たまたまテレビをつけたタイミングで鳥取県知事が「中山間地域で保育料を無料に」という話をしていた。キャスターのお決まりの「財源はどないすんねん」に対し、「それが都会人特有の発想で、人数は圧倒的に少なく600万円で済む」といった話をしていた。そこしか聞いてないので、話の前後の脈絡などは知らんのだが、検索すると確かに鳥取県ではそうした事業を実施しているようだ。
4000万円の予算で「少子化、人口減少の危機に直面している中山間地域において、保育料の無償化・軽減による子育て支援により若者の移住定住に果敢に挑戦する市町村に対して助成する」という地方創生のための財源を使った事業を実施している。
先頃出された子育て支援拡充の方針の中で「3世代同居」を促す措置が検討されているようだが(例えば、三世代同居に係る税制上の軽減措置の創設(内閣府 PDF) など)、うちの場合、いずれの親も近くには住んでいないため親には頼れない状況にある。
今の状況で子育てと仕事とを両立出来ている家の多くは、何らかの形で親のサポートを受けられている家庭が多いように感じる。そして、この地でも保育環境として概ね親のサポートが前提とされている状況があるように感じている。田舎なので、少なくともいずれかの親が近くにいることが多い、という事情がある。ただし、実際に親の手を借りずに子育てしている例が私の身近にもあることはあり、その方から情報をもらったりしているものの、双方ともに今の日本でよくある就労形態(要するに正社員とパートの組み合わせなど)の場合に限り、よい保育サービスが受けられる状況があるように思える。
中山間地域で私みたいのが子育てする場合の苦労を書いてみる。ちなみに中山間地域とは農水省のサイトの説明によると「平野の外縁部から山間地」とのことだが、滋賀県の資料では「中間地域」と「山間地域」に分けられていて、私の住む地域は山間地域の方にカテゴライズされているようだ。
保育環境についていうと、同じ町内(合併前)に認可保育園はあるものの、そこでは一時保育の受け入れはしていない。保育園に入れるには、この田舎であっても事前にいろいろと動いておく必要があって、また、一種のポイント制でもあり、我々のような就労状態の場合、どうしてもそのポイントが低くなってしまうし、また、常時保育園に行かせたいわけでもないため、一時保育でない通常の方の保育園に入れる選択肢はなく、一時保育を希望しているのだが、その一時保育のハードルが結構高い。
まず、遠い。車で30分とは言わないが、最寄りの保育園まで車で二十数分はかかる。それも認可外の方で認可の方だとなぜかいやがらせのように行きやすいところにはなく、もう少し時間がかかるようになっている。
また、一時保育は16:30までということになっており、これが大きなネックとなる。私の場合、その時間だと迎えに行けないのだが、その間どうしたらいいのか。一応、「ファミリーサポート」という制度があって、16:30から仕事が終わるまでの間に、あらかじめ市の仲介で顔合わせしておいた方にお願いして保育園まで迎えに来て、その方の家で預かってもらい、仕事が終わったあとにその方の家まで引き取りに行く、ということになるのだが、これが現実的といえるのかどうか。お金も思ってたよりもかかるようで、二の足を踏んでいる。
先日、嫁さんの具合が悪くなったが、私もその日、納期の迫った仕事の最後の仕上げ段階にあって休むわけにはいかない、ということがあって、たちまち困り果ててしまった。結局、昼過ぎまで子供の面倒を見てバトンタッチし、午後から出勤、ということにしたが、こういう場合、いったいどうしたらいいのか。急な用件の場合、こうしたサービスは期待できない(事前に申し合わせをしておく必要があるため)。祖母からよく聞いてたが、急な呼び出しで子供のいる都市部へ何度も何度も行ったことがあったようだが、昔よりも制度が整備されているはずの今も結局は、こういう場合に頼りに出来るのは親だけ、ということになっているのが現状なのだろう。
というわけで、ベビーシッターを雇うとか、近所の方にお願いするとか、いろいろと考えたが、結論として、我々はこの地域を出ることに決めた。ここで子育てをするのは無理ゲー、というのが結論。いや、もちろん不可能ではないし、それなりにお金を払って、それなりに仕事をセーブすれば可能だ。しかし、我々はそうした生き方を選択しないことにした。
ここを出るのは、それだけが理由ではないのだが……、大きな要素の一つであったことは間違いない。私はこの地域に思い入れをすでに持ってしまっており、なんとか住み続けることを考えたかったが、現状は厳しい。一応、とりあえずは二地域居住に近い状態を保持できればと考えているが、現実はそう甘くなく、こうした「別荘」を維持するのは大変高くつくのが実際のところだ。
中山間地域の保育料を無料にしたところで、子育て世代が残ったり移住してきたりするのかどうか、私はわからない。でも、それぐらいやらないとこの流れは止まらないだろう。というか、それぐらいでは足らないんじゃないかとすら思う。こうした事柄は「心理戦」でもあり、誰かが出て行くと私も、という風になるのが常だ。
さらに突っ込むと、そもそも中山間地域に人がいる必要があるのか、というところに行き着くだろうが、私は必要だと思う。それが「多様性」というものだろうし、全員が都市部に住むわけにもいかないだろう。しかし、ここに特に力を入れてもらう(要するに税金を投入してもらう)ために都市部の人たちに納得してもらえる言葉を持てるか。先の農水省サイトにある「農業の多面的機能とは?」などは一つの模範解答といえるが、なるほど、じゃあ税金ザブザブ投入しよう、とはなかなかならないだろう。
日本からクマがいなくなっていいのか、実際に九州からクマはいなくなったが、特に困った、という声は具体的にはあがってこない。日本からオオカミがいなくなった。でも、困った、という声はあがらないし、家畜がオオカミにやられなくなって、むしろ「利便性」が上がりはしただろう。私自身も割りと「効率」重視のメンタリティなんでそういうのもわからんではないが、多分、「多様であること」に価値を置きたい気持ちが強い方なんだろうなどと考えたりする。
こういう時、アマゾンで文明と接触しないようにされている「イゾラド(隔絶された人々)」の居住地域を管轄する方が言っていたことを思い出す。人類は多様であるべきなのだと。少し検索すると、言葉をメモってた方がいたので、引用しておきます。
「イゾラドはそれぞれの部族が一つの文化・言葉・神話を持っている。いくら小さくても、それは何千、何万の国家と同様一つの国なのだ。そうした国が滅びれば、世界は一層平準化し貧しくなっていくのだ。」
「たとえ、どれ程、私たちと異なるものであれ、それが地球上から消えるということは、私たち自身の豊かさを失うことになる。」
(こちらより引用)
我々はすでに多くのものを絶滅させ、失ってきた。失ってたちまち困るかというと、必ずしもそうではないし、むしろ一時的には利便性が増すことだってあるだろう。しかし、多様であることは、それ以上の何者かであると私は信ずる者である。