今年も福島のシャロームさんの「ひまわりプロジェクト」に参加し、種を送ってもらって、2箇所に分けて植え、なんとか花が咲いた。
今年もポット苗で育ててから定植するやり方にしたのだが、今年はなぜか最初に方に植えた株の葉が縮んでしまい、それらの育ちが悪かったため、改めて、植え直したのだった。さらに、いろいろあって、播種が遅れたため、開花までいけるのか気をもんでいたが、無事花が咲いたところで一安心というところ。
写真は元水田だったところに植えてみた分。粘土質でうまく育つか心配だったが、それなりに肥料をやったりして、なんとか育ってくれた。
この場所では定植したのが、旅行前日の夕方で、暗くなる中、あわててやった記憶があるので、7月上旬に定植した、ということになる。播種も6月の終わりごろだったかと思うので、遅めの播種でもこうして8月中に開花までいけるということが分かった。
実のところ、定植時の苗は弱々しく、場所も粘土質だったので、今年は採種は厳しいかもと観念していたが、このまま鳥などにやられない限り、なんとか採種までいけそうで、よかった。
この連休中に収穫しようとしたのだが、真ん中の方がまだ黒くなっていない。もう少し待つと黒くなるのだろうか、それとも、もう40日経過したので、収穫した方いいのか。
リアルタイム検索すると、同様に福島のNPOシャロームさんのひまわりプロジェクトに参加している高知県の団体のことがニュースになっていた。
被災地支援のひまわりの種収穫
1万本あまりのひまわりが植えられた30アールの休耕田には、きのう、地元の住民などおよそ150人が集まり、ハサミや鎌などを使って花を摘み取りました。(中略)収穫されたひまわりの種は、重さにして230キロほどで、今月中に福島県に送られるということです。
この「なはりきれいな町をつくろう会」という団体のFacebookを見ると、ちょうど同じぐらいの6/7に種を植えてはるので、高知と滋賀では気候も違うので一概には言えないが、やはりそろそろ収穫時期、ということになるのだろうか。しかし、開花の時期が2週間以上早いようで、もうちょい待った方がいいかもしれない、とも思いつつ。
こういう場合の私のやり方としては、リスク分散で、一部だけ収穫してしまう、というもの。今日も明日も晴天で、収穫日和だし、幸い、まだ鳥にやられていないが、これからやられてしまうかもしれないので、今日のうちに先に咲いた先行組のうちの半分ほどだけ収穫してしまおうと思う。
東日本で猛威を振るった台風だが、今のところ、今季こちらに何度か来たものの、甚大な被害にはならず、ほとんどのヒマワリも頭を垂れて持ちこたえている。ただ、場所が悪いところで育ったのが花の部分の重みに耐えられずに折れてしまった。1本折れているのは確認していたが、今日確認したところ、さらに数本折れていて、このところバタバタしていて世話が出来ていなかったが、何か支柱にもたれかからせるなどの対処をすべきだったようだ。
とはいえ、ほとんどは収穫を待っている状態となっていて、あと判断が必要なのは収穫のタイミングぐらいだが、シャロームさんのサイトでは「開花後40日程度で、花托の裏が黄色みを帯びてきた頃が収穫適期」とあり、開花はちょうど一ヶ月前なので、次の連休あたりがちょうど収穫第一弾となりそうだ。
ついでに植えたトマトとナスについては、よく実がなるのとならないやつがあり、なぜそういう結果になったのかはよくわからないが、今、冷静に考えると、ミニトマト以外はあまりうまくいかなかったようだ。原因はいろいろあるが、施肥のタイミングを間違えた(あるいは足りなかった)ということだろうと思う。
一応、ゆくゆくは自然農法などにも手を出してみたいと思っているのだが、現実的に考えると、あまり畑仕事に時間が割けないというのもあって、まずは今、主流のやり方でやってみようと思い、始めてみたものの、それですら簡単ではないことがわかった。
誰もが多忙な現代社会で仕事や日常生活以外のことに時間を割く、というのはなかなかに大変なことだ。映画「そして父になる」で、子供に対し「何でも独りでできるように」という方針で子供と風呂も一緒に入らないという福山雅治演ずる多忙なエリート社員に対し、リリー・フランキー演ずる街の電気屋さんが「何言ってんの。時間だよ。子供は時間」と詰め寄るシーンがある。何でも、この映画の監督自身が多忙でなかなか家に帰れないときに娘から「また来てね」と言われたことがショックで、そのことがこの映画を着想するきっかけとなった、ということらしいが、実際問題、今の日本の現実では仕事が出来る人には仕事がさらに回ってきて、仕事人間になっていくようになっていて、働き盛りと育児期間は重なってしまうので、育児に時間を割くには、いろんなことを「諦める」必要が出てくる。しかし、そんなことでは生き難くなるばかりであり、この悪循環を断ち切らない限り、よりよい社会にはならないだろう。(余談だが、リリー・フランキー演ずる電気屋は育児に多く時間を割く「よいパパ」である一面、慰謝料名目であちこちでガンガン領収書を切りまくる金に汚い印象も残すが、出身は滋賀県という設定らしい・・・)。
