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男性が育休が取れないことと日本人男性が他人の子どもをあやさないことに何か関連があるのではないかと思えてきた

 この前のNスペで「ママたちが非常事態!?~最新科学で迫るニッポンの子育て~」というのがあった。「子育てがつらすぎる!なぜこんなに不安で孤独なの?私って、母親失格?」という母親たちの悲鳴から、「核家族化が進み、夫も多忙で不在がちな中で、母親一人がわが子に向き合う孤立した子育て=“孤育て”。その孤独感に耐えられず、「ママ友」と呼ばれる母親同士のつながりを求める日本特有の社会現象も起きています」とのことで、それに対し、様々な科学的分析をなされていた。内容は例えば、こちらのサイトなどで要約されているので、どうぞ。

 この中で特に私の興味を引いたのはチンパンジーと比較して人類は「共同養育」を基本とする、というところ。チンパンジーは出産後5年間、母親がつきっきりで子育てするが、人類は1年ごとにでも産めるようになっていて、それは共同養育のおかげなのだという。例えば、「木の実を取りに行くから、私の赤ちゃんちょっと見といてー」と仲間に預けることが可能で、子育ての負担が母親だけに集中せず分散される、とのことだった。そして、年上の子どもが小さい子の面倒を見るのも当たり前、ということだった。

 日本では今や、孤育てが当たり前になっているが、祖母によると、祖母の子供時代、尋常小学校などでは子どもが小さい子をおぶって学校に来る風景が当たり前だったらしい。さらに、戦後でも私の集落ではこうした共同養育に近い状態がしばらくは残っていたようで、お駄賃目当てではあれ、子どもが小さい子の面倒を見るのが当たり前となっていたようだ。

 こうした風習はおそらく子どもの数が少なくなるにつれ、必要性が低くなり、子どもが子どもの面倒を見る、というようなことがなくなっていったと思われる。そして、核家族化の進行とともに、子育ての時に頼りにできるのは近くに住む母親だけ(いない場合は保育園その他を駆使)、という状態になってしまったのではないかと思う。

 そんな中、「育児をしない男を、父とは呼ばない」というキャッチコピーのついたSAMのポスターが話題となり、父親の育児参加が促されるようになった。1999年のことだったようだ。その後、イクメンなどの言葉も生まれ、父親の育児参加が少しずつではあるが広がってきている。

 さて、ここで表題に戻ると、年末年始の子連れ海外旅行から帰国して感じたのは、日本では子どもを見てあやしてくる人が少ない、ということだった。ただし、女性は若い学生みたいな人からおばあちゃんまで時々いる。が、男性からあやされたことはほとんどなかったと思う。一度、あやしてきた人がいて、お~、と思ったが、東アジア系の外国人だった。

 これは何を意味するのか。以下、思いつきで言ってみるのだが、日本では痴漢冤罪という奇妙な事件が時々発生する。そして、そうした性犯罪者に間違われないために、男性陣はいろいろと小さな工夫をしているはずだ。満員電車に乗らないのが一番なのだが、そういうわけにもいかない場面があり、つり革を両手で持つ、とか、できるだけ混雑していないところに移動する、とかの対策、またはそれこそ「痴漢冤罪保険」をかけとくのもあり、という信じられない状況になっている。そして、これと同様に、子どもに「みだりに」話しかけることで変質者と間違えられる可能性があることも、意識的ではないかもしれないが、危惧している人も結構いるのではないだろうか。

 私は大人と一緒にいない子どもには基本的には話しかけない(話しかけられた場合や迷子とかは別だが)。しかし、大人と一緒にいる場合でも、基本的には話しかけることはない。なぜか、というと、自分でもよくわからないが、すでに「そういうもの」という社会的規範があるように感じているからだろう。これは、子どもに限らず、「知らない人にはむやみに話しかけない」という現代日本の風習が元にあるのかもしれないが。

 こうしたことは、結局、大人になる過程で他人の子どもと接する機会がほとんどないことが原因の一つではないか、と思えてきた。ほとんど子どもや赤ちゃんと接した経験がないのに、いきなり赤ちゃんの世話とか、相当に難易度が高い。また、イクメン圧力がいくらかあるとはいえ、むしろ、まだまだ社会全体に、男は子どもに関わるな、という無言の圧力があるようにも思う。デキる男が仕事のキャリアを積み上げ、昇進の機会を伺う時期に半年とか一年育児休業しまーす、なんていうと、あいつは出世レースから外れよったな、ってなるのではないか。この辺は全然実情知らんので想像。

