんな一文がある。

イスラーム教徒の真の敵、彼らが何より怖れ憎んでいるのはカトリックではなく、世俗主義、政教分離、無神論者たちの物質主義です。かれらにとっては、カトリック教徒は信者であり、カトリックは啓典の宗教の一つです。そこから一歩進ませればイスラーム改宗も可能でしょう。

 対して、同じ啓典の民のユダヤ人について、その大統領は、ユダヤ人のイスラエル移住を期待している、としている。主人公の最後の恋人はユダヤ人だが、この情勢で父母と共に家族でイスラエルに移住している。

 新学長による小部数の雑誌に書かれた「ジャーナリストによって発掘されたら、ずいぶんと厄介な目に遭うだろう」という記事中で「自由な個人主義という思想は、祖国や、同業組合、カーストといった中間的構造の解体に留まっている限りは多くの同意を得られるが、家庭、すなわち人口構造、という究極の構造を変容しようとした場合には、失敗する。そこで、論理的に、イスラームの時代が来る」という主旨のことを述べ、インドや中国については「自分たちの伝統的な文明を保持していれば、彼らは、将来にわたって一神教とは異質であり、したがってイスラームの台頭から逃れられただろう。しかし、インドや中国は西欧の価値観に犯され、彼らもまた終わるべきものになった。」としている。

 少々、イスラーム政権誕生に引き寄せて、筋立てが強引かなと思えるところがあるもの、一笑に付すべきお伽話とも見えないようにみえるのだが、フランス政治に通じた人たちにこの本がどのように受け取られたのか興味がある。

 実際のところ、2022年はもちろん、それ以降も当面の間、フランスにイスラーム政権が誕生する可能性はないと思うが、小説内で以下のように述べている。

『信じがたい』という理由故に困難に直面するのです。というのも、そうした状況を、人々はヒトラーからのパリ解放以来経験していないからです。この国の政治的駆け引きは、余りのも長い間、右と左の対立のみを軸にしていました。その図式から抜け出るのは不可能ではないでしょうか。

 本筋とは関係ないが、フランスの中道左派の社会党の立ち位置がどんななのか、以前より気になっていたが、この小説でもほとんど有効な手を打てないまま、事態がどんどん進行していくのを追認するだけ、というような立ち回りを演じる羽目に陥っている。現実の方も、どうもオランド大統領というのはどうも影の薄い人物だと思っていたが、トッドの本でもこの本でも情け容赦なく無能扱いされており、今回のテロを受けて、どのような策が打てるのか、そういう意見を聞くとあまり期待できないようにも見える。

 全般として、著者の言はイスラームに対し、やや否定的ニュアンスがあるように見えるし、登場人物の一人に「そろそろキリスト教とイスラム教は和解すべきときに来ているのではないか」という主旨のことを言わせているが、十字軍からの1000年の恨みつらみの積み重ねが厳然と存在しており、現実的にはやはり事は簡単ではないと思わざるをえない。

 恐らく、ネットを検索したりすれば、すでにいくつもの論評は読めるのだろうが、まずはそうしたことに影響される前に自分で感じたことを書いておこうということで書いてみた。まだ佐藤優の解説も読んでないわけであるが。

 余裕があれば、そうした論評を読んだあと、もう一つエントリーが書けるといいのだが、気が向いたら、ということで。

「2022年フランスにイスラーム政権誕生」という設定の小説『服従』の感想(ネタバレ控えめ編)

 少し前から『服従』を読み始めていて、あと四分の一ほどで読了というところで、パリでの同時多発テロが発生したのだった。この小説内でも「フランス全土で二十数か所の投票所が午後早く武装集団に襲撃された」(p129)というシーンがあり、現実と小説が私の中で交錯している。

 この小説はフランスがイスラム化する様子を描いた作品、とのことで、近所の本屋にあったので、買ってみたのだった。本の帯には「2022年フランスにイスラーム政権誕生」とあり、中道右派と中道左派の間で揺れ動いてきたフランスにあって、政治的間隙をうまくついて、イスラム教徒である人物が大統領の座を勝ち取る様子が描かれている。

 とはいっても、この本を少し読めば分かるように、主人公の大学の教員としてのとりとめのない日常が主軸になっており、この辺りをそれなりにでも興味深く読めるかどうかが、この小説を最後まで読み通せるかどうかのポイントかもしれない。主人公はユイスマンスの専門家という設定なのだが、私はこの作家(?)についてほとんど知識はなく、また大学の教員の日常にもあまり関心もないため、途中読み進むのがしんどくなりそうだったが、日本でも大学の先生というのは雑用がやたらに多いと聞いていて、フランスでも日本と大きく事情は変わらんのだな、と思ったりしたし、家族がバラバラになっているフランスの現状はフランス的にはごくごく当然の帰結でそれをフランス人たちは積極的に受容していて、様々なパートナーと営む人生を楽しんでいるものと思っていたが、必ずしも皆が皆そういうわけでもなさそうだ、と思えるようになったのも、小説ならではの力といえるだろうか。

 家族、という観点はこの小説では重要なポイントになっていて、40台半ばという独身の主人公の年齢も話の流れにいくらか影響していると思う。

 現代フランス小説などほぼ読むことはないのだが、先日はエマニュエル・トッドというフランス人の本を読んだところであり、あちらはドイツとの関連であったが、こちらはイスラムとの関連が主軸に置かれており、フランスの置かれている現状の多面性を多少は理解したつもりになれた。

 作中、わりとよくフランス人ならよく知ってそうだが国際的には知られてなさそうな固有名詞(テレビ司会者その他)が出てくるが、ページ内に脚注があるおかげで、その固有名詞をもって何をいいたいのか、だいたいはつかめたかと思う。

 この前、トッドの本について書いたエントリー「今更ながら、ドイツと日本の類似性に関心が出てきたところ」でも触れたが、フランスは「家父長制」の名残のあるドイツとは違い、「結婚適齢期に達した子供は自律的な家族ユニットを築くのが当然とされた」とのことで、こうした家族の有り様はそう簡単に変わるものではないだろうが、カトリックの国らしからぬフランスにあって、社会情勢への不安などから宗教への回帰が始まり、「いざという時に頼れるのは家族だけ」というように、あの自由・平等の国フランスで家族の有り様が今後、変容していくのかどうか。もちろん、ことはそう単純ではないだろうが、キリスト教をバックボーンとして生まれた今の西欧的価値観の限界が見えつつある今、フランスがこれからどんな方向に進むのか、ドイツとはまた違った形だが、ヨーロッパの中心で何かが起こりつつあることを感じさせる。

(ネタバレ多め編につづく)