今の今、諸事情あって、当面しばらくの間、育児から「解放」された状態となり、何に時間を割くか、今日久々にToDoリストを眺めながらいろいろと考えていたが、祖母の死後にすべきだったことなどが、まだまだ山のように残っていて、メインは映像編集作業としたいところなのだが、この期間にどれほど進められるか。こんな風にブログ更新してる暇があったら……という声が聞こえてきそうであるが、少しずつでも進めたいとは思っておりますところで。
ヒマワリから話が脱線したが、ヒマワリの採種まであと一息のところまでやって来た。あとは台風が来たり、鳥に狙われたりしないこと祈るばかり。
ふと思い立って、福島ひまわりプロジェクトに参加したわけだが、なんとか開花までこぎつけた。昨日から久々の雨降りだが、ここのところ晴天が続き、ちょっと水をやらないとすぐに葉がしおれてしまうので、毎日の水やりはもはや日課となっている今日この頃、こうして花が咲いてくれるとやはりうれしいもので。
植物を育てるのは小学校以来である上、草ぼうぼうの小さな畑の草取りから始め、土作りをし、ほとんど一から育てたわけで、試行錯誤の連続でいくつか反省点はあるが、まずはなんとかこのプロジェクトの肝である「種を送る」ことができそうだ、ということで、正直ホッとしている。
ただでさえ、育児や仕事で忙しいところにこんなことを始めてしまった一つの理由は、実のところ、締め切り効果が大きかったように思う。たまたまこのプロジェクトのことを見て思い出し、あまり考えもなくシャロームさんにメールしてしまった、というのが本当のところで。
ヒマワリは育てやすい品種、とのことだが、それでもいろいろと迷うことは多かった。今回は畑の「開墾」が間に合わず、植えられる面積が思ってたよりも少なくなり、植え付け間隔を狭めにしてしまったのが反省点で、あと動物対策をしてなかったため、ビニポットから移植したての頃に畑を荒らしに来たサルにまだひょろひょろだったのを何本か折られるなどしたが、無事残りのは育ってくれた。
意外だったのは、ビニポットでは育ちの悪かったのも、地植えに移植するとそこそこの大きさに育っていること。あと、日当たりによって育ちに差が出ているのもよくわかった。
今回は実験的要素は少なめで、とにかく種が取れるところまで育て上げるのが最大の目的なので、このまま採種のフェーズまでいけるといいのだが。鳥が種を食べに来るという話もあるので、鳥対策ぐらいはした方がよいのかどうか。
まだ、1割ほどしか開花していないが、あと一週間もすれば、「満開」となるだろう。台風が来るまでになんとか実ってほしいところ。
今日は朝6時から自治会の国道草刈りに出て、一汗流してきたところ。すでに一度皆で刈ってあるところがメインでそう大変な仕事ではなかったが、それでも、汗だくになった。昼間にやると間違いなく熱中症になってしまうだろうから、この季節は朝夕の涼しいうちしか出来ない。駄賃代わり(?)の余った混合油で家の周りの草刈りをまたやらないといけない。
草刈りというのは毎年やらないとあっという間に鬱蒼とした草原になってしまう。なので、だいたいやる場所が決まっていて、ここまではやるが、ここはやらない、という風になっていて、やらないところは2mはあるであろうヨシに覆われたりすることになる。
ちなみに、このヨシは藁葺き屋根に使われるもので、近くの旅館の屋根はヨシで葺いているらしいが、このあたりでは萱(かや)で葺いていたらしい。今では茅葺屋根の家は私の住む集落には一件もない状態になってしまったが、トタン屋根の下に茅葺きの屋根が残っている家は何軒かあり、以前、大学の調査チームが測量していった、ってこともあった。
ヒマワリはその後、ぐんぐんと育って、やっとつぼみをつけはじめた。播種が遅れたので、夏の盛りからやや過ぎての開花となりそうだが、うまく咲いてくれるかどうか。この前の台風で斜めになってしまったが、まっすぐにしてやると元に戻り、その後は特に問題なく育っている。ちょっと株間が狭すぎたようで、間にある小さい株が太陽の光をちゃんと浴びられず日陰者の身となって斜めに伸びたりして可哀想なことになっているが、今後の反省点ということにしよう。
発芽したものの中に双葉の頃から3枚ずつ葉を出すものが一つだけあって、成長するか危ぶんでいたが、小さな蕾がついているのを今日発見した。一種の「奇形」ではあるんだろうけど、育つものではあるんだな。
ヒマワリの横にはトマトとナスを植えてるが、カラスが食べもしないのに戯れにつついたりして、赤い実が無残に落ちてたりするのが悲しい。今年、柵や網なしでやることになってしまったが、ちゃんと収穫したければ、それなりに、というか、かなりしっかりとした対策をしないといけないことを学びつつあるところ。
Yoshiro Miyagoshi Website