 しかし、子育て世代にとって1年というのはかなり長い。その間にライバルが仕事をして、差をつけるなんてこともあるだろう。だからといって、育休取った場合も出世に響かないように人事評価すること、などと行政が通達を出したところで、企業側では、はいそうですか、とはならんだろう。育休取っても遅れを取らない、または、育休のうちに仕事の幅を広げられるようにする仕組みが必要で、多分、この辺りは在宅仕事、または子連れ出勤が可能となるような社会にすることである程度はそうしたギャップが緩和されるのではないか、と期待したいところなのだが。

 今の大人の多くが他人の子どもに慣れていない、ということについて、私の場合は、ずっと子どもが苦手というほどではないが、子どもに注意も関心も払うことはなく、接し方もよくわからなかった。その後、甥っ子や姪っ子と接するうちに、いろいろと子どもとのつきあい方を学んだような気がする。ただ、今でも他人の子とどう接していいか、よくわからないところがある。

 うろ覚えの記憶だが、大学だったかで、保育園の赤ちゃんや子どもの世話をするような課題があるところがあって、学生時代にそういう経験をしておくのはいいことだなと思った。一定期間子どもと接した経験があると、その後の子育てでその経験が大いに役に立つのではないかと思う。

 男性が育休取れない、という話に戻ると、話はもっと単純で、単に育休を認可する側の上司の年齢層がまだ男性の育児参加当たり前の世代ではないため、というだけの話のような気がしてて、もう少し時代が経つと一気に育休取得率は上がるんじゃないかと思ったりもする。

 あと、今、記憶を絞り出しているのだが、日本で男性が子どもをあやさない、というのは100%ではもちろんなく、今までに何度か私の子どもをあやす男性に遭遇したし、外国でも男性が気安く子どもをあやす場面は、通りすがりの人とかたまたま隣に座った人とかの場合、あやさない人の方が多かった。そして、外国でも女性の方が男性よりも他人の子どもにアクションを起こす率は高いとはいえそうだなぁ、と思い直したりしている。日本が特殊かも、という仮説で論を進めてきたが、そうでもないんかもな、とも思ったり。

 ともかくいえることは、子どもは一人で育てることは出来ない、ということで、今現在、家に嫁さんがいない状態なのだが、それをしみじみと実感しているところ。早く帰ってきてくれー、という思いでなんとかしのいでる感じだ。まあ、ここのところいろいろあって、帰ってきても○○だったりするのだが、それはともかく、子どもは早く母親に会いたいだろうし、母親も子どもに会いたいだろうし、あと少しの間、なんとかがんばるしかない。

「育休って何?」な零細自営業者が育休について思っていること

 自民 宮崎謙介氏 女性関係報道で議員辞職願提出というニュースが出ていた。

衆議院京都3区選出の自民党の宮崎謙介衆議院議員は、男性の育児参加を促したいとして、国会議員である妻の出産に合わせて、今の国会中に育児のための休暇を取る考えを示していましたが、今週発売された週刊文春で、妻の出産直前に、ほかの女性と不適切な関係を持っていたと報じられました。

(NHKニュース)

 私は零細自営業者であるが、育休などは当然なく、休んだらその分、おまんまの食い上げである。そういうのは所与の条件として、この立場を選択していて、その代わりに仕事を選ぶ自由、仕事がない期間に怯える自由などを享受している。

 ただ、自営業者の育休という問題がクローズアップされたことはよかったとは思う。この議員に同情の余地はないけど。

 こちらの記事に以下のような自民党谷垣幹事長の発言が出ている。

「自営業者には育休の制度はなく、育児休業しようと思ったら、いくらでも本人の判断でできる。基本は国会議員も同じだ」と語った。宮崎氏は国会議員の育休を定めるよう衆議院規則を見直すことを目指しているが、谷垣氏は制度化に慎重な考えを示した。

 これは正論ではあるが、日本の現実の中で育休が取れている自営業者などほとんど皆無に近いだろう。十分とはいえない育児環境でそれぞれが使える手があれば可能な限り使いながらなんとかやりくりしているのが現状だろう。そして、そうした中でどのように育児環境を改善できるかを検討し、実行していくのが政治家の役割のはずだ。一応、氏は抜かりなく「育休を取りやすい社会をつくるために運動するのは意義がある」とも述べてはいるが、及び腰であるという印象は拭えない。

 ただ、勤め人の育休取得率などみても、特に男性の取得率が1~2%ということになっていて、いくら制度を整えても、なかなか取れていない実態がある。こちらの厚労省による「事業所の育児休業取得者割合」(PDF)を見ると、業種により結構異なっていて、建設業などは男が5.19%と比較的高めだが、女性は69.6%と全事業所平均の76.3%を下回っているとか(育児休業者の実に4割が男性!)、医療・福祉はさすがに男女とも高め(男3.22%、女89.2%)とか、興味深い実態が垣間見れる。数パーセントで高めってどうなん、とは思うが。

 もう一つ、興味深いのは、事業所規模が5~29人の会社での女性の育休取得率が低く、4割は取得出来ていない実態があり(30人以上の事業所規模だと9割が取得できている)、中小企業特有の「取り難さ」があることがうかがえる。個人にかかる負担が大きく、なかなか代替が利かないためだと推察されるが、育休を取得すると職場復帰できないのではないか、と思わせる雰囲気が会社にあって、職を失う不安から育児休暇取得に踏み切れない場合もあるのではないかと思う。

 制度があるのに、取らない方がおかしい、というのは正論だが、このご時世、今の会社を去って、さらによい待遇で再就職できる見込みは少ないと多くの人が思ってしまっていて、なんとなくそうした空気に抗えないのだとしたら、本当に日本は物質的には豊かになったが、全然幸せではない社会になってしまったものだと慨嘆したくもなってくる。

 代替が利かないため、というのも、人手が足らなくて、という場合も多いだろうが、別に中小企業における社員の代替不可能性という問題もあって、ある機械や仕組みがその人でないと動かせない状態になっている、なんてことがあり、マニュアルなども作られることはなく、その結果、その人は育休を含めた長期休暇は取れない代わりに、会社の中で必要な人材という立場を守ることが出来る、という按配。これは処世術の一種だが、非生産的で非効率的であり、こういうのを許容する社風のあるところはさぞや風通しが悪いのではないかと思う。

 個人的には今の日本には雇用の流動化がもっと必要なのではないかと思っているのだが、そういう時代はよほど日本の経済状況が急激に悪化しない限りはやってこないのではないかと思わせる。今の就活には「うちでは採用しなかったが今後のご活躍をお祈りします」と最後に締められる不採用通知を意味する「お祈りメール」というのがあるが、実際、別の会社に行ったほうが間違いなく活躍できる人材が不適材不適所で燻っているという例が多いのではないだろうか。

 もっとも、こういうの根っこには「将来不安」というやつがあるわけで、特に今は「未来は今よりよくなる」という希望がまるでなく、衰退社会で生き抜いていかないといけないので、余計にしがみつく結果となっているようにも思える。

 私はビルの谷間でダンボールを敷いて寝たこともあって、まあ一人なんとか生きていくぐらいはなんとかなるやろで生きてきたが、ここに来て、育児をするという思ってもみなかった人生航路に行きつき、さすがに身を持って、育児にまつわるエトセトラに関心をもたざるを得なくなった。なんでこんな「孤育て」状態に私を含めた多くの親世代が陥いることになってしまったんだろうと常日頃から疑問なのだが、このような時代が到来するのがわかっていたのに社会システムを変更しようとしてこなかった先行世代を恨む気持ちを持ちつつも、誰かのせいにしても仕方がないので、いつもの結論だが、それぞれがそれぞれの持場でなんとかかんとかしのいでいくしかないんだろうな、と思いつつ……。

 私の場合、今行ってるところに「子連れ出勤認めて~」と契約ごとに要望を出しているが、聞き入れられる見込みはほぼない。ただ、保育園の都合で短時間勤務が認められ、今、週5日6時間労働という形で働いている。こちらの要望を100%認めてもらうことはできないが、言ってみるだけは言ってみる価値はあって、あまり恐れずに言うてみてはどうなんだろうか、と思うのだが、空気を読む技術が日本人は無駄に高いので、なかなか言い出せないものなのだろうか。

 空気を読まないようにしてたら、本当に空気が読めなくなってきたのが私なのだが、いいんだか悪いんだか。ちょっとした弊害はあるとは思うが、自分なりに気を配る注意をしていれば、なんとかなると思います(無責任モード